雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

へんなタクシー・下

2010-09-26 14:27:49 | Weblog
写真は、昆明市郊外の遠距離バスが発着する東部バスターミナルから市内へと向かう夕方の公共バス車内。市内の普通のバスなら、当然ながらラッシュタイムだというのに、このバスはガラガラ。
このターミナルと市内を結ぶバス路線の存在すら、市民への告知がほとんどなく、さらにあまりに郊外で周囲の人家が少ない上、料金は通常のバスの倍の2元(約30円)を取っているため、利用者がほとんど増えないらしい。

【地元の人が一番困る】
 地元新聞を調べると、やはり「タクシーが乗車拒否をする」件を、困ったこととして今年5、6月以降、何度か特集していました。切実な問題となっていたのです。

「なぜ一番乗りたい朝と夕にタクシーがつかまらないのか?」
「乗車拒否が横行するのはなぜか」
 と記者は昆明市タクシー管理所に訴えます。
 ところが、管理所側は
「いつから乗車拒否の習慣が始まったのか、我々も把握していませんが」
 と、なんともとぼけた印象です。

 私の素人予想では、記事が頻発する今年5月以降、つまり昆明市内の地下鉄工事が本格化したころから、でしょう。それまでは問題化していないのですから。

「地下鉄工事などの影響でひどい渋滞が増え続け、正直に仕事をしても、客に怒鳴られてばかりだ」、という運転手の声もありました。
 バスも身動きが取れなくなり、バス会社の一日の稼ぎが3割減になったとの記事も。歩く方がましなほどの渋滞となっていたのです。(現在では、バスルートを変更するなどして対処し、客が9割方戻りました。)

 5月6日の昆明新聞には長距離列車で着いた客を駅から乗せたら、本来ならば、初乗り8元に近い料金で到着するはずの道のりなのが、歩くよりも遅い45分かかり、罵声に浴びた、だの、交通規制があるので迂回したら、客が怒りだしただのエピソード満載。

 こんな状態では、自信のある道しか行かなくなるのも無理はない、と同情できなくはありません。

 そんな中、管理所が伝授する対処法は、ただ
「乗車拒否されたら、タクシーのナンバーを控えて、当管理所に訴えてください」だけ。タクシーの管理会社にとっても乗車拒否はいけないことと認識はしていても、どうしようという気もないようです。

 昆明に着いた当初は自家用車も増えているし、地下鉄も完成したら、失業するタクシー運転手は増えるだろう、と懸念したのですが、現状の運行状況なら、タクシー運転手は、案外、仲良く、生き残れることでしょう。

 ただ旅行者としては、タクシーにはまいったな、というのが正直な感想でした。                (おわり)
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へんなタクシー・中

2010-09-20 12:00:27 | Weblog
 昨年12月28日に開業した東部バスターミナル。市内からタクシーで20分から30分の、周りは赤茶けた山ばかりが広がる郊外に建つ。市内から公共バスで行くルートもあったのだが、その行き方はこのバスターミナルに置かれたチラシでしか、知る方法はなかった。今のところは不必要なほどにデカい。
 それ以前は市内にほど近い「東菊」バスターミナルに行けば、雲南東部地域に行けたのだが、そちらのバスターミナルは現在、閉鎖され、「東部」は遠くなってしまった。このことは昆明で売られているあらゆるガイドブックにも、地図にも反映されていない。困ったものである。

【究極のワークシェアリング】
 これが昆明から離れると、運転手も本来の姿に。地図も頭に入っており、わからない場所なら、仲間に携帯電話で場所を確認し、当たり前のように誇りを持って誠実に任務を遂行してくれます。

 昆明も2年前までは、そうでした。行き先を告げると「好(ハオ/わかった)」という返事がちゃんと返ってきたのです。

 昆明のタクシー運転手の気質の変化には、何かありそうです。

 考えてみました。

 一つにはタクシーの人口あたりの台数が減っているようです。夕方や早朝の繁忙期にタクシーを捕まえるのはまず、無理。30分以上、待ってもダメでした。みんな客を乗せているのです。

 このことから、
「タクシーの参入を制限しているのかな」
というように考えました。それも、少しはあるようです。でも、それでは乗車拒否の説明にはなりません。とすると、

「もしや、究極のワークシェアリングの実現かな。」と思いました。 つまり一日50元(約3万3000円)稼げば上々の昆明で、初乗り8元のタクシーを6~7回、稼働させれば、整備費、ガソリン費を差し引いても、十分です。(普通、10元以上は乗るでしょうから。)つまり一回、10分として1時間、近場の知っているところだけをまじめに走れば、一日の稼ぎになる、というわけです。必要以上に働かなければ、他の車に仕事のチャンスを回せるかもしれません。なんという心遣い。無理をせず、大きく稼ぐ必要も大望もない。じつにうらやましいほどの平常心を身につけている、のかもしれません。

 もう一つ。街を歩くとすぐ気づくことがありました。沿道には、そこら中に「報警」と書かれた白テントがあって、中で警官が目を光らせているのです。

 私たちを遠くに(といっても、市内往復で10キロぐらいの距離)連れて行くことに同意してくれた運転手と、当たり前のこととして出発前に値段交渉しようとしたら
「メーターを下ろして仕事をすると、違反になる」と言われ、きっちりタクシーメーターで計ってお金を払うことになりました。(ごまかしがない分、客としては安くなって助かったのですが。)

 また、交通法規や車道規制も、相変わらず猫の目のように変わっています。しかもそれはますますひどくなっているようです。
 昨日まで曲がれた道が一方通行規制が敷かれて突如、曲がれなくなったり、地図にある公共の場所が、思いがけないほど遠くの郊外に移転していたり、とタクシーの運転手もとまどう状況が多発している模様。
 実際、市内の便利な場所にあったバスターミナルが昨年末に移転していたのですが、それをしらないホテルマンと我々に対してタクシーの運転手が、
「ここは10分じゃ、着かない。30分以上はかかるよ。引っ越したんだよ。なんならホテルの人に聞いてから乗ってくれ」と言われ、ホテルの人、数名に聞くはめになり、それでも答えは半々でした。

 実際には郊外に立派なバスターミナルが出来上がっていたのですが、その事情はバスターミナルが開業したころの地元新聞か、その新バスターミナルの受付にちんまりと置かれたチラシを手に取らない限りわからない、というお粗末な状況だったのでした。 
(下につづく)

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へんなタクシー

2010-09-11 23:45:08 | Weblog
以前住んでいた宿舎の横にあった雲南省社会科学院。奥の建物に変わりはないのだが(少しきれいになったかもしれない)、その前に見慣れぬ派手な赤門が建っていた。

【乗車拒否される】
 昆明のもう一つの変化といえば、タクシー運転手の気質、でした。

 変なのです。

 飛行場から市内のホテルを目指してタクシーに乗ったとき、運転手は「好(ハオ。了解しました)」ではなく、「我知道(ウォ・チータオ。知っている)」と言いました。違和感がありましたが、それが何なのか、その時はわかりませんでした。

 翌日、かつての住居地「社会科学院」を目指そうとすると「知らない」と乗車拒否。ほんの10分ほどの距離なのです。付近のビルを次々と知らせてもダメ。もしや雲南の社会科学院がなくなったのでは、もしくは私の中国語が下手なせいでは、と落ち込んだのですが、そうでもなさそう。なぜなら、中国語堪能な人でも同じ反応だったからです。

 結局、バスで行きました。ありました、私がいた頃より派手になって。

 別の場所に行こうとしたときのこと。地図を用意しました。今度はちょっと親切になりました。「知らない」といった後、後ろに停まっていた暇そうな運転手に聞いてくれたのです。でも、やっぱり「知らない」で、おしまい。以後、目的地に近いホテルを目指すことでなんとか市中心部の移動は解決しました。

 つまり、今、昆明のタクシーはホテルや飛行場が目的地なら問題ないのですが、それ以外の場所だと、よほどの幸運がない限り断られてしまうのです。よほどの幸運というのはその運転手が最近、その目的地まで(付近ではダメ!)行ったことがあるかどうか、ということに尽きます。

 こういう例は枚挙にいとまがありませんでした。(ご面倒な方は読み飛ばしてください。)
 
 ①街外れにあるデン池に面した、ある村を目指した時のこと。バスである程度行き、あとは一本道を残すのみ、というところで再度、タクシーを探しました。探した場所は「雲南民族村」。言わずと知れた昆明一の有名観光地です。目の前には大量のタクシーが停まっています。これならなんとかなるでしょう。
 さっそく、「この道をまっすぐ行くだけですよ」と地図を見せ、行き先を示して交渉したのですが、やっぱり埒があきません。市中心部よりよっぽど近くて、楽で、行きやすい場所だというのに!
 仕方なく、数キロの道のりをとぼとぼ歩きました。その脇を今や昆明市民の第2の足、自家用車が通り過ぎ、地元のタクシーが通り過ぎ(見つけられたらラッキーだったのに・・)、つい最近まで通っていたらしい公共バスの放置された標識を横目に見るはめになったのでした。

 ②街から最も遠いダム湖を目指そうとしたときのこと。「知っているけど、遠すぎる」といって断られました。(といっても距離は10キロほど。)
 また「知っている」という、案内したがりの運転手にも出会いました。ただ、見るからに怪しげな人で、行き先を告げても明らかに分かってない上、こちらが示す地図を見ようともせず、どころか、それを振り払い「行ったことはないけど、何とかなるだろう」とカンだけで動こうとしたので、丁重に断りました。
 この時は7台目で偶然、「この間、行ったよ」という人に出会えて行くことができました。ラッキーでした。

 ともかくタクシー運転手の関心領域と狭さと地図を一顧だにしない姿勢には、本当に参りました。                 (つづく)

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雲南に行ってきました

2010-09-05 20:52:45 | Weblog
写真は2年前まで畑と、俗にいう城中村、と呼ばれていた昔ながらの集落のあった昆明市北郊地域。地面の下はものすごい圧力に耐えているに違いない、とおもうほどの30階以上の建物がニョキニョキと建設中。

【変わらぬ雰囲気】
 前回はバンコク経由で、その前は北京経由で、その遙か前は韓国・仁川経由(これは一応、直行便という名前が付いていた)で行きましたが、今回は上海経由となりました。乗り継ぎの悪さもさることながら、往復中、4機の飛行機にお世話になる中で必ず、「飛ばない」「遅れる」飛行機に当たります。そのため、どう頑張っても12時間はかかります。

 上海で一泊し、上海万博にも行きました。上海は驚くほどの大都会。地下鉄は完備され、ラッシュの車内も体臭はなし。停車駅で人々は争うことなく静かに乗って、順番に降りていきます。一人で入れるファストフード店も様々にあり(中国では普通、複数人で行かないと、一皿数人分の食事と格闘するはめに陥るのです!)、ほんの数年前まで感じた目がチカチカするほどの排ガス臭もほとんどなし。

 最近、上海に留学した日本人の学生について
「たしかに中国語はうまくなるけど、カルチャーショックはなにも受けずに帰ってくるのよ」と評した先生がいましたが、納得できました。

 その上海を見てから昆明に行ったせいか、人々と町の雰囲気のあきれるほどの変わらなさに、ほっとするやら、驚くやら。

 タクシーや町の店主らは、いつものように地元のタブロイド紙を読みふけり、赤ちゃん連れの人は乳幼児には幾重にも厚着させた上で、分厚いバスタオル程度のおぶい布で背負い、町の空気は絶望的なほど排気ガス臭く、道はガタガタ。食事も米線以外は一皿大盛り。
 暑くもなく、寒くもない。最高気温26度の快適さ。車両整備がちゃんとされていたら、黒い排ガスも減り、さぞや暮らしやすかろうにと、もったいなく思いました。

 よい面もそのまま。公共バスでは、年寄りや子連れと見れば、席を立つのは当たり前。あるときなど、青い目をした白髪の紳士に席をゆずる年輩の男性と、それを見て席を立つ若者との3者の譲り合いトライアングが膠着状態となり、最後に青い目の紳士が席に座ることでその場がおさまる、という日本では信じられない光景も相変わらず展開されていました。

【変わった風景】
 一方で、都市開発の勢いはとどまることを知らず、数年前までだだっぴろい畑や林だったところが見事にビル群と化し、建築中のマンションが昆明の北縁の山裾まで迫っていました。その先は昆明市民の命綱・飲用水のたたえられたダムの壁のみ、です。

 また3年後に開通予定の地下鉄工事が今年5月から本格化。地下鉄はこれだけの都市なら必需品ですが、現在はガマンの時で、そのための渋滞がますますひどくなっている、という状況でした。

 一見すると、誰もが思うのが、「これほど高層ビルを建てても、買って暮らす人はいるのかな」ということ。メンテナンスの意識も希薄で、私が暮らした2004年にはうらやましいほどにピカピカだったマンションも、今やベランダの柵が哀しいほどに錆びています。だのにローンは残ったまま。

 地元紙を開くと、同じ懸念を持つ人は当然、いて、8月20日の社説には
「このままでは日本で起きたようなバブルが弾ける現象が、昆明でも起きてしまう」と経済専門家による日本のバブル崩壊のプロセスとその後の解説が載っていました。また、近郊農業地域をつぶしての開発に「耕していた農民の無職化と食への不安」が率直に語られている記事もありました。
 
 昆明だけで、この有様。これが、少なくとも西部大開発推進地域では同じような事態になっていると過程すると、それだけで日本の面積のおよそ14倍、中国全土なら約25倍という、とてつもない規模で、コトが進行していることが実感されます。

 実際、雲南からはるか遠くの北の陝西省大同市などでも同様の景色になっていると行った方から聞きました。またニュースを見ても北京から河北省への解決の見込みのない大渋滞や北京―チベット自治区間の100キロにもわたる深刻な渋滞、甘粛省舟曲県ほか各地の土石流などはその一端なのでしょう。

 空気、自家用車の増加、本物の緑の減少(生態公園、と称する、スプリンクラーが水をまき、南京や広東の会社が作った栄養剤をぶら下げて植樹された、緑地公園は、作っています)、コンクリ建物の縦列による、地球温暖化への傾斜、真水の減少。これだけでも十分、日本海の水たまりをはさんだ日本人として人ごとではない気分になります。

 中国は、中国共産党が統治する社会主義国家。いうまでもなく土地はすべて国のモノです。だから地元政府の鶴の一声で、土地はどうとでも出来る。それだけに裏には地元政府の利権が絡んでいるように思えてなりません。

 深刻な話になりました。次回は砕けた話です。

コメント (4)
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