雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル44 ファドハウスへ①

2022-02-27 10:08:47 | Weblog
写真はお目当てのファドハウス「ミザ・ド・フラッジュ(MESA DE FRADES)」。訪れたときはこのドアすらも閉まっていた。

【ポルトガルの心を謡うファド】

「ファドって興味あります?」

ポルトガル南部へと調査を続けている研究者一行を待つ間、リスボン市内で史料調査をしている日本人女性と食事の約束していたのですが、思いがけないお誘いへと発展しました。

彼女は以前、メキシコの調査でもお世話になったスペイン語堪能な歴史研究者Mさん。どこかふんわりとした雰囲気の、背に羽衣でも隠し持っているようなお方です。彼女も生でファドを聞くのははじめて、とのこと。

その日の午後6時にタクシーで一路、ファドハウスのメッカ・アルファマ地区へ。
夕暮れ時の小さな広場では、近所のおじいさんやおばさま方が手作りのアクセサリーや革製品を売る青空市場がちょうど店じまいを始めていました。広場に面した常設店では細いウールの毛糸で編み上げた赤ちゃん用コートや帽子なども売られていて、

「子供が小さかったら絶対、買いますね」

と女子(?)トークで盛り上がります。ふと気づくと、いつの間にか彼女は真剣なまなざしでお土産の品定めをしていました。

日が暮れなずむ午後7時ころ、目当てのファドハウスをグーグルマップで探しました。それは広場後方にある北斜面の中ほどを指していました。
 ところが、そこに行ってみると石畳の細道に沿った壁にぴったりとはめ込まれた、大きくて重そうな木製のドアがあるだけ。ドアはぴったりと閉まっていて中は見えません。人がのぞける高さの窓もありません。ドア横の、黒い板に金文字で小さく掘り出されたレストラン名が唯一の手掛かりです。

「ほんとうにここかしら? リスボンの友人に、ここの歌い手がいまキテイル、と教えてもらったのですが。」

と、Mさんはふしぎそうにつぶやくと近くを歩く人に聞いてみました。

「ここだけど、店が開くのは8時半ごろからだよ」

どうやら、私たちが早く来すぎたようです。
インターネットで、すでに食事つき鑑賞チケットを予約してくださっていたので、さらに周辺を散策して時間をつぶすことにしました。
(つづく)
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スペインとポルトガル43 キョーフのコルドン・ブルー(おいしいけど)

2022-02-20 16:19:28 | Weblog
写真はリストランテ・オ・コラディノのコルドン・ブルー。

【再びリスボンへ】
 翌朝、リスボンへ戻りました。エヴォラのバスターミナルはポルトガル語のみでしたが、ともかく「リスボン」と一言いえばなんとかなりました。

 今度のホテルはフェニックスホテル。最初にリスボンで宿泊していたホテルのあったテージョ川沿いから2キロほど北西上がった小高い丘の上にあります。丘の中心にそびえるのがボンパル公爵像。その像の前がホテル。像はロータリーの中心にあり、車が絶えないにぎやかな場所でした。

 1755年のリスボン大地震後の都市再建計画で作られた幅90メートル長さ1500メートルの大通り・リベルダーテ通りが、ここから南に向かって伸びています。通りの下には地下鉄もあり交通至便。ブティックもひしめいていて、通称、ポルトガルのシャンゼリゼと呼ばれているとか。

 政府機関も近く、都会的なスーツに身を包んだ人々がきびきびと歩いていました。そんなサラリーマンが吸い込まれていく定食屋を発見しました。

【安くておいしかった「リストランテ・オ・コラディノ(CORADINHO)」】
 入った店でみなが頼むので、頼んでみた「コルドン・ブルー」。不思議な名前。どんな料理なのかとワクワクしてたら、豚肉、チーズ、ハムを薄く均した後、薄く衣を載せて揚げたカツレツ風のものがでてきました。野菜もたっぷり添えられていてボリュームもちょうどいい感じ。味は日本の上等の定食屋のように油がしつこくなく、パリッとしておいしい。それでいて安い。

 驚いたのが衣の中から先のとがった楊枝が3本以上出てきたこと。薄く伸ばした複数の素材を超絶技巧で一つの塊に縫い合わせていたのです。日本の串揚げは串の所在がすぐわかるけど、こちらは衣がかぶさっていて見えません。しかも無秩序。なかなかのキョーフです。

 あとで調べると、この料理はヨーロッパ各地で食べられていて、楊枝で形を整えるのは一般的ではあるのですが、せいぜい1,2本のよう。それも端を止める程度に。

 この後、ポルトガルで3度、今度こそはとコルドンブルーを頼んだのですが、どの店でもなぜか私のものにだけ、過剰な楊枝が入って、口の中を刺してきたのでした・・。おいしかったけど。

【スイーツへの愛】
ところで隣で食べていた若い細身の男性。美しい動作でコルドンブルーを一口一口丁寧に切り分けて、丁寧に口に運び、そして水を飲み、を繰り返し完食。一人、いそいそとカウンダーに行くのでお会計かな? と思ったら、ショーケースをじっと見つめて各種ポルトガルスイーツから一品を選んで、また席に。そしてコーヒーとともに表情を変えることなく一さじずつそのスイーツを口に運んでいました。静かな佇まいなのに、うちからあふれるワクワク感が隠しようもなく、なんだかかわいい!
 ポルトガルの人にとって、スイーツは、日本以上に、心の平安にかかせない、生活になくてはならないものなのかも、と感じたひとときでした。

https://www.facebook.com/pages/O%20Coradinho%22%20Restaurante%20Portugu%C3%AAs/110668432931328/
※コルドン・ブルーはフランス語で青いリボンのこと。かつて優れた騎士が胸に青いリボンを付けたことから腕利き料理人を指す言葉となったらしい。
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ポルトガルとスペイン42 ポルトガルスイーツ最高峰の店の一つ・カフェ・アルカーダ

2022-02-12 14:37:01 | Weblog
写真はカフェ・アルカーダの店内。クラシカルな回転扉を開けると、甘くて高雅な香りに満ちていた。

【ほっとする、やさしい甘さ】
 お昼の量があまりに多かったので、夕飯はケーキで済ませようと入ったのが同広場に面した「カフェ・アルカーダ(CAFÉ ARCADA)」。

写真はカフェ・アルカーダのモロトフ。

そのときに食べたのはモロトフ(MOLOTOF)。メレンゲをふんわりと蒸した、甘みのあるケーキというか軽い口当たりのプリンという感じです。上に華やかなウェイブを描いている茶色いカラメルソースにレモンが効いていて、さわやかさと苦みのほどよいハーモニー。おなかはいっぱいだと思っていたのに、さくさくと口に運ぶごとに、おなかがすいてくるほどのおいしさでした。このほかにもガラスのショーケースにはおいしそうなポルトガルスイーツが並んでいたのですが、どれもお母さんの手作りのケーキ感にあふれ、丸みのある感じがあたたかみをもたらしています。


当ブログでは私が食べたものだけの料理写真にとどめていたのだが、今回はお店に許可をもらい、食べてないけど、掲載する。どれもこれもおいしそう! 他にも次々と焼き立てのスイーツが次々と奥から出てくるのである。

この店ではスイーツの作り手が女性ばかりだったことにも驚きました。
1942年開業の老舗で味は一級品。店内で食べる場合は客がお盆を自分で運んでお会計という気取らなさも安さの秘密なのでしょう。
(ポルトガルでは昼をドーンと食べて、夕飯は軽めだそう。さすがにケーキだけというわけではありませんが、この日の食生活は、理にかなっていたのかも。)

※今回でエヴォラ終了です。
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ポルトガルとスペイン41 エヴォラの水道橋

2022-02-04 17:36:42 | Weblog
水道橋がエヴォラ城壁を突き抜けるときを真下より臨む。壁際には団体旅行客用のバスも停まっていた。

【アグアス・デ・プラダ水道橋(Aqueduto de Agua da Prata)】
 昼食後に水道橋を目指すことにしました。エヴォラの北西にあるグラカ・ド・ディポルの泉より取水し、丘をずーっと伝ってエヴォラ城内を突き刺し、最後にジラルド広場の噴水塔へとつながる全長11キロのローマ式水道橋です(現在、8.3キロ残る)。16世紀にエヴォラの水不足解消のためにジョアン3世が命じて作らせました。建てたのは、あのリスボンにある「テージョ川の貴婦人」と名高いベレンの塔を作ったフランシスコ・デ・アルーダです。
 
 グーグルマップでは徒歩5分で城内の水道橋に出会うはずなのに、全然見あたりません。エヴォラはほんとに迷路です。
 細い路地をくねくねと抜けるうちにネコを見、犬を見、安い果物屋を見、日本料理店を発見し、やがて学生街にでました。ピカピカのコインランドリーや「NARUTO」などの日本の漫画のポルトガル語版を売る店などもあって週末は賑わいそう。
エヴォラにあった日本料理店[samurai].


エヴォラの学生街にあった日本の漫画を多数売る店。エヴァンゲリオンやポケモンなどが置かれていた。

でも時間のせいなのか、道が一般道ではないのか、人はほとんど見かけませんでした。こうして、ようやく大きな道路に行きついたと思ったら城壁の外に立っていました。

 立派な石造りの城壁の周りは緑地帯になっていてオリーブ、コルクなどの木が植わっています。コルクの幹は触るとフワフワしていて、たしかにワインの栓の風合いです。すでに上皮をはぎ取った木もありました。そういえば土産物屋にはコクルの皮で作った財布やカバンなどがたくさん売られていました。特産品なのでしょう。

コルクの木(上皮を剥いだところ)

 ミツバチが集う紫の花の草、クローバーやたんぽぽも無造作に植わっています。その先は車がビュンビュン行き交う何車線もある道路で一部、渋滞も見られました。

城壁の外からみたエヴォラ。

 道路をわたると、現代の街のはしっこに突き当たったらしく、郊外感が半端ないのに驚きました。アスファルトと石畳に覆われた車線は、ほこりっぽく、だだっぴろい。その向こうには手入れされてない森、その合間にコンクリートの古ぼけた建物がポツン、ポツンと建っています。民家ははるかに遠く、その先にようやくスーパーマーケットなどの現代の街並みらしきものが見えます。
 世界遺産の街・エヴォラは、イエズス会の追放とともに時を止め、80年代にふたたび観光資源としてパッケージされたのであって、現代社会を生きる普通の人々は城壁の外側にいるのだ、とはっきりと認識することができました。
なんだかディズニーランドから出たみたいな、夢からさめたような気分です。

 それにしても水道橋は見えません。こうなったらスマホには頼らず、ひたすら城壁沿いに進むことにしました。すると、ようやく見えました。はるか丘の上から続いて見える水道橋は思った以上に高々とそびえ立っています。

奥に見えるのが城壁を突き抜ける水道橋。10メートルほどの高さ。

 城壁の上を抜けて、城内を突き刺すように進むさまは、何事にもぶれることなく毅然と行進しているかのよう。上空に緩やかな傾斜を描く水道橋をたどっていくと、橋の下の柱を組み込むように人家が建ち並び、やがて建物と同化し、さらに単なる道の横に続く石塀のような状態になって、人の目線より少し上の高さになったあたりで視界から消えました。


水道橋が視界で見られる最後の部分はほぼ石塀のよう。

 おそらく建物の中に入って、やがて地下へともぐり、想定通り、民家の水として使われつつ、ジラルド広場の噴水口へと続いているのでしょう。

参考文献:https://core.ac.uk/download/pdf/147577407.pdf

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