雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

三七、薬効の伝説

2009-09-26 23:09:47 | Weblog
 写真は文山州の苗族の農村にて。このあたりの農村では、沼沢地に浮かぶように村があり、こんもりと盛り上がった山には鎮守の森として、奥に神のような存在が住む聖域として、古来、崇められている。(最近では心がけないと開発によって消えてしまうことも。)
その一方で、カラカラに乾燥した赤土の土地に住むイ族の村も、数キロ先には存在する。複雑な地形なのだ。

 また、まだまだ美しい黒黒とした水をたたえる沼では、合成洗剤で服を洗う主婦の姿も見られた。家々の煉瓦壁には「女の子でも産もう」「子供が一人なら豊かになれる」「同じ村内での結婚はやめよう」といった、男女の産み分けを禁止したり、一人っ子政策を徹底させたり、血を濃くしないように注意を促すような標語がペンキで直に書かれていた。村同士の距離が遠く、また様々な民族が村ごとに住み、しかも貧しい地域なため、遠くから嫁ぐ人も少なく、結果として血が濃くなって不幸な子供が生まれてしまうこともあるようだ。

 中国政府からは最貧県の一つとして、よく取り上げられる地域でもある。

 以下は、三七の伝説の続きです。
【サル】
 雲南の山奥で、農夫が柴かりをしていたときのこと。偶然にも、一匹のサルがキズをおい、飛び出してきました。見ると、傷口からは血がどくどくと流れ大けがの様子です。と思うと、サルはそのまま、目の前を去っていきました。

 その数日後、農夫は山で、またこのサルに出会いました。なんと驚いたことに、何事もなかったようにのんびりとしています。見ると、傷口はすでにふさがっていました。

 一体、これはどうしたことか。農夫は首をかしげるばかり。そこで、この謎を解こうと、次に、このサルに出くわすや、わざとサルを傷つけて、尾行しました。するとサルはある草の根を掘り出し、傷口に当てたのです。すると、まもなく血はすっかり止まりました。この植物こそが三七だったのです。

【漁師、石工、産婦】
 中国西南に住む壮族・苗族文山自治州の深山には「春の苗は翡翠のよう、秋の実は火のよう」な神草がありました。
 あるとき、漁師がひどいケガをしました。骨折と切り傷です。すぐに神草をかみ砕き、風呂敷に包んで、キズにあてると、たちまち痛みはひいて、銃を手に家路につくことができるようになりました。

 またあるとき、石匠が、足の甲にあやまって石を落とし、ひどいケガをしました。痛くてガマンできません。そこで神草を打ち砕いて、袋にくるみ、キズ口に当てたところ、たちまち血が止まり、痛みもとれました。

 産婦が子宮出血をおこし、命の危険な状態となりました。そこで神草を挽いて、与えたところ、その生命は救われました。

 とまあ、上記のように数々の伝説からも古今東西、血の巡りの改善、血止め、痛み止めの妙薬として、医者から庶民にまでよく知られた薬だったようです。
(伝説の章、おわり)

*三七が、思いの外、長くなってしまっています。思いの外、アクセス数が伸びているので、もし、よろしかったらコメントや、質問などをどうぞ・・。

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三七、またの名を「田七」

2009-09-20 19:59:52 | Weblog
写真は昆明の老舗百貨店内の薬局で買った三七.右上が、根。左下がそれを粉にしたもの。根は一見、しょうがのような色だが、それよりもは少し灰色がかった色をしている。
 味は、ちょっと苦めの太田胃酸のよう。後味が以外とさわやかな甘みがあり、好きな人にはたまらない。料理への応用は次々回で・・。

【「田七」の名の由来】

 ある金持ちの家の娘と2人の息子の嫁たちが長患いしておりました。あるとき、村にやってきた田という姓の「郎中」が、彼女たちを診察し、ある薬を服用させたところ、数日後に病は奇跡的によくなりました。

田さんは
「服用させたのは三七だ。外傷からくるひどい腰痛が原因だったので、痛み止めとして処方したのだが、それが肺の疲れも取り去ったらしい。また産後のひだちの悪い方には養生の効果もあるのだ」といって立ち去りました。

 村には薬草の種が残されました。その後、田さんの姓にちなんで、この土地では三七を「田七」と呼び習わすようになったそうな。
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漢方の秘伝の伝わり方・「三七」の由来伝説

2009-09-13 18:08:12 | Weblog
写真は文山の各所に点在する「三七畑」の看板。管理はかなりしっかりとなされている。日本のバイヤーも直接買い付けにくるとか。
 そういえば、先日、日本の都内の温泉に行ったところ「幻の三七ドリンク」なるものが売られていた。一本、八〇〇円ほどで、リポビタンDのような瓶に入れてあった。風呂上がりに一杯、の人も、日本では出てきているのだろうか・・・。

【雲南の兄弟から広まった伝説①】
 明代に張四維による『医門秘旨』という医学書には
「三七はもとは広西より出ず。七葉三枝ゆえ、その名とす。」
<三七はもともと広西(壮族自治区付近)より産する。7葉3枝という形からその名とした。>と書かれる三七。名の由来にまつわる伝説をご紹介しましょう。


 むかしむかし、とある兄弟がいました。兄は、家業を引き継ぎ、医者として看病し、薬となる植物を栽培していました。ところが弟の方は怠け者で、ちっとも家業を手伝おうとはしません。

 あるとき、弟は突然、鼻血が止まらなくなりました。兄は心得たもので、すばやく、ある草を煎じて弟に服用させました。弟は何回か服用すると、すっかり快癒しました。弟が不思議に思い、その薬について訊ねると、
「これは先祖伝来の血止めの薬だよ」と、兄。

 後に弟は兄にその薬となる草の苗をもらって、自家菜園で栽培をはじめました。2年目、草は生長し、葉も茂りました。

 そんな折、隣村の金持ちの息子が出血病になりました。どんな薬を飲んでもよくならず、見たところ、まもなく死ぬだろう、という話です。

 ある男から、「似たような病のものが、ある薬草で良くなった」という話を聞いた医者が弟の家にやってきました。弟は聞くやいなや、自家菜園のなかの薬草を掘り出し、金持ちの息子に煎じて飲ませました。何回か、飲ませましたが、結局、その子供はなくなりました。

 金持ちの怒ったのなんの。県の官吏にこの話をして、弟を引っ捕らえたのです。
兄はこの話を聞くと、急いで、県の官吏に訴えを取り下げるように告訴しました。

「弟が間違えたのではない。薬草は間違いなく血止め用だ。ただ、この薬草は1年ぐらい生長させただけでは、なんの薬効もない。3年から7年ぐらいのものが薬効が最強になるのだ。」

 この話は一大センセーションを巻き起こし、門外不出であった、この薬草の採掘時期の秘密を一般人も知るようになったのです。人々はこの話から、薬草を「三七」と名付けということです。
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雲南の漢方薬・三七⑤

2009-09-06 15:49:53 | Weblog
中国で古来より植樹に使われるコウヨウザン(広葉杉)という日本の杉とは別属の針のような枯れ葉を屋根としている「三七」畑。

【またまた偽物】
中国では有名ブランドであれば、「偽」ブランドが雨後のタケノコのように出てきますが、「三七」も例外ではありません。中身が「三七」ですらない模造品も横行しています。

 代表的な模造品はショウガ。実際、形だけならそっくりです。
昆明の元国営百貨店の薬品部(素人目では一番、信頼のおける薬局でしょう?)で三七を買っていたのですが、今さらながら、その見分け方の専門書を読むと「いままで本物に出会ったことがあったのか」というほど、さまざまな模造品の羅列のページが続き、読めば読むほど自信がなくなりました。

 まず本には「苦いが、後味が甘い」とあるのに、買ったものはただただ苦いだけ。形や色も買ったものはショウガにそっくりで、色も黄色がかっていたのですが、その黄色こそ本物だと思っていた私。ところが専門書には「どちらかというと灰黒色」とあります。さらに本にはご丁寧にも「ショウガの模造品があるので注意が必要」とかかれているのでした。

 先の知り合いも、いいものを手に入れるために医師に払った金額はバカにならなかった、と嘆いていました。腕に自信のある評判の漢方医に処方していただく、これが間違いのない買い方なのかもしれません。
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