雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル9 BOTIN  1 〈料理編〉

2021-05-30 12:29:47 | Weblog
写真は「ボティン」内にある子豚の丸焼きを作る窯。炭火が燃えている。左の棚には平皿に載せられた内臓を取られた子豚の開きが載せられ、窯の右には茹でたじゃがいもがボールに山積みになっていた。焼き加減などプロの技が光る。

【世界最古のレストラン】
次に食事です。同じ場所、同じ店名で休むことなく営業を続ける世界最古のレストランとしてギネスブックにも載る「ボティン」。昼なら予約なしでも大丈夫とのガイドブックを信じてランチに行きました。すぐに入れました。

ヘミングウェイも通っていた創業300年近いこの店の名物は、子豚の丸焼き。表面カリっと、中身がジュワっと。ほどよい塩味で最高です。

フィリピン・セブの豚の丸焼きはワイルドですが、こちらは平皿に盛られて、いかにも上品な感じ。豚がほんとうに小さいので一皿に盛ることができるのです。
 創業以来、炭火を使って専用窯で焼き上げているそう。塩をまぶして炭火でじっくりというところが共通するところ。これにセブでは発酵した辛めの付けタレが付属されていましたが、マドリードは塩一択でした。

厨房で焼き上げた丸焼きを、客のいるホールの端っこで、半身に切り分け、さらに食べやすい大きさに切り分けて平たい皿の上に小玉の剥きジャガイモもトッピングして供してくれました。3人でちょうどいい量でした。

ほかの料理も充実していて、チキンスープは体にしみるやさしい味。

アーティチョークとベーコンの炒め物は、アーティチョークの苦みを、油でコーティングしたような日本にはない味。私は苦手でしたが、もともとパセリなどの苦みのある香菜好きの夫は気に入っていました。

ベルギーで食べ損ねた「白アスパラのマヨネーズ添え」がメニューに載っていたので、喜び勇んで頼むと、出てきたのは冷菜。ベルギーは温野菜なので別物です。太さはまるで違いますが、高度経済成長期の社宅で父がビールのつまみに好んでいた缶詰の白アスパラを思い出しました。たぶん、これも保存されたものなのでしょう。全体的に親しみやすい、どちらかというと家庭的な味つけ。とくにデザートは気取りがなく、甘すぎず、最高でした。

(つづく)


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スペインとポルトガル8 チョコラテとチュロス2

2021-05-23 14:21:37 | Weblog

写真はチョコラタリア・サン・ヒネスの表口と裏口。場所はマドリード旧市街のど真ん中、マドリード最古の教会の一つといわれているサンヒネス教会の真後ろである。この教会は9世紀の文献にはすでに書かれているのだそう。

【スペインの独占品だったチョコラテ】
大航海時代の1528年、新大陸にあるアステカ帝国をコルテスが征服しました。そして彼が征服の証の一つとして、スペイン国王のカルロス一世に献上したものこそがチョコラテでした。
 以来、約1世紀にわたって、スペインがチョコラテを独占的に支配していました。砂糖をチョコラテに混ぜたのはスペインの発明です。そしてカカオ豆は禁輸品でした。
 カカオ豆はそのままでは食べられず、その複雑な製法は、秘中の秘。それでもやがてはヨーロッパに広まっていくのですが、当初は、飲み物としてカカオ豆は利用されていました。

 そうはいってもマドリードの、この店のチョコラテは濃い。すでに飲み物ではなく、ディップです。スペインで料理を食べるたびに感じたのが、しょっぱすぎないのに、なぜか口の中の水分が持っていかれること。スペイン人の好みが、濃いチョコラテを生み出したのかもしれません。

【世界初出店は日本だった】
このチョコラテはマドリードでしか味わえないのだろうと思っていたのですが、あとで調べると、スペインでもマドリードに1店鋪しかないというのに、日本に上陸済でした。しかも世界初として。

栄えある世界初出店は2009年、埼玉県の「ららぽーと新三郷」です。同年10月31日放送の『アド街ック天国』三郷編でも取り上げられ、長蛇の列でなかなか食べることができなかったとか。さらに2010年には渋谷の中心である宇田川町に、さらには兵庫伊丹と岡山倉敷と次々と出店していきました。

ところが早くも渋谷店が一年で閉店、新三郷店も2012年には閉店。残念なことに今では日本にすっかりなくなってしまいました。その後、新三郷の店は三ツ星シェフがプロデュースしたパンケーキ専門店に転換したようですが、それも今では閉店。

 マドリードの人はタパ巡りの締めに必ず行く、というほど、根付いている店なのですが、日本ではリピーターは生まれなかったのでしょう。味はマドリードと比べてどうだったのか? 今も日本にあれば、試したかったなあ。
参考文献
渋谷にチュロス専門店「チョコラテリア サンヒネス」-国内2店舗目 - シブヤ経済新聞 (shibukei.com)
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スペインとポルトガル7 チョコラテとチュロス1

2021-05-16 11:43:27 | Weblog
写真はチョコラテリア・サン・ヒネスの地下一階。甘い香りが漂う中、店員さんが気持ちよさそうに出来立てのチュロスなどを運んでくる。

【チョコラテリア・サン・ヒネス】
たっぷり芸術鑑賞をすると、甘いものがほしくなります。お昼は外に出る時間ももったいないので美術館内の簡易なカフェで済ませたのですが、おやつは名物店に行くことに。

美術館から約1キロ離れたマヨール広場の近くにあるチョコラテリア・サン・ヒネス(Chocolatería San Ginés)。「地球の歩き方」などにも紹介されている1894年創業の有名店ですが、並ぶこともなく、店に入ることができました。

1階カウンターで注文と支払いを済ませ、地下1階の座席に向かいます。やがて出来立ての注文品がテーブルに届けられるので、そこでいただきました。

壁面をぐるりと巡るガラスがテカリのある緑色の木枠で縁どられ、荷物置き用(?)の網棚が頭上にある不思議な部屋。一昔前のおしゃれな列車の内部のような雰囲気です。人気店とあって世界中の観光客でにぎわっていました。

頼んだのはチュロスとチョコラテ。チュロスといえば、東京ディズニーランド。開業して数年後に突如現れた星形の断面を持つ程よい硬さのあるドーナツ棒は、シナモンの甘い香りと、サクサクとした食感に、歩きすぎた疲れが吹き飛び、手頃な値段も相まってすっかりトリコになったものでした。が、本場の味は、少し違いました。


写真はチョコラテリア・サン・ヒネスのチョコラテとチュロス。

チュロスは、甘いのではなくて、塩気のある風味。サクサク感は、東京ディズニーランド以上で、出来立てアツアツにこだわっているせいか、さらにふわっ。中国の油条(ヨウテァオ)の、もっときめの細かい感じです。

チョコラテは、ヨーロッパの高級チョコを溶かしたよう。甘味と苦みが共存していて、それが濃厚なのです。チュロスはチョコラテを付けて食べるとよりぴったりとして、おいしさが際立つのでした。

チョコレートの飲み物、といえば、思い出すのが、メキシコシティで飲んだショコラトル。チョコレート専用のかき回し棒で、泡立てて、店や家ごとになにかの香草やら香辛料をまぜていただく飲み物。ふわふわとした飲料で、口もさっぱりした記憶があるのですが、マドリードでは、チュロスに付けるものとして存在するので、かなり口の水分を持っていかれます。

こういう場合はコーヒーにチョロスの組み合わせもあるし、水も売られているので、素直にそちらも注文すればいいのでしょうが、持ち込みで水のペットボトルを置いている人もわりと見ました。
(つづく)
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スペインとポルトガル6 世界規格の画家を輩出する秘密?

2021-05-08 15:20:20 | Weblog
 写真はピカソ、ダリ、ミロほか20世紀の現代アートを展示するソフィア王妃芸術センター。1992年開館。グンニャリと溶けかけた時計などが有名なダリの不思議な絵世界は、スペインにもともとダリ的絵画の伝統があって、その厚みの最高峰に立った絵だったのだと知る。
 画面構成が緻密に計算された世界。その視点で見ると、ピカソもミロも数学的画面構成だ。
 他、現代絵画のコーナーに日本の画家の絵を飾るなど、新しい絵画の創造に貢献を続けていた。

【画家を育てる土壌】
(当ブログが気づくとふしぎな街・マドリードになりつつあったので、ここで王道のお話です。)

ピカソの渾身の大作「ゲルニカ」を展示しているソフィア王妃芸術センターなど世界に名をとどろかせる絵画がたっぷりとあるマドリード。

 なかでもゴヤ、ベラスケス、ルーベンス、レンブラントといった画家の大画面の絵が惜しげもなく飾られているプラド美術館は、ゆけどもゆけども絵、しかも教科書トップ級ばかり。

戦争で略奪した、とか、死後に画商から買い取ったというのではなく、宮廷画家として雇い入れた画家の作品が中心なので、運ぶ必要がなかったせいなのか、とにかく一つ一つの絵が大きい。とくにベラスケス。これほどの量の彼の作品がいっときに日本にくることはないだろうと思ったので、じっくりと鑑賞しました。

若い女性の肌の質感、描く対象の性格までわかるような筆致。彼らを雇う国王一家が、たとえ自分が美しく描かれなくても、美術の価値に重きをおいて(つまり己の審美眼を信じて)雇い入れているに違いない、と思わせる絵の数々。美しいレースに縁どられた衣装を身に付けツンとすましたお嬢さん。ひ弱そうな国王。この腹の座り方に脱帽です。

国王一家は動物好きなのか、まわりに描かれた犬や馬といった動物の表情が生き生きとしています。これらは図録を買っても、小さくなっちゃうな、と残念に思っていたところ、この美術館は目の前の本物に対峙しての模写を許可していました。
 なんと有名画の横に、のちに有名になった画家たちの模写が飾られている贅沢さ。ピカソがベラスケスの「ラス・メニーナス」を模写した作品もありました。

ともかく世界的画家は一日にしてならず。世界的美術館での模写ってかっこいいなあ。
(調べるとルーブル美術館も模写を許可しているようです。19世紀ヨーロッパ美術界の伝統がかかわっているとか。奥深い。)
(つづく)
 
※娘が日本の大学で発行してもらった国際学生証はスペインで大活躍しました。プラド美術館もソフィア王妃芸術センターも提示すると10ユーロかかるところが無料に。学生なら国際学生証はお勧めです。コロナが収束したら、ぜひ。
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スペインとポルトガル5 

2021-05-02 18:06:50 | Weblog
写真はマドリードの中心地のひとつマヨール広場にて。たくさんの演奏家や大道芸人が前に缶を置いて、芸を披露する中、ゆるキャラ? と思わせるキャラ祭りになっていた。茶色いから熊かと思ったが、鼻のあたりがコアラくんはまだしも、このミッキー&ミニーは公認とは思えず。だが完成度は高い。他にもカンカン帽をかぶったカラフルなキャラなど、大きめのものが闊歩していた。いずれも彼らの前には必ず缶がある。観光客らがお金を入れてハグしてもらいながら、写真を撮っていた。キャラは立派な商売なのだ。

【海外でスマホが使えない!】
この旅で悩まされたのがスマホです。じつはマドリードから私のスマホがまったく電波を感知しなくなったのです。Amazonでスペイン・ポルトガル対応の海外製SIMカードを家族3人分購入し、スペイン到着前の香港でスペイン対応用のSIMカードに切り替えました。その時、香港で電波がキャッチできなかったのですが「これはスペインで使うものだ」と割り切っていました。

ところがスペインに着いて電源を入れると、私のものだけが通信できない。娘のSIMカードを入れてみてもダメ。マドリードのホテル内で自由に使えるフリーWi-Fiすら感知できない体たらく。

文句を言おうにも、購入先の会社がSIMカードとともに送ってきた説明書には、日本で動作確認してください、とあるだけ。スペインで使うカードを日本で動作できるわけがない。今までの海外旅行では問題なかったので、ショックでした。

当時、アメリカが中国のファーウェイ批判を始めていました。そのせいでファーウェイのスマホが使えないように電波を妨害していたりして、とSF的発想もしてみたのですが、マドリードのタクシー運転手さんのファーウェイは問題なく経路案内をしています。

原因不明のまま、スマホはカメラ限定で使うことになりました。のちにこれがまた悲劇をもたらすのですが、それはまた後のお話。

とはいえ、もともと電話とメールはドコモのガラケー、ネットのみスマホで対応する2台持ちをしていたため、傷が浅かったのは不幸中の幸いでした。

大手キャリアは決して知らせないのですが、IT雑誌を読んで電卓をたたけば、おのずと導かれる答えはFOMAの携帯電話(俗にいうガラケー。順次停波することが決定されている)とフリーSIM仕様のスマホの2台持ちが一番安いという結論になります。ちょっと面倒くさくはありますが、電話とメールは海外でも無理なくできるし、フリーSIMスマホなら、使いたい国のSIMカードを入れれば、1か月通信し放題でも3千円もかかりません。
(今は、もっと別の方法がありそうです。)

宿泊ホテルや飛行機の搭乗引換券などはすべて印刷しておいたので、その点では困ることはありませんでした。紙に印刷は、旅の大事なポイントでした。
(つづく)

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