雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

雲南のこんにゃく④

2012-03-23 13:40:43 | Weblog


写真上は、こんにゃくの花から作られた新しい花。ミャンマー国境に近い徳広の雲翔航空花卉有限公司と昆明市の研究所が共同で育成に成功したという。雲南南部の熱帯雨林の密林で苗を採取し、特殊技術で作り上げたことが雲南省副主席はじめ、多くの政治関係者やマスコミの賞賛の的となっていた。
写真下はその会場となった昆明国際展示場。当時、会場脇には巨大なウオルマートが忽然とそびえていただけだったが、今や市の面積が拡大し、巨大マンション群が建設されて、街の便利なショッピング街となった。

【こんにゃくの花】
 こんにゃくの花を見たことがあるだろうか。もしくは、嗅いだことが。

 こんにゃくの花の匂いをかいだ芸能人が「クッセー!」などと叫んで後ずさりする光景がテレビで時折、見られるが、そういう臭いである。

 スマトラ島原産で世界最大の花(本当は花とそれを包むほう苞らしい)といわれる「ショクダイオオコンニャク」(燭台大蒟蒻)は臭いも世界級クラスの強烈な腐敗臭らしいので、同じサトイモ科コンニャク属である限り、その臭いは宿命なのだろう。

 形としては、春先に、日本の関東近辺の林を歩き回ると暗く、下の方でうなだれたような「うらしま草」とか「まむし草」と呼ばれる紫がかった、陰鬱な花らしきものを見かけるが、この芋系の特徴的な形の花をしている。

 なぜ、これほどまでにこの花の形に詳しいのかというと、じつは昆明では、観葉植物として花市場で売られているからである。さらにはバイオテクノロジーを駆使した「こんにゃくの花」の展示会を昆明で偶然見かけたことがあるからなのだ。

正確には2004年9月8日から3日間、昆明市中心部と昆明の飛行場の中間にある国際展示場で「2004中国昆明国際花卉展」が開かれ、その中の一つとして出品されていた。昆明市高[竹/青]野生花卉馴化保護研究所などが蒟蒻科の野生植物を使い、4年かけて開花させたもの、と新聞などでも大きく取り上げられ、その展覧会の目玉の一つとして注目を集めていた。黒くて、チョウチョのようなド派手でちょっと恐ろしげな花だった。この花が販売されるとしたら、どのような方が買うのだろう、と不思議に思ったが、蘭の愛好家の多い土地柄だけに、同じ環境で育てられるのが魅力となるのかもしれない。                    (つづく)
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雲南のこんにゃく③

2012-03-16 09:51:42 | Weblog
写真は雲南省中部の文山地区の峠道のお食事処にて食べたこんにゃく料理。雲南から広東省に抜ける小さい道ながらも主要道のため、トラックなどの運送業者が卓を囲んでいた。こんにゃくと季節の野菜を地元の味噌やたっぷりのとうがらしで炒め煮にしたもの。さっぱりとしてごはんに良くあった。

【悪魔の芋?】
「磨」という字は、石臼で挽く、という意味があるので、こんにゃくの作り方を考えるとこの字が正しい書き方なのだろうが、現在、中国では「蒟蒻」という字はおろか「磨芋」という言葉も辞書にはあるが使われてはいない。雲南、四川では「磨(す)る」のではなく「魔(性の)」字を使った「魔芋」が一般的な呼称となっている。発音は同じだ。

 あの、黒々とした子どもの頭ほどの物体、けば立った里芋の親玉風の中央からピンク色の角を突き出したこんにゃく芋を見てしまうと、「魔」芋という字がぴったりなように思えてくるのも不思議なものだ。

 ちなみに『雲南植物志 第二巻』には、上記の呼び名の他にも、「花梗蓮」、「虎掌」、「花傘把」、「蛇頭根草」(江西)、「花麻蛇」(雲南・思茅)「南星」、「天南星」(広西の河池)など十数種類もの別称が載っている。この塊茎で「豆腐」を作ったり、製紙その他の工業用にも使われたりしていることが紹介されている。

 司馬氏はじめ、多くの方がいっておられるのだが、こんにゃくは中国人の大半を占める漢族の食物ではなく、山間の少数民族の食物の一つだったのだろう。「魔芋」以外の呼称の多さも山ごとに呼び名が変わる複雑さがそのまま保存されたもの、もしくは、山の中で見る隠花植物としてのグロテスクな花の姿から、つけられたもの、といえるだろう。      (つづく)

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雲南のこんにゃく②

2012-03-04 10:07:38 | Weblog
写真は、昆明のお隣の町・宜良の市場にて。洗面器に無造作に置かれているが、こんにゃくはだいたい、500グラムか1キロの塊に切り分けて売られている。しかしこのあたりのこんにゃくが日本のものと違って黄色みがかって見えるのだが、いったい何が使われているのだろうか?
 こんにゃくの右後方の洗面器にはもやしが、左後方には空豆を脱色したような豆が入っている。いずれもいためものや、冷菜に使うとのことである。

【司馬遼太郎とこんにゃく】
 司馬遼太郎の『街道を行く 中国・蜀と雲南のみち』に「コンニャク問答」という一章がある。中国西南地域のこんにゃくを調査しようと奮闘していて興味深い。

 諸橋轍次の『大漢和辞典』の蒟蒻の項に紀元後300年前後を生きた山東省出身の儒学者・左思が書いた当時の超ベストセラー『三都賦』の中の「蜀都賦」に「蒟蒻」が出ていていることから司馬氏の論考は始まる。

 その注には蒟蒻の植物としての特徴をのべ、かつ蜀人はコンニャクの地下の球茎のほうを
「頭ノ大イナルハ斗ノ如シ。其ノ肌ハ正ニ白ク」とのべて

灰汁ヲ以ツテ煮レバ則チ凝成ス。・・・蜀人、焉(これ)ヲ珍ス。

 とあることから四川人は三国の蜀漢のころからコンニャクを珍味として食べていたと司馬氏は指摘する。さらに「苦酒ヲ以ツテ淹シ、コレ食ス」、つまり苦酒は酢なので、酢に漬けてこんにゃくを食べていたことから、「四川人はまことに小気味のいい味覚をもっていたといっていい。」と、解説している。

 そこまで文献を読み込んでいた司馬氏は「蒟蒻」という漢字を書いて、四川の人々に尋ねて回るのだが、誰も知らない、こういう文字も知らない、といわれて途方にくれてしまうのである。

 結局、通訳の方に、こんな形でこういう味でなどと具体的な説明を四川の人に述べてもらったところ「それは磨芋豆腐のことです。雪磨芋ともいいます。」と教えてもらい、食べる場所をアテンドしてもらって、食べにいく。結局、それほどまでの努力も実をむすぶことはなく、「こんにゃくの季節ではない」ということで見ることも食べることもできずにこんにゃく探索の旅は終了してしまうのであった。

 ちなみに「雪磨芋」は凍みこんにゃくのこと。その後、司馬氏が調べたところ、清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)のコンニャクの項に別名として「磨芋(みがきいも)」とあるのを発見。「室町期には禅僧の中国留学が流行し、宋語、元語がずいぶん日本語に入ってきたが、そのなかに「磨芋」という四川語もまぎれこんで入っていたのだろう」と推測している。
                                     (つづく)

*いつもお読みくださり、ありがとうございます。
 ほんと、このごろ、毎週書けない状態で・・・。次週は更新はおやすみとなります。
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