雲南、見たり聞いたり感じたり

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雲南の酒・無形文化財の酒 青稞酒と楊林肥酒

2017-02-18 17:24:51 | Weblog

雲南北部のシャングリラの青稞酒工場。工場の敷地内には人がすっぽり入ってすまうほどの大きな黒い甕が何十も置かれていて、蒸留の時を待っていた。

【青稞酒の造り方】
醸造酒で、伝統的な造り方はとても簡単。青稞を洗って、煮た後、人肌まで冷まして、草麹を割って加え、陶器の入れ物に詰めたら、密閉します。このまま2,3日待って、水を加えてできあがり。微炭酸で淡黄色。度数も10度前後。ビールの元祖のような造り方といえるでしょう。

2,3年埋蔵すると蜜のようになり、濃い味と香気がたまらない、といいます。

2007年には青稞酒とその醸造技術が雲南省の第2批1類非物質文化遺産に登録され、2011年には中国3類非物質文化遺産に登録されました。非物質文化遺産とは日本の無形文化遺産のことで、中国で2006年から登録が開始されたものです。歌や劇、音楽、祭り、伝統芸能など開始当時は漢民族関係の登録が多く、開始後5年目にして雲南省の少数民族の食物文化にまで目が届くようになり、現在、国家4類までで1300以上が登録されています。

雲南では、ほかに食品分野ではプーアル茶や過橋米線などが登録されていますが、酒では唯一、非物質文化遺産の国家級に登録されている酒です。

もう一つ、雲南省級の非物質文化遺産に登録されているお酒があるのでご紹介しましょう。

2013年に新たに昆明市嵩明県楊林鎮の特産である『楊林肥酒』が登録されました。このお酒は明代の医学者蘭茂が記した【滇南本草】(明の李時珍の【本草綱目】の100年前に書かれた薬草の本。本草綱目に取り込まれた筆記が多いことで知られる。)に取り上げられた薬用酒です。

原料はトウモロコシ、米、大麦で蒸留酒の「白酒(パイチュウ)」を造り、そこに党参、陳皮、ウイキョウなどの10種類以上の漢方薬にも使われる原料と蔗糖、蜂蜜を加えたお酒で1880年に蘭茂がこの地でたしなんでいたというお酒を楊林県出身の陳鼎が創り上げました。さらに1987年には日本人にとっては十分高いのですが38度の度数に抑えたお酒を開発し、昆明市から特産品の称号を得た、という比較的新しいお酒です。

このお酒が省級の非物質文化遺産にお酒では2例目の登録、というところからすると、雲南独自で全国に名をなす銘酒がない、ということがわかります。まさにこれが雲南の密かな悩みでもあるようなのですが、人々は構わず、自家製のお酒や近所のお酒をおいしく楽しくいただいているのでした。
(この章おわり)
※次回の更新はお休みします。いよいよ受験生は大詰めですね。
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雲南の酒・チベット族の酒【青稞酒】

2017-02-11 15:45:36 | Weblog


写真は青稞(ハダカムギ)を壁に並べるシャングリラ付近の家の壁と、青稞を煎っている様子。これを粉にすって、チベット族の人々は「ザンパ」という名で食す。香ばしくて、固いが炒り豆の味がして、懐かしい味がした。

【青稞酒】
チベット族の多く暮らす雲南北西部のシャングリラ、徳欽あたりで愛飲されている酒に青稞酒があります。チベット族が暮らす西蔵自治区、青海省、四川省そして雲南省北部が産地です。

青稞は中国語で「チングー」と発音し、チベット語では「羌」(チアン)の文字を当てることもあります(インターネット百科事典「百度」より)。

これはハダカムギのこと。標高2000メートル以上で地味が肥えていなくても、稲作のようにライステラスを作らずとも、ただただ、山の斜面の粗放栽培のように播いて、ハダカムギを収穫まで導きます。収穫時の六月、急斜面に女性でもかごを背負って登り、ザクザクと根元から刈っていきました。とくに整地された土地ではなく、しかも滑り落ちそうな斜面、その上、高地なのでときおり、冷たい強風が吹き付けるので、労働で額に汗が出ると、それだけで冷え込みそうな重労働に見えました。

刈り取ったハダカムギは、いったん、穂を外側に向けてきれいに円形に並べ、それらを積み上げて円柱に置いて、水分を飛ばして保存しやすくしていました。また、家の壁にきれいに並べて干している家もありました。

チベット族の暮らしに青稞はかかせず、彼ら独特のバター茶に、ハダカムギをお釜で丁寧に煎って、すって粉にしたものを入れて食べるのは、大事な食事の一つとなっていました。

ハダカムギの粉が香ばしく、口の中の水分を全部吸い取ってしまいそうなところに熱々のバター茶を流し込む。簡単でおいしいシリアルを、昔から食べていたのでした。
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明の徐霞客の酒

2017-02-04 13:29:52 | Weblog
写真は雲南省文山州富寧県の白酒「壮糧宴」。コウリャン、トウモロコシ、米、蕎麦をブレンドさせた「清香型」。度数は50度。この地はベトナム国境に接し、中華独特の香りにかかせない調味料「八角」の主産地でもある。壮(チュアン)族が多く暮らすので、お酒の名称につけたのだろう。
 現地では、このお酒をコップになみなみと注いで、乾杯しては飲み干していたが、日本人のように酔っ払って記憶をなくしたり、へべれけになって失礼なことをしたり、ということにはならない。ひたすら陽気になっていた。日本人のように酒席の上だから特別に許される、という風習はなく、たいへんみっともないことと思われる。総じて日本人より酒に強いようだ。
 中国で仕事をする人は、お酒に慣れておく方がよい。もしくはかつてのように乾杯攻勢はさすがに礼儀としてよくない、という風潮もあるので「随意(スイイ」と、言い合うと、飲みたい人はのむ、という空気になる。

【明末の大理の地酒】

もう一つ、明末の大冒険家で地理学者として知られている徐弘祖(1586-1641)、号は霞客の書いた『徐霞客遊記』で大理から永昌(今の保山)に行く途中、山を越える場面に地元の酒の記述がありました。

「数家が南峡にあり。湾子橋で漿を売る者あり。連糟し、これを啜る。およそ地元の酒醸也。」(「滇遊日記9・『徐霞客遊記下』上海古籍出版社、2007年 p962」

どろどろした地元のお酒。甘酒か、発酵して漉していない醸造酒でしょう。このように元以降、蒸留酒が盛んになっていく中でも、連綿と醸造酒が愛され続けていたことがわかります。

農村ではやがて蒸留酒が主流として定着していきますが、昆明周辺の通海の甘酒(甜白酒)ブーム、1980年代以降のビール競争も唐突に訪れたわけではなく、重層的な酒の世界は昔から定着していたことがわかります。   (つづく)
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