雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル56 美しきポルト6 ポートワイン6

2022-05-29 11:14:50 | Weblog
ドロワ川ほとりに立つフェレイラ店裏。 日本でも麹(こうじ)を使う工場のある街にいくと、壁が黒ずんでいることが多いが、この壁の黒ずみもワイン酵母だろうか?

【「赤玉」というもの】
1990年代、日本で遺跡発掘のバイトをよくしていました。土に向かって手を動かしていると写経のようで(小さい時から穴掘りごっこが好きだったし)、頭をからっぽにできる感じが好きでした。お決まりのように肉体労働の後は酒盛り。それも現場のお金で。そのなかに必ず入っていたのがサントリーの「赤玉」でした。

現場監督さんが
「赤玉~!」とか「ポートワイン♡」と言ってはうれしそうに飲んでいたので、私もその時なめてみたのです。ラベルには大きな「赤い玉」が描かれていました。そのため、それがポートワインだとばかり思っていたのですが、今回調べたら正式名は「赤玉スイートワイン」でした。なんとポルトガル政府の抗議を受けて1973年に「赤玉ポートワイン」から改められていました。

内容もポルトのポートワインとは違うものでした。サントリーが1899年の創業時にスペインからワインを輸入したものの不評だったので、日本人に合うものに、と、ワインに甘味を足して「赤玉ポートワイン」という名で発売。人気を博し、日本人に浸透していったのでした。明治の時代に外国のお酒を浸透させるには、そういった戦略も必要だったのでしょう。そして、今でも、値ごろ感もありファンは多いのです。

私が発掘現場にいたときには、とうの昔に赤玉「ポートワイン」の名前ではなくなっていたはずなのに、一度根付いた名前は消えない、ましては酒飲みの記憶は頑固、というありがちな状況に飲み込まれていた私。今も、思いこまれている方は多いんじゃないかしら? 
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スペインとポルトガル55 美しきポルト5 ポートワイン・上

2022-05-21 15:53:41 | Weblog
写真はドロワ川河畔にたたずむフェレイラの売店。この裏に工場がある。
ドンルイス一世橋を渡った南岸すぐは歩行者天国となっており、なぜかバイクの貸し出しがブームとなっていて、非常に排ガスくさかった。ここは橋から500メートルほど行っただけなのだが、静かで観光客も少なめであった。

【ポートワインが別次元の旨さ】
次にドウロ川の対岸側にずらりと並ぶポートワインの醸造所に行きました。
ポートワインは、もともとポルトに集められたワインを、羽振りの良かった世界帝国イギリスへ大量に輸出するために作られたもの。ポートは、「ポルト」の地名の英語読みです。

他のワインとなにが違うのかというと、ワインの発酵中に、アルコール度数の高いブランデーを加えて発酵を止め、さらに酒蔵で熟成させる点です。こうして本来、アルコールとなるべきブドウ果汁の糖分がそのまま残り、なおかつアルコール度数20度前後という通常のワインの倍の度数になるため保存がきく上、さらに独特の味わいへと深化していったのです。一度、封を開けても風味が保たれるところも人気です。

先日までお世話になっていた研究者のKさんご愛着の「フェレイラ」の酒蔵を尋ねました。石造りの暗い照明の中は酒蔵の一部だったと思われるひんやりとした空気。おしゃれな棚に展示品のようにゆったりとワインが並び、入口近くにカウンターだけがあってポートワインが有料で試飲でき、購入できるようになっていました。酒精を調合する酒蔵がすぐ横にあることが見て取れたのですが、見学はできませんでした。

試飲をすると、高貴な香りが鼻に抜け、日本で飲んでいた「ポートワイン」の「甘くて独特すぎる」感じとは別次元の、豊潤さに包まれてボー。ポートワインは苦手だと思っていたのに、ワインともブランデーとも違う世界にいざなわれて驚きました

この違いはなんだろう? と調べていくと驚愕の事実が。どうやら私がポートワインと思っていたものは別ものだったのです。

(つづく)
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スペインとポルトガル54 美しきポルト4

2022-05-14 17:08:08 | Weblog
写真は「世界一美しい本屋」の一つとたたえられる、ポルトのレロ書店の入口。細かな彫刻の美しさが目を引く。

【普段着のフリマ】
ポルト2日目は日曜日。ホテル周辺の小道では小机に手作りのアクセサリーや家の不用品を売る市民によるフリーマーケットが開かれていました。
 値付けが思い思いなので、安いものからびっくりするほど高いものまで様々です。彫金のアクセサリーが素敵だなあ、革のブローチもあるぞ、と、見ているだけでウキウキ。

 売る人たちの服装はラフなのに、おしゃれな感じもいい。たとえば銀髪の髪を無造作にアップして束ねておだんごにまとめ、灰色のハイネックの長めのセーターにぴっちりとした青めのパンツを着ていたおばあ様。たとえば、茶色い着古された革ジャンのイキなお姉さん、と、自分に自信がある気分が波動のように伝わってきます。それがまた売り物の作品を輝かせているのです。それらの相乗効果で道もなんだか輝いて見えました。

 というのも午後、この道を通ると雰囲気は一変。フリマは午前のうちに終了し、皆がものを広げていた机が消え、うら寂しい道になっていたのです。まるで魔法が解けたみたいに。(日曜で店舗がしまっているせいもあるのですが)

【“世界一”の書店】
 さて午前10時ごろ、フリマの先を進むと、長蛇の行列にぶつかりました。のぞいてみると書店に入るための行列です。しかも書店なのに入場料を取るとのこと。

 外から見える範囲でうかがうと、木製の曲がりくねった階段が中央にそびえ、周囲の壁そいには重々しい本が天井まで埋め尽くし、ほどよい暗さをたたえた、まるでハリーポッターに出てくるような雰囲気です。

 そこで入場料を払って入ってみました。

 中は案の定、人でいっぱい。みな、本を探すより、周りをキョロキョロ、写真をカシャカシャ。入場時に手渡されたパンフレットを読むと、
「1869年に創業し、1906年からこの場所で店を構える本屋」とあります。日本でいうと明治期の創業というわけです。世界で最も美しい本屋の一つに数えられているそうです。(イギリスのガーディアン紙2010年発表。)

 ここはハリーポッターシリーズの作者J.K.ローリングがこの地で英語教師をしていた時に足しげく通った書店なのだとか。なるほど、と素直にうなずける素晴らしい内装です。

 とにかく、ため息がでるほど美しい。ネオゴシック様式というのだそうですが、ステンドグラスの張られた天井と見事な木彫の壁や螺旋階段。これが本屋として作られたのです。なんという街なのでしょう。もっと静かなときにこの本屋にたたずめたら、どんなに幸せか。

 じっさいには上野でパンダを見る時ほどの混雑ぶりで、世界一美しい書店は、世界一混んでいて、本のタイトルはほどほどだったのでした。

 現在ではハリーポッターシリーズのインスピレーションの源泉だと話題になり、見学者が増えてしまったことから入場料を取っていますが、書店内で買い物した場合は代金に充当するバウチャーシステムとなっていることがわかったので、何か買わねば、と自然と目に気合が入りました。

 ポルトガルの本屋なので、当然ながらポルトガル語の本が並んでいます。ポルトの対岸はイギリスなので英語の本もチラホラ。日本の本屋と同じように文房具などの小物もずいぶんありました。特集コーナーにはファドの名盤らしきレコードやファドの歴史の展示も。いま、思うと、そのレコードを買えばよかった、と後悔しきりですが、その時は人の多さに当てられたのと、これから続く旅行で傷むのではと考えて、買わずじまい。
 買わねば損だと焦れば焦るほど、何もかも高く思えて私は手が出ず、最終的に家人が本を買う資金となったのでした。
(つづく)
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スペインとポルトガル53 美しきポルト3

2022-05-07 16:33:25 | Weblog
写真はポルトの川下りのハイライト・ドロワ川から大西洋側に涼む夕日。夕日にミルクをかけたような幻想的な光景だった。

【名橋をあおぐ】
 さて「エンリケ航海王子」ゆかりの家を一通り見学して、外に出ると、目の前のドロワ川が夕暮れのまどろみ時でなんともいい雰囲気になっていました。

ふわふわとした気持ちで呼び子の声に誘われるまま、岸辺の簡易の机で売られているチケットを買い求めていて、気が付くと観光用の船に乗っていました。若夫婦と赤ちゃんも乗る平和な平船が、ゆっくり静かに進みます。

川の両岸には中世から抜け出したような修道院や家々が立ち並び、頭上には美しいアーチを描く鉄橋を仰ぎ見る贅沢な景色が続いていきます。いくつかある鉄橋のなかでも1877年の掛けられたドナ・マリア・ピア橋は、フランスのエッフェル塔を設計したエッフェルによって設計されたものです。

写真はドナ・マリア・ピア橋。

鉄の持つ硬質さのなかに優美さがあり、それが夕日に映えて、街をより高貴なものへと押し上げているよう。その景色のど真ん中を船はゆったりと通過していくのです。

そしてドロワ川の奥でUターンし、今度は川の河口を目指します。

白眉は1886年に建造されたドン・ルイス・1世橋。エッフェルの弟子によるもので優美さでも機能面でも負けていません。

写真はドン・ルイス1世橋。

そのうち川が広がり、まもなく大西洋というあたりで霧にけぶる甘いオレンジにミルクを溶かしたような色の夕日がまさに川に溶け込むように落ちていきました。そこから街を振り返るとすべての凹凸や苔むした丸みのある岩肌がやわらかい陰影を生み出して、まさに絶景。

 夕日のオレンジが紫へと変わりかけるとまた桟橋へとUターン。振り仰いだ橋の上、建物のちょっとしたベランダの上、路上で人々がゆっくりと歩いています。みなが幸せそう。

 しみじみと感じたのは世界遺産というものが世界をディズニーランド化させているなあ、ということでした。いうまでもなくディズニーランドは作りものだけど、こちらは本物。でもやがては本物らしさに寄せて、偽物の景色も作られていくところも出ることでしょう。その時はこれでいいのか、と、難しいことも考えたのですが、いま、その景色を思い出すと平和あればこそ、と尊くすら思えるのです。
(つづく)
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スペインとポルトガル52 美しきポルト2 エンリケ航海王子

2022-05-01 09:36:22 | Weblog
写真はボルサ宮とサン・フランシスコ教会前の広場にそびえるエンリケ航海王子の像。サン・フランシスコ教会は14世紀に建てられたものだが、内部がバロック様式で凄まじいほどの量の彫刻とその上すべてに金箔が貼られていて、とにかく濃い。口直しが欲しくなるほどだ。それらの建物に当てられたのか、
観光客がこの美しく芝生の張られた広場で大勢寝転んでいた。それをエンリケ航海王子の像が見守るというシュールな光景となっていた。(本来はエンリケ航海王子がアフリカ方面を指さしている像である。)

【気取らない定食屋さん】
 お昼はホテル近くのソシエダデ・オテリア・ファジャ(Sociedade Hoteleira Faja)へ。

清潔なテーブルに地元客らしき人々がめいめい注文し、もくもくと食べています。みな、当たり前みたいに白ワインの入ったグラスを片手にしているので私も頼んでみました。シュワシュワとした微発酵のさわやかな味。それでいて値段はお水と同じ。リスボンより安いかも。


 「Dourada Grelhada na Brasa」
はゴールデンフィッシュの炭火焼。白身魚のグリルで、たっぷりの湯がいたジャガイモ付き。魚のうまみがいいかんじ。Dourada(ゴールデンフィッシュ)とはヨーロッパヘダイというタイの一種で一般的な食用魚。癖ののないアジの感じ。透明感の薄いタイの味でした。

 ほかに牛肉のステーキ(半熟卵にゆで野菜、フライドポテト付き。脂身がほとんどないのに、肉がやわらかく、塩気がちょうどよい。)、それらに付く英語で豆ライスと書かれた長粒米に赤インゲンが入ったご飯が食べやすい。なんとなく日本料理の延長のようなやさしい味わいなのです。
 気に入ったので、夕飯もここでいただきました。

【「エンリケ航海王子」の家】
 お昼の後、ようやく街歩きです。坂が多く、いっけん平坦に見える道でも高低差があり、思った以上に疲れがたまってきます。

 教会や市庁舎を周り、最後に世界史の教科書に必ず出てくるヨーロッパ大航海時代のさきがけとなった「エンリケ航海王子」の家へ行きました。

 ここで生まれた、とされているのですが行ってわかったことは真偽は不明だということ。ただ海上交通の要衝・ドロワ川脇に14世紀前半に民家として建てられ、19世紀まで関税事務所として使われていた石造りの立派な構造物だということはたしかなことです。中は薄暗くて、古めかしい昭和初期の図書館のようでした。

この建物の構造の推移がやわらかい素描のアニメで表示されていたり、実物の柱や梁がむき出しのままになっていて光が当てられていたりして見ごたえがありました。

 でも一番の衝撃は、この家の前の標識に「エンリケ航海王子」が英語で「Prince Henry, the Navigator」と書かれていたことでした。「the Navigator」は「水先案内人」とか「航海士」とか「探検家」を意味します。航海王子の「航海」は肩書だったのだと認識しました。そしてエンリケは英語では「ヘンリー」・・。

 一方、ポルトガル語ではたんに「エンリケ王子(Infante D. Henrique)」と記されていて「航海」の文字はありませんでした。
 世界史の教科書を見るたびに「航海王子」ってへんな単語だなあ、王じゃなくて王子だし、と一方的にイメージを膨らませていたので、ポルトガル語のシンプルさに、ようやく納得できました。

 一人の人間が「なんとかさんのお母さん」だったり、「銀行員」だったりと場所や相手との関係性で呼び名が変わるようにエンリケも「王子」だったり「航海士」だったり、その時々の文献によって呼び方が変わるらしい。ちなみに王の三男なので王子というのは本当。そして王にはならなかった人でもあります。
 
 銅像を見て生家とされる家を見たからこそ、ちょっとした標識の言葉より、世界史の教科書の中だけだった人から、そこに生きていた実感を感じとれたのかもしれません。
(つづく)
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