雲南、見たり聞いたり感じたり

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スペインとポルトガル107 エル・グレコ美術館(トレド)

2023-06-25 15:50:45 | Weblog
写真はエル・グレコ美術館の外観。美術館というより、私邸を開放したという雰囲気だ。

【エル・グレコ美術館(Museo del Greco)】
トレドのトラベルガイドに必ず登場するエル・グレコ(1541-1614)。彼が描いた対岸からみたトレドの景色は、今も変わらないと言われます。トレド・トレイン・ビジョンの時に、このブログでアップした、あの景色です。

エル・グレコは「ギリシャ人」という意味のイタリア語にスペイン語の定冠詞「エル」がついたあだ名です。本人は絵にサインを入れる時はギリシャ文字で本名ドメニコス・テオトコプーロスと入れていました。ヴェネチア領クレタ島に生まれ、後半生をトレドで暮らしました。

エル・グレコの絵は、一度、見るとけっして忘れることができないインパクトがあります。気迫でしょうか? 傑作と呼び声の高い絵ほど、その傾向が強いのです。白が浮き出た皮膚の感じと、人やものが縦長に伸びて、溶けているような不思議な絵。見つづけていると、荘厳な精神性が流れ込んでくる感覚があるのですが、一見したときの正直な感想は「少女まんがっぽい」でした。

手足が長く、小顔でほっそりとした人物群、中心キャラが立つように配された独特な構図、よくみると目にはキラキラの星だって描かれています。

縦長に伸びたぐにーん感は動きを動きのまま、とらえようとした工夫のように思えてきます。彼の絵の発する独創的空間には、詩的寓意がたっぷりとつまっているよう。鬼気迫る感じで怖い。

もし、自分がこの画家に肖像画を頼んでこんな絵が渡されたら、悩むなあと、ありもしない妄想が膨らんできました。じっさいに教会が彼に宗教画を発注し、出来上がった絵の受け取りを拒否したり、破格の値下げ交渉をして、応じざるをえない状況にエル・グレコが立たされたり、といったことがあったようです。

そのような独特の人物画に比べると、風景画はじつに精密で、彼の力量の確かさがわかります。

エル・グレコの大作はマドリードのプラド美術館やトレドのサント・トメ教会が有名ですが、この美術館は彼の絵と至近で向き合うには適した空間だと感じました。

もともとエル・グレコが住んでいた地区の廃墟を1906年にベガ・インクラン侯爵が購入して修復し、彼が生きたころの調度類を並べ、海外に流出しかけていたエル・グレコの作品を私財を投じて買い集め、1912年に公開したのが始まりの美術館。別名「エル・グレコの家」とも呼ばれていますが、前述のとおり、本当の家ではなく、その近くに住んでいただろう、という場所です。

いまは国営ですが、そもそもがスペインのパラドールの祖をつくるなど、スペインツーリズムの礎を築いた侯爵が手掛けた美術館。氏のなみなみならぬ情熱のなせる業か、驚くほど素直にエル・グレコの絵に向き合うことができました。
                        (つづく)
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スペインとポルトガル106 モーロ博物館(トレド)

2023-06-18 10:48:17 | Weblog
モーロ博物館内に展示されていたイスラム式水道管の一部。一見、青銅製かと思ったが、焼成煉瓦の上に釉薬をかけて仕上げた、と解説がついていた。

【モーロ博物館(MUSEO TALLER DEL MORO)】
トレドでもっとも混むサント・トメ教会の近くにあり、14世紀のムデハル様式の建物がよく保存されています。当時のイスラム由来の水道管の一部、装飾された井戸の縁石などが一つ一つ丁寧にガラスケースに納められ、詳細な解説が英語でもついています。

博物館内に掲げられていた19世紀半ばにこの建物を描いリトグラフを見ると、当時、建物の立派さは知られていたものの、人が住んだり、寺院になっていたりというこてはすでになかったようで、馬でそのまま通過したり、倉庫に使われていたような、荒れ果てた様子。

「なんか昔はたいした建物だったらしいぜ」
「へえ、そういや、風格があるな」

なんて声が聞こえてきそう。
1931年に歴史的建築物として国の指定がなされ、1963年に整備されて博物館として公開されました。トレドにあるイスラム建築を構造から知りたい方にはおすすめです。
https://cultura.castillalamancha.es/museos/nuestros-museos/museo-taller-del-moro
※上記のような小さな博物館がトレドのあちこちにあります。さすが、歴史の混み入りと、ある時から時が止って17世紀から完全保存された街ならではの深さ。
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スペインとポルトガル105 西ゴート博物館・下 設立のわけは?

2023-06-11 10:29:54 | Weblog
写真はトレドで最も有名な名所であるサントトメ教会とカテドラルをつなぐ道沿いの小さな教会エル・サルバドール教会(Iglesia del Salvador)。古代ローマ時代の遺跡の上に建っていて、壁はローマ後期から西ゴート時代に建てられたままのもの。建物全体は9世紀のイスラームのモスクで、その後、塔を建てて教会とした。教会に設置された解説文には「初期キリスト教会もしくは西ゴート時代の教会の形態を残すユニークなピラスター(壁の一部を張り出した柱形)などが見て取れる」と書かれている。見落としがちだが、ローマ時代の生の遺構を見ることもでき、トレドの複雑な歴史を体感できる。


【フランコの後継指名の時期に開館】
 スペインの人にとってはどうやら常識らしいのですが、私自身が西ゴートをあまりにも知らなすぎると思ったので、もう少し調べてみました。するとスペインにとって特別な意味を持つ国だとわかってきました。

西ゴート王国はスペインで最初に築かれたキリスト教国です。そのため

「スペイン・ナショナリズムの文脈で繰り返し参照される存在であり続けている。」(※1)

 のだそうです。

 アルフォンソ6世が1085年にトレドを攻め落としました。これをスペインでは「奪還」と表現します。たんに堅固なイスラム拠点を落としただけはなく「かつて西ゴート王国の首都であったトレドを取り戻した」(※2)ことを意味しました。つまり、イスラム側にとってもキリスト教側にとってもレコンキスタの文脈でたいへんなインパクトがあったのです。

となると、この博物館の成立年が気になってきました。するとやはり、意味ありげな年月日が浮かんできました。

西ゴート博物館がトレドに建設されることが法令化されたのが1969年5月6日。この年は長くスペインを独裁していたフランコ(将軍)が、後継者に前国王の孫、ファン・カルロスを指名した年です。その時の公告を(グーグル翻訳で)読むと、

「西ゴート時代は伝統的なスペイン人の団結精神の基層をなす」(※3)

と定義した上で、

「そのためこの博物館をトレドに設置する」

と書かれています。実際に翌年に開館しました。


※1 『スペインの歴史を知るための50章』立石博高、内村俊太編著、明石書店、2016年10月
※2『一冊でわかるスペイン史』永田智成、久木正雄編著、河出書房新社、2021年3月
※3 州官報:https://www.boe.es/boe/dias/1969/05/06/pdfs/A06778-06778.pdf
(つづく。次回はモーロ博物館です。)

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スペインとポルトガル104 トレドの博物館① 西ゴート博物館・上 

2023-06-04 17:27:45 | Weblog
西ゴート博物館にあった展示物の一つ。龍の首が長くて胴体があり、首の先にはあわれ、人が飲み込まれようとしている。

【博物館めぐり】
トレドについた翌日は日曜日。日曜は驚くべきことに博物館、美術館の多くが無料開放になっていました(場所によっては午後だけといった時間指定あり。)いずれも無料だというのにまったく混んでいませんでした。
トレドは星の数ほど博物館、美術館があるので、あまりサイトで紹介されていなかったり、見るコツが必要だったりしたところから紹介します。)

西ゴート博物館の入口。

【西ゴート博物館】
まず西ゴート博物館。「西ゴート」という単語は私の人生で記憶にあるのは高校時代の世界史の教科書のなかの数行のみ。たしか

アジアからフン族が移動したことによって、ゲルマン民族の大移動がおこり、「西ゴート」が5世紀初頭、ローマ帝国の首都ローマに迫り、ローマ人を震撼させた

みたいなことが書かれていたなあ、ぐらいしか記憶がありません。ある意味、興味津々。

改めてスペイン史をみると西ゴート王国はイスラムに攻略されるまでトレドを首都として200年弱(560年代~711年)栄えていたそうです。日本の歴史で考えると奈良時代に入る前に滅亡し、その地に他の文化が栄えたわけですから、美品はほとんどないのですが、19世紀にトレド郊外の農地で、石柱のかけらや「最後に貴族らが逃げる時に埋めたのでは」といわれる宝飾品が発現しました。それらを中心に本物やレプリカが展示されています。

博物館は13世紀に建てられたムデハル様式のサンロマン教会にあり、西ゴートの建物ではありませんが、建物自体にも歴史があり見ごたえ十分。木組みがすばらしく、荘厳です。

さて西ゴートの品々を一言でいうと、素朴。かといって振り切った独自性があるわけでもない。精巧なギリシャ彫刻の対極にあるような石の彫刻物が並んでいました。この感じは、中国の歴史展で殷の時代の精巧な青銅器を見た後に、漢の時代の昔のものをまねて量産化していってだんだん、形がゆるくなっていった墓に納められた品々を見ているよう。

そんな中で一番印象的だったのが、人がドラゴンに食われている石像でした。ヘタウマ系のためぱっとみ、よくわからなくて、かわいげすら感じるのですが、よく見るとモチーフが狂暴で、戦闘的。ただわかろうとして逆に見入ってしまい、後々まで記憶に残りました。

解説がスペイン語でほとんどわからなかったのですが、ローマ式の石柱の一部や鋳造された十字の花弁のようなものやコイン、鍵、などの小品からローマ文化の影響が感じられました。
日本では西ゴートを主題にした展覧会や、研究書は多くないので、行く価値はあります。
https://www.arukikata.co.jp/web/directory/item/102274/

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