写真上は、リスボン発シントラ行の電車。シントラからの電車からは通勤客が次々と降り、シントラ行きの電車には観光客でほぼ満席だった。
【シントラへ】
私が建てる旅行プランとは違って、Kさんが考えぬいたプランはなんのトラブルもなく、翌日は順調にシントラまで足を延ばすことになりました。そこはかつてポルトガル王室の夏の離宮があったところ。イスラム時代の城も残されていて、昔から要衝の地だったということです。
リスボン駅から列車で45分。車内は観光客で混んでいてボックス席は膝が交差するほど。やがて、着いたシントラ駅は標高204メートル。空気もすがすがしい。
駅周辺のバス乗り場には、たくさんの観光客が並んでいました。これは時間がかかる、と思う間もなく、Kさんのたくみな案内でタクシーに分乗。途中、混んでいるバスを横目に見ながら、すいすいと緑深い山を登っていきました。
つづら折りの道の脇にはシダ、松、杉、こんもりと盛り上がる苔などが植えられています。なんだか日本の植物園にいるようです。その山頂にペーナ宮殿があるのです。タクシーがつけた入口は、Kさんの案内で裏口のようで静かです。
(『地球の歩き方』に小さく「ムーアの城跡でバスを降りると入場券があまり並ばずに買えます」とあるので、それを活用したのでしょう。)
それにしても日本的な植物がなぜ、これほど目に入るのでしょうか?この宮殿の成り立ちから考えてみました。
シントラ駅から山を登ると見えてくるペーナ宮殿。木立の木々が時折、日本でなじみのある木々となる。
山は霧が巻いていることが多いためか、木々も地面も苔むしていた。
【シントラに恋した王さま】
ポルトガル王室が1807年のナポレオンの侵攻に恐れをなしてブラジルに亡命してから12年後、リオデジャネイロでのちのマリア2世が生まれました。彼女は父の命によって7歳で王位につき、ポルトガル王室の激しい権力争いの中で2度、結婚して、1836年に3度目の結婚をします。お相手はドイツ中部のザクセン=コーブルク=ゴータ家の出身のフェルナンド2世。
この方、イギリスのヴィクトリア女王とその夫アルバート両方のいとこでもあります。
(『地球の歩き方』では、ドイツのノウシュバンシュタイン城を築いたルートヴィヒ2世といとこ、と書かれていますが、これはちょっとわかりません。)
この方、芸術にたいへんな関心がある家に育った人でした。
翌年、二人の間に長子が生まれ落ち着くと、1838年に山林と廃修道院を買い取り、ペーナ宮殿の設計を開始。着工は1842年から85年と長期間に及びました。ポルトガルのシントラのサイトを見ると
「フェルナンド2世がシントラと恋に落ちた」
のだそうです。
フェルナンド2世はドイツ人設計士を招いて、当初は夏の離宮を、やがて住居を作っていきます。それはフェルナンド2世が亡くなった後もポルトガル王室が砲弾によって終焉を迎える1910年まで夏の離宮として、ときに住居として使われるほど重要な場所になっていったのでした。
(次回もペーナ宮殿の成り立ちを続けます。そこから日本的な植栽の意味がわかる!)