雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン49 神秘の巨石ストーンヘンジ③

2024-09-29 12:23:27 | Weblog
写真はストーンヘンジ。強風のため、視界近くは開けてきたときに撮影。周囲は白いままだった。

【奇妙な感覚】
ほどなくしてバスは停車。降りると、サーッと霧が晴れて目の前にストーンヘンジが現れた、というか立っていました。とはいえ円環に組み合わさった巨石の間を抜けたり、近づいたりすることはできず、5メートルほど先から眺めるだけ。周囲はロープで仕切られているのです。
 さらに周りには比べるための木々すらないので、本当の大きさが実感できません。

ただ夏至の日だけ開放されるそうです。

ひとまず相変わらずの雨風に前傾姿勢をとりながら、巨石群を一周しました。目を必死で開けてなんとか見た、といった感じで、いろいろと感じる余裕はありません。

 ただ、風よけに使っているのでしょうか? 一匹の真っ黒なカラスが、ストーンヘンジの巨石の横にちょこんといました。巨石に近づける、うらやましいカラス。そして、きょとんとして、かわいい。濡れそぼっているはずなのに気にしていない様子です。

 霧にけぶり、こんなに寒い思いをしているのにストーンヘンジからは驚くほどなにも感じません。ぐるりと回りこんで、最後に巨石が門の衝立のようにみえる、正面らしき位置に立った時に異変が起こりました。
 長野の諏訪大社、出雲大社の裏にあるスサノオを祀る社などいくつか感じるスポットのものと同じ何か。ある、微妙な一筋の方向に立った時、なんというか石から声が聞こえてきたような気がしたのです。私が何か問うと答えてくれるような感覚がありました。
(たぶん、私は地球の磁場とかいった圧を人一倍感じやすい体質なのだと思います。そのような奇妙に感じる場所に昔の人は神社とかを建てたのでしょう。良くも悪くもパワースポットと言われているゆえんです。)

 よほど長く同じ場所に立っていたのでしょう。気づくと横に家人がいました。

「そこ、ちょうど真北だよ」

家人は方位のわかる時計を持っているのでわかるのです。真正面が巨石の門、その後ろを振り返ると、真後ろにはストーンヘンジ群の巨石とは違う材質の直径30センチもない丸くて固い、目印のような石がありました。ちょうど背中を見張られたような位置です。びっくりしました。
                         (つづく)
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二度目のロンドン48 神秘の巨石ストーンヘンジ②

2024-09-15 15:17:54 | Weblog
ストーンヘンジのある丘とその周辺。霧が晴れるとどこまでもなだらかで牧歌的な光景が続いていた。

【旅は移動の距離なのか】
小麦畑や自然の森などいろいろな緑が重なり合った色と広がり。都会ではない、未知の場所へ向かっているわくわく感。霧にけぶる景色をみているだけで、うれしさがこみ上げてきます。日々ロンドンを旅行している、と思っていたのに、毎日を同じ住まいで狭い範囲で動いているだけだと、旅のわくわくが薄れていくものなのかもしれません。

しかも、ただ動いているだけのではなく博物館や図書館、テニス観戦、演劇鑑賞すべてが超一流のものばかりに触れているというのに。遠出というのは「別腹」、まったく別の感情が沸くもののようです。これは贅沢病? 

 ソールズベリー駅からバスに乗り換えストーンヘンジへ向かいます。駅前のロータリーにはストーンヘンジツアー(StonehengeTour)社からの直通バスが出ていて、流れるように乗車できます。さてバスに乗っていると雨の様相がけわしくなり、たたきつけるようになってきました。終着地の「ストーンヘンジビジターセンター」駐車場に着くころには雨脚に加えて風も強くなっていました。バスを降りても「センター」のほかに周囲にはなにもなく、ストーンヘンジを頂点とする丘に向かって吹き上げるような、盛大な風が吹きすさんでいます。

さらに濃い霧につつまれてしまい、あまりに神秘的すぎる。そして夏なのに寒すぎる。濡れることと寒さが極端に苦手な私は、とにかく「センター」の建物に入って態勢を整えようと、木と吹き抜けのガラスで作られた立派なビジターセンターに入ることにしました。ここで少し雨宿りして様子をみよう。

そのことを一緒に来た家人に伝えようと見渡すと、なんと家人はすでにバスに乗るときに買ったチケットの一部を引き替えて、さっさとストーンヘンジのすぐ近くに行ける少し小さめのバスに乗り込んでしまっているではありませんか。これは私も行くしかない。

小型のバスに乗り込むと、悪天候のせいか、独特の雰囲気が漂っています。ある覚悟を持った雰囲気で雨よけのポンチョなどをすっぽりとかぶっていたり、雨なぞ平気と鉄壁のお心の様子がお顔に現れていたり。気持ちがゆらいでいるのは、もはや私だけ。

案の定、バスがビジターセンターから離れていっても、窓は霧で完全に白くなってきて何も見えません。雨風ともに、ますます大変になっていて、足元から吹き上げる水しぶきとなっていました。ストーンヘンジはどこ?
                      (つづく)
※パソコン不調につき、原因究明のために次週の更新はお休みになりそうです。暑さでパソコンもばてたのかもしれません。

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二度目のロンドン47 神秘の巨石 ストーンヘンジ①

2024-09-08 15:26:20 | Weblog
ロンドン最大規模の駅から特急で1時間23分でソールズベリー駅に到着。こじんまりとしたごくごく普通の駅だった。

【ソールズベリーへ】
ロンドンに来て10日目。私の顔は今朝も赤い、ザリサリします(原因は先週まで書いた通り)。
今朝は6時半に起床し、手早く朝食を済ませて、7時20分に家を出ました。目指すはストーンヘンジ。

なんだかよくわからない、巨石の丸い連なり(「環状列石」と呼ばれています)。日本のマンガやSFでもたびたび登場する神秘の土地。1986年には世界遺産にも登録されています。

 小ぬか雨のなか、ロンドンの複雑な地下鉄を乗り継いでウォータールー駅へ。イギリス最大規模の駅で乗降客数も最大、とウィキペディアにありますが、今まで訪れたロンドンの各駅とは一線を画した都会的で先進的な雰囲気の漂う落ち着いた駅でした。「ハロッズ(Harrods」の紅茶売り場など、いかにもロンドンの一流のお店が並んでいて、誰でも弾けるグランドピアノが広い空間にゆったりと置かれていました。

ここで最寄り駅のソールズベリー駅までの乗車券と特急券の往復を買うと一人1万円を越えてしまい、その高さに驚きました。片道204キロも移動するのですから考えてみれば当たり前なのですが、いかに今まで近距離移動だけだったのかと気づかされました。

 8時20分発の特急へ。西へ向かうほど列車はどんどん加速し、どんどん列車は加速し、たわわに実る麦畑と霧にけぶる林と田園風景を眺めていると、9時43分にソールズベリー駅に到着。
 雨のせいなのか、久しぶりに嗅ぐ、曇りのない、のどやかな空気に深い深呼吸をすると、肩の力がほぐれていくようでした。
                 (つづく)

※残暑でお疲れも出てくるころかと思います。ゆっくり休んで、せめて深呼吸をなさって、お過ごしください。

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二度目のロンドン46 水が問題⁉⑤

2024-09-01 10:34:41 | Weblog
クイーンズウェイ近くのシェアハウスの窓から見えるお隣の景色。表通りに面した部分はきれいに補修されていても裏から見ると、19世紀の香り漂う古風さが漂う。19世紀のシャーロックホームズも、現代のBBCテレビでヒットした『シャーロック』も同じマンションで暮らしていてもなんも違和感もないのがロンドン。古さに比重を置きつつも補修でつなぐ文化がすばらしくもあるが、基本的なインフラ部分の更新が難しくなる面もあるようだ。

【問題を先送りした結果】
1989年サッチャー政権下での民営化後、若干の水質が改善したものの、老朽化していく水道管などへの投資がほぼ行われないまま、今にいたってしまった。250個分プールの漏水もテムズウオーター一社だけの話で民間会社は10社あるので、もっと多いことでしょう。日本もいずれ訪れる他人事とは思えないこわい現実です。

 ならば老朽化した水道管の更新をすればよいと思うのですが、そのお金はない、といっていう水道会社。だのになぜか役員報酬だけは上がっているという歴然たる事実に市民の怒りは爆発気味。

このような水道環境の上に、ロンドンでは水道メーターがほとんど普及していないので、それぞれがどれぐらい使っているのかもわからない状況。当然、節水意識も芽生えにくくなります。

一方で水道メーターを取り付けると、はっきりと使用料がわかって水道代があがるのでは、と恐れる市民はメーターの取り付けに消極的ということもあるそうです。

こうして近代水道設備の最初期に普及したまま、放置され続けてしまっているのです。

水質水は安全とのことですが、ロンドン在住者の多くはミネラルウオーターを使用しています。

結局、水の中身は詳しくは追えなかったですが、実感としてわかるのは硬水なので、身体を洗うにしても石鹸はあまり泡立ちませんし、髪を洗うとなぜかゴワゴワしてしまいます。シェアハウスの方々も同意見だったので、これは割り切るしかなさそう。ロンドンでは敏感肌の方はくれぐれもご用心ください。
(この章おわり)
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二度目のロンドン45 水が問題⁈④

2024-08-25 13:53:59 | Weblog
写真はテムズ河河畔のヴォクソール(Vauxhall)駅周辺の再開発地区にある高級マンションの一つセントジョージワーフ(St.George's Wharf development)
。このあたりから下流域にかけて、不思議なデザインの新しい建造物が並ぶ。有名なところではウェストミンスター寺院の対岸には建築当時の2000年当時は世界最大の高さ(約135メートル)を誇ったロンドン・アイ(観覧車)など。19世紀には世界の物産が集積した船着き場であるドックランドなど、再開発しやすいロンドンの東側地域、つまりテムズ下流域地区の水道事情は新しいだけによいらしい。
 ちなみにシャーロックホームズが活躍した19世紀末にアヘン窟など治安の悪さで事件が起こる地区はロンドンの東側地域。ベーカー街は当時、水道などの近代設備が整った地域のちょうど西側地域の縁、という絶妙な場所だった。


【水道管の問題】
ロンドンで、疑問ももたずに、蛇口をひねると何はともあれ温かいお湯が出て、バスタブに簡単にお湯が張れていた我がシェアハウスの状況はかなり恵まれていようです。
 他の日本の方のブログなどをみると、ある程度お湯を使うと、あとは水になってしまったり、断水も起きたりいうことが、ままあるようす。

ロンドンは世界でいち早く近代化したために、水道システムが古く、更新するのがたいへんという、問題が一つ。
さらに
「日本のように地震国でもなく湿気が多くもないこの国では、煉瓦造りの家は半永久的にもつ。国民性も日本ほど生活の便利さに貪欲ではないから、古くからの住宅街では、建物の外観同様内部の設備も建てられたほぼ100年前と同じだ。」(武谷牧子『テムズのあぶく』日本経済新聞社、2007年)

 と日本のように建物を惜しげもなく壊しては新築する文化ではないので、古い配管からボイラーまでがそのままだと個々の住宅に付随する状況ということもあります。

さらに深刻なのが水道会社の体質です。
 2023年8月2日『東洋経済オンライン』の田中理氏の報告によると、

ロンドンを含む900万人が利用する上下水道を管轄する水道会社「テムズウオーター」が経営危機に瀕している、とありました。19世紀に整備された水道設備が老朽化し、現在、この会社だけで一日当たりオリンピック競技用のプール250個分に相当する上水道の漏水が起こり、大雨のときには汚水の処理もままならなくなり、河川や海にそのまま汚水が流入することが度重なり、そのたびに裁判所に罰金を命じられています。
 都市を流れる河川は、やはり大雨の後はおそろしく水質が悪化するもののようです。
             (つづく)

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二度目のロンドン44 水が問題⁈③

2024-08-11 16:38:42 | Weblog
写真はケンジントン・ガーデンズにて。ロンドンは水の都でもある。公園には湖が、そして街には水路や暗渠も多くある。

【硬度や溶け込む物質についての規定がない】
次に日本の水道をより細かく見てみます。公益社団法人日本水道協会ホームページでは全国の浄水場の詳細な水質検査データを公表していて、50項目に及ぶデータが列挙されています。
 たとえば東京都武蔵野市の境浄水所だと最高値のphは8.0で若干の弱アルカリ性ですが、ほとんど中性、ナトリウムやカルシウムは10mg/ℓ以下で基準値の200mg/ℓ以下よりはるかに低い数字となっています。
(近年、発がん性の疑われる有機フッ素化合物(PFAS)が流入していた、と新たに外部調査から指摘されてはじめて明らかになる事実もあり、すべての物質が検査項目に入っているわけではありません。)
※2023年6月23日付東京新聞https://www.tokyo-np.co.jp/article/255545

 まとめると日本の水はおおむね中性で軟水、つまり溶け込んだ物質がない、ということがわかります。

 次に同じくらいの精度のロンドンの水質検査データをウェブ上で探してみました。ところがヒ素や大腸菌量などの水質管理データはあるものの、硬水となるための物質の含有量までは見当たりません。
 硬度は公表されているのに残念です。(https://cdn.dwi.gov.uk/wp-content/uploads/2021/10/11171047/hardness-map.pdf)

 ただ、古いデータですが1989年の民営化後に行われた1992年3月の水質検査では硝酸塩が1ℓ当たり50mg以下とするEC基準を超えていることがわかりました。原因は農家が撒く多量の肥料が地下水に流れ込むため、とのこと。(https://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/077-2.pdf 2024年8月3日閲覧)
さすがにこの問題はいまでは解決されていると信じたい。

 さらに近年、水道水を調査したところ、水道水となる原水からはマイクロプラスチックが検出され、さらに処理された飲用水においても検出限界値以下ではあるもののマイクロプラスチックが検出されています。
(イングランドとウェールズの浄水場内の飲料水とその発生源におけるマイクロプラスチックの同定と定量化【JST・京大機械翻訳】 | 文献情報 | J-GLOBAL 科学技術総合リンクセンターhttps://jglobal.jst.go.jp/detail?JGLOBAL_ID=202002213653782589
 2024年8月8日閲覧)
日本のデータも調査したい項目しか検出されないので、すべて調べつくしているわけではないことは明らかですが、イギリスの水道水のデータは日本ほど公開されていないようです。

 そしてイギリスではそもそも飲料水の規定には硬度、カルシウム、マグネシウムの基準がありませんでした。
(https://www.dwi.gov.uk/consumers/learn-more-about-your-water/water-hardness-hard-water/)

となると、やはり詳細なデータを調べ、公表する義務はないことになります。
近代的な都市をいち早く作り上げ、水道設備を作った国に日本にはあるのに、詳細データがないなんてことがあるかしら、と調べてみるとロンドンの水道システムが、かなり危機的な状況であることがわかってきました。
                   (つづく)

※次週の更新はお休みします。暑さもここに極まれりとおもうほど、大気が焦げたような日中の日本となっております。どうぞ、どうぞ、お身体におきをつけください。暑さは目にもダメージをもたらすそうです。どうぞお気をつけて。(恐竜時代の恐竜の目は意外と見えてなかったのではないかしら、と最近思います。骨格しか化石がでてこないので、イラストをみると大きな目だけど、本当にそうなのか、と。暑さを目で受けとめて感じる実感・・)
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二度目のロンドン43 水が問題⁉②

2024-08-04 12:54:19 | Weblog
キュー王立植物園近くのテムズ河。ボートを一人、漕いでいる人もいた。汚泥もしくは砂利などを取る作業船も出ていた。水質は澄んではいないが、とくに悪臭もなかった。

【日本の4倍以上の硬度】
そもそも水が問題だと断定はできないのですが、どうやらロンドンの水に苦しんでいる日本人はけっこう多いようす。日本語で検索すると英国在住の日本人による手荒れしないハンドクリームの紹介や軟水へと変えるシャワーヘッドの紹介がたくさん見つかりました。
 枕詞のように冒頭には必ず「まず手荒れ、やがて乾燥がひどくなる」というロンドン生活の現状が書かれています。

日本はほとんどの地域が軟水ですが、それは世界的にみても珍しいことで、ユーラシア大陸の過半が硬水です。ロンドンも例外ではありません。

中国の雲南も硬水で、しかもかなり石灰岩質の水道で、飲用すると石が体内にできやすいと地元の人に強く勧められて飲用水はミネラルウオーターを購入していました。
 
 でもお風呂は水道水でした。たぶん硬水。しかも水道管の老朽化のせいなのか茶色くにごっていました。それでも、かぶれることはなかったです。

ロンドンの水は、見た目は透明です。問題はなさそうに思えます。でも、いろいろな地域を旅したなかでロンドンの水道水は私の肌には、もっとも合わなかった。

そこで水質をネットで調べてみました。

まず(総)硬度は、東京が50で、北京は360、ロンドンが220といったところ。(単位はmg/ℓ。60までが軟水。120以上が硬水。世界保健機構(WHO)のガイドラインによる。)
 私が暮らしていた雲南省昆明では環境局や水道局などのデータが新聞などでかつては公開されていたものの、現在、そのページにたどり着けないので、水質を自主的に調べた質問サイトを見るとおおむね220程度(https://bbs.tropica.cn/thread-1911313-1-1.html 2024年8月2日閲覧)でした。

 つまりロンドンと昆明は硬度が偶然にも同じでした。二つの地域は地盤となる岩石が白く、石灰岩質で有名なエリアなのでもしかしたら本来は似た水質なのかも。
           (つづく)

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二度目のロンドン42 水が問題⁈ ①

2024-07-28 15:31:45 | Weblog
ロンドンの老舗ハンドクリーム「アストラル(Astral)」。

【ちりめんのお肌】
ロンドンで過ごして一週間。明らかにお肌の調子がおかしい。

そもそも日本の「れんげ」化粧水を愛用していて、どこを旅するときも、たとえ国内の温泉旅館で一泊するときでもかかせないお肌のお手入れはこれ一本でした。それと手には、オリヂナル社の「ももの花」。祖母、母と我が家三代で愛用しているハンドクリームです。この二つさえあれば、お肌は万全で、他の化粧品は一切なしで過ごせます。

日本で愛用しているハンドクリーム「ももの花」。
オリーブオイルとスクワランオイルが入っていて、
最初はべたつくが肌なじみが私にはよい。

 ところが、ロンドンで予想以上のスピードで使ってしまうのです。原因はロンドンの水だと、考えました。明らかに風呂に入るたびに肌の乾燥が進行していく感じで、気がつくと湯水のように化粧水を使わざるを得ない事態に。
家人は

「ウインブルドンも行ったし、よく外、歩いているから、紫外線じゃない?」

といって私の肌の調子なぞ気に留めてはいない様子。

雲南にいたときも「れんげ」が底をつき、地元の化粧水を使っていたのですが、強い陽射しだったこともあり、以来、ほほにシミが。とはいえ雲南は一年に対して、ロンドンはほんの数日。底をつくのが早すぎる!

そして冒頭にお伝えしたように滞在1週間目になると、肌がピリピリしてきたのです。

 いよいよ手持ちの化粧水と「ももの花」がなくなったので、ロンドンの薬局へ行ってみました。

「ロンドンではもっともポピュラーで、顔でも手でもなんでも使えますよ」

と青いパッケージが印象的な「アストラル(astral)」という白いクリームのごく普通の製品を紹介されました。調べると1953年創業の保湿ハンドクリームでたしかにイギリスの「ももの花」的存在のようです(https://astralmoisturiser.co.uk/stories/)

 早速使ってみましたが、改善のきざしはみえず。それどころか翌日には顔が真っ赤にはれてお岩さんのようになってしまいました。
(けっしてアストラルのせいでないことは、日本に帰ってから使うと、普通にハンドクリームとして役に立ったことから証明されています。)

 この期に及んでも家人は

「日焼けした?」

 とのんきなもので心配する様子はなし。

翌朝、さらに顔が赤くなり、かゆさも加わってつらい。さらにその翌朝には顔にちりめんのようなしわまで出てきて、もうパニックです。

 ここまできて、ようやく家人が持っていたれんげとベビーオイルを貸してくれました。塗っても肌は相変わらず突っ張る感じなのですが、ベビーオイルが効いたのか痛みは、かゆみ程度におさまってきました。
 ちなみにこのベビーオイルは日本から持っていたジョンソン&ジョンソンのベビーオイル。米国製ですね。こちらは1938年から発売されている、やはりザ・ポピュラー。そして、私も時折、日本で使っていたもの。

 その後もロンドン滞在中は顔の表面がザラザラし、赤みがあるまま過ごすことになりました。洗顔のときにはミネラルウオーターを使ってから「れんげ」とベビーオイルでお手入れ。こんなに苦労したのに症状は完治せず。
 帰国したら皮膚科に行こうと考えていたのですが、帰国したらその必要もなく、あっという間に症状は治まりました。やはり原因は水だったのかしら?
                          (つづく)
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二度目のロンドン41 真夏の夜の夢2

2024-07-21 12:06:02 | Weblog
【真夏の夜の夢】
リージェンツパークを下見した5日後、いよいよパーク内の野外劇場へ観劇する日となりました。

日中は大英図書館で過ごして、いったん、シェアハウスに帰宅。昼寝をして体調を万全にしてから劇場へ向かいます。劇の開始は午後7時45分ですが、午後6時半にいくと開場されていて、人もずいぶんと集っていました。

写真は野外劇場のあるクイーン・メアリーズ・ガーデンズ(Queen Mary's Gardens) の入口にあるジュビリー・ゲート(Jubilee Gates) 

入場ゲートから劇場に行くまでの空間はツタの楽園で緑の植栽もほどこされていて、とってもおしゃれです。さすが元王立植物園予定地。
雰囲気のいいバーや食事処もありました。

 持参したサンドウィッチとバナナにバーで生ビールをプラスして、このおしゃれ空間の木の机に広げて、ゆったり過ごしました。食事処が充実していると知っていれば、持参することもなかった、とは思ったのですが、おおらかな雰囲気で持ち込み可のようでありがたい。

食べ終えてもなお頭上にはまだ青空が広がっています。とはいえ日はさすがに斜めになって赤が多めの光線になってきました。
さて劇場へ。すり鉢状の客席の中央に石の舞台が見えます。さながらローマの野外劇場のよう。舞台の後ろにはそのままパークの高い木々がそびえ深い森を予感させ、とても神秘的。

1240席(リージェンツパーク発表https://www.friendsofregentspark.org/)ある広い劇場の中で私の席は後ろの方、つまりすり鉢のヘリに当たります。空間の一番高いところに座ることになるので、見晴らしは最高。劇は見えないかな、と思ったのですが、はじまってしまえば杞憂でした。

開始時刻が近づくと日が弱くなり、風が急に冷たくなってきました。うまい具合に売店でおしゃれな足掛け毛布を売っていたので購入。観劇中、寒そうにしていたお隣のおばあさんにも掛けてあげたら、

「よい選択をされたわね。寒いわね」
 と喜ばれました。

劇はシェイクスピアの喜劇「真夏の夜の夢」。演出は斬新で中世を現代風に移し替えていました。劇中の人物が大きなナイロンのリュックサックを背負って現れたり、服もジーンズだったり、竹馬に乗っていたり。センスもテンポも心地よく、英語がちょっとしかわからなくても十分、楽しめました。

観劇も終わり、帰ろうとするとひざ掛けを共有したお隣の銀髪のおばあさんに

「あなた、セリフわかる?」

と聞かれたので「少しだけ」と答えると

「あら、私と同じね。今は使わない古語だから、イギリス人が聞いてもよくわからないのよ」

 ウインクされたお顔がとってもチャーミングです。

「雰囲気で笑っちゃうのよね。それがシェイクスピアの不思議さね」

 とほほ笑んでおられました。つまり日本の歌舞伎のようなものなのかしら?
 この劇は行って正解。寒いので、防寒対策はしっかりされることをおすすめします。
              (つづく)
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二度目のロンドン40 真夏の夜の夢1

2024-07-07 09:41:13 | Weblog
写真はリージェンツパークのインナーサークルの植栽。どれも植物園かとみまがうような美しさだった。

【リージェンツパークと野外劇場】
 今回、ロンドンについて最初に行った場所はベイカー街のシャーロックホームズ博物館でした。それは、すぐ近くのリージェンツパークにも行っておきたかったからでもありました。

リージェンツパークは166ヘクタールの面積をもつ王立公園で、だれでも無料で散策できます。もともとヘンリー8世(1491年~1547年)が離婚問題に端を発して、修道院から接収し、以後、長らく王室のお狩場だったところ。1811年に摂政王太子だったころのジョージ4世(1762年~1830年)が当時貴族の土地だったこの地を買い戻して、お抱え建築家のジョージ・ナッシュによって周辺の都市計画も含めて設計し、1845年に公園として整備されました。

イギリス王室の歴史はクセがツヨめに感じるのですが、この公園の整備を命じたジョージ4世もなかなか独特な方。放蕩三昧で借金を重ねる人生を送った、スキャンダラスな人物らしい。
ただその教養と美意識はたしかで、今なおリージェンツパークはロンドンで最も美しい庭園との評判を獲得しているし、今も使われているウインザー城の再建や、バッキンガム宮殿の大幅な改装を命じたのも彼、スコットランド風タータンチェックの復活などファッション面でも大きな功績を遺しておられるのでした。また今回、調べるまで気にもとめなかったのですが、トラファルガー広場の中心など、目立つところに屹立する銅像の多くがジョージ4世なのだとか。当然、命じたのはご本人。芸術面に秀でた人物というのは、生活面ではいかに浮世離れしてしまうのかがよくわかる話です。

話がそれました。

さて、そこに野外劇場があり、夏になると、おもにシェイクスピアの演劇が上演されることで有名です。1932年創立以来、数々の演劇賞を受賞するほどレベルの高い作品が生み出されています。

家人はその有名な劇場の上演チケットをインターネットで購入していました。野外劇は夜。当日に場所が暗くてたどり着けないのでは、それに治安はどうなのだろうと不安になって、下見のために公園に行ったのでした。

ホームズ博物館側にほど近い入口から入ると、よく手入れされた花々が植栽された庭園があり、やがてインナーサークルと呼ばれる直径330メートルの手入れされた空間のなかにつたに絡まった野外劇場が見えました。入口はまだ昼間なので閉まっています。

なにより整った庭園という感じで、大木が生い茂るハイドパークとは違った雰囲気です。ザ・イングリッシュガーデンとでもいいたくなる園芸植物が丁寧に植えられた空間が続いていて、バラ園もありました。
とても落ち着いた空間なので、これなら夜でも大丈夫そう。

 ちなみにリージェンツパークの北側にはかの有名なロンドン動物園があります。それは1826 年に設立された動物学会(ZoologicalSociety)にその土地がリースされ、その付属施設として1828年に動物園が設置されたことに由来します。
 一方、公園の中心からやや南に位置するここインナーサークルは1841年、王立植物学会(Royal Botanic Society)に植物園設置の目的で貸与された場所でした。整った園芸空間はそういう歴史も反映されているのかもしれません。

その日は公園から続くリージェンツストリートをずんずん歩いて観光客でごったがえすピカデリーサーカスまで行きました。ロンドンの名所って、簡単に歩けるんだなとその時思ったのですが、まさにリージェンツパークとその道は最初から都市計画でまるごと作られた空間だったとわかると、納得の歩きやすさは偶然ではなかったわけです。

参考文献:芝奈穂「リージェンツ・パーク設計の政治学―王室エステート計画から一般開放へ―」『ヴィクトリア朝文化研究』15、2017.11
※災害級の暑さがやってきました。次週の更新はお休みします。みなさま、くれぐれも体調に気を付けてお過ごしください。
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二度目のロンドン39 『不思議の国のアリス』は不思議じゃなかった

2024-06-30 12:32:35 | Weblog
ロンドン大学近くのスクエア公園で見かけたハトをまとった男の人。このあとハトが輪を描き出し、不思議な空間になっていた。

【「不思議の国」のイギリス人】
しばらくロンドンをうろついていると、いかにも『不思議の国のアリス』や『くまのプーさん』『ミスタービーン』に登場しそうな人たちにかなりの頻度で出会うことに気づきました。

見た目は大人、だけど心に子供っぽいいたずら心をひそませる人たちが一定の割合でいらっしゃる。それはひそませるだけでは飽き足らず、ついその遊び心が湧き出してしまう瞬間が。

誰に誇示するでもなく、あくまで個人的なひそかな楽しみなのです。だから声も、場合によっては音すら出しません。そんな様子は私に、気持ちがほぐれるようなあたたかい気持ちをもたらしてくれました。伝統的なイギリス児童文学の世界に連なるような、ちょっと不思議なわが道を行く人たち。それら点景をご紹介しましょう。

≪水たまりにムズムズ≫
 朝、シャワーのような雨が降ったあと、家から駅に向かって歩いていると、前から背の高い青年がやってきました。静かに本でも読んでいそうな風情の立派な紳士です。彼の前には晴れた空と雲を映した水たまりが。
 普通ならよけて通りそうなところですが、彼は目をキラッと輝かせ勇気の一  歩を踏み出しました。びしゃっと跳ねる水。彼は「ヒャッホー」と言いたそう に口を開いて、声に出さないまでも、空にこぶしを突き上げて、じつに幸せそ うでした。

≪ハト男≫
 ロンドン大学近くの公園にて。近道しようと木々の生い茂った、それほど広くもない公園を斜めに歩いていると、木製のベンチがありました。そこに壮年期の男性がテクテク歩いてやってきて座りました。すると、とくにエサを撒いている風情はないのに頭の上から肩、腕、手のひらにまでたくさんのハトが止まり、彼の周りをまるで光輪のように舞いはじめたのです。
 こんなにも不思議な光景が出現したというのに、公園にいた人々は、とくに注目することもなかったです。それどころか日常、つまり散歩や友達との会話、どこかに行くあゆみをとめることなく、続けていました。
ハト男も不思議ですが、まわりの反応も不思議でした。

≪横切りたい!≫
 ロンドン郊外のキューガーデン(王立キュー植物園)前の住宅街の午前。地元の人でしょうか、杖をついて、よろよろとあゆみをすすめる老夫婦がいました。そこに信号機があり、標示は赤に。
 当たり前ですが、そこで歩みを停める二人、のはずが、おじいさんはキョロキョロと周囲をうかがって車が来ていないのを確認すると、突然、ヨタヨタと走って、道を渡っていきました。そして道を渡り切って歩道に上がると「やったゾ!」というかのようにいたずらっぽい満面のニタリ顔。おばあさんは「まったく!」といった風情あきれ顔。

 茶目っ気はイギリス、ロンドンのキーワードなのかもしれません。まじめだけど、ふとした瞬間、おもしろさの隙間をみつけて、集中しちゃう。そして不思議な人に注目も注意もしない、個人主義の徹底。普段の生活ならかわいいのですけど、この性質に政治がからんでしまうこともあるのが、この国のやっかいなところなのかもしれません。
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二度目のロンドン38 憧れのキューガーデン⑦ 

2024-06-23 11:21:09 | Weblog
写真上はキューガーデン前のテムズ河。手漕ぎのカヌーがゆっくりと通っていった。

【テムズ河下り】
やがてテムズ河を横断する橋のある大きな通りに出ました。河を渡った左には現代の街並みがみえ、目の前にはバス停、右に行けば、やがて地下鉄駅があるはずです。

ほっとすると視界も開けてくるもの。道路を渡った先に当初目指していた船着き場の標識が見えるではありませんか? 重くなった足をやっと動かして河沿いに進むと河に突き出た古風な船着き場がちゃんとありました。

落ち葉が降り積もり、誰もいません。この船着き場は果たして現役なのかと不安に駆られて、観察すると、船着き場にやや汚れ気味の時刻表が貼ってあります。見ると20分後にロンドン市内行の運行があるようです。

 落ち着かない気分で夕暮れの寂しい船着き場に立っていると10分ほど経った頃に我々以外の待ち客が現れました。これは確実に船が来ると確信が沸いて勇気百倍。やがてゆっくりとひらたい船が船着き場にやってきて、無事に乗りこむことができました。

さすがに夕方。日は落ちてはいないものの、冷えてきます。乗客は数人ですが、慣れた人はボートの上で持参した毛布にくるまっています。7月で夏とはいえ高緯度地帯なので、寒い。

テムズ河は浅く、河の周辺には緑深き広大な公園が随所に見られ、お城や別荘らしきコテージが河に向かって、ポツポツと建っていました。鳥も夕暮れのねぐらに向かってせわしなく河を渡っていきます。いずれかの森に帰るのでしょう。

船からみると改めてキューあたりは最適な別荘地なのだとより一層感じられました。船は1時間半かけてゆっくりとロンドン中心部へ。右手に不思議なデザインのガラス張りのマンション群がみえ、ああ、現代に入ってきたぞ、と思っていると、

左手にツンツンととがったたくさんの尖塔をひらめかせているイギリスの象徴的な建物の時計塔と国会議事堂がみえ、そこに波止場がありました。たぷたぷの河がすぐに国会議事堂の建物を飲み込みそうです。尖塔のとんがりは日本なら一発の台風ですぐに折れてしまいそうな繊細さ。

イギリス中世の映画に王族の方が城に向かうために船を下りてから、ぬかるんだ岸辺で泥だらけになって家来たちもその後に続いて・・、という描写がありましたが、きっとそういう情景がロンドンだったのでしょう。

いろいろとせわしない日常から離れ、ゆったりとした時の流れが体感できるテムズ河下り。ちょっと厚めの上着を持てば万全なはず。おすすめです。
                      (つづく)

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二度目のロンドン37 憧れのキューガーデン⑥ 歴史の古いエリア

2024-06-16 18:05:50 | Weblog
メジャーなヴィクトリアゲートの反対側にあるブレントフォードゲート近くは古風な建物が散見するエリア。写真はその近くの竹林内にある「ミンカハウス」。日本から移築された建物である。ほかにも古風な建築物が点在するエリアとなっていた。

【帰りはテムズ河のゲートから】
キューガーデンのすごいところは、広大な敷地なのに隙間なく、惜しみなく手入れがなされているところです。よくぞ荒れるところもなく行き届いた空間を保ち続けていると、日本の交通の便の悪いところで時折みる、代替わりしたお屋敷の庭のどうにもならなさを想い浮かべて尊敬の念すら沸いてきました。大英帝国の栄光への誇りは粘り強い。

さて、帰りは行きとは違う出口から帰ろうと、中心部へのアクセスの容易なヴィクトリアゲートやメイン(ライオン)ゲートとは反対側にあるブレントフォードゲートを目指すことにしました。このゲートの出口には駐車場とテムズ河があります。

その出口近くのキューガーデンの敷地内には1761年に建てられたオランジェリーレストランという、しっかりめの食事のとれる建物がありました。コーヒーをテイクアウトする人もいて、ずいぶん賑わっていました。

ほかにキューガーデン最古の建物として知られる(1631年)赤レンガ色のキューパレスもありました。中世のメイド風スタイルの方々が案内のためなのか入口付近に数人立っています。なかには疲れ切って座っている人も。

ここにも1631年以前から建物があり、次々と持ち主が替わっていたのですが、1631年の改築時には地下室以外はすべて取り壊され、立て直されました。1728年からは王族の住まいの一つとなりました。


アイスハウスと書かれた1760年代に建造された建物もありました。冬には近くの湖の氷をこのハウスに運び貯蔵。夏には王族方がその氷を飲み物に入れたり、アイスクリームを作るのに使っていたりしたと説明板には書かれていました。18世紀、ここは王室の食糧供給基地だったそうです。
このようにヴィクトリアゲート付近とは趣の異なる、より古層な雰囲気の漂うエリアがブレントフォードゲート周辺なのでした。

 吹き渡る風もより涼しさが勝ってくると、閉門時間が近づいてきます。
 夏場は午後6時です。
 人々が足早に消えていくなか、私もゲートから外へと出ました。日本から持ってきたガイドブックによると、テムズ河を行き来する水上バスが走っているようなので、それに乗るつもりでした。

 ところがゲートを出ると、静かに濁ったテムズ河は確かに目の前にあるのですが船着き場は見当たりません。疲れ切った家人は不機嫌に
 「どこにあるの?」
 と責めてきます。いやあねえ、また元の門に戻って無難にヴィクトリアゲートから帰ればいいじゃないと踵をかえすと、なんと先ほどまで簡単に通過できたブレントフォードゲートの鉄の門は閉じられていました。ちょうど午後6時をすぎたのです。相当、時間に正確です。人気もすっかりなくなりました。

門をガシャガシャと揺らしてみてもどうにもならず。しばし河を見つめてボー然。いや、しかし、ここは無人島ではない。河に沿って歩けばとにかく街もあるし、キューガーデンの外枠に沿って歩けばいずれは地下鉄の駅にもたどり着けるでしょう。気を取り直して歩き出しました。
             (つづく)

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二度目のロンドン36 憧れのキューガーデン⑤

2024-06-09 15:45:32 | Weblog
写真はマリアンヌ・ノースギャラリーの内部。寒い日でも温かく、座るためのベンチもあり、人々を十分にいやしてくれる。

【マリアンヌ・ノース・ギャラリー】
 広大な園内に点在する温室や建物には、日本の江戸から昭和初期の農家の家を再現したと思われる「ミンカハウス(Minka House)」といった笹の生い茂る緑の小道の中間に突如現れる不思議な建物もありましたが、一番、建物の展示でインパクトがあったのが「マリアンヌ・ノース・ギャラリー(Marianne North Gallery)」でした。古風なイギリスの貴族のお屋敷のような建物を入ると、ヴィクトリア朝時代に世界を旅した女性が描いたボタニカルアート832点が壁を覆わんばかりに飾られていました。

マリアン・ノースは貴族の家系の子女で1830年生まれ。父の仕事の関係で、家族で世界を回り、1869年に父が亡くなってからは一人で世界を旅して植物の写生を行いました。アメリカ大陸の次に訪れたのが日本。1875(明治8年)11月7日から12月末までは、横浜、東京、神戸、大阪、京都を訪れ、日がたつにつれ、悪化するリューマチに苦しみながらも富士山と藤の花、印象的なオレンジ色の柿が印象的な絵など数点を遺しています。

 まだ写真機が十分発達していなかったころ、彼女の絵はアメリカ大陸各地、日本、香港、シンガポール、ボルネオ、ジャワ、セイロン、そしてインドと植物を中心とした絵画として貴重なうえ、風景画としても楽しめるということでイギリスの博物館で展示の貸し出しの要望があり、またその後、個展を開いたりしたことで、評価も高まっていました。新聞評には「この植物画を主題とした絵画コレクションはキュー王立植物園を最終的な展示場所にすべき」と書いたものもあったのです。
当時、王立キューガーデンの園長は彼女の知り合いのジョゼフ・フーカー卿。そこで彼に手紙を書いて、園内に彼女の資金でギャラリーを建設する承諾を得、さらに彼女自身で建設場所も決め、設計者も指定して1882年6月7日に開館しました。
 
しかし、この館に出会うまでマリアンヌ・ノースその人もその絵もまったく知りませんでした。キューにきて、たくさん散策して、ほっとする建物を見つけて入って、偶然出会った膨大なこれらの絵画は、決して偶然ではなかったのです。彼女が少し正門から距離がありつつも必ず来園者が訪れるであろうパームハウスの敷地から遠くないところ。人々が帰り道にふと立ち寄る場所を選んだのです。

そして絵は、普通のボタニカルアートとは少し違う。植物の絵ではあるのですが、正統派ではないというか。植物の置かれていたお国柄を取り入れてみたり、色も端正な植物画とは正反対の、ちょっと濃いめだったり。その時の彼女の気分が反映されているような、情念のようなものを感じます。メキシコの女性画家、フリーダ・カーロにも感じるような湿度のある自我のような。
かといって、国立美術館に飾られている植物の写生画や何かを象徴するような画でもない。じつにじつに不思議な空間でした。

その場所をわかっていて意思を持って訪れた人もいたことでしょうが、多くの人はなにも予備知識なく、なんだろう、このお屋敷程度で入り込んだ感じでした。私同様、彼女の情念にあおられて、くらげのようにフワフワと漂っているのでした。

参考文献:柄戸正『ガリヴァーの訪れた国 マリアンヌ・ノースの明治8年日本紀行』(2014年、万来舎)
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二度目のロンドン35 憧れのキューガーデン④

2024-06-02 14:44:23 | Weblog
キューガーデン内の森の小道など各所にプリムラの花が咲いていた。野生種を中心にずいぶん集めているのがわかる。

【サクラソウ、プリムラもたくさん】
午後は私の大好きな日本古来のサクラソウを探すことにしました。ある論文にキューガーデンには19世紀のプラントハンターが中国や日本で採集したサクラソウの類が集められていた、との情報があり、それを確かめたかったのです。
かつてオランダのライデン大学はじめ、シーボルト関係の植物園を見て回った時、多少の痕跡はあったものの、総本山はイギリスでは、との思いが募っていました。

植物がどこに植えられているかのマップが見当たらなかったので、ひとまず植えられていそうな場所を地図で推測して探すことにしました。とはいえ前に書いたとおりキューガーデンは広大なので、慎重に見極めないと、今日中に出会う確率はかなり低そうです。

まず日本のサクラソウにとっての必要条件は腐葉土のある土質と多めの水分とちょっと木陰がありつつも、適度な日差しがありそうな場所。

そこで水の流れているロックガーデンという場所を目指しました。欧米の植物園には岩場に水を流して高山植物で水を好む植物を植える傾向があるからです。そこは午前に到達したアジアンガーデンとはまったく正反対の側、東のほうのプリンセス・オブ・ウェールズ温室の近くにありました。

ひたすら歩いて、温室に導いてくれるような森の小道がありました。ここを抜けるとロックガーデンという場所です。なんともいえないよい木陰。これはもしや、と下を向いてじっくりと歩いていると、ありました。

とくに花形植物の植わっていない大木の下草に「プリムラ・シーボルディ」まさに日本固有のサクラソウの群落を発見したのです。ちゃんとラテン語で表記された世界共通の学名の札があるので間違いありません。
 花は見たところ2週間ぐらい前に終わったところで、順調にやわらかで黄緑色だった葉は黄色くなりかけてやがて土に還る兆候を見せていました。そして花は終わって、そこにはきちんと丸い実が付いていました。こんなにちゃんと発見できるとは思っていなかったので、うれしい。

さらにロックガーデンに行くと案の定、サクラソウもその仲間に入るプリムラ系の草花が配置されていて、雲南の原種と思われるサクラソウ「報春花」が咲いていました。2,3種類が群落となっていて、ピンクの花、黄色の花の競演です。輪草系で控えめに咲く花なのでじっと見つめている人も解説員もいませんでしたが、いとおしく、しばらくたたずんで、あこがれの光景に行き会えた喜びをかみしめたのでした。
                      (つづく)
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