雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南の八大名花―サクラソウ(桜草)

2009-04-25 21:29:14 | Weblog
写真はシャングリラ周辺の山々にひっそりと咲くサクラソウの一つ。水辺に群落している。

【春を報(しら)せる花】
江戸時代に旗本らの間で熱狂的に愛され、品種改良も進んだ日本サクラソウ。現在、関東各地でその展示会が催され、園芸家の庭々でも可憐な花を咲かせていますが、そのサクラソウの原産地といわれているのが雲南省北西部です。

昆明の春は二月、満開の八重桜で始まりますが、世界遺産・麗江を臨む玉龍雪山や白族の都・大理の名峰である蒼山連峰、またチベット族の多く暮らす白馬雪山など標高4000メートル級の山々の春は6月。一斉に高山植物が可憐な花を咲かせ、お花畑となります。そこで「報春花」つまり春告げ花と呼ばれているのがサクラソウです。雲南の八大名花の一つに数えられています。

野生のサクラソウが湿地帯の片隅で濃い霧に巻かれながら、濃緑の葉の頭上で、深紅の花を鈴のように咲かせる様子はひかえめで可憐な少女のようでした。この花が咲くころ、山々では伝統的な春まつりや競馬まつりが開かれるのです。

ただし、その土地に住む園芸家ならともかく、一般の人、とくに若者に花の名を聞いても、ムダでした。彼らにとって野に咲く花はすべて「花」という名前だったのです。

 ちなみに誰が名付けたのか雲南の八大名花というものがあります。
椿[茶花]、白木蓮[玉蘭]、つつじ[杜鵑]、サクラソウ[報春花]、百合、蘭[蘭花]、青いケシ[緑絨蒿]、リンドウ[竜胆]。

 上記は雲南に野生のまま存在しているので、自然のなかで見つけたときには本当に感動しました。これらは雲南各地の園芸家にもたいそう大切に育てられ、つつじや椿は昆明なら金殿などの庭園で、蘭なら家族のものに疎まれながらも、家全体を温室状態にして育てている人に少なからず出会いました。ですがサクラソウ園芸家には雲南では今のところ、出会ったことはありません。

 実は私の父は熱狂的なサクラソウ愛好家です。そのため、昆明を訪れた父とともにサクラソウ探しに奔走したことがありました。

「 報春花を見たことありますか?」と聞き回ったところ、一般の人が指し示す先に咲くのは、サクラソウとは似ても似つかぬ「ヒメソケイ」。ロウバイのような花で春の日差しが感じられだす3、4月、黄色の花を樹上で咲かせます。昆明植物研究所のコンピュータの中でようやく学名として「報春花=サクラソウ」を見つけたのですが、それほど昆明ではなじみのない花でした。

 ちなみに父の調べによると北京での「報春花」はロウバイ。考えてみれば春を告げる花が各地で異なるのは当然といえば当然なのかもしれません。
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閑話休題・明るい葬式

2009-04-19 17:03:21 | Weblog
 雲南中部にある文山の中心街で、たまたま葬式に出くわした。一期の縁と頭を垂れると、「悲しむことはない。80数歳のおばあさんで大往生だったのだから。」

 見ると、皆の顔は明るく、世間話などをしてまるで時間つぶしでもしているかのようにのんびりと過ごしている。亡くなったおばあさんは雲南省のお隣・広西省の最大勢力として知られる壮族の人。

 参加者は白いタオルかはちまきを巻いている。これが彼らの喪章。じつは白い布を巻く風習は紀元前に書かれた儀式の書『儀礼』にも書かれているほど、古くから中国に伝わる葬儀の際の正装だ。

 先頭付近では近所の肌の真っ黒に焼けたお年寄りが二人、真剣な顔をして、ちょっぴりもの悲しいような、明るい音色のチャルメラを響かせていた。通りには長いすと長テーブルを並べ、ガチョウの丸焼きや花びらのような細工を施したにんじんや玉ねぎなどの野菜類、うさぎの形をした饅頭や亀、象、キリンなどの形をした砂糖の固まり、シンプルなケーキなど102皿がズラリ。それを通りの人がじっくり見ては、誉め称える。

 写真を撮らせていただくと
「ばあさんも喜びますよ」と5色の色鮮やかなもち米のおにぎりを振る舞われた。自然の色と着色料のものとが混ざっている。この5色握りは壮族のお祭りには欠かせないものだと、文山文化局の博物館で見たばかりだった。

「まつりなのだな。」

 葬列の横を、中国風ランドセルをしょった丸刈り頭の少年が駆け抜けていった。
    


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雲南のとうもろこし④

2009-04-12 20:49:15 | Weblog
雲南省中部の主要道路の交差地・開元市郊外にて。地平線の果てまでトウモロコシ畑が続く。ところどころに巨大なひまわりとかぼちゃが顔をのぞかせる。

【おばけモロコシ?】
 秋に昆明から文山へと雲南中部を車で旅した時、石灰岩質特有のカルスト地形ばかりのあまり肥えてはいない土壌には見渡す限りトウモロコシ畑が広がっていました。車で3時間ほど、走っても走っても同じ光景。これ以上、作物を植えても収穫できそうもない崖の中程までも、へばりつくようにトウモロコシが植わっています。

 周囲の樹木や草木はまだ青さを残しているというのに、収穫期を終えたトウモロコシは茶色く枯れ果て、まるで不毛の大地のような不気味さが漂っています。

 トウモロコシの実は手で一つ一つ農民がむしり取るので、葉茎は直立したままか、ちょうど日本の農村で収穫後の稲を三角に束ねて置き干しするような感じで、茶色の茎を束ねてあります。ただ稲と違って背丈があるので、いまにも歩き出しそうなおばけのよう。

 収穫された実は2階の屋根裏へ。はしごのような階段を昇ると、無造作に真っ白なとうもろこしと、黄色いとうもろこしが混在したまま、山盛りに置かれていました。

 この地でこれほどまでにトウモロコシの栽培されるのは、乾燥地にも寒冷地にも強く、さらに稲や小麦などの穀物が育たない痩せた土地でも育つ点があるでしょう。石灰岩質で寒暖の差が大きいこの地でも十分に育つのです。

 ただ栄養の吸収力が強い分、やがて土壌がパウダー状になり、なにもの育つことのない不毛の地へとなりやすい、という指摘もあります。

【雲南原産説も】
 通説ではトウモロコシは南米を起源とし、コロンブスの「新大陸発見」により、ヨーロッパから世界各地へと伝わったことになっています。中国には1700年代までには南西部へ、1800年代から北部へも広まったといわれています。(各種百科事典および、シルヴィア・ジョンソン『世界を変えた野菜読本』晶文社、1999年)

 ところが『本草綱目』(1578年)にはすでにトウモロコシが書かれているのです。
「種は西土に出て植うるもの稀なり」
 作者の李時珍は湖北省出身の医者で、精力的に情報収集したそうですから中国で当時はそれほど見かけない作物だったとはいえ、1578年には存在していたことになります。


 現在、中国はアメリカに次ぐ年間生産量第2位の国(米は世界1位でしたね)。
 その中国の南西部の雲南省で世界的に見ても栽培の珍しいモチとうもろこしが、普通にある状況などを目の当たりにしたある植物学者は
「トウモロコシの原産地が南米だというのも、雲南のこの白いトウモロコシを研究したら覆るかもしれない」とポツリ。結論が待ちどおしいところです。

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雲南のとうもろこし③

2009-04-05 11:02:44 | Weblog
昆明市の中心地にある観光地・翠湖のほとりにて。焼きトウモロコシはやはり団扇であおいで、ゆっくりと炙られていく。香ばしいにおいが高級観光地に漂う。
 ところで2008年の昆明は公共バス爆破テロがあったり、北京オリンピックの厳戒態勢下にあるため、ピリピリムード。いつもはほんわかと焼くだけの焼きトウモロコシ屋さんの周辺もピリピリ。いつでも警官の姿を見たら、袋一つで逃げ出せる体制となっていた。

【焼きトウモロコシ】
トウモロコシの収穫時期となる夏から秋にかけて、昆明の路上でよく見かけるのが焼きトウモロコシです。出稼ぎのお姉さんがホーロー引きの洗面器に炭を入れ、その上に金網を置いて売っています。タレなどはなく、シンプルに焼いただけですが、おなかがすいたときには、香ばしい薫りについ手を伸ばす通行人は結構います。トウモロコシの色は黄色でした。

 歯を入れても粒がジュワッと潰れることなく、一つ一つこそげ落としたくなるような固さ。しっかりと噛みごたえのある実で日本のハニーコーンのような果物のような甘さやみずみずしさはありません。けれども、おなかがすいたときには、腹持ちがよく、炭火であぶる薫りがひたすら食欲をそそることから、油断するとすぐに売り切れてしまうほど、人気がありました。
   
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