雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

鍋こもごも③ イ族の豆乳鍋と羊肉鍋

2014-12-21 10:56:10 | Weblog

 文山州で食べた羊肉鍋と、つけだれの入った小鉢。とにかく発汗作用がハンパではなかった。(2004年10月撮影)

【文山州イ族の豆乳鍋】
 もう一つはイ族が住む雲南の中東部にある文山州硯山県にて。鶏丸ごとのスープに豆乳の入った鍋。これに香菜(コリアンダー)、唐辛子、花山椒、ピーナツを刻んだものなどの入った小鉢が一人一鉢ずつあり、スープをその小鉢にちょっと入れてぐるぐるとかき混ぜて、ニンニクの唐辛子漬けをポリポリと食べながら、煮立つのを暫し待ちます。

 煮立ったら最初に、野山を駆け回って引き締まった鶏のあらゆる部分を皆でほお張る、次に白菜などの野菜をドバドバと入れていただく。最後にスープを小鉢にたっぷりと注いで飲み干すと、すっかり身体もあたたまりました。
 
【羊肉鍋】
 豆乳鍋もごちそうですが、身体が最高にあたたまる鍋はやはり羊肉です。「テムジン」や「小肥羊」など中国の北京の方からのチェーン店の勢いが昆明ではすごく、羊肉のしゃぶしゃぶを定期的に食べに行くほど、わが家ではお気に入りの鍋でした。
(近年、日本にも「小肥羊」など数店が進出。週末には満席になるほどの人気となっています。)

 もともとチベット高原を通じて雲南とモンゴル高原は行き来が盛んだったので羊肉料理や乳製品は雲南では土着の食べ物といえます。

 雲南中東部にある文山州の地元の人が隠れて通う羊肉火鍋店。看板すらなく、見た目はたんなる何かのお店。薄暗い奥に入るといくつかの部屋に仕切られた薄暗い空間があるのですが、こういうお店が地元に愛されている「うまい」店なのです。地方の役人のお偉いさんの接待などが好まれて行われる空間はたいていそういうところで、もちろん地元の一般人も集います。

 さて鍋には白く白濁した鶏ガラスープにたっぷりの羊肉のぶつ切りが入っていました。
煮立つのを待つ間の各自の銘々の小鉢には唐辛子を練り込んで発酵させた味噌、刻み唐辛子、味の素、胡椒、刻み(九条ネギ系の)ネギ、香菜(パクチー)など、かなりの量が入った碗にちょっとのスープを入れ、かき混ぜておきます。

 これに鍋の羊肉をひたして食べます。半分以上、食べたところで白菜、青菜(つる草系のもの)、羊の肝、羊の血を固めたもの、腸、湯葉の細切り、ハルサメなどを入れてさらに食べていきます。10人以上で鍋を囲ったのですが、地元の男性はズボンを皆、たくし上げ、もう汗だく。10月も終わりの寒い時期です。それほど羊肉鍋はとにかくあったまるのでした。

 ちなみに日本の「小肥羊」では、つけだれは有料。香菜をつけると、さらに350円が追加されるシステム。雲南なみのつけだれにしようとすると4人ぐらいで食べても一人500円ほど加算されてしまうのが悲しいところです。鍋の味は、雲南でもよく食べたものと同じで、幼少期の舌に染みついていた娘にとっては「懐かしい! おいしいね。」と、うれしそうに食べた後、「雲南にいきたくなっちゃった」とため息をつくほどの郷愁の味だったようです。  
                (この章おわり)

*今年もお読みくださり、ありがとうございました。年末年始の2週間の更新はお休みします。
よいお年をお過ごしください。

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鍋こもごも② 雲南チベット族の鍋

2014-12-13 17:29:04 | Weblog
迪庆藏族自治州徳欽県の鍋物料理屋で出会った豆乳鍋。持ち手のない洗面器のようなシンプルな形状の鍋に鶏肉のブツギリをメインに次々と野菜やキノコを投入していった。(2004年6月撮影)。

【どの宴会でも足踏み歌の合唱】
豆乳鍋に出会った一箇所目は雲南北部のシャングリラからさらに奥にいった迪庆藏族自治州徳欽県でチベット族研究の先駆者と呼ばれる老先生の宴会に呼ばれた時です。

 鍋を前にして、先生自ら私の皿に「これはおいしいよ」といっては次々と取り分けてくださいます。宴を開くホスト側が遠方の客を手ずからもてなすのは中国ではよくあること。
とくに客の皿に
「ぜひ、食べていただきたい最高の料理」
 と考える食材を次々とよそるのは最高級のおもてなし。ただ、5000メートル近い白馬雪山をシャングリラから乱暴な運転で越えたばかりでやや高山病気味だったため、皿に盛られるのは、ありがたくもやや苦痛のひとときではありました。

 鍋の中身は漢民族の鍋のようにほうった食べ物の形状がわかるようなグロテスクなものはなく、鶏肉主体のあっさりとした鍋。
 鍋にはトウガラシはまったく入ってはおらず、取り皿のほうにめいめい好みで唐辛子の粗挽きを入れて辛さを調節しています。見ると、お年寄りの方は唐辛子はあまり使わず、ニンニクの唐辛子漬けをかじりながら辛さを調節している様子。

具材も、地元でとれる野菜(白菜とセリ科の野菜の刻んだもの、周囲がなみなみになった葉物など。ぬめりなどの特徴はない。)とどこか日本でもみるようなひょろひょろとしたキノコが多く入っているのが特徴です。

 このあたりはマツタケの一大産地で日本にも多く輸出されています。ただ、地元にはもっとおいしいキノコがたくさん獲れるため「日本人はマツタケを珍重しているそうですね?」と不思議そうに聞かれることがよくありました。
(日本で「中国産」と書かれたマツタケのほとんどは四川省の雲南よりの地域とこの雲南北西部の地域のものです。ちなみに松茸(ソンロン)という発音を現地ではじめて聞いたとき、何かの龍(ロン)のようなものが名産なのかと勘違いしてしまった!)

 さて、宴もたけなわ。豆乳鍋で心も身体も満たされたころに同郷の歌い手がやってきてチベット族の歌を披露してくれました。その歌に合わせて宴を囲む人々が自然と足踏みしながら大声で歌いはじめます。
 そのお腹から響く声に感動しました。これは我々の席だけのことではなく、隣の部屋からも何曲も楽しげに足を踏みならしながら歌っているのが聞こえてきます。この辺りのチベット族は歌が自然と出る人達なのでしょう。        (つづく)
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鍋こもごも①

2014-12-07 10:48:52 | Weblog

写真上は迪庆藏族自治州徳欽県の料理屋の鍋の付け合わせ野菜(2004年6月撮影)。写真下は徳欽近くの斯農村でブルーベリーを食べる子(2004年6月撮影)。
鶏肉主体でまずグツグツの鍋に野菜の付け合わせ(セリの刻んだものと、)唐辛子の刻んだものをスープで溶き、食べる。大盛りの葉の周囲が波立った野菜は雲南の他の土地では見たことがないが、名前は不明。どなたがご存じの方がいたら教えてください(さんざん調べても見つからないところから、本来の、例えば根菜類の野菜の上の葉とか、何かの間引いた野菜ではないかと考えられるのだが。)

そもそも、徳欽は峻険な山に囲まれ、街の標高は3400メートル。セリやワラビなどの山菜の他には野菜はあまり採れないので、外地から買うことが多い。料理屋では野菜が豊富だが、地元のご家庭を訪問すると、ヤクの乳を固めたバターと茶葉から造ったスーユー茶を何杯もいただくことになるが、これら貴重なビタミン源となる。あとは裸麦を炒った焦がし粉のようなもの、ごちそうには卵焼き。冬場干したヤクや豚の肉のハムなど。ブルーベリーなどのベリー類も6月は貴重なビタミン補給となり、丼に盛って子ども達がパクパク食べていた。私たちも食べた。濃厚なブルーベリーの香りと甘酸っぱさが口いっぱいに広がった。

【トウガラシの悲劇】
寒くなると、鍋の季節です。雲南では私のいた2004年の段階ですでに、トウガラシの粉末を大量にいれた鍋がおおはやりで、寒い季節には、かつての定番だった白濁した白湯(鳥ガラスープのあっさりスープ)には目もくれず、そちらの鍋屋がおおやはりとなり、結果、病院の胃腸科が大繁盛となってしまう事態が、地元新聞を賑わせていました。寒さでただでさえ、胃腸が弱まる上に、ご経験された方もおありでしょうが、辛さは胃腸以下をただれさせ、たいへんいたむのです。

トウガラシには、辛いものに慣れると、より辛いものを求めてしまうという中毒性ともいうべきものがあり(アマール・ナージ著『トウガラシの文化誌』晶文社、1997年12月出版)、しかも一時的に身体を温める作用もあるため、より辛いものへと人々はなびいていってしまう悲しさ。

 もともとトウガラシ文化は雲南に土着していたものではなく、ここ半世紀の間に徐々に定着したものなので、少数民族が多く住む地域に行くと、最初から鍋にトウガラシ粉末で赤々としているような無粋な鍋はなく、たいてい、白湯スープにショウガや棗やクコの実、四川名物の花山椒、雲南名産の草果、当帰など漢方薬膳ともいえるようなものが入った鍋か、豆乳鍋となります。

 日本でも今ではパックに「豆乳鍋」とかかれた割り下用スープが売られるようになり、知名度が出てきましたが、10年前に雲南で食べた時には新鮮な感動を覚えました。

 もちろん、鍋はごちそうです。ごちそうは宴会がふさわしい。
(さて、次回は宴会へつづく)
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