雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南の牛肉⑫

2015-07-31 15:02:06 | Weblog
写真は昆明に近い宜良県の市場の牛肉コーナーで売られていた干巴。豚肉から作るハムと違って黒々としている。雲南の牛肉は脂身が少ないのが特徴で、干し肉には向いている。宜良でこの干し肉を売っていたのは漢族の人だった。この干巴は、たたきつぶしてフワフワにして食べるのではなく、スライスやキューブ状に切って、炒めたり、スープの具材にしたりする。

【料理伝説のよくある話】
さて、『傣族風俗志』(白立元編著、中央民族大学出版、1995年)には、ほかにも気になる記述がありました。

「近現代以来、傣族の飲食のなかで昔からあるメニューは多くなく、発展して作られたメニューがすこぶる多い」
という断り書きです。

炭火でしっかり炙るビーフジャーキーはさまざまな伝統料理の本に見られないことからも、おそらく近年になって生み出されたものと思われます。

また同書には先の断り書きを入れた上で牛肉を材料とする
「烤干巴丝(炙った干巴の細切り)」は
「別具一格、有風味独特」とありました。

他にもたくさんのメニューが紹介されているなかで、この料理は別格のおいしさ、と強調されているのです。

このように専門家も認めた料理が企業家によって商品化されるのは、中国では常識中の常識。その際、いかにもありそうないわれを、新たにパッケージに書き添えて売るのもよくある話。

つまり、ビーフジャーキーにかかれていた
「傣族の宮廷名菜の一つです。かつて宮廷では新鮮な牛肉を3日以上、炭火で炙り、木臼で 舂いておりました。」

は、前半部分はおそらく嘘。ただし天日干しの肉を木の棒で叩く料理はあるので、地元の人も「そんなこともあったかも」という微妙な線をついたものなのでした。

おそらく、雲南や東南アジアの牛肉料理の多くがそうであるように、欧米の植民地化の影響でつくられたビーフジャーキーが、木の棒で叩いてフワフワにするというタイ族独特の料理法と融合して生まれた一品だったのでしょう。    (この章おわり)

※次週の更新はお休みします。暑さが続きますが、無理せず乗り切りたいですね。
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雲南の牛肉⑪ 天日干し か 炭火焼き か

2015-07-25 16:39:10 | Weblog


シーサンパンナ・景洪市内のタイ族料理店の裏庭で陰干しされていた干巴。タイ族の伝統料理の本には、細切りにして風干し、と書かれているのだが、この店では豪快に肉を20カ所ほどで切って、かたまりで干す。当然、この厚さは天日だけでは間に合わず、いぶす工程を伴う。

【木の棒で叩く】
さて、タイ族には、特別な日のごちそうとして伝統的に牛肉が供されることがわかりました。しかも最高級の食べ方は生肉として。

そんな中にあった昆明で特産品として売られていたタイ族のビーフジャーキーは、パッケージにあったように本当にタイの伝統食品なのでしょうか?

 現在のシーサンパンナのタイ族には「干巴」というと二つの意味があり、一つが先述のビーフジャーキー、もう一つが牛肉を長っぽそく切り、塩して簡単に風干ししたもの、を指します。

 後者はタイ東北部イサーンで暮らす森本さんも
「肉が大量にあれば塩と胡椒を揉み込み干し肉に、魚は開いて塩を揉み込み干し魚に」いつの間にかする習慣がついてしまった、と書いています。

冷蔵庫がない地域では保存にかかせない手軽な方法なのです。

また、どうぜパリパリに感想させても風土がしめっていたら、パリパリを保つのすらたいへんです。

そもそも、本家本元のインディアンが作っていたビーフジャーキーは、卵を落とすと目玉焼きができるようなグランドキャニオンなどの沙漠で、じりじり日にさらし必然的に炙ったような乾燥度合いになったもの。つまりアジアと同じ天日干しです。その風土にはかなったものなのです。

となると、昆明の土産物屋のビーフジャーキーは燻製なので日本の鰹節のようにかび付けなどの特殊技術がない限り、昔からあった料理とはいいがたい気がしてきます。

『傣族風俗志』(白立元編著、中央民族大学出版、1995年)に紹介される肉メニューに、酸肉のほかに、料理名は書かれていないのですが、生肉に唐辛子、ショウガ、ネギ、塩などの材料をまぶして、盆に並べて軽く干したあとに、木の棒で叩いてから、果物を発酵させて作った酸っぱい水を絡めて食べる方法を伝統的な料理として紹介しています。天日干しですね。

さて、ここで気になるのが「木の棒で叩く」。雲南のビーフジャーキーのパッケージにある最後の仕上げの「木の棒で叩く」という料理法は、どうやら昔からあったようです。    (つづく)
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雲南の牛肉⑩ タイ人とタイ族

2015-07-18 22:15:55 | Weblog


シーサンパンナの首都・景洪の郊外にあるタイ族の人々がまつる仏教寺院。創建は1701年。屋根まで木材で丁寧に組まれている。シーサンパンナの寺院の多くが文化大革命で破壊された中で、修復のみで現在まで続く建物は非常に珍しい。雲南では珍しいことに内部もきらきらしていなくて、古い木材で組まれ落ち着く空間だった。
 中学生ぐらいの若い剃髪したお坊さんがテレビを修理したり、掃除したりと、ゆったりとした時のなかで、丁寧に仕事に取り組んでいた。


【一口コラム・「泰」と「傣」】
前回、いきなりタイ国の料理に触れました。雲南のタイ族とは、どういうつながりがあるのかと疑問に思われた方もあったでしょう。じつはタイのタイ人と雲南のタイ族はルーツが同じなのです

中国語ではタイ国は「泰国」と書き、中国国内のタイ族は「傣族」と書きます。「傣」は1953年から自国のタイ族に使われた文字で、それ以前は区別なく「泰」族と書きました。

タイ族は現在、タイ国の他にラオス、ミャンマー、ベトナム、カンボジア、インド東北部各地に違う名称の部族名でも住んでいますが、すべてかつて雲南から移動した人々です。

1000年以上前の宋代に移り住んだ人々もいるのですが、方言程度の違いはあっても、発音も文法もほぼ同じ。食文化も共通点が多いのです。

チベット族が同じ民族でも山一つ越えると、まったく言葉での意思疎通ができなくなるのとは正反対です。

ちなみに普段の食生活は鶏肉や魚がメインです。

タイ国の統計によると肉では鶏が半分以上を占め、次に豚、牛の順番に食べられています。一人あたりの年間牛肉消費量は1995年から安定して2キロほどです。
(「タイとベトナムの畜産の将来」宗政修平、独立行政法人農畜産業振興機構、2013年7月より。タイ農業・協同組合省農業経済局(OAE)統計をもとに作成した資料)

日本の牛肉消費量は2008年以降で一人あたり9キロ台(USDA「World Markets and Trade」(In selected countries)。

世界的に見れば日本も牛肉の消費量が多い国ではないのですが、それ以上にタイでは、それほどは食べられているわけではありません。

雲南のタイ族の統計は見つからなかったので、私の感想ですが、やはりメニュー数では鶏肉と魚が圧倒的に多かったです。しかも私もシーサンパンナで一番よく食べて、しかもおいしかったのはすずめなどの野鳥も含めて鶏肉でした。
牛肉は、特別な店のハレのメニューといった感じでした。
(つづく)

※あと少しで雲南の牛肉、終わります。長くなってしまいました。
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雲南の牛肉⑨  ユッケとラープ

2015-07-10 12:12:11 | Weblog

タイ族の棟上げ式にて(シーサンパンナ州景洪にて)
伝統的な竹で編んだちゃぶ台風テーブルにタイ族のおばあさんが中心になって作った料理がずらり


 あっという間になくなった最初の料理が、牛の生肉料理だった(手前右の赤い皿)。


【周辺国に残った生肉料理・ユッケとラープ】
一方で、周辺民族に牛の生肉料理は拡散し、残りました。

たとえば朝鮮のユッケ。

生の牛挽肉に各種調味料を和え、上に生卵の黄身をのせたもの。これは中国大陸から生肉文化が消えつつあった高麗時代後期(918年~1392年)当時、大陸を支配していたモンゴル族の往来によって伝播したそうです。
(『「食」の図書館 牛肉の歴史』ローナ・ピアッティ=ファーネル著、富永佐知子訳、2014年12月、原書房,[ はい、こちらユッケです。] 古口拓也、2001年http://mayanagi.hum.ibaraki.ac.jp/LecRep/01/IntroHum/yukke.htm)

そしてタイ族。

現代の東南アジアのタイ東北部でも祝い膳にかかせないものに牛の生肉料理「ラープ」があります。

生の牛小間切れと唐辛子、ナンプラー、ミント、そこに生き血と緑色の苦い胆汁を入れたもの。

(森本薫子『タイの田舎で嫁になる』株式会社めこん、2013年5月。著者は「おいしい」と感想を述べるものの、「すぐにおしりから寄生虫が出てきてしまう」ので、最近は食べないようにしているそうだ。)

シーサンパンナでコウケンテツ氏が食べたものとほぼ同じですね。

そして、生牛肉は繊細な味と舌触りがすばらしいのですが、一歩間違えると、危険ゾーンに突入してしまう、あやうい魅力を秘めた料理なのです。

(私もユッケは大好物です。でも昔から祖母は「危ないから食べるな」と言っていました。理性的に考えると食べないほうがよいのでしょう。でもおいしいものはおいしい。

日本の行政もユッケを一律、禁止するのではなく、材料の選別や作業手順のずさんな店を摘発するほうに力点を置いてほしいものです)

ちなみにこれらの牛の生肉料理は徹底的に脂身を取り除きます。お弁当に牛肉料理を入れるとわかりますが、牛のあぶらは、冷えると白く固まって食べにくいからです。
(つづく)
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雲南の牛肉⑧ 中国では消えた生肉料理

2015-07-05 11:05:00 | Weblog
やみつきになって連日食べていたシーサンパンナ傣味檸檬干巴はその名の通りビーフジャーキー状の干巴を裂いて、小さなレモンの汁をかけて食べるもの。ビールともよく合う。

このように肉でも酸っぱい、を取り越して苦さまで許容してしまうタイ族の人たち。蒸し暑い気候では、酢やレモンなどの柑橘類、香草などは必須アイテムなのだろう。

【大切にされたアジアの牛】
 冷蔵庫のない時代、羊や豚よりもはるかに大きい牛を殺して食料にするということは大事件だったことでしょう。村で分けてもすぐには食べきれず、保存法をあみ出す必要がありました。

そのため世界中で日持ちのための技法が発達しました。インディアンのビーフジャーキー、イタリアの牛の生ハム・ブレアオーラは有名です。

 ただ東アジアの多くの地域ではかつては運搬や農耕などで情がうつるせいか、神への捧げ物など特別な場合をのぞいて食料としない雰囲気がありました。

 インドでは牛は神の使いとしてあがめられ、日本では、世界的にも珍しいのですが、奈良の天武天皇の時代から明治まで、肉食自体がタブー。

そんな中、「伝統的」といわれる牛肉料理が伝わるタイ族。雲南のビーフジャーキーの袋に書かれた「かつてタイ族の王室で・・」という由来は嘘なのでしょうか?

【中国では、消えた生肉料理】
 まず、中国大陸の牛肉料理の歴史、から考えてみましょう。

 春秋戦国時代(B.C.770 ~B.C.221)を書いた『春秋左氏伝』など、その時代の書物には牛は最高級の生け贄として、たとえば最高級の格式の戦勝祝いには牛一頭を抛って、牛を生や塩辛にして儀式の中でも食べています。

『漢書』には、恩赦を与えるようなおめでたい時には、村々に牛と酒を配給し、一緒に祝う記述がたびたび登場します。豚や鳥ではなく、「牛」とわざわざ指定されるほど、価値の高い物だったのです。

 そのときの牛肉を保存する際は「塩辛」つまり、「酸牛肉」系の料理でした。肉の塩辛は「醢(かい)」といい、豚、鹿肉や魚などを塩して、つけ込みました。植物系が醯「醤(ひしお)」です。

●塩辛が60種類!?

 前漢以前の書物とされる『周礼』天官冢宰1には、何十種類(100近い)皿を、身分を応じて並べますが、君主は、動物系と植物系のしおからをそれぞれ60瓶、合計120瓶を常備することとされていました。それぞれの料理のたれとして、そのときに応じて自在に使うためです。塩辛専門の官職が定められていたのですから、おそろしい。
〈『儀礼』公食大夫の礼には、その並べられ方の詳細がでています。〉

 ところが宋の時代(960年から1279年)に入った頃には、まず、すっかり生肉を食べなくなりました。理由は中華鍋の発明、火力の発展、疫病の流行、など様々言われていますが、推測の域を出ません。ともかく以後、現在にいたるまで漢族の料理から生肉は消えるのです。

 火を使った牛肉料理も豚、羊、トリ肉料理の著しい発展に比べればさびしいものでした。牛肉の品質が火を入れると硬くなることも原因だったのかもしれません。


※当ブログの表紙の絵をリニューアルしてみました。スマホの場合はこのほうが読みやすいと聞きまして。いかがでしょうか? 
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