雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南の書記と副書記14

2017-06-30 14:11:01 | Weblog
写真はシーサンパンナ・景谷近くのゴム林。シーサンパンナタイ族自治州には、各所に文革中に原生林を伐採してゴム林を植えた場所が目に付く。いまでもゴムの採取は行われているが、均等に密集して植えられ、幹はそのためか、太くはない。
 下放政策という、中国の大都市から「知識青年」と呼ばれた中学、高校、大学生が雲南に大量に送られて、これらの作業および、前回お伝えした滇池の埋め立てなどが人海戦術で行われていた。

【「農村」問題への提言がアダに】

今回も雲南の文革編です。

1959年から雲南省委員会第一書記だった閻紅彦は、雲南省の各村を視察し、1961年にプーアル、景谷の両県の会議に参加してことをまとめて、1961年5月に毛沢東あてに「農村の人民公社におけるいくとつかの問題についての調査」報告を提出しました。

人民公社は一つの単位があまりに大きくて実情に合わないので、もう少し場所によっては規模を小さくし、単位ごとに食事を用意して食べる「公共食堂」なども無駄が多いのでやめる、といった、実情を知るものにとっては真心からの提言でした。

この5年後の1966年10月に中央政府内では林彪、江青らが鄧小平ら一部、現実的な高級幹部を批判。それを受けて、閻紅彦も「反革命修正主義」のレッテルを貼られ、昆明の地で日々、批判大会で厳しい糾弾を受け、勝手に休むことも水を飲むことも米を食べることも許されなくなり、1967年1月4日、昆明で自殺。これは人民解放軍上将のなかで唯一の自殺となりました。

このような状況のなかで、文革時代に激しい排斥を受けていた雲南行政に精通した生え抜きの漢民族・普朝柱が省書記に抜擢され、その副書記になったのが納西族の和志強だったのです。

 雲南の書記・副書記のあり方としては文革の傷あとからの復興と少数民族に配慮した政策の実行、という使命を帯びた統治だったという点が重視されました。

これは雲南統治の前後を考えると相当、特殊な時期となりました。
(つづく)
※今回で雲南の文革編はひとまずおわり。本当は漢族の村ではないところで、いまだ闇に葬られた村ごと虐殺された村、など、闇から闇の話はいろいろとあります。
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雲南の書記と副書記13 文革のできごと

2017-06-23 14:28:52 | Weblog

写真は滇池沿いの公園、海硬公園。他にも大公園がいくつもある。そのなかには清代からある公園もあれば、文革期間中に滇池を埋め立てたものの、使い道がなく、公園となったところもある。共通するのは、お年寄りらの石のテーブル上の麻雀風景だ。

【囲海造田 運動】
 いかに雲南出身コンビの誕生が必要だったのかについては、2回に分けて、雲南での文革の状況を振り返ってみます。
 
建国以来、雲南では第一書記、という実質上の雲南の行政トップは代々、中国共産党から雲南出身ではない人が統治のために送られてきていました。その人々の文革中の行状をいくつか挙げてみましょう。

1949年の建国期から1952まで雲南省委員会第一書記や雲南軍区、昆明軍区に籍を置いた謝富治は、文革中の1972年に病死するものの当時は公安部長として江青ら4人組に荷担したとして、1980年に共産党員を除籍されています。
 さらに1981年1月に中華人民共和国最高人民法院特別法廷では、これら4人組の活動の主犯とされました。死者に一番の罪を着せたというわけです。

 1955年から昆明軍区政治委員で雲南省革命委員会主任だった譚甫仁は1966年5月に雲南での文革が開始されると、滇池を埋め立てて、農地を増やそうという運動「囲海造田」運動を始めました。

 これにより全体の7%にあたる約20平方キロが1年で埋め立てられたのですが、専門的な知識もなく、ただただ、土を放り放り込んだけの土地は、作物も実らず、土の状態も悪いまま、池の浄化作用も低下し、その後は放置され、現在は一部は池に戻り、一部は公園になっています。

 つまり後世に禍を残すプロジェクトでした。
 譚甫仁は文革中の1970年に昆明で何者かに殺されました。
 
(つづく)
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雲南の書記と副書記12 雲南出身コンビ生まれる

2017-06-14 09:34:20 | Weblog
写真は麗江県攞市郷野生動物保護駅。左の看板には麗江納西(ナシ)自治県攞市郷林業工作駅と書かれている。麗江はナシ族が多く暮らす地区。ナシ族は古来、自前の文字を持ち、木造で瓦屋根のどこか日本人には懐かしい家に暮らす。文化水準も昔から高いことで知られた民族である。
麗江は水と緑の美しいところといわれているが、文化大革命時代は、山々が薪の材料のために丸裸にされた。その後復興の過程で植樹されているので、いま、野生保護区とされている地区の緑もよくみると、同じ頃に植えられた樹齢も数十年程度の同じような松の木が並んでいる。

【中国立て直し期に登場した雲南出身コンビ】
このような中央政界のどろどろがストレートに表れる雲南政界で、1980年以降雲南出身の省書記が着任したのは7人中2人。いずれも漢族です。

現状では、少数民族からの最高の地位が副書記までなので、書記への階段にはガラスの天井が存在するといえるでしょう。そして副書記は書記とは違い、複数人数、置くこともできる職種です。

 その最初に少数民族出身者として熱い視線を浴びていたのは、和志強でした。

彼は1934年に納西(ナシ)族の村として知られている麗江県白沙郷に生まれ、重慶大学を出て共産党関係の仕事に就き省副書記となった人物です。ちなみに白沙郷といえば、高倉健主演、チャン・イーモウ監督の『単騎、千里を走る』のロケ地として、いくつもの場所に登場し、いまや麗江の風情ある観光地としても知られる場所となっています。

和 志強は1985年から1998年の長きにわたり副書記をつとめました。

当時、彼のボスであった省書記が、雲南出身者で書記となった貴重な二人のうちの一人、1929年生まれの普朝柱でした。和志強が副書記だったころとほぼ重なる1985年から1995年まで書記の職務を果たしました。

普朝柱の父親・普希賢は中華人民共和国が成立する以前の革命メンバーとして雲南防空司令部作戦科長として着任し、家族ともども移住した雲南で知られた人物でした。その父親が幼年時に亡くなりますが、そんな中で雲南の名門・昆明長城中学を出た人物でした。

そして、雲南の副書記から、雲南省出身者として初めて書記になったのです。苦労人でもあり、雲南の実情も肌で知る人物。同じ雲南出身で5歳年下の和志強とはよいコンビだったことでしょう。

(つづく)
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雲南の書記と副書記11 落下傘部隊?

2017-06-04 09:42:37 | Weblog
写真は、中国の盆栽。西安のイスラム教寺院に飾られていた。樹種は、おそらくサボテンか。古都だけあって、西部大開発のさなかでも寺院の中は静寂が保たれていた。鉢に縦書きの筆書きを彫った形の漢詩などが書かれた黄や赤茶けた砂岩質の植木鉢は中国ならではで、日本に持ち込むと園芸家がたいへん喜ぶ。

【陳豪と阮成発】
武漢市書記だった阮成発が雲南省副書記に任命された当時の書記は陳豪でした。彼は2014年により雲南省副書記に就き、その後、代理省長、雲南省長などを兼任し、すべるように2016年8月より雲南省書記についた人物です。彼も雲南生粋の人ではありませんでした。江蘇省の出身です。

彼が呼んだのでしょうか?

陳豪は、上海の華東師範大学を卒業し、1997年に上海市委員会副書記ほか、上海市で長く公職についていました。そして2007年3月に習近平が上海市の党委員会書記になったときに、部下として認められたのか、習近平の昇進につれ、中央で昇格していきました。
 習が2012年11月に中国共産党中央委員会書記となり、2013年3月に国家主席になるころ、2013年2月に陳豪は、中華全総副主席、党組書記、書記署第一書記を兼任するようになったのです。

そして2014年10月に中共中央の命令で雲南省委員会副書記に任命されたのでした。
つまり、習近平の指令を受けた落下傘部隊なのでは、と推測されています。

陳豪と阮成発は、まさに西部大開発、そして東南アジアへの窓口にあたる雲南省の強化のために呼び込まれた雲南のためではなく、中国中央のための人材といえるでしょう。

さて、阮が副書記に就任して一週間もたたない12月28日に上海、杭州、南昌、長沙、昆明の2266㎞を結ぶ高速鉄道が開通しました。その講話で彼は1910年に完成した雲南とベトナムを結ぶ鉄道「越鉄路」を引き合いに出そうとして「越鉄路」と「」を「」と何度も言い間違えをしました。

 雲南を古代よりあらわす「滇」の言葉を間違えたことに雲南の新聞記者は「滇人は目に涙を浮かべ、衣の袖をぬらした」とその言いしれぬ悔しさを表現したのでした。
(つづく)
※次週は更新を休みます。以前より、日本も光がさらにまぶしくなっています。目の日焼けもお気を付けください。目は修復が難しいので。
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