写真はボルサ宮とサン・フランシスコ教会前の広場にそびえるエンリケ航海王子の像。サン・フランシスコ教会は14世紀に建てられたものだが、内部がバロック様式で凄まじいほどの量の彫刻とその上すべてに金箔が貼られていて、とにかく濃い。口直しが欲しくなるほどだ。それらの建物に当てられたのか、
観光客がこの美しく芝生の張られた広場で大勢寝転んでいた。それをエンリケ航海王子の像が見守るというシュールな光景となっていた。(本来はエンリケ航海王子がアフリカ方面を指さしている像である。)
【気取らない定食屋さん】
お昼はホテル近くのソシエダデ・オテリア・ファジャ(Sociedade Hoteleira Faja)へ。
清潔なテーブルに地元客らしき人々がめいめい注文し、もくもくと食べています。みな、当たり前みたいに白ワインの入ったグラスを片手にしているので私も頼んでみました。シュワシュワとした微発酵のさわやかな味。それでいて値段はお水と同じ。リスボンより安いかも。
「Dourada Grelhada na Brasa」
はゴールデンフィッシュの炭火焼。白身魚のグリルで、たっぷりの湯がいたジャガイモ付き。魚のうまみがいいかんじ。Dourada(ゴールデンフィッシュ)とはヨーロッパヘダイというタイの一種で一般的な食用魚。癖ののないアジの感じ。透明感の薄いタイの味でした。
ほかに牛肉のステーキ(半熟卵にゆで野菜、フライドポテト付き。脂身がほとんどないのに、肉がやわらかく、塩気がちょうどよい。)、それらに付く英語で豆ライスと書かれた長粒米に赤インゲンが入ったご飯が食べやすい。なんとなく日本料理の延長のようなやさしい味わいなのです。
気に入ったので、夕飯もここでいただきました。
【「エンリケ航海王子」の家】
お昼の後、ようやく街歩きです。坂が多く、いっけん平坦に見える道でも高低差があり、思った以上に疲れがたまってきます。
教会や市庁舎を周り、最後に世界史の教科書に必ず出てくるヨーロッパ大航海時代のさきがけとなった「エンリケ航海王子」の家へ行きました。
ここで生まれた、とされているのですが行ってわかったことは真偽は不明だということ。ただ海上交通の要衝・ドロワ川脇に14世紀前半に民家として建てられ、19世紀まで関税事務所として使われていた石造りの立派な構造物だということはたしかなことです。中は薄暗くて、古めかしい昭和初期の図書館のようでした。
この建物の構造の推移がやわらかい素描のアニメで表示されていたり、実物の柱や梁がむき出しのままになっていて光が当てられていたりして見ごたえがありました。
でも一番の衝撃は、この家の前の標識に「エンリケ航海王子」が英語で「Prince Henry, the Navigator」と書かれていたことでした。「the Navigator」は「水先案内人」とか「航海士」とか「探検家」を意味します。航海王子の「航海」は肩書だったのだと認識しました。そしてエンリケは英語では「ヘンリー」・・。
一方、ポルトガル語ではたんに「エンリケ王子(Infante D. Henrique)」と記されていて「航海」の文字はありませんでした。
世界史の教科書を見るたびに「航海王子」ってへんな単語だなあ、王じゃなくて王子だし、と一方的にイメージを膨らませていたので、ポルトガル語のシンプルさに、ようやく納得できました。
一人の人間が「なんとかさんのお母さん」だったり、「銀行員」だったりと場所や相手との関係性で呼び名が変わるようにエンリケも「王子」だったり「航海士」だったり、その時々の文献によって呼び方が変わるらしい。ちなみに王の三男なので王子というのは本当。そして王にはならなかった人でもあります。
銅像を見て生家とされる家を見たからこそ、ちょっとした標識の言葉より、世界史の教科書の中だけだった人から、そこに生きていた実感を感じとれたのかもしれません。
(つづく)