雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

中国一、子供がゆうかいされる街2

2007-04-27 17:49:22 | Weblog
写真は厳家地の中心にあるバス停。もとはテン池周辺にある水分を含んだ農地だったが、テン池が年々、縮小し、陸地となった。

【一日、放っておかれて・・】
 これら昆明の周縁部の労働者用バラックに住むものの大半は、昆明から遠く離れたところからやってきた出稼ぎ労働者だ。隣接する四川省からが多いという。
 彼らはまず自分の仕事を見つけ、さらに昆明に他にも仕事があることがわかると、次に妻を呼び寄せる。さらに村の親戚たち、と続く。

 そのうち昆明の戸籍を持たない子供が生まれる。そういった子供達は、当然、お金のかかる保育園などに通えるはずもなく、小学校さえもあやうい。さりとて中国では一般的な子守をしてくれる年寄りも近くにはいない。だからおぶえない大きさにまで成長した子供は親が帰るまで放っておかれるのである。そういう子供たちがおもに誘拐のターゲットになる。

 ある誘拐団の供述によると、手口はおそろしいほど簡単だった。
 下手人は道が無人なのを見て取ると、子供を抱えて車に乗せるだけ。ときには飴やアイスキャンディで子供を誘うこともある。そうしてたいした苦労もなく、彼らは子供一人当たり一〇〇元(約1600円)を手に入れる。ウエイトレスの月給の4分の1だ。

【白昼堂々、車で】
 以上は放置した親の油断をついた事件だ。キャベツ畑からキャベツをとるかのごとく、誘拐団も労なく、連れ去っていることからもわかる。

 これならば子供をきちんと管理すれば事件を防ぐことが出来る、と新聞を読みながら冷静に分析していると、やがて防ぎようのない事件が次々と新聞にあらわれ始めた。以下はほんの一例である。

1,わが家が住んでいた厳家地でのこと。ある夫婦が週末に野菜を買いに行くために家に鍵を2つ掛け30分留守にした。帰ると、ハイハイすら出来ない赤ん坊が消えていた。

2,やはり昆明市の周縁部での話。ある女性が子供を連れて買い物に出ると、軽乗用車が近づいてきた。急にドアが開き2人の男が飛び下りるやいなや、無理やり女性の手から子供を奪い、車で逃亡していった。

3,親がいなくなるのを見計らって、隣家の女性が窓を割って入り、子供を盗もうとした。

 あまりにも短絡的で強引な事件に唖然とした。そこで私は娘を連れ歩くときには緊張をとぎらせることなく、必ず道路側を私が歩き、娘の手は痛いほどにしっかりと握る。また、男の子の連れ去りの方が圧倒的に多かったので、わざと娘の髪を伸ばして、これ見よがしに垂らすことにした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国一、子供が誘拐される街1

2007-04-20 17:53:17 | Weblog
今回は、おそろしい事件の話です。でも本当の話です。しばらく続きますが、おつきあいください。(もしかしたら、この記事を書いた後、ブログがしばらくアクセス不能に陥るかもしれません。以前、中国の暗部を書いた記事の後、しばらくブログのアクセスが外部からできなくなりました。事情は定かではありませんが、それが偶然の出来事だったことを祈ります)

写真は昆明のバス停留所の「尋ね人」のポスター。多くが年端もいかない子供を捜すためのものだ。薄いコピー紙に子供の写真と名前、年齢、失踪日時が記されている。親や親戚が一枚一枚、貼って回る私的なポスターなので、翌日にはたいていはがされている。

【300名以上の子供が消え・・】
 2004年4月の新聞に、子供の写真を持った50人以上の親たちのデモ行進の記事があった。「ちょっと目を離したすきに子供が消えた」「学校の帰り道に行方不明になった」と警察に訴えている。昆明についたばかりの私にはあまりにも日本の常識からはかけ離れた事件なので、そのデモの意味すら頭に入らなかった。

 その3ヶ月後の7月21日
「100日間かけて、児童を誘拐して売買する犯罪を打撃する」
 との見出しで新聞各社は一斉に児童誘拐事件を掲載した。北京発の中央電視台(中国唯一の国営放送。日本のNHKのようなもの)のテレビニュースでも「昆明市の児童誘拐が突出している」というニュースを伝え始めた。

 それによるとなんと、2000年以降だけでも、昆明市内の児童失踪数は352名を数えるという。4月のデモは氷山の一角だったのだ。

 とくに連れ去りが多いのが金星、福徳、厳家地、小バイ、テン池路地区、という。厳家地は私達の宿舎のある地区で、そこからバスで20分程行くと田園風景から別荘地、やがて市のはずれであるテン池へと辿りつく。

 これら地域の共通点は、経済発展に伴って市が急速に拡大した結果、現在、開発途上の周縁部だということ。アスファルトで固められた6車線道路が田畑の真ん中にでき、役所関係の立派な施設が次々と造成され、不動産会社によって先行開発された富裕層向け大型マンションが作られる。
 その周囲には、必然的に開発のために集められた労働者のための、今にも崩れそうなレンガ造りのアパートと、小さな食堂、市場という、急ごしらえの町が出来上がるのである。(つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春を告げる菜の花畑2

2007-04-13 17:36:57 | Weblog
写真は、料理店を回る廃油回収業者。集めた油を漉してから豚の脂からとれるラード風に固めて、また料理店に卸すこともあるという。もちろん、衛生面などで問題視する人は多い。

【油がはねる?】
 雲南では、量り売りのタイプの菜種油は日本でもおなじみの、黄金色で透き通ったタイプと、半精製品の茶色のタイプの2種類があった。

 日本の感覚で考えると前者のほうが値段は高いように思うのだが、値段は変わらないし、人気も同じぐらいだった。砂糖でいうと「白砂糖」と「黒砂糖」のようなもので後者のタイプには独特の味や香りがあるようだ。

 まずは気軽に、と黄金色のタイプのものを使ってみた。鍋肌に油を注ぐと、何も具材を入れないうちから、不思議とよく跳ねる。どうやら水分が完全には分離されていないらしい。どうにも気になるので、全国流通品の工業製品化された浙江省産の菜種油や香港産の油を買ってみたが、やはりよく跳ねた。日本では考えられない現象だ。

 その後、中国の新聞を読むと「表示と異なる」油が検査機関で問題になって取り締まりの対象となっていた。雲南ばかりか中国全土で売られている油の半数以上が重さ不十分、または実際とは異なる油が入っていた、他の液体を混ぜて売っていたというのだ。やっぱり、という気がする。

 雲南省は中国の菜種の4分の1を産し、羅平県はその最大の産地だという(2007年3月16日、朝日新聞)。地元の人が羅平県の菜種油と聞くと、つい並んでしまうのは、昔からなじみのあるブランドだということと、産地直送の安心感だろう。まぜものがないことを信じて、今日もおばあさん達は並んでいるに違いない。

●おまけ

 先月、所用で天津に行った。やはりここでもスーパーマーケットの特売の目玉は菜種油。また、おなじみの大豆油、コーン油などと並んで、雲南では見たことのないイタリア産と書かれたオリーブオイルが結構な場所を占めていた。

 雲南の南部、シーサンパンナでオリーブオイルが作られ、肌に塗り込むものとして、時折、土産店で売られていたが、中国で食材として売られているのを見たのは、初めてだった。半年前に訪れた雲南でも上海でも見かけなかった。

 中国の豊かさが拡大しているためなのか、はたまた外国人生活者の多い天津ならではの光景なのだろうか。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春を告げる菜の花畑

2007-04-06 11:46:32 | Weblog
 写真は昆明から大理へ行く列車の車窓を埋め尽くす菜の花畑。雲南の春は菜の花で埋め尽くされる。

【羅平県のなたね油】
乾期が最終を迎える3月から4月にかけて雲南省の高原地域は黄色い絨毯に覆われる。菜の花畑だ。なかでも近年、観光に力を入れているのが昆明市から東にバスで1時間ほどのところにある羅平県。一斉に咲き出すと雲南省ではマスコミ各社が写真付きで紹介するので省内では有名だ。

昆明の街角には、「羅平県の菜種油」とペンキでぞんざいに落書きされたような小さな雑貨店をよく見かける。菜種油の専門店だ。スーパーマーケットが勢力を拡大しつつある中で徐々に店舗数は減りつつあるが、雲南の人に昔から親しまれている。

またスーパーでも「羅平県の菜種油」の大安売りと銘打てば、年金ぐらしのお年寄りを中心に5リットル入りの空のペットボトルを抱えた人々の行列ができる(雲南ではペットボトルのリユースは当たり前。廃品回収業者でも結構な値段で引き取ってくれる。)

大抵、キロ単位での購入となるが、おとなしい雲南の人たちにしては珍しく
「量が少ないんじゃないの?」
「ほら、ちゃんと量ってごらん。うちの量りは正確だよ」
と言い合うほど、菜種油の安売り場はエキサイトする。

炒め料理の多い中国ではかかせないものの、1リットル10元(約160円)以上と中国の食料品としては値段が高いので、真剣味に迫力が増してしまうようだ。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする