雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南の牛④  シャングリラのヤク

2015-10-30 12:30:36 | Weblog
写真はヤクのしっぽでつくられたほっす(払子)。ヤクの放牧地の横で作っていた。チベット仏教寺院で使われる。(シャングリラ〈中甸〉にて撮影。)

【ヤクと黄牛とホルスタイン】
中甸(シャングリアと改称されているが、また呼び名が戻りつつある)の高原で群れて草を食むヤクたちに

「ヤクがいっぱい!」

と感激していると、地元の社会科学院の先生に

「このへんのヤクはみんな普通の牛と掛け合わせたものばかりだからおとなしいけど、本当のヤクはどう猛で危ないよ」

といわれました。
とくに雄が危ないそうです。

以前ご紹介した『アジアの在来家畜-家畜の起源と系統史』によると、ヤクは1300万頭が飼育され(2003年)、成熟した野生ヤクは体高190センチ、体重1000キロに達するとのこと。

 家畜牛と交雑した家畜ヤクはそれより小さく、性質もおとなしくなります。ただし交雑種のオスは繁殖せず、家畜牛の血が混じるごとに、高地への適応が難しくなっていくそうです。

 チベット民族はヤクの純粋種を繁殖維持しつつ、環境に合わせて家畜牛と交雑させては家畜ヤクを生み出すという高度な技を駆使しているのです。

 このように長年、計画的に交雑を進めているためか、いまでは最良に適応した中甸ヤクという独自のヤクとなったものもあります。

とはいえ、ここが雲南のおもしろいところなのですが、シャングリラの牛がヤクだらけと思ったら大間違い。毛並みが薄茶色の中国では「黄牛」と呼ばれる家畜牛や、日本でも乳牛としてよく飼われている白黒ブチが特徴のホルスタインも見ました。

 これらの混成部隊を赤ちゃんを背負った男性が杖一本で操って草原を移動させいたのです。壮観でした。
                                        (つづく)
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雲南の牛③ 雲南6大名牛とは

2015-10-24 15:58:29 | Weblog

写真上は雲南北部のシャングリラの草原で放牧された家畜ヤク。写真下はヤクの毛で作られたテント。テントの左横の黒いかたまりはヤク。テントから人が出てきている様子。(シャングリラから車で30分、標高4000メートル付近の白馬雪山の峠を抜ける付近にて撮影)

【村ごとに違う顔】
さらにインド系牛についてミトコンドリアDNAの解析を行ったところ、アジア地域ではZ1型と呼ばれるグループが過半を占めるなか、ヒマラヤ山脈を中心とした南西中国やブータン、ネパールなどは、別のタイプのZ2型を示したといいます。

このように一般的な牛だけでも、雲南は境界地域だということがわかってきました。雲南の村々で見る牛が、村ごとに本当に様々な毛色、顔、雰囲気を持っているなあ、と感じていた私の感慨も、あながち見当はずれではなかったのです。

政府もこのことに気づき、雲南省農業庁は、他とはかなり違う牛を集めて「雲南6大銘牛」と認定し、その希少性の保護と新たな開発に乗り出しました
(2011年10月17日新聞発表。ほかに6大銘豚、6大銘羊、6大銘鶏、6大銘魚もつくった)

チベット族のヤク(牦牛)、独龍族のミタン、水牛2種、黄牛(一般的な牛の分類に入るもの)2種です。

【チベット族のヤク】
一つずつ解説しましょう。まずはヤク。

ヤク(牦牛)は、家畜牛とは違う系統で、バイソンと同系統の寒さに強い牛です。中国ではチベット自治区と青海省、雲南の北西部にいます。

4000~6000メートル級の空気が薄く、極寒の地に住む人々にとっては、本当に欠かせない大切な動物です。長くて黒くて丈夫な毛は編み込まれて、大事な居住用のテントの布地やロープとなります。けぶる白い霧にぼやっと浮かび上がる鋭角な黒々としたテント。その寒さの中で家族単位でヤクを放牧して暮らしているのです。毛皮としても使います。

乳は飲用や、バター茶にかかせないバターを生み、最後には肉も与えてくれます。

長くて白くてふさふさしたしっぽはチベット仏教寺院ではほっす(払子)として使われていました。角も仏具の装飾や門に飾られ、役割を果たしていました。
糞は燃料にもなります。

私は見てはいないのですが輸送や農耕時の役畜としても使われるそうです。

ヤクさえいれば生活できることから「高原の船」とも称えられています。

(つづく)

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雲南の牛②  世界の牛分布の境界に

2015-10-18 13:31:35 | Weblog

シーサンパンナ景洪付近の牛。牛の後ろに見えるのはタイ族独特の高床式の家。中国でいうところの黄色、日本的には茶色、と黒色が混じっている。背に若干、こぶのように盛り上がって見える。インド系牛の血が混じっているのか?


文山州の硯山の苗族の暮らす村の牛。目がくりくりしてとにかくかわいい。ひたすらおとなしくカボチャを一個、モシャモシャと食べていた。背筋にたてがみのように見えて馬のようにも見えるが、小さな角があるので牛である。

【普通の牛に2種類ある】
雲南では色も大きさも毛が長い短い、額が広い狭いなど顔立ちも様々な牛に出会うのですが、それが中国でも雲南で顕著な特徴を示していることを示唆する本に出会いました。

在来家畜研究会著『アジアの在来家畜-家畜の起源と系統史』(名古屋大学出版会、2009年)です。

この本は1961年からおもに関西圏の学者たちがアジアの在来家畜の起源と系統をフィールドワークと近年ではDNAミトコンドリア解析をもとに解き明かそうとしたものです。

それによると家畜牛は背中にコブのあるインド系牛と背中にコブのない北方系牛(牛乳を出すホルスタイン、日本の見島牛などの在来牛など)、その中間型と分けることができるそうです。

分布図をながめると、ユーラシア大陸のほとんどと日本は北方系牛、メソポタミア文明のあったチグリス川からインドがインド系牛、東南アジアは中間型、アフリカ大陸はその3つが複雑に入り組んでいました。そして世界でも珍しいことに雲南あたりが北方型とインド型と中間型のちょうど境界となっているのです。
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雲南の牛①

2015-10-11 11:09:31 | Weblog
写真は文山地区の山間の三七畑で荷車を引いていた黄牛(手前)と水牛(奥)。雲南では一つの地区にも様々な種類の牛が共存している。

【村ごとに違う顔】
都市化の広がりで急速に都市の中に飲み込まれてしまうものの、その周縁部や農村で、必ず見かけるのが牛です。

豚については、その魅力に取り込まれた女性が『雲南の豚』という本を出版し女性初の「太陽賞」を受賞していますが、牛も負けずに可愛い。

目がくりくりっとしていて、たいてい毛もツヤツヤしています。きっと大事にされているのでしょう。

出会いも様々。

牛車として、穀物の運搬をもくもくとこなす牛、

砂糖きび絞り用の機械につながれてサトウキビジュースを搾る牛、

はたまた中国の紀元前の書物に書かれているのとまったく同じ農機具につながれて、土と同化した皮膚を持つおじさんの命令で畑の土を耕す牛、

と枚挙に暇がありません。

その糞は集められて壁に貼り付けられ、乾燥させては、人間の煮炊き用の燃料に使われていました。

これだけ役立つ牛には人間からのお礼も厚いものでした。

夕方に近所の草地に綱を引いて牛の散歩にでかけ、草のエサを食べさせ続けるおじいさん、

たわしでごしごしと背中をこするおばあさん、

はたまたコンクリートで固められた都会的な町の真ん中でたっぷりの飼料を道路に直置きするおばさん、それをほおばりながら、ご主人様を待っているがごとく、静かにたたずむ茶色い牛、

と様々なところで人と牛との交歓をたやすく見ることができました。

これらの牛たちが村ごとにまったく違う顔だち、種類をしているように感じて不思議だったのですが、それを感じていたのは私だけではありませんでした。
(つづく)
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かぼちゃの花炒め⑦ 

2015-10-02 10:41:58 | Weblog
市場にかぼちゃの茎を運ぶ女性。(文山にて)

【かぼちゃの花は食通の証?】
 当初、かぼちゃについて書かれた中国最古級の書が『滇南本草』なのだから雲南原産説もありかな、原産地だから余すところなく食べる知恵があるのかな、と当たりをつけていたのですが、調べてみると違うようでした。

 でも雲南ではカボチャの種から花、茎、葉っぱまで余すところなく、たしかに食べられていました。

 ご存じのようにカボチャの種はひまわりの種とともにお茶うけに中国各地で食べられます。日本で見るものと違って種が緑に見えるのは、白い皮をむいた中身だからで特別なものではありません。
 
ただ、かぼちゃの花を普段から食べる国は少なくてメキシコ、イタリア、中国の雲南ぐらいです。これらの共通することはあるでしょうか。

まず思い当たるのが、
① 中南米産の作物は手間をかけずとも単位当たりの収量が高いので、伝来された当初、貧しい地域で歓迎されたこと

② 材料の隅々まで上手に食卓に登らせる努力を惜しまなかったこと、つまり食べることに貪欲、食いしん坊だったこと

③ 新しい食文化に抵抗感がなく、受け入れる素地があること、たとえば、各少数民族が暮らす文化の多様性などがあったためかなあ、と考えます。

また、理屈抜きで考えると、かぼちゃの花を食べる地域は、どうも料理が私の好みにあうのです。野菜が豊富で、油っこくなく、味のバランスが絶妙。このラインで考えると、日本もかぼちゃの花の食文化があってもよさそうなのですが、伝来当初、肉食文化ではなかったせいなのでしょうか。

ちなみに料理に使うかぼちゃの花のほとんどは雄花です。雌花は受粉するとかぼちゃになります。日本の家庭菜園をされる方のブログを見ると、たくさん咲く花をせっかくだからと天ぷらや肉詰めにする料理を紹介され、イタリアでも食べている方法なのでおいしい、と書かれているのですが、日常食として定着している例はないようです。

花の鮮度が短く、すぐにしおれてしまうのでよほどのブームでもない限りは流通ルートに乗ることはないでしょう。      (おわり)
 
参考文献
李昇他「南瓜伝入中国時間考」『中国社会経済史研究』2013年第3期、p88-94、北京大学
内林政夫「コロンブス以前の中国のトウモロコシ-中国本草書[本草品彙精要]より」藥學雑誌126(1), 27-36, 2006-01-01 、公益社団法人日本藥学会
ベトナム料理・かぼちゃの花エビ天ぷらhttp://www.sbs.com.au/food/recipes/pumpkin-flowers-stuffed-prawn-bong-bi-don-thit
※1 趙伝集「南瓜産地小考」『農業考古』1987年第2期、p299-300、江西省社会科学院
※2 李兆良著『宣徳金牌啓示録-明代開拓美州』聯経出版、2013年10月

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