雲南、見たり聞いたり感じたり

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二度目のロンドン30 大英図書館の閲覧室

2024-04-28 15:20:40 | Weblog
写真は大英図書館の蔵書がモニュメントのように置かれているロビー。集う人々は熱心に本を読んだり、勉強をしていた。
 しかし、ここで100年前に名誉会員として毎日を過ごしていた南方熊楠。この蔵書を使って自然科学雑誌「ネイチャー」に投稿しては何本も掲載されて、イギリス人にも一目置かれていた唯一無二の日本人。だのに閲覧室で、注意されたときに、カッとなって相手を殴ったために出入り禁止になった熊楠。やっぱり乱闘は、日本以上にダメな場所なことは明白だ。

【蔵書を手に取る】
話は再び大英図書館へ。図書館カードを作って、見たい本の申し込みをした2日後、本が閲覧室に届いたとのメールが届きました。意外と早い。

さっそく出かけて、いくつもある閲覧室から自分で指定した部屋へ。どの部屋でも指定すれば閲覧可能なのですが、私はアジア関係の辞書などがそろっている部屋に行きました。

高い天井から自然光のようなやわらかな照明がふりそそぐ空間はクラシカルで落ち着いています。閲覧用に何列にも並べられた木製の机には、貴重書を傷めずに本を広げられるように、角度をつけてあまり開きすぎないようにと移動式の灰色に塗られた段ボールの書見台やずれにくいように加工された木製の板などが置かれていました。

閲覧室の机。

机は40席ほどがゆったりと並んでいて、ほどよい混み具合です。そこでまず、空いている席に自分の鉛筆(ペンは不可なのです)とハンカチを置いて場所取りをした後、申し込んでいた本を受け取りにカウンターに行きました。

カウンターの職員の方々はジーンズにTシャツ姿も見られるほどラフな格好でしたが、利用者から「すみません」といいながら不意に聞かれる質問にも、テキパキと答えていました。
 私がカウンターで図書館カードを見せると、すでに用意された予約棚から取り出して、予約した大型本をカートに入れて渡してくれました。

 希望した本は、幕末に日本にやってきたシーボルトの『フローラ・ヤポニカ』。日本の植物を記した絵とその説明が中心です。彼は医者なので、植物学者ツッカリーニと共著しています。

 大英博物館の蔵書ですが、じつは日本の丸善から1993年から94年にかけて復刻されたもの。初版本はさすがにみられなかったのです。でも、この本も日本でみるとなると、東京大学や京都大学などが所蔵しているので、研究の理由を書いた提出書類を書いたり、推薦人を探したりするなどの手続きが必要になります。もし、購入するなら販売価格98万円。もはや品切れなので、古書市場だと数十万円かかります。とにかく日本で見るのは大変なのです。それが大英図書館の登録証さえあれば、スムーズに手に取ることができたのです。

そのほか、シーボルトは日本からヨーロッパに輸送して育種に成功した園芸植物を通信販売したりもしたのですが、その時のパンフレットやリーフレット、その一覧表も見ることができました。それらは本物で、感激しました。
 ちなみにシーボルトが収集した日本の本も大英図書館がずいぶん所蔵していました。

 ページをめくってはじっくり見て、メモをとったり、スマホで写真を撮ったりして過ごしました。状態もとてもよく、色も鮮明でした。

ちなみに閲覧室では書籍の写真撮影は個人で使う場合は自由にできます。私も本を傷めないように注意しながら撮っていたのですが、近くの席の若い紳士(牧野富太郎博士のようにきっちりとしたダブルの背広にあつらえたズボンの、貴族のような雰囲気の人)がやってきて「シー」というポーズで口に指をあてて、おだやかに

「ノー。シャッター音をさせてはだめですよ」

と言って去っていきました。彼も書籍を閲覧にきた利用者でした。

 たしかに他の方からはシャッター音がまったくしません。でも私のカメラは日本のスマホ。日本で販売されているスマホのカメラはシャッター音がでちゃうのです、と言いたかったのですが、とにかく皆の集中を乱しているのは事実です。焦って音を消そうとしたのですが、やはり私にはできなくて、その後はなかなかつらいものがありました。

 とはいえ大英図書館は、ジェントルマンの人が集う場なのだと実感。職員も礼儀ただしく、大人な対応で丁寧に接してくれます。図書館という空間では日本は礼儀とホスピタリティにおいては、やはりまだまだ、なのでした。
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二度目のロンドン29 気軽に行ける大英博物館⑤

2024-04-21 16:55:13 | Weblog
写真はギリシャのパルテノン神殿の彫刻群。テレビで見慣れていたパルテノン神殿は1801年当時は今の神殿の柱だけが立っているというほど荒れ果てた状態ではなかったらしい。大英博物館に登録されたのが1802年、フランスの博物館(ルーブル?)に登録されたのが1803年、との説明が部屋の廊下に掲げられていた。

【パルテノン神殿の顔も】
そして「メレイデス・モニュメント」の横にこれまた超一級品の白大理石の彫刻群が並んでいました。これぞ、かの有名なギリシャのパルテノン神殿の一部。しかも、彫像を一つ持ってきたというものではないのです。たとえば日本の神社だと一番重要な拝殿の屋根瓦の下側にゴージャスに彫り込まれた龍や牡丹の花などの木彫群がありますが、その部分。パルテノン神殿の顔である、一番目立つところの彫刻をはぎ取ってきたのです。

ずいぶん荒っぽいことをしたわけで、現在、ギリシャから返還請求がなされています。大英博物館も展示の経緯や訴訟のことも包み隠すことなく、ちょっと目立たないところの壁にではありますが、ちゃんとパネルで展示していました。
植民地時代の世界各地のものの返還については欧州諸国で重要な課題となっています。2017年にフランスのマクロン大統領は「これ以上、アフリカの文化遺産を欧州の美術館・博物館の囚人のように収容しておくわけにはいかない」と宣言し、ナイジェリアにいくつか返還を始めました。ドイツもその動きに追随しました。大英博物館は今のところ、拒否。今後の動向は、世界中は注目することとなっています。
(参考:https://www.cnn.co.jp/style/arts/35148855.html)

しかしパルテノン神殿の彫刻群は一度見たら忘れられないほど魔力的でした。馬の頭一つとっても、リアリティに満ちた何かを訴えかける表情と深く自信に満ちた彫りすじ。人類史上でも最高部類に入る彫刻であることは素人目にもわかります。所有をめぐる欲と徳の戦い、これが生々しくも目の当たりにできる博物館でもあったのでした。
               (つづく)
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二度目のロンドン28 気軽に行ける大英博物館④

2024-04-14 11:43:25 | Weblog
写真はギリシャ・ヘレニズム文化の間に鎮座する「メレイデス・モニュメント」。長い年月に耐えた独特のギリシャ文化の空気感を醸し出していた。
 だが客は意外と注目せず、神殿を見るために設置されたベンチで休みながら、スマホの画面を見ている人が多かった。大英博物館の深部にあるので疲れを癒したい欲求に勝てないようだ。

【メソポタミアの間】
メソポタミア関連では楔形文字が刻まれた石板が重々しく展示されていました。解説を読むと

「まったく最近の若者は・・」

今も昔も変わらぬ言葉に笑えます。

アッシリアの彫像群は大きくて迫力満点。特に印象的だったのが、前回、写真で紹介した守護獣神像。どこかでみた、と思ったらドイツ・ベルリンのペルガモン博物館でした。きっと、このような像が神社の狛犬レベルでたくさんあるだろう、と軽く考えて通り過ぎたのですが、家に帰って調べるとベルリンのものはレプリカで大英博物館のものが本物だとわかりました。

かつて世界史で習ったイギリスの3C政策とドイツの3B政策。さまざまな収奪が交錯し、繰り広げられ、その終着点の一つが博物館の展示だったわけです。
〔3B政策とはドイツがベルリン、ビサンティウム(現イスタンブール)、バグダッドを直線で結び、イギリスは南アフリカのケープタウン、インドのカルカッタ、エジプトのカイロを結ぶ三角形地帯を植民地支配する帝国覇権争いのこと。〕

素直に見ただけではメソポタミアや古代ギリシャの遺跡はドイツのベルリンの博物館にはスケール感では及ばないと感じたのですが、それこそ、まんまとドイツ帝国の手のひらにのせられてしまったわけで、19世紀帝国主義のつばぜり合いの残滓だったのでした。

【ギリシャ神殿】
ギリシャヘ・レニズム文化の間でも同様のことがいえました。
 一部屋まるごとギリシャ神殿。ほんものの遺跡が聳え立っている「メレイデス・モニュメント」。でも、デジャブかな? ベルリンにあるペルガモン博物館の「ゼウスの大祭壇」と見せ方がそっくり。スケールではベルリンの方が上なような。

そもそも小アジアのペルガモンで発掘したそれを見せるため作られたのがベルリンのペルガモン博物館なので、肝いり具合が半端ではない。広場のモザイクまでまるっと移築していて、足元に広がる色味のある大理石のモザイク絵画からから仰ぎ見る神殿は威圧感に満ちています。さらに客も気軽に神殿内に入り写真撮影も可能。しかも本物。

ですが、これも調べてみると、もともと大英博物館のほうが先にあったことがわかりました(開館は1759年。当初は蔵書コレクションだったが、大英帝国の躍進とともに世界各地の遺跡、遺物が運び込まれ1816年にこのギリシャ彫刻も加わった)

ペルガモン博物館は1907年ごろに計画され、ペルガモンの大祭壇の展示にこぎつけたのが1930年。遅れること1世紀。明らかにベルリン側がイギリスへの強烈な対抗心で作り上げたものだったわけです。
             (つづく)

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二度目のロンドン27 気軽に行ける大英博物館③

2024-04-07 15:31:13 | Weblog
写真はメソポタミアの間の入口。メソポタミア関連ははぎ取った石像が中心。今回の主題の古代エジプトの間はすべてが私の感覚と相いれなかったので、写真を撮ることが、私にはできなかった(写真を撮っていいことになっていました)


その後、何回かに分けていった大英博物館で印象的だったものをご紹介しましょう。

大英博物館の常設展示でやはり、すごいのがエジプトや中東、そしてギリシャ・ヘレニズム文化です。19世紀はギリシャの遺跡の多い地域のほとんどがトルコ(オスマン帝国)の版図だったので中東の領域ともいえるのです。大英博物館の収蔵物の多くは侵略の歴史と軌を一にしているので、経緯からいってもそうなります。では、エジプトから。

【古代エジプトの間】
 4大文明の発祥の一つ、古代エジプトの展覧会は日本で大人気。私も上野の博物館に 古代エジプトのミイラやかの有名な黄金のマスクを見に行ったことがあります。あれはいつのことだったのかとネットで調べて驚きました。
 2,3年に一度の割合で全国を巡回する規模の古代エジプト展が開催されていたのです。しかも大英博物館からだったり、エジプトのカイロ博物館だったり、はたまたドイツのベルリン博物館だったりと様々。私のいった展示会はもはや特定困難なほどの多さでした。

 日本では、大勢の黒い頭の先にチラリとみるのがせいいっぱい。しかも暗がりに浮かび上がるような照明です。雰囲気もあいまって、ミイラなどは直視できず、呪いやらロマンやらを想像しながら早歩きして通り過ぎておりました。

ところが大英博物館では全然、違いました。すごい数のミイラがおとなりのお兄さんが
「横に立っていますよ」
 レベルで並んでいるのです。古びた木枠にガラスがはめ込まれたケースの中で煌々と電気に照らされたなかで、ずらずらと並んでいるのです。立ち上がった寝袋がいっぱいある感じ。それらは眠る姿勢をとることすら許されません。

日本で私が見た展覧会では、一体のみが薄暗がりの中、うやうやしくお棺のなかで横たわり、お眠りになってらっしゃる感じでした。(私は行っていないのですが)2021年には上野の国立科学博物館で「大英博物館のミイラ展」というズバリ、ミイラに絞った展示会ですら6体だったそう。

また大英博物館は、それほど混んではいないので、ゆっくり見ることができて、写真も撮り放題。この部屋にいると、イギリス人の、死や死体に対する感覚の違いを感じざるをえません。ある意味、展示としては正しいのかも。

この部屋には人だけでなく猫のミイラ、また臓物が入っていた壺やきらびやかな副葬品、何重もの入れ子になったお棺などなどが、白い光の中で雑然と並んでいました。あまりのあっけらかんさにちょっと気持ち悪くなってしまったのでした。
一方、家人は全く平気。これも感覚の違いなのでしょう。
(つづく)

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