雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン⑨ シャーロックホームズ博物館

2023-10-29 16:54:15 | Weblog
写真はシャーロックホームズ博物館の2階。ホームズらの居間。実験器具やヴァイオリンなど、本に描写されたもののほか、当時の家具などが細かにしつらえられてあった。


【シャーロックホームズ博物館】
シャーロックホームズ博物館脇のショップでチケットを購入し、列に並ぶこと20分。ビクトリア朝の従者スタイルの係員(ビクトリア朝の警官の立っている時間もあるらしい。)の誘導と名調子を聞いているといつの間にか入口です。

地上4階地下1階の建物に入ると、目の前に雰囲気のいい階段がありました。階段を上がるところからビクトリア朝の調度類やランプなど細かな配慮にいつの間にかタイムスリップ。2階はホームズの部屋です。おおよそ6畳の客間に4畳半の寝室、それにトイレ。シャワーなどの設備はなし。思った以上に天井が低いせいか、想像より狭い感じを受けました。

いかにもさっきまでそこで寝ていたかのような長椅子、使い込まれたクッション、よく来訪者に勧めていた布張りのイスにその後ろの暖炉、立て付けの書棚に革張りの書籍のほか、びっしりと試薬瓶が置かれ、机の上には顕微鏡や実験器具がずらり。それがいかにもさっきまで使っていましたよ、という風情で、名探偵の怜悧にして怠惰な気配を思わず感じてしまうつくりなのです。

じっくりとみていると、執事の恰好をした男性がキングスイングリッシュで一つ一つの調度について解説を始めました。

ヴァイオリンを弾く動作をして

「これによって、彼の頭を休め、イマジネーションをもたらしました。」

 など、話す雰囲気が部屋に見事にマッチ。

耳を傾けながらめいめい勝手に見て回る観光客たち。のろわれたらしき、タカラガイの腰巻が巻かれた人形、はく製の鳥やホームズ愛用のパイプにマホガニーの机まで、じっくり見続けたいほど意味ありげな品々。

肖像画などにまじって、壁には「ホームズ物語のわき役たち」と日本語英語併記の日本人のシャーロキアンが書いたホームズの周りを彩る当時のもの、つまりガス灯や馬車、独特の帽子の解説が書かれた文章が、うやうやしく飾られていました。
日本人シャーロキアンの考察が鋭いと認められているのか、それとも日本人の観光客が多いせいなのか。日本語は、ちょっとうれしい。

さらにホームズの住所が書かれ、今も世界中から送られてくるホームズ宛ての封書の中から一枚が飾られていて現代の空気もさりげなく反映させる心にくさ。

ここに入るまでのちょっと複雑な気持ちはどこへやら。ディズニーランドだって、ディズニーの夢の世界、ミッキーハウスだってある世の中なのです。本場の、ちゃんと考察されたコンセプトでこれだけ、作りこまれていたらこれはもう、本物だ!

3階はワトソンの部屋(DR WATSON’S ROOM)と書かれた部屋とハドソン婦人の住まい。それぞれに調度類にこだわりがあり、ここもなんだか落ち着きます。

4階は、ちょっとこわい。ボヘミアの醜聞の婦人や、ホームズとワトソンが話すシーン、なにやら檻に閉じ込められた男性など、原作の何かの場面を再現した等身大の蝋人形がリアルすぎて苦手。あれは原作を読めば十分なので、蛇足なのでは、と感じました。


写真はホームズの部屋脇にあったトイレ。ホームズ連載時、水洗トイレは最先端の設備。それだけにおしゃれな便器で美しい。当時、じっさいにはベイカー街の表通りに面したビルには備わっていたが、裏通りは部屋でおまるをして、外に出していた。
           (つづく)

※来週と再来週の更新はお休みします。
 夏から秋へと、明らかに変わった気候。くれぐれも体調に注意して、ようやく過ごしやすくなった温度帯に身体と心をやすめたいですね。


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2度目のロンドン⑧ ベイカー街へ

2023-10-22 11:25:51 | Weblog
写真は「ベイカーストリート」駅の地上を出たところに立っているシャーロックホームズ像。たくさんの観光客がツーショット写真を撮っていた。

【ベイカー街へ】
次に地下鉄「ノッティングヒルゲート」駅から「ベイカーストリート」駅へ。改札から地上に出ると、等身大の「シャーロックホームズ」像がお出迎え。ベイカー街といえば、シャーロックホームズなのです。
 その横に大行列がありました。行列の先はマダムタッソー館。蝋人形をみるためにこんなに並ぶんだ、と驚くとともに、学生時代の記憶がよみがえってきました。

 30年ほど前、予備知識なしで迷い込んだベイカー街。そのときもマダムタッソー館はたしかにありました。けれども行列はなく、ひっそりとしていて不気味さ倍増。近くには2階のオフィスから通りに突き出るように横顔にパイプをくゆらせたシャーロックホームズのシルエットの透かし彫りのプレートが、これまたひっそりとかかっていました。
 1階入り口の階段脇に貼られた金の小さなプレートには「シャーロキアン協会」の文字。痕跡はただそれだけ。博物館的なものは、とくに見当たりません。
 シャーロックホームズ関連を探しにベイカー街に赴いたのでプレートに満足はしたものの、他にみるべきものはなく、ちょっと残念に思ったものです。

でもよく考えると、そもそもシャーロックホームズは架空の存在だし、下宿先の「ベイカー街221B」だって、書かれた当時、番地は85までしかなかった架空の住所なのです。実地にあろうはずはない。

 ところが、現代では地下鉄の地上に出れば、彼の銅像、さらにマダムタッソー館の先には「シャーロックホームズ博物館」(※)が世界中の観光客を集めていて、長蛇の列でした。

「シャーロックホームズ博物館」前。

 さらに、その横に「ビートルズハウス」なるものがあり、日本人客が多いのか、日本人の売り子が日本語を話しながら、ビートルズグッズを並べていました(https://beatlesstorelondon.co.uk/ 住所:231/233 Baker St. London, NW1 6XE) なかは原宿のアイドルショップのようなつくりで、ビートルズの顔ばかりがにぎやかに並んでいました。

さて、小学生の時にシャーロックホームズに出会って以来、繰り返し読み、各種映像でも慣れ親しんできた名探偵の博物館。架空とは知りつつも、長蛇の列に並ぶことにしました。
                         (つづく)

※シャーロックホームズ博物館(Sherlock Holmes Museum)のホームページに設立年が1990年とありました。さらにウィキペディアの『ベイカー街221B』の項目に「実業家ジョン・アイディアンツが同地のビルを1990年1月に買収し、5月に博物館をオープンした」と書かれています。その注を見ると、

「オープン前、イギリス最大のシャーロキアン団体、ロンドン・シャーロック・ホームズ会から金儲け主義の施設と批判された。
  - 田中喜芳『シャーロッキアンの優雅な週末 ホームズ学はやめられない』中央公論社、1998年、17–18頁」

 とあります。私が赴いたのが1990年9月初頭。そのころにこの博物館は設立されてはいたはずですが、当時、そちらより、シャーロキアン団体のプレートのほうがまだ目立っていたのかもしれません。少なくとも現在のような賑わいは博物館にはありませんでした。
参考:



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2度目のロンドン⑦ ノッティングヒルの古本屋

2023-10-15 11:41:02 | Weblog
写真はポートベロー通りにあるノッティングヒルの商店街。この通りの後ろの道にはまた違った風情の住宅街が広がり、そぞろ歩きの楽しい街だった。

【古書に古着になんでもござれ】

しずかな住宅街の道路を抜けると、ノッティングヒルの中心をゆるく南北に走る商店街に出ました。商店街という庶民的な感じではなく、ところどころ古びた、歴史を感じるブティック街です。

 映画に出てきたような古本屋も一軒だけですが、たしかにありました。日本のガイドブックがあったので、手に取ると、東京タワーの項目はあっても、スカイツリーはありません。私もロンドン行の準備として、日本で最新版のガイドブックを買ったところ、食べ歩きの項目は増しているのに、歴史的部分や特集のページがだいぶ割愛されていたので、結局、古本で古い版も買ったのですが、このガイドブックも何らかのご縁を、この棚で待っているのでしょう。

古地図屋も数軒あり、それぞれに特色のある古地図を販売していました。
土産物屋には、映画「ノッティングヒルの恋人」をあしらったマグカップがたくさん。ジュリア・ロバーツ、人気です。メキシコの女性画家フリーダ・カーロの自画像がプリントされたマグカップもありました。もしかしたら毅然とした女性が好みのお店というだけなのかもしれません。

アフリカ系の雑貨店もありました。黄色の袈裟をまとった小乗仏教の若いお坊さんもずいぶんと歩いていました。あとは観光客がいっぱい。

街角の張り紙に週末に行うフリーマーケットの案内がありました。8月にはノッティングヒル・カーニバルというのもあるとか。これはアフリカ系イギリス人の祭典らしい。次の週末に行ってみよう。

 白い街だ、高級住宅街だと、最初のうちは思いがけない出会いにひたすら感動の嵐だったのですが、いくぶん、気持ちがおさまってきてよく見ると、けっして高級なだけではないとわかってきました。建物自体は古いのでしょう。ただ表面だけ白く塗っていて、その横の道路に面していないほうの外壁を見ると、黄土色のレンガがそのままの姿で見えていました。

  街並みもなんだか不思議。私のシェアハウスのあるすぐとなりの居住区は比較的南北に道路が走る規則正しい区画なのですが、このあたりは丘の高低差のためか等高線にそったような丸めの形の道で碁盤の目にはなっていません。

建物の成り立ちを調べてみると、どうやらこのあたりはビクトリア朝中期から後期(19世紀末)のイギリス黄金時代の建物がそのままある地区のようです。
(https://en.wikipedia.org/wiki/Portobello_Road)
 そんな場所で骨董ものが売られていたら、それだけで風情が増してきます。
                      (つづく)
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2度目のロンドン⑥ ノッティングヒルの森

2023-10-08 10:15:41 | Weblog
写真はシェアハウスの裏通りの住宅街に咲くアジサイ。どの家も小さなスペースに見事に緑を茂らせていた。

【日本渡りのお花たち】
まず周辺を散策しました。
シェアハウスの裏手の道には緑の庭を持つ戸建てが並び、昔からのレンガ造りの煙突があり、静かで落ち着いています。玄関の小さなスペースにはアジサイや藤の花がちょうど先誇り、元日本産の植物が見事にマッチしていて、19世紀にはやったという、シーボルトの影響も感じました。

写真はフジの花が咲き誇るお宅の入口。アジサイの家の並びのおうちである。

さらに西に歩いていくと2階建ての白壁にレンガの半円階段の玄関がついたテラスハウスが並ぶ一角があり、ザ・ヨーロピアン。映画やミュージカルのようなしつらえ、と思ってしまう浅はかさ。こちらが本物なのに。

【ノッティングヒルの住宅地】
地名を見ると、ノッティングヒルと書いてあります。映画『ノッティングヒルの恋人たち』は、ただの古本屋のさえないおやじと美女の話なのではなく、高級住宅街で繰り広げられる昔の「フジ月9」みたいな、あこがれの世界の話だったのか、とちょっと意外でした。

みるからに伝統ある高級住宅街。とはいえ身分社会の濃厚なイギリスで貴族しか住めないという場所ではなく、ロンドン西部郊外の、小金持ちなら住める感じの街並みです。

住宅街は大きな円を描いて、白亜のテラスハウスが並び、その中央には公園のような空間があって、そこに生い茂った木々の緑が上空を覆っていました。片側の住宅の並んだ道路の歩道には街路樹が、森側の遊歩道には森の木陰が道を歩きやすくしてくれているのです。その森は住宅街の中央にあり、その周囲をアスファルト道路が囲っていました。さながら大きなロータリーの中心に緑豊かな公園がある感じです。

 木の根元に目を向けると絵本の挿絵のようなイングリッシュガーデンが広がっていました。ピーターラビットが出てきても不思議ではない雰囲気です。これは見事、と思いながら近づくと公園らしきところの周囲にはぐるりと2メートル以上の高さの金網が囲っていました。

 入口には金網のドアがあり、鍵がかかっています。その脇には「住人専用」と書かれたボードがついていました。どうやら、このあたりの住人共有の庭といった位置づけのようです。ちょっとびっくりしました。これこそまさに「囲い込み」?
                  (つづく)
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2度目のロンドン⑤ シェアハウスで暮らす 下

2023-10-01 11:36:26 | Weblog
シェアハウスの台所。写真には写っていないが、手前にテーブルがあり、食事をしたり、いろいろとすることができる。

【シェアハウスの住人たち】
翌朝7時、共同キッチンで家人の作ったスライストマトとベーコンの目玉焼きにパンと牛乳で朝食をとっていると(日本では忙しすぎて家人が私に朝食を作ることは、まずなかった。ありがたい。)はじめて別の部屋の住人と出会いました。

見た感じ40~50代の女性。ふんわりとした麻っぽい浅黄色のワンピースをきています。2週間、ここに滞在されていたとか。彼女は手早くオムレツを作りながら

「系列のシェハウスの中で、ここは格段にいいですよ」

ら話しかけてきました。

「どこがですか?」
 と聞くと
「交通の便が最高だし、設備面もすごくいいです。はじめてのシェアハウスがここなんてラッキーですね。」
と話しだしました。ずいぶん前からイギリス各地を巡っていて、今日、日本に帰るのだそう。シェアハウスの達人のようです。

「あ、そうそう。あなたとほぼ同時に入居してきた若者二人は要注意ですよ。なにかあったら、すぐに担当の方にいうといいです。」
 とのアドバイスをいただきました。

翌日、彼女が言っていた若者二人に会いました。
「おはよっす」と小声で顔をうつむけて、私の挨拶に返してくれました。彼らの部屋は我が家の角を挟んだ隣にあったのですが、ちらっと見たところ、南向きで私の部屋の数倍の広さに2つベッドが見え、あきらかに恵まれた環境にありました。その広さでストレスもたまらないのか、おのおの静かに過ごしていて、よき隣人であり続けました。

 たしかに鼻やら耳やらにメタル色のものをぶら下げ、服も鋲がたくさんささったような、痛そうな黒い皮の服を着こなして、頭も個性的に今時みないようなモヒカン刈り。外で見かけても一目でわかるほどでしたが、中身は挨拶も返してくれる素直な青年たちです。

 たまに、大量の黒髪が彼らの部屋から流れ出てきて
「もしや、事件?」
と思わなくもなかったのですが、聞くとロンドンの憧れの美容学校で学ぶためにやってきたという、見習い美容師さんとのこと。ついでに英語も学びたいと意欲もあるようです。すばらしい。

ほかの住人には、ウインブルドンの期間のときのみ、ロンドンの滞在してウインブルドンに通い詰めている年配の女性、9月から新しい大学に入るための準備で滞在している母子などがいました。
シェアハウスの担当者が朝食後の9時半に現れ、注意事項などの説明を受けました。これで、いよいよロンドン生活がスタートです。
                    (つづく)

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