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雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン76 香港の人6

2025-04-27 16:39:31 | Weblog
ロンドンのシェアハウスから至近のハイドパーク。地面すれすれまで枝が降りている様子が日本の森とは違っていて興味深い。イングリッシュガーデンの特徴だろうか?

【上に政策あれば・・】
さらに持っていたオーストラリアのパスポート。香港市民の誰もが英語が流ちょうというわけではないようですが(よくそういう描写をかつての香港映画ではしのばせています)、上流階級や勉強熱心な家庭の人々は英語が堪能。

そこで英語が公用語の元イギリス領のなかでも移住の受け入れに寛容だったカナダとオーストラリアにパスポートを求めて、殺到したのです。そしてパスポート(つまり市民権)を取得できると、住み慣れた香港へと戻っていく人が多かったのです。

イギリスの空港ラウンジで出会った目の前の女性はのんびりとした、ごく普通のおばさん風情の人でしたが、香港生き残りすごろくを的確に勝ち上がってきた人だったのです。

彼女の息子は英語ばかりか日本語も堪能で、いまではイギリス在住の医者として身分も安定。そして彼女は香港住まいで、パスポートを巧みに使って行ったり来たり。しかもオーストラリアのパスポートまで取得済。

中国の苛烈な政策に対峙するのではなく「上に政策あれば、下に対策あり」の小市民の知恵。なんともたくましい。イギリスという国は、いろいろな人々のエッセンスで成り立っているのだと、改めて感じ入ったのでした。

2019年7月から8月にかけて訪れたイギリスは、どこを向いても興味深く、散歩の楽しい日々でした。

明治期にイギリスに留学した夏目漱石はじめ多くの日本人が口をそろえる「冬は寒く、日が短く、精神に堪える」イギリスを知らず、振り返れば楽しかったイギリスはロンドン。いままで酷暑しらずだった国なので、住居にクーラーがなかったり、思った以上に物価が高く、寝るスペースに苦労したり、いろいろとなかったわけではありませんが、なんとか突破できる程度の苦労でした。

歴史も不思議も思索も、存分にできる国。アジア圏に比べてやはり治安の良さを感じました。いずれまた訪れたい国になりました。

ただ、当時すでに、物価は日本の感覚の1.5倍から2倍で
「あれ、日本って貧しくなってる?」
と思った最初の国でもありました。私が社会人になってからは海外で買い物をする=お得な買い物の感覚になっていたのですから大転換です。すべて円高のなせるわざだったとは。
         (二度目のロンドン・終)
※お知らせ
【はじめてのデジタル引っ越し】
次回からトルコ編となります。ただ、
gooブログが今年11月に閉鎖されることに伴い、いろいろとしなければ、ならなくなりました。デジタルお引越しははじめてなので、いろいろ聞いたり、調べたりして無事に行いたいと思っております。
つまり引っ越しに伴い、ブログの更新をお休みします(目安1か月。)引っ越しが決まりましたら、また、お知らせします。(たぶん、ハテナブログかなあ? みなさんはどうですか?)
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二度目のロンドン75 香港の人5

2025-04-20 10:20:47 | Weblog
写真は2018年夏の香港にて撮影。無法地帯で有名な「九龍城」は取り壊されて風光明媚な公園に。その周辺も開発も進み、驚くほどピカピカだが、裏道に入ると、ほっとする昔ながらの空間も残されていた。急坂が多いのも香港お特徴の一つ。

【パスポートは、大事な手札】
2020年7月、当時のイギリスのジョンソン首相は、中国政府が6月30日に施行した香港国家安全維持法(国安法)が自由を侵害しているため、かつてイギリスの植民地だった香港市民のために、永住権の申請を可能にする方針を明らかにしました。対象は、BNOパスポート保持者です。

BNOパスポートは本来はイギリスへの渡航についても、6カ月のビザ(査証)なし渡航しか認められていません。保持者に自動的に就業や居住を認めるものでもなく、社会保障の対象にもなっていません。

そこをイギリス政府の新しい計画では、BNOパスポート保持者とその扶養家族は今後、イギリスに5年間滞在でき、就業・就学も可能となると演説したのです。

5年の時点で永住権の申請ができるようになり、さらにもう1年滞在することで、市民権を得る資格が与えられるという構想も打ち立てました。

首相の報道官によると、現在香港にいるBNOパスポート保持者はすぐにイギリスに渡航でき、通常の入国審査を受けるだけでよく、また、ビザ取得に当たっての年収制限もなくすとのこと。

実際にこの演説の内容は2021年1月31日から申請可能となりました。

一方で、中国政府も、1月31日からBNOパスポートを旅券と認めないと発表しました。ただし、従来から香港市民は中国大陸に入境の際はBNOパスポートを使うことはなく、必要なのは香港政府が発行した旅券や身分証のみ。

一方、BNOパスポートが必要となるのはイギリスはじめBNOパスポートが使える国への入国の時だけなのです。つまり、中国政府の発表にはなんの拘束力もないのでした。

つまり中国への内政干渉ともいえる措置をイギリス政府は保持し、香港市民もそれゆえに手放せない大事なパスポートだったのでした。
                         (つづく)

参照:
ジョンソン首相、香港の300万人にイギリス市民権への道示す - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/53259716(2025.4.14閲覧)
イギリス、香港市民への特別ビザ開始 30万人が申請か - BBCニュースhttps://www.bbc.com/japanese/55882848(2025.4.14閲覧)

※長年お世話になっていたgooブログが今年11月に閉鎖すると発表しました。
使えるフォントの数が減ったり、少しずつ機能がそがれていたので、なんとなく嫌な予感はしていたのですが・・。
イギリス編はまもなく終了する予定ですが、次はトルコ編となる予定でした。
どこで続ければよいか、しばらく検討して見極めていきたいと思います。

ブログの引っ越し先など決まりましたら、また、ご案内させていただきます。
これからもよろしくお願いします。

※gooブログのプラットフォームに関わられている、そして関わられた皆さま、長い年月、お世話になりました。すごく楽しめました。
これから引っ越しまでの間も、変わらぬ丁寧なご対応をよろしくお願いします。
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二度目のロンドン75 香港の人4

2025-04-14 17:02:12 | Weblog
2020年7月、当時のイギリスのジョンソン首相は、中国政府が6月30日に施行した香港国家安全維持法(国安法)が自由を侵害しているため、かつてイギリスの植民地だった香港市民のために、永住権の申請を可能にする方針を明らかにしました。対象は、BNOパスポート保持者です。
BNOパスポートは本来はイギリスへの渡航についても、6カ月のビザ(査証)なし渡航しか認められていません。保持者に自動的に就業や居住を認めるものでもなく、社会保障の対象にもなっていません。
そこをイギリス政府の新しい計画では、BNOパスポート保持者とその扶養家族は今後、イギリスに5年間滞在でき、就業・就学も可能となると演説したのです。
5年の時点で永住権の申請ができるようになり、さらにもう1年滞在することで、市民権を得る資格が与えられるという構想も打ち立てました。
首相の報道官によると、現在香港にいるBNOパスポート保持者はすぐにイギリスに渡航でき、通常の入国審査を受けるだけでよく、また、ビザ取得に当たっての年収制限もなくすとのこと。
実際にこの演説の内容は2021年1月31日から申請可能となりました。
一方で、中国政府も、1月31日からBNOパスポートを旅券と認めないと発表しました。ただし、従来から香港市民は中国大陸に入境の際はBNOパスポートを使うことはなく、必要なのは香港政府が発行した旅券や身分証など。一方、BNOパスポートが必要となるのはイギリスはじめBNO旅券が必要な国への入国時のみ。つまり、中国政府の発表にはなんの拘束力もないのでした。
ジョンソン首相、香港の300万人にイギリス市民権への道示す - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/53259716
イギリス、香港市民への特別ビザ開始 30万人が申請か - BBCニュースhttps://www.bbc.com/japanese/55882848


このように中国への内政干渉ともいえる措置をイギリス政府は保持し、香港市民もそれゆえに手放せない大事なパスポートになっていったのです。

さらに持っていたオーストラリアのパスポート。香港市民の誰もが英語が流ちょうというわけではないようですが(よくそういう描写を香港映画で見かけました)、上流階級や勉強熱心な家庭の人々は英語が堪能。
英語が話せる元イギリス領、そして国土が広くて移住の受け入れに寛容な国はねらい目でした。香港返還前にはカナダとオーストラリアにパスポートを求めて、殺到したのです。そしてパスポート(つまり市民権)を取得できると、香港の様子をみては、住み慣れた香港へと戻っていく人が多いのです。
目の前の女性はとても、のんびりとした風情を醸していたのですが、彼女はかほどに生き馬の目を抜く社会を生き抜いてきた人物とは。
今や日本語も英語も堪能な息子はイギリス居住をし、身分も安定。
そして彼女は香港住まい。
なんともたくましい生き方です。中国政府の苛烈な政策に対峙するのではなく「上に政策あれば、下に対策あり」の小市民の知恵。
イギリスという国は、いろいろな人々のエッセンスで成り立っているのだと、改めて感じ入ったのでした。
2019年7月から8月にかけて訪れたイギリスは、どこを向いても興味深く、散歩の楽しい日々でした。
当時すでに、物価は日本の感覚の1.5倍から2倍で「あれ、日本って貧しくなってる?」と思った最初の国でした。
イギリスの冬は夏目漱石も苦しむほど寒く、日が短く、精神に堪えそうですが、それ以外の季節なら、歴史も不思議もあふれ、思索も充実の環境の整った国でした。

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二度目のロンドン74 香港の人3

2025-04-13 15:36:08 | Weblog
ノッティングヒルズの古書店にて。この中に置かれている書籍「JIMMY CHOO」。日本の百貨店でも見かける有名ファッションブランドだが、このブランド名ともなったジミーは、1948年にイギリス領マラヤの直轄植民地ペナン生まれ(現マレーシア)。
 長じてイギリスに渡り、両親も彼の店の立ち上げ時にイギリスに移民として移住した。彼が作る靴はダイアナ妃はじめ、各国セレブが愛用し、評判となる。1996年『ヴォーグ』イギリス版の編集者とともにブランドを立ち上げたものの、あくまでオートクチュールにこだわる彼はブランドを離脱。かわって、中心となったのが彼の姪のサンドラ・チョイ。ずっとジミーの元で靴を学び、ブランド設立時から一貫してクリエイティブディレクターとして活躍している。彼女はイギリス・ワイト島に生まれ、生後すぐに香港の祖父母の元で育った人物。現在も同ブランドの中心だ。
 このような大英帝国時代からの自由な移動を可能にしているのが、イギリス政府が発行し、更新しているパスポートだといえよう。

【歴史のはざまに浮かぶBNOパスポート】
ここで香港の歴史のおさらいを。

1840年にイギリスが清国(中国)にしかけたアヘン戦争に勝ち、1842年に今の香港の一部がイギリス領になりました。その後も戦争や事件を起こしては、香港の領土を広げていきます。

そしてアヘン戦争から58年が過ぎた1898年には九龍半島北部の新界と呼ぶ深圳河までの地域を99年後に返還するという期限つきの租借地としました。現在の香港領の完成です。

以後は中国が共産党と国民党の覇権争いが続き、間に日本の占領などを経て、戦後は再びイギリス政府機関が元に戻りました。

 それから84年の時を経た1982年。植民地支配の時代が終わり、イギリスのサッチャー首相が訪中。そこから急に「香港返還」の約束を果たす話が進みだします。そして本当に約束の年の1997年に返還されたのでした。

その時の約束は「一国二制度」。

当時、香港市民の多くが自由の空気を謳歌しており(香港映画も隆盛や香港スターが日本でコンサートをひらいていました。私の友達もイソイソと駆けつけては黄色い声援を送り、映画を見るために広東語を学んでいた人もいました)、もともと歴史的にも不安定な中国から脱出してきた人々及びその子孫中国が支配することに嫌悪感を抱いていましたので、中国に飲み込まれるなんて、ありえなかったのです。

そのため人生に保険をかけるために、多くの市民がイギリス政府が発給したパスポートを持ち、更新し続け、なおかつ、海外への移住権も確保して、いつでも香港を飛び立つ算段をつけたというわけ。

案の定、10年タームで一国二制度の約束はグダグダになり、ついにBNOパスポートは香港市民だけでなく、イギリス政府にとっても政治の手札となっていったのでした。                   (つづく)
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二度目のロンドン73 香港の人2

2025-04-05 16:33:53 | Weblog
ケンジントン宮殿内で見られる陶器の壺。ヨーロッパ中が中国陶器に魅せられていた。江戸時代中期以降は日本の伊万里焼なども輸入されるようになり、存在感を高めていく。

【今も生きている英国政府発行の香港市民パスポート】
中国返還(1997年)前には香港ではイギリス政府がパスポートを発行していました。パスポートというものは一度作ると、更新を止めることは中国政府であってもできません。

英国海外市民(British National Overseas、略してBNO)パスポートと呼ばれていて、イギリスにビザなしで渡航でき、イギリス国民と同じ160か国以上に自由に渡航できる、中国政府発行のパスポートより使い勝手のいいパスポートなのです(中国のパスポートは2024年現在88か国。)

完全にイギリス人と同等の権利ではないのですが
(英国で居住したり、労働したりすることはできない)、
2020年のニュースでは香港市民の35万人がこのパスポートを保持しているとのこと(BBCニュース2020年7月2日https://www.bbc.com/japanese/53259716)新規の発行はないので、中国返還以後生まれの人はどう逆立ちしても持ちえませんが。

また中国への返還前は、カナダやオーストラリアに移住する人が多い、という話は新聞などで読んで知ってはいました。
まさにそのパスポートが目の前に出てきたのでした。

頼んでもいないのに、その貴重な自身の身分証明書を見せるという状況から察するに、やはり自慢なのでしょう。

そのときは、二つ持ってる人っているんだ、派手な金色の模様だなあなどと驚いただけで、あとは

「あそこの料理がおいしいのよ」

という世間話と息子の自慢話という、おだやかな会話に終始してお別れしました。
でも、その後も、この光景は私の胸に刻まれました。
なんといっても、香港の歴史が生み出した複雑さが反映しているからです。
(つづく)
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