雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル99 コルドバからマドリードへ(下)

2023-04-30 12:07:33 | Weblog
写真はマドリードからトレドに着いたばかりの車両。「renfe」はスペインの国鉄の名前だ。車体に「JR」と書かれているようなものである。清潔で快適。マドリードを出発する時間はゆっくりだったが、到着時間はなぜか、規定の時間より早かった。運行に余裕をもったダイヤ編成なのだと感心していたら、列車の到着時刻が15分以上、遅れたら、払い戻しをする規定があるのだそうだ。

【はじっこにあったトレド行きホーム】
ところが家人も何事かを察したらしく、1か月の旅で買いためた異常な量の荷物を押して必死にやってきてくれました。こんなときに、スマホがあれば、ここまでハラハラしなかったことでしょう。

 こうして集合し、みなで「トレド行き」と表示された14番線に行くことに。ところがまたもや難関が出現。案内図をいくらみても、プラットフォームは1~10までしか見当たらないのです。

何度みても、その先はない。

でも一刻の猶予もありません。予約した電車は乗り換え時間30分で出発してしまうのです。焦りつつも、ひとまず1~10番線の階に下がり、ようやく見つけたインフォメーションセンターの職員に聞いてみました。
 
「ここをまっすぐ通り抜けなさい」。

え、ここはセンターでしょ。歩く場所じゃないでしょ、と混乱しながら本来進むことができない場所を進むと、本当に14番線が見えてきました。
 こうしてたどり着いたのですが、正規のルートについては、私のなかではいまだに謎です。

さらにトレド行きへのもう一つの障害が。トレド行きのホームに入る前に荷物検査を受けねばならず、それが恐ろしいほどの長蛇の列だったのです。並びながら、これは間に合わないと冷や汗が止まりませんでした。

 でも、なんとかトレド行きに乗車できました。電車もあらかじめそうであったかのように置きつきはらっての遅れての出発で、この柔軟な対応にお国柄を感じました。鉄道ダイヤがもともと余裕をもって組まれているようです。

ここから30分でトレド。シートに座って、ようやく息をするのを思い出したかのように、深呼吸をしたのでした。
写真はようやくついたトレド駅。
苦労が多かったので、文字がまぶしい!
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スペインとポルトガル98 コルドバからマドリードへ(上)

2023-04-23 12:48:48 | Weblog
写真はコルドバからマドリード行の高速鉄道AVEの車内。スペインではマドリードに通ずるように全土に高速鉄道を張り巡らせている。

【マドリード駅ラビリンス】
グラナダでスマホをなしくて、3日目の朝。アルハンブラ宮殿の遺失物センターから

「スマホのお届けはありませんでした」

というシンプルなメールが届きました。日本の、JRの遺失物センターはあった時のみの連絡なので、見つからなかったにせよ、この連絡はじつにありがたい。でも、となると、やっぱりスられたのかも。なくなったのは、そうとう使い込んだHUAWEIでした。

 いろいろあったスペインですが、今日は、この旅の最終目的地のトレドを目指します。

 9時にコルドバのホテルを出発。タクシーの運転手に「鉄道のコルドバ駅へ」と告げると、

「ウナ。ソロ(うん、一つだよ)」

グラナダと同様にここでも鉄道駅とバスの駅はすぐお隣でした。ポルトガルでは、鉄道駅とバスターミナルが離れていたので、わかりやすい。

 トレドに行くにはマドリードを経由する必要があります。日本と同じく、多くの鉄路は首都マドリードに集結しているのです。

乗ったのはスペインの新幹線ともいえる「AVE」。一人50ユーロほど。日本の新幹線と同じぐらいの値段で、他の交通機関に比べて高めの設定です。席はゆったりしていて、ほどよい硬さで、清潔で気持ちいい。窓もピカピカでした。これで1時間45分移動します。座席は事前予約しておかないと乗れないほど満席でした。

 こうして気持ちよくマドリード駅に到着。

ところが多くの鉄路が集結しているだけあって、着いてからが地獄でした。さすがの大ターミナル。広くて複雑で案内板があっても、なんだかよくわからない。とにかくわかる人だけがわかればいいと突き放すような独りよがりな表示なのです。

到着したホームから列車の運行掲示板をしばらくにらんでいたのですが、トレド行きの列車の番線はいつまでたっても表示されません。

これはまずい、と家人に荷物を預けて、もっと大きな案内板の表示を見に行こうと大急ぎで移動しました。もちろん、表示を確認したら荷物を取りに戻るつもりで。

 ところが今考えても、とくに改札口っぽいところはなかったと思うのですが、AVEのホームは特別で新幹線乗り場のようなところだったのでしょう。トレド行きのホームを確認して戻ろうとしたら、駅員に制止されてしまったのです。
 いろいろ言ってみたものの「戻るのは禁止」の一言。

 どうしよう。スーツケース3人分を運ぶなんて一人じゃ無理に決まってる。どうしよう。
 (つづく)


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スペインとポルトガル97 下町感あふれるコルドバ

2023-04-16 10:53:40 | Weblog
写真はアルカサールの庭園にて。白い妖精のような女の子が水を飲んでいるだけなのだが、昔はイスパニアの宮殿、その前はアラブの城でもあった重層感が、不思議と女の子の雰囲気とマッチして不思議世界にいざなわれてしまった。おそらく彼女の父母の様子からみるとごく普通の観光客の女の子だろう(2019年3月8日撮影)

【コルドバにもローマ神殿】
コルドバは、世界遺産のある都市のわりには人通りが少なく、そぞろ歩きにぴったり。

セビリヤにも旧ユダヤ人街がありましたが、ここにもあり、特徴は白壁。花咲く青い小鉢が壁掛けされていてよく映えます。さらに2階の窓に植物のツルで編んだ独特な模様の浮き上がった簾がかかり、風情もひとしお。バルコニーでは気取りのない雰囲気でコルドバの人たちが窓越しに話しこんていて、普段の生活を垣間見せています。このリラックスムードはなかなか素敵です。

石畳を進んで少しにぎわった大通りでは、発掘調査中のローマ神殿の遺跡が忽然と現れていました。今も過去の発掘が進み、過去が顔をだす。散歩するだけで様々な時代をさまよえる味わい深い街なのです。


【アルカサル】
伊達政宗が派遣した1613年に日本を出発した慶長遣欧使節団が滞在した場所の一つがコルドバのアルカサル。メスキータのすぐ近くにあり、今も、建物と広いアラブ式庭園が残されています。

夕暮れ時に散策すると、庭の奥に威厳に満ちた像が夕日を背にそびえたっていました。添えられたプレートを読むと、この城でコロンブスと謁見している、資金援助を決めたカトリック両王であるイザベラとフェルナンドの像でした。少しリアルで、ちょっと不気味。

庭は噴水や人工的な滝、四角く刈り込まれた先進的な庭で、オレンジもたわわ。広い庭園に、客は数人で、かつての宮殿を独り占めしているような錯覚すら覚えます。

ぐるりと庭を一周して帰ろうとすると、黒マントに黒の帽子の威厳のあるおじさんがじっとこちらを見ていました。
なんだろう、と思いつつも、出口がそちらなので近づいていくと、

「あなたたちは、家族ですね。写真を撮ってあげましょう」

 といって、我々のカメラを手に取って、厳かに写真を撮ってくれました。ただそれだけをすると、にこやかに去っていきました。

 黒ずくめの風貌と、夕暮れ時の不気味さで、びくびくしてしまい、ごめんなさい。よく見ると、おじさんの周辺にはその子や孫たちもいて、ただただ人のいいおじさんだったみたいです。私もお礼にあちらの家族を撮ってあげればよかった!
(つづく)
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愛すべきコルドバ気質②とメスキータ

2023-04-02 12:37:54 | Weblog
写真はコルドバ中心街のレストラン「タベルナ・サンミゲル(Taberna Sanmigel)」。コルドバは闘牛の本場としても有名だ。1939年夏にデビューしたコルドバ出身のマタドール(闘牛士)マノレテことマヌエル・ロドリゲスは、スペイン内戦終結時のデビューであり、悲し気な黒い目と憂鬱なイケメンの顔と戦闘スタイルはスペイン国民の心をさしづかみにしたという。文豪ヘミングウェイの『日はまた昇る』にも、そのような宿命を背負った闘牛士が陰影を与えている。
コルドバには店主が闘牛にぞっこんで、歴代のポスターやスター闘牛士のイラストや写真が飾られた店も少なくない。この店もその一つ。

【コルドバ気質②】
ただコルドバの人は長考が好きみたい。たとえばメニューを頼むのにとても時間がかかります。昼時のサラリーマンですら、飲みものも頼まずに20分以上、懊悩。なにか悩みがあるのかなあと心配していると、おもむろに普通に注文してすっきり。

夕食の店でも家族連れがメニューを頼む前に10分以上議論して、それから注文するのです。料理はわりと標準的な時間で出てくるので、頼む時間さえ早ければ、日本と同じなのですが。

さすがローマ時代の哲人セネカの生まれ故郷と一人なっとく! いまも「考える」文化が濃厚なのかもしれません。

【世界遺産・メスキータ】
写真はメスキータ内部。

コルドバ最大の目玉メスキータは、とにかく広い。136メートル×138メートルが一部、直線的に見渡せるのです。
ここは、もともとイスラムのモスクだったところに16世紀になってスペイン王カルロス1世(申請ローマ帝国カール5世)の命令で、建物の中心部分を壊してキリスト教の大聖堂を無理やり建てたため、建物はモスクを貫く形でキリスト教の尖塔がモスクの上に飛び出す形となりました。

カール5世はコルドバに住む甥の陳情を許可することでコルドバ市議会の反対をものともせず、工事を強行したにもかかわらず、のちに現地に赴いた際、

「余がもし、あなた方のなそうとしていることをあらかじめ知っていたら、決して許可は与えなかったろう。あなた方がここに造ろうとされているものは、どこにでも見られた。しかしながら、壊されたものは世界のどこにもないものだ。」(旅名人ブックス『アルハンブラ宮殿 南スペイン三都物語』より)

と後悔ともとれる言葉を残しています。

ほかのガイドブックでも「みにくい」とさんざん書かれていたので、教会部分はさぞや見苦しいのだろうと覚悟していったら、今まで見た教会の中でも1,2を争う白い輝きと、手が込んでいるのに開放的でのびのびとした美しい建築物だったので、意外でした。
 モスクの建物の一部に完全にはまり込んだ感じなのですが、年月がそうさせたのか思った以上にマッチしていてモスク部分に引けを取りません。

写真はメスキータ内のゴシック様式のキリスト教の聖堂。

一方でモスク部分の赤と白のスとライプ模様のアーチの連続。それが遠近感をともなって、延々と重なるように奥まで続いています。世界史の教科書でも有名な部分なのですが、この修復具合がちょっとひどい。本来は白大理石と赤レンガで飾られていたのでしょうが、下手なペンキで描いたよう。写真で撮る分には美しいのですが、おそらく修復に失敗している気がしました。
(つづく)

※春は異動の季節。いろいろと身辺あわだつほど慌ただしい日々の方もいらっしゃることでしょう。どうぞ、少しでものんびりと。
来週の更新はお休みします。
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