雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

「折」される人々・中

2014-10-24 18:27:37 | Weblog
写真は昆明市呈貢県あたりの滇池の畔にあった水郷生態園内にあるタイ族料理レストラン(2010年夏撮影)。勐海ダックは最高だよね、と看板に釣られて中に入ったが、レストランは閉鎖されていた。夜に賑わうのかと付近を歩く人に聞いてみたが、「前はやっていたねえ」とのこと。ガラスが割れた場所があり、なんとも気の毒。滇池が臭くない冬には遊覧船がでていたが、今は臭くて人も来ず、遊覧船はそこからは出航していないとのこと。そのため隣接するレストランに来る客がめっきり減ってしまったようだ。

【パークの寿命は10年未満】
 富有村のおとなりの広済村では昨年、すでに傷害事件が起きていました。

2013年10月22日、地元住民が村の役人と開発業者を囲い込み、彼らの車30数台を打ち壊したのです。同村では今年6月3日にも同規模の衝突が起きました。原因は「古滇王国」という名のテーマパーク建設のために家と土地を奪われてしまうためです。 

 じつは富有村のある晋寧県には似たような「古城」というテーマパークがすでにあります。さらにいえば昆明市には本物の寺や遺跡があると、周辺にそれらしい外観の土産物屋や食べもの屋を作り込んだ「古城」が乱立し、珍しくもなんともない。

こういった歴史系パークの他に生態公園や湿地公園といった生物系パークも乱立し、新しいところができると古いところが寂れていく、という状況がもう10年も続いています。今回は、とうとう開発業者と役人VS農民の図式が先鋭化し死者を出してしまった、ということなのでしょう。
 
10年前に昆明市中心部に住んでいた私が家の前から出る渋滞バスに20分も乗れば、滇池周辺の遊園地つきの公園に有名なところだけで5つはたどり着けました。動物園なども含めるとさらに倍になります。もとは歴史的遺物があったところ、もしくは都市化に取り囲まれ、スラム化しつつあるため、政府が再開発したがった場所や農地でした。

4年前に行ったときも、それらの公園は増える一方でしたが、早くもさびれて廃業したレストランも公園内には見えました。

公園は、どう利用されているのかというと、判で押したように同じ光景が見られます。たいてい退職されたご老人がグループになって、踊ったり、太極拳をしたり、凧揚げをしたり、鳥かごを持ってきて鳥声自慢を楽しんだり、二胡を弾きながら京劇風の歌を歌っていたり、トランプをしている。もしくはベビーシッターらが小さい子どもの散歩をしている・・。つまり、都市部の、退職金がしっかりもらえる人向けの施設といえるでしょう。    (つづく)
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「折」される人々・上

2014-10-17 11:50:48 | Weblog
写真は昆明市呈貢県の一角。ちょうど、煉瓦づくりの建物が重機で壊されているところに遭遇。すぐ隣が農地。雲南では建物が壊されると土の色の「赤色」が目に付くようになる。(2010年撮影)

★別の話題を用意していたのですが、NHK-BS1をみていたら、昆明のニュースが飛び込んできたので、今回はこの話に。
(雲南の話だけを読まれる方は、前文が長いので最初の段は読み飛ばして、次の段の【開発の波頭】からお読みください。)

【事実・物流センター建設で死者】
昆明市晋寧県晋城鎮富有村に建設中の物流倉庫・晋城汎亜工業品商貿物流センターで地元住民の立ち退き料が低いためにトラブルとなっていたところ、14日(火)に建設再開のため建設作業員らがトラック数台で乗り込んできたため小競り合いとなり、8人が死亡(内訳は地元住民側2人、建設側6人)、10数人がケガを負いました。
(京華時報2014年10月16日http://epaper.jinghua.cn/html/2014-10/16/content_135024.htm。時事通信社http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2014101600682)

 何度も小競り合いがあったところ、とうとう死者が出てしまったため日本でも小さいながらも報道されたのでしょう。
村人側が撮った写真をみると企業側がトラック数台にヘルメット姿に棍棒、そして黒服で無表情の若者をびっしりと、隙間なく立った姿勢で分乗させて村に入ってきた。村人によると、その数1000人以上。警察、という文字も見えたとか。規模といい、見るからに、異様で圧迫感のある光景です。

 彼らが道路に立ちふさがる住民に向かって次々と石を投げつけ始めたため、村人100人あまりが手に棍棒や鍬を持って応戦。混戦の中、火炎瓶を投げつけたものもいて、企業側は2人焼死、他は殴打により死亡したのでした。

 一家上げて道路に座り込んだ村人のなかには、夫は殴打により死亡、妻と娘は腰などを打たれて重傷の人も。村人側も建設側8人を捕らえて手足を縛り、ガソリンをかけたということです。

【開発の波頭】
 晋寧県は昆明市中心部から滇池(琵琶湖の半分程度の大きさの湖)をはさんで南側にあり、池真南の昆陽鎮は、アフリカ遠征を明の時代に指揮した鄭和のふるさととして知られています。静かな農村です。この県境の北は呈貢県に接しています。呈貢県は市中心部の南に接していて昆明市が膨張して6年ほど前より雲南大学など主要施設が呈貢県に建設されて引っ越しが行われるなど大規模な開発が進みました。

 そして、呈貢県境近くの晋寧県富有村に市中心部から遅れること10年で開発の大波がやってきたのです。市中心部からは距離にしておよそ30㎞、まっすぐ南下する高速道路のすぐそばにあり、都市計画をつくる側からすればまさに倉庫をつくるのにうってつけの場所だった、というわけです。
 日本でも東京中心から30㎞ほどのところにある埼玉県春日部市や千葉県野田市などは、森を伐採したところに、巨大石けん箱のような物流倉庫が立ち並んでいます。

 ご存じのように中国では土地には所有権はなく、期限付きの使用権のみ。そのため政府が必要とあれば面倒な手続きなしに土地は簡単に召し上げることができるのです。
(中国の人が日本も含めて外国に不動産物件を所有したがるのはそのためもある。)

 富有村の農民は中心部の発展を支えるために農地や自宅を数千元の補償金で手放すように勧告され、3年前より家々が次々に取り壊されて建設がはじまってしまった。地元公務員の一般的な月収が一人3000元なので、その程度のお金で仕事場も含めて全財産と職を投げ出せ、と言われたわけです。これでは土地を離れるわけにもいきません。
 
10年前に昆明中心部に住んでいたときもいたるところに「折(チャイ)」とペンキが書かれた建物がいたるところにありました。書かれると近々取り壊されるため、デモや反対運動が起こってニュースにもなっていました。でも昆明の人はよほど追い込まれないと、暴力にまで行きません。暴力事件はたいてい外部の人が引き起こすものでした。

 さて、「折」は中国全土で日々、起こっています。これが90年代から四半世紀、続いているのです。かつてはお国の発展のため、と、農民も納得する理由があったのですが、もはやメッキも剥げてしまった。

 儲かっているのは、お役人と開発業者だけだと誰もがわかってしまった。でも、どうにも止まらないのです。日本の公共事業やバブル時期の地上げ屋と同じです。      (つづく)
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インドネシアでブーム?の雲南⑧

2014-10-11 11:54:31 | Weblog

写真はいずれもニアス島西南部の小高い丘に建ち並ぶ高床式の伝統家屋群で有名なパオアタルヲの広場で夕暮れのひとときを楽しむ子ども達。10人ぐらいでサッカーを楽しむ子、ただただしゃべくる子、洗濯や炊事のための水くみを手伝う子などさまざま。親の目がさりげなくあって車のこない広場が子どもにとっていかにすばらしいことか! 40年前までの日本では普通に見られた風景なのだ。
 ここでは、なぜか「ニーハウ(你好)」と親しげに声をかけられることが多かった。中国の人が来るのだろうか?

【あまーいお茶】
まずシルク航空は昆明へは他都市に比べて多い週5便運行しています。

 そしてたまたまなのか機内情報誌「SILKWINDS」(2014年8月号)ではまさに、昆明特集。
美しい写真とともに東川の美しい菜の花畑のパッチワーク風景、雲南民族村や雲南民族博物館、昆明の関興路に立ち並ぶ野生キノコ鍋店のおいしい鍋、雲南伝統の気鍋鶏、園通寺の梅や桜や翠湖公園、世界文化遺産ともなっている2.7億年前の水脈が作り出した石林、ヤン・リーピン女史率いる雲南映像の舞台、などが要領よく魅力的に紹介されています。

シンガポールの中国語新聞「聯合早報」(2014年8月8日付け)では、プーアル茶の大特集。雲南の普洱(プーアル・地名)や茶の古樹、産地の易武山も取り上げてあります。雲南はひたすらあこがれの地といわんばかりに、きれいな空気の中、化学肥料や残留農薬の問題などいっさいない、と謳っている紙面からは、まさに雲南ブームただなか、という感じがしました。

 同紙では国際商業都市シンガポールらしく、プーアル茶にふさわしい茶器として紫砂壺(雲南で一般的に使われる高級茶器。)のほかに、日本の京都産の鋳物も勧めていました。

 このようにシンガポールでは茶への関心はイギリスのアフタヌーンティーの継承もあってさかんですが、残念ながらインドネシアの紅茶はやさしい味でパンチはあまりないものでした。インドネシアの紅茶になれていると、他で獲れる紅茶は香りや味が強く感じるかもそれません。

インドネシアの特産はやはり高地でとれるコーヒーとフルーツジュースでしょう。

 なかでもインドネシアはイスラム文化が濃いために食事中にアルコールや茶を飲む人は多くはなく、老いも若きもフレッシュフルーツジュースなのが特徴的。ヒゲを生やした恰幅のいい中年男性が当たり前のように食事の傍らフルーツジュースをストローで飲む姿は最初は違和感すら感じたほどです。

 そんな土地柄でお茶を頼むと、特別に注文しないかぎり、砂糖たっぷりの大甘のお茶になってしまうのは、口がジュースに慣れすぎているせいなのかも?

(この章おわり)

*先週で夏の旅報告を終えるつもりが、一週長引きました。もうすっかり秋です。紅葉もはじまり、コスモスも満開(終わりのほう)。来週から雲南に戻ります。

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インドネシアでブームの雲南?⑦

2014-10-05 11:16:41 | Weblog

写真上はニアスの魚市場でカブトガニや汁ものの具に入れる貝を売るおばさん。写真下はマグロ売りのお兄さん。写真を撮ろうと話すとポーズを撮ったり、配置を変えたり、必要ないと話してもサービス精神が旺盛で人柄の良さがにじむ。数年前に高藤さんが以前、学生を連れて買い物に来たことを覚えていたおばさんもいて、親しげに話しかけてきたりと、とにかくフレンドリー。
 魚はマグロ、カツオ、太刀魚など日本でもおなじみの魚で、日本よりも小ぶりのものがずらり。インドネシアからさらに日本に向けて回遊する間に一回りも二回りも成長するのだ。
料理は焼き魚や干し魚、ブツ切りにしてココナッツスープで食べるなどさまざま。

【雲南文化圏】
インドネシアでは、うれしそうに雲南の話をする人に出会いました。私が雲南に住んでいたことは知らない人です。仕事の傍ら独学で人類学や民族学を学ぶにつけ、アジア圏のすべての人は雲南からはじまり、散っていった。具体的には北とは中国や日本など、南はインドネシアにも移住したと考えられる、と。

文化面でも見逃せない共通点がいくつもある、とも主張していました。たしかに植物学の観点も含めて「照葉樹林文化圏」を唱えた中尾佐助や、さらに雲南で発掘される青銅器に描かれた船の形状からの考察とか、私なりにいろいろと思い浮かばなくはありません。
さらに雲南を起点にすると、東アジア全体を一つにまとめることができるのではないか、と語っていました。

インドネシアの島々では経済開発にともない、現在、発掘調査がさかんで、人類学的な遺跡も見つかっているそうです。そこには雲南との関連もうかがえる人骨や物品がでているのだと、写真を見せつつ説明は続きます。

何時間も伺ったのですが、語られる内容が豊富すぎる上、壮大すぎたため、私の頭ではいまだ咀嚼できないのが残念。

【一押し観光地・雲南】
また今回はシンガポール航空の子会社であるシルク航空を利用してインドネシア入りしたのですが、シルク航空が保有機材21機で44都市を就航する(Wikipediaより)なかでも重要視している都市が昆明なのでした。  (つづく)

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