雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

昆明の幼稚園事情6

2006-10-27 23:43:09 | Weblog
いつもお読みくださりありがとうございます。「こんなことが知りたいな」ということがありましたら、どしどしお寄せください。では幼稚園の続きです。

写真はプリンセススカートで踊る園児ら。(幼稚園の会にて)

【幼稚園の一日】
 朝8時半までに登園し、子供の声(日本でいうと、昔の小鳩くるみのような感じ)が入った音楽テープをかけながらの体操が10分ほど。その後、各教室に移動して饅頭と豆乳の朝食をとる。それから、月ごとに変わる様々な踊りの練習または勉強の時間に入っていた。
 
 11時すぎに昼食をとり、ちょっとの遊び(自由時間)のあと、一時間半の昼寝。その後、おやつ、遊び、夕食と続き、5時半に保護者が迎えにくる。このリズムが毎日続いた。子供は自由時間になると、漢字ばかりで読めない絵本を見たり、チャンバラ、追いかけっことまあ、賑やかに遊んでいた。

 なんと、娘の担任の先生は、いつも地味な顔だちと服装で気づかなかったが、意外にも京劇の使い手だった。ご披露されて初めて分かったときには、本当に驚いたものだ。中国のテレビ放送には京劇専門チャンネルもあり、娘が好んで観ていたので、その動きを目の前で観ることができて娘も感激していた。

 家で娘は幼稚園で習った踊りを演じてみせてくれるのだが、よくよく聞くと、チベット族の踊りの仕草をしながら「この捧げものをマウズーシー(毛主席の中国語音。毛沢東のこと)にお贈りします」と歌っていた。もちろん、娘は、耳で聞いたとおりに歌っているだけで意味は分かっていない。

 1949年に中華人民共和国の成立が宣言された後に、雲南などの少数民族地域でも「解放」政策が実施され、周恩来もはるばる北京から雲南まで赴いて直接指揮をとるほど、共産党政権を浸透させる政策が徹底された。この歌は、その名残、もしくはいまだに続く思想教育の一環なのかもしれない。

 ちなみに一年間、雲南にいる間、京劇やそれに近い伝統劇はとうとうここまで巡回してこなかった。中国にいる間に一度は、と思っていたが、中国といえど地方都市に住む限り、生で観る機会はなかなかめぐってこないのが実情だ。その代わり、観光地化された少数民族の踊りはたっぷり観ることができた・・・。

【3食昼寝付き】
 さて、日本と違うのは、幼稚園が3食付きだということ。親は、ベッドからたたき起こして、身だしなみを整えるだけでよい。さすが、男女平等を旨とする共産圏である。仕事を持つ親が多いためだろう。だがわが家ではそれでは寂しいので、朝食と夕食は家で取らせることにした。それにしても昼食だけの子供は園では娘だけだったというのは、驚きだ。
(ちなみにこの親天国の状況は小学校に入ると一変する。)

【重ね着ルックとプリンセススカート】
 子供たちの服装は、男の子はジャージー姿に丸刈り頭、暑い日でも重ね着させることが多い。空気が乾燥していて風が強いので、風邪を引かせないための方策なのだそうだ。昆明で日本料理店を営む女将も「暑い日が続いても日本と湿度が違うため、一年目は下痢ばかりしてました。ズボンを重ね着したら、とたんに収まったんですよ」と話してくれたこともある。

 女の子は、シャツにズボン姿が一般的だが、なかには「公主(プリンセス)スカート」とよばれる、フリフリで、ポリエステル製のギャザーを何十にも寄せた、日常着とは、思えない服装に、派手なリボンを結んでくる子も日常的に見かけた。多少の汚れはご愛敬。とはいえこの服装の子も結構見かけたのは、私立で多少なりとも裕福な家庭の子女が多い幼稚園だったためだろう。
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昆明の幼稚園事情5

2006-10-20 23:01:47 | Weblog
写真は白馬幼稚園内の遊具の一つ。娘はこの遊具に心惹かれて入園を決意したが、結局、一度も遊ぶ機会はなかったという。飾りだったのだろうか。

【言葉の違いは気にしないクニ】
 昆明に到着した翌週から、さっそく通園した。最初の日、門をくぐった後、娘とどう別れようかと思案する私をよそに、担任の先生に「大丈夫だよ」という様子で娘は肩を軽く押されると、私に「バイバイ」と手を振ってあっさりと教室へいってしまった。子供が適応できなければ、即座に日本に夫を残して帰ろう、まだ間に合うと思っていただけに、驚くとともに気が抜けた。

 担任の周先生は、娘が一人でいるとさりげなく子供たちの中へと誘導し、中国語で話しかけ、同時に身振りで示す。娘が中国語を理解していようといまいと、子供達も含めて誰も気にする様子はない。それどころか、子供達も頻繁に中国語で話しかける。三ケ月もすると、娘を日本語の先生に見立て、先生ぐるみで「ニーハオ。シュオ・リーベンフア(ニーハオを日本語で言ってみて)」などという遊びが始まった。

 「日本語の先生になっちゃった」と娘は上機嫌。遊びも、最初のうちは男の子集団にまじっておにごっこをしていたが、やがて
 「本当はおままごとをしたい!」と娘はじっと、おままごとの様子を観察し続け、半年がすぎた頃には、その仲間にも加わるようになっていた。なんと将来の結婚相手まで、見つけ、ハンサムくんと二人で仲良く手をつないでいることすらあった。苦手なのは常時、唐がらしが調味料に使われている「給食」だけ。我が娘と、幼稚園すべての人々のコミュニケーション能力には、すっかり感心させられた。

 園の廊下には、あちこちに「講普通語(北京語を話しましょう)」と書かれたプレートが貼られていた。街には北京語を激しくなまらせた昆明語や、各少数民族の独自の言語が飛び交っているので、たとえ地元の子供でも、先生から正しい中国語を学ぶ必要が出てくるらしい。そういう土地柄なので「日本語」程度ではひるまない。これは幼稚園に限らず、市場でもタクシーでもそうだった。私が、彼らの呼びかけに対して「分かりません」という態度を示しても、構わず話しかけ続け、何度でも同じ言葉を繰り返したりして、ついにはニュアンスを通じさせてしまう。なかには「この人、言葉わからないよ」と仲間と笑ったり、諦めて無言になる人もいたが、半分ぐらいの人はひるまなかった。昆明は、日本と違って異言語への敷居が低く、受入れが柔軟な土地柄なのだった。日本がいかに島国かを痛感した。

 ところで娘の遊び方を見て、気づいたことがある。男の子のする遊びは、言葉不要のチャンバラやおにごっこ。一方、女の子は「はい、おねんねしましょ」などと言葉を介して遊ぶ、おままごとやお人形さんごっこなどが多いということだ。女性の方が言語獲得能力は高いと以前に聞いたことがあったが、幼少時の遊びから、すでに差が出ていたのだと改めて感じた。外国にいると、観察も細やかになっておもしろい。
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昆明の幼稚園事情4

2006-10-13 16:54:04 | Weblog
写真は昆明の伝統的な生活用品市場の一角でめんこを打つ子供たち。子供が座り込めるほどきれいに磨かれた床も昆明ではよく見かける。

【公立の幼稚園】
 私たちの住む宿舎に一番近い、公立の幼稚園に行った。歩いて20分ほどのところにある環状西路の西側にある10年ほど前に開発され、建物全体が風雨にさらされて早くも古くなりはじめた地区にあった。この付近には児童保健所などの公的な幼児向けの施設が集まっている。ここへは引受先の別の人が案内してくれたのだが、彼の性格上、なんとアポなし訪問となった。

「俺の息子が通っていたのだから大丈夫だよ」と、Cさんは豪快に笑う。いやな予感がした。彼の息子は高校生なのだ。

 Cさん自慢の自家用車(中古の軽ワゴン車)から降りてみると、園庭には草花が咲き、芝生が敷きつめられていて、広々としている。園全体がぐるりと鉄条網のある塀に囲まれていたが、子供たちの歓声も聞かれた。4月だというのにプールをしたのか、濡れた水着が干してあった。給食室もあり、白衣をきたコックたちが饅頭をふかしていた。

 私は近いし、園庭も広いので気に入ったが、向こうから断られた。
 ベルを押すと、恐ろしげな顔をした中高年のおばさんが出てきて、ジャバラ門を開けることもなく、「募集は8月。9月から新学期。そのころにおいで」と、一蹴されてしまったのだ。アポなしとはいえ、あまりの対応にア然。公立は、黙っていても人が押しかけてくるので、こうもけんもほろろになれるのか。

 また夫の観察によると、あれだけ芝生がきれいなのだから、あの園庭は「見せる」もので「遊ぶ」ものではないのではないか、という。後に別の園に通わせる親に聞くと、その推測は当たっていて、園庭をきれいに保つために庭で遊ぶことはめったにないとのことだった。一人っ子政策のせいか親が過保護になりすぎて、外で遊ばせ怪我をさせると、文句をいう親も少なくないのだそうだ。

 そんなわけで、白馬幼稚園に通うことに決定した。手続きは住所と電話番号を書いて、入園後に保健所で身体検査をすればよかった。この検査で子供の血まで採られたのには驚いたが、雲南は肝炎やエイズが他地域より多いところなので、仕方がないのかもしれない。

 ちなみに白馬幼稚園は「芸術学院指定」というのが売りのようだった。ここで才能を見いだされると、さらに特別に習練を積まされて、万に一つの確率で中央(北京/つまりエリートコース)への道が開けることもあるらしい。おかげで授業には御遊戯の時間がやたらと多かった。

 月謝は、通常325元(約5200円)だが、私達は旅行が多く休みがちの予定だったので、ひとまず一日10元(約160円)と決まった。
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昆明の幼稚園事情3

2006-10-06 22:27:32 | Weblog
写真は幼稚園近くの白馬地区の商店街にて。少数民族のマッサージ店前やフルーツ店、頭飾りの店、ミルクスタンド、料理屋などが並ぶ。
【若い園長先生】
 園長室には、30代前半と思われる若くて押し出しの強そうな目の大きな女性が待っていた。彼女がTさんの友人の園長だった。前園長の娘である。ジーンズに黄色いチビTシャツを着てしゃきしゃきと業務をこなしている。

 さて夫が状況を説明すると
「全く心配ありません。子供はすぐに慣れますよ」と即座に請け負う。娘は言葉が全くできないといっても意に介する様子は、まるでない。それまで日本で娘が通っていた保育園では、外国からの子供に対して、とくに言葉が通じない子供に対しては園の先生も知らず知らずのうちにかなり距離を置いた対応をしていたが、少なくとも園長の対応を見る限りではそれとは正反対の雰囲気だ。

 娘が入る予定の年中組のクラスを見学すると、行儀よく椅子に座った生徒達が先生の合図に合わせて「ニーハオ。シャオポンヨウ。(こんにちは。お友達)」と声を揃えて元気に挨拶してくれた。1クラス42人の子供に3人の先生が付いている。若くて力もありそうな女性の先生方だった。

 他に給食をつくる厨房(大量の饅頭を蒸していた)や、木枠でできたベッド(というより小さな箱)が並ぶお昼寝部屋も見学した。親が出張のときなどには一日中、子供を預かることもあるそうだ。

 「大丈夫。ここにはシンガポールやオーストラリアから来た子供らが通っていたこともあり、外国人の対応には慣れています」と園長は力強く頷いた。

【人気のSK-2】
 ちなみに園長が使う化粧品は日本製のSK-2だった。あの女優の小雪さんがコマーシャルに出演しているブランドである(後に園長と親しくなってから日本から送ってくれと頼まれ、知った。)この製品は日本でも1本1万円以上する超高級品だった。それが昆明の高級デパートの1階の入り口前で堂々と売られていた。しかもよくよく観察すると結構な売れ行きだ。

 価格は日本と同じか、デパートの値引きがない分、日本よりやや上。上海あたりの外資系で働く30代女性の月収に匹敵する金額である。日本の感覚で考えると一本20万円以上の化粧品を数本、使っているといったところだ。

 昆明ばかりでなく、中国全土で95店舗を展開していたが、日本でも報道された通り9月15日付「人民日報」で中国の国家質量監督検験疫総局よりSK-2の9商品から使用禁止物質のクロムとネオジンが検出されたと発表され、現在、中国(一時は韓国も)では販売中止に追い込まれている。

 米P&G社グループのマックスファクター(神戸市)製で、ほぼ全量が滋賀県野洲市の工場で作られていた。SK-2側は「製造過程では今回、検出された重金属原料は一切使用しておらず、検出量もWHOが安全としたレベルの100分の1以下。空気や水に微量に存在する成分が検出されたとしても、日本の安全基準は満たしており問題とされない」と反論している。

 このSK-2は欧米など12カ国で売られており、シンガポール、台湾、香港、EU(欧州連合)では政府当局や業界団体によって安全宣言が出され、現在も販売中。日本でも変わらず、小雪さんのCMは流れ続けている。

 一部では日本政府が今年5月末に国産・輸入を問わず、食品の残留農薬に対する規制を強化した結果、中国の農産物の対日輸出が6月時点で2割近く激減。その報復措置ではないかともいわれている。というのも日本の厚生労働省が中国側に事実関係や基準の詳細などを照会しても、現在までのところ、まったく回答がないからだ。

 それはともかくとして、教育関係は孔子の時代から儲からないといわれているが、幼稚園の園長というのは儲かる商売なのだろうか。

 さて娘は、トランポリンの遊具に引かれ、結構、この幼稚園を気に入ってくれた。私も気に入ったが、比較するために別の園も見学してみることにした。
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