雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

語学留学でセブに行く25 アイランドホッピング1

2020-01-26 10:56:33 | Weblog
写真は、学校兼宿泊ホテルの前の海。左の赤い屋根から左の線の内側がホテルのビーチ(ビーチの手入れがされていないので、泳ぐ人は皆無)。その右側が公共の港。アメンボみたいな船がいっぱいあるなあ、と思っていたが、これらはすべてアイランドホッピング用の観光客船だった。

【週末の楽しみ】
 セブの語学学校の生徒の多くは、なんとか英語をものにしたいと必死でした。そのため通常授業を最大の8時半から18時まで取り続け、さらに追加料金のいらない朝夕のオプションクラスまで希望して、朝7時から21時まで詰め込む人もけっこういました
(私はライトコースなので一日、4,5時間。留学後半はプラスしてオプションクラスを取っていました)。
その上、宿題や予習、復習をしていると一週間はあっという間に過ぎていきます。

最初はこんな調子で身体が持つだろうかと心配していました。

 ところがそれはまったくの杞憂におわりました。金曜は短縮授業で2時半には授業終了、土日は完全にお休み。家事も育児も仕事もないと、案外、自由時間があります。かくして留学生の週末へのモチベーションは凄まじいものとなっていくのです。

 もちろん、週末も英語の予習、復習に捧げる人はいますが、それは少数派(当然ながら、そういう人のほうが英語テストで上位に入ります。)かくして平日の昼休みに食堂に向かうと、聞こえてくるのはシュノーケリングやジンベイザメと泳ぐツアーなどの話。セブにいる間にダイビングライセンスの上級者の資格を取ろうと週末に別の海の学校に通う人もいました。

 私自身は泳ぐことになんの興味関心もなかったので、近くの名所・旧跡を歩こう、と日本にいるときから考えていたのですが、数週間が経つ頃には、そうも言ってはいられなくなりました。

 どこからともなく、国籍も関係なく、「このツアーに興味があれば、入れてあげるよ」と声がかかり始めるのです。週が明けるごとに生徒の顔に日焼けの色が濃くなり、楽しげに語らう姿にちょっぴりうらやましくもなってもきた頃でもありました。そこで、気づくと「yes!」と返事する自分がいたのでした。なんの準備ないのに。

 ツアーの行き先は「アイランドホッピング」だといいます。小さいころに遊んだスプリングがついて足をのせてひたすらぴょんぴょん飛ぶ一本足のスポーツおもちゃのことかと思ったら船で小島巡りをしていろいろなところで泳ぐレジャーなのだとか。日焼け止めクリームやらなにやら、いろいろと準備しなくてはならなさそう。日焼けも泳ぎも大嫌いな普段の私なら苦痛でしかないというのに、今日はうれしい。

 というのも毎週繰り返される
「ハッピーフライデー! ヒュー(といって先生、踊る)! 週末はどこ行くの?」週明けには「週末はどこ行った?」
と一時間ごとに繰り返される先生方とのフリートークタイム。おそらく先生方のマニュアルにあるのでしょうが、それへの返答も普通にホテルにいた、だとあきらかにつまらなそうな顔をされ、苦痛になってきていたのです。ですから、その問いかけへのネタができた、と本末転倒的な喜びも感じる、へんな精神状況になっていたのでした。
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語学留学でセブに行く24 ほしい歩道と下水道の整備

2020-01-17 11:48:04 | Weblog
写真はセブ本島の旧市街地でスペイン植民地時代に都市計画されて、ある程度完成していたパリアン広場周辺。もと中国人街として栄え、福建省からセブに移住し、商人していて成功したヤップの家など歴史的な見どころの多い地区となっている。
1997年に整備されたという地区のため、歩道があり、その下に水の流れ出る管がついている。私の住んでいたマクタン島の語学学校周辺ではこのような整備も見られなかった。
 猫は野性味あふれているが、エサは周辺の人々からもらっているようだ。野良猫、野良犬、野良ヤギをみた。牛はさすがに野良ではなさそうだった。

【容積率がない!】
 次に街づくりに関してセブの法律から考えてみました。

 すると現在のセブの都市計画には容積率などの概念がまったくないことがわかりました。容積率とはこの土地にはこのサイズの建物を建てることができますよ、という都市計画の大事な指標です。これがないと各々が好き勝手な建物を建てて、街並みがめちゃくちゃになってしまいます。

 たとえば日本なら、建物や個人の土地に対して何らかの事情があれば法律や都市計画などでセットバック、つまり後退させることができます。これがフィリピンではできないのです。道路をつくる、もしくは拡幅する際には、用地買収以外に手段がないのです。建物の高層化も制限はありません。

 そのためこんなことが起こっています。たとえば、日本のODAでセブ本島と語学学校のあるマクタン島をつなぐ4車線の橋。この橋はとっても立派ですが、その橋に接続する道路が細かったり未整備のため、残念ながらその前後で渋滞が発生しやすくなります。雨の日はとくにひどくなっていました。

 また道路と一体で排水設備を付ける発想も及んでいないので、道路はスコールのたびに水没し、歩くのも困難になるのでした。

日本では、国会議員に道路族と呼ばれるほど、やたら立派な道路整備をするための法律のほうが一般住民の居住性より優先されるほど道路に行き過ぎた世界となっていますが、それがない世界、というのも不便だなあとブで知りました。

 街づくりも法整備から手掛けないといけないのでしょう。
※「メトロセブ地域から公共交通と一体的な都市開発の視察へ ~ 海と山に挟まれたメトロセブの都市開発に神戸の経験と技術を~」神戸すまいまちづくり公社、2018年6月4日https://www.kobe-sumai-machi.or.jp/wp/wp-content/uploads/2019/07/20180604_philippine.pdf
(次回はアイランドホッピング。)


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語学留学でセブに行く23 植民地化されては放棄され

2020-01-11 14:51:21 | Weblog


写真上はセブ島本島にあるサンカルロス大学博物館で見かけた展示物。ミンダナオ島の骨壺の蓋、と書かれていた。なんだかかわいらしい。

写真下は1000年から1450年までのセブ島人の墓から出土したもの。中国製もしくは東南アジア系の陶磁器などが多数見つかったらしい。1967年のセブ島の下町に電話線を通すために掘削していたところに発見された、と書かれていた。
展示物には頭頂部が平べったい人骨や、木製の爬虫類の飾り物、日本が一時、占領していたころのものなのか、甲冑や黒塗りの漆器、雛飾りなども展示されていた。
 博物館は大学構内にあるので、入口で警備員のセキュリティチェックを受け、パスポートを見せないと入場できない。
 セブの優秀な学生たちが菓子パン片手に勉強したり、談笑したりする姿を見ることもできる、セブ島のリゾートとは違う一面をのぞくことができる。 

【街づくりの歴史1】
 まずセブ島は島が一つあるわけではなく、周辺の小島を含めた総称です。リゾート地として知られ、私の通った語学学校があるのはセブ島を囲う島々の一つのマクタン島です。この二つの島は大きな橋でつながっていて車で自由に行き来しています。

さて、マクタン島は16世紀にマザランが世界一周を成し遂げる航海のなかで1521年に西洋人として歴史上はじめて上陸した場所。
 セブ本島はその44年後にフィリピンを植民地化するにあたって最初に拠点を置いたところです。

 そこでこれらの町に西洋人による都市計画が立案されるのですが、たったの6年でスペイン人の拠点がマニラに移動してしまい、セブ島の都市が出来上がる前に放置されてしまいました。

 その後、セブ島が世界史に載るのはメキシコからスペインへ物産を運ぶガレオン貿易の中継都市として。これも1590年から1604年のみで役割を停止。その後は中国と東南アジアとの伝統的な交易拠点として港街は存在していました。

 それから300年後。米西戦争(1899年~1902年)によってフィリピンはスペインから米国に服属することに。あとは時系列で羅列します。

1936年にセブは信託統治市の地位を確立し、フィリピン人によって独立的に運営。
第2次世界大戦時、日本軍に占領される。
1946年に独立。
※参考文献:J.R.ヒメネスホス他「セブ市(フィリピン)の都市形成とその都市核の空間構成に関する考察」『日本建築学会計画系論文集 第76巻 第608号』2011年10月

 このような歴史の流れの中で西欧モデルの植民都市が作られかけては放棄されることを繰り返されています。それはセブに住む人たちが必要とした街ではなく、外から征服にきた人たちが住みよい街。
 なんとも中途半端な街づくりが何百年もの間、断続的に行われてきたわけです。

 もともとセブは農業、漁業を基盤とする中国、東南アジア各地と交易をおこなう港市でした。在来の首長が率いるいくつかの集団で成り立っていました。街という大きなものはなかったようです。

 こうして放棄が何度か続いていくなかで、自分の土地の感覚が薄らぎ、町全体で住み心地を追求するのではなく、自分の所有する土地の中だけで考えるようになったのでしょうか。
(つづく)
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語学留学でセブに行く22 カバンが!

2019-12-28 16:57:42 | Weblog
写真は散歩中に出会った子供たち。小学生ぐらいの子供は自分より小さい子の面倒をほんとうによく見る。みな、目がキラキラしていた。 公園の有無より大切なものがあるのだろう。

【外国人の散歩は危険とこころえよ】
 脇道に入って40分くらい歩いたところで、私が脇に抱えていたバッグがすごい力でひっぱられました。びっくりして振り返ると、そこには左目がただれて、ひげもぼうぼうなおじさんが。なにか病気をされたのか、顔の皮膚はがさがさです。でもよくみると右目は知性をたたえていました。

そして

「荷物をぶらさげてここを歩いてはいけないよ。外国人とみると、ひったくる人がいるんだ。このへんを歩くなら、それなりの案内人を連れるとかしないとね。」

 というのです。このあたりに外国人はめったにこないので、すごく目立っている、危ないと注意してくれたのでした。

 この人はビニールひもや、たらい、帽子などの雑貨や飴などの駄菓子、お米などを売る道に並んだ小さな雑貨屋を営んでいました。
 横には背が低くて丸い顔立ちの奥さんがやはり、やさしい目で見守っていました。

二人は
「娘が日本に出稼ぎに行っているんだ。だから僕らは日本人を大切に思っているよ。これからも気を付けて。」

 話したいことを伝え終わったと思ったのか、最後には手を振って見送ってくれました。

 なんというホスピタリティ。ちょっと荒っぽいけど。一般のセブの人も、観光客への治安の悪さに心を痛めていたことがわかりました。

 日本でも新宿など繁華街を歩いていると、外国人にすっと歩み寄って何か高額なサービスをふっかけようとする人を最近、見かけます。私も見かけたら、少しでも防波堤になれれば、と思いました。

 さて、歩いてわかったのは公共の施設があまりにもなさすぎること。そしてそこに暮らす人は守られていないということです。

 車が通れる道は人々が暮らす住居より高く作られ、その道に専用の歩道は皆無。だから安全に歩こうとすると人の敷地に入ってしまいます。すると、飼い犬に吠えられる。
 さらに憩える公園はなく、少なくともコーヒー一杯飲むといった理由をつけてリゾートホテルに侵入しないと座ることもできません。

 全体的にゴミが浮遊し、道はぬかるんでいます。

セブは夢のリゾートだと宣伝されているのに、ホテルを一歩出ると海辺も、白い砂浜も、きれいな空間も、すべてが夢でしかないなんて。

 しかし、なぜこれほど道が歩きにくいのか。歩道はなく、排水設備もなく、ゴミが浮遊しているのか?

街の成り立ちの歴史を調べてみました。
(つづく)
※セブの話が続いております。やはりアジアはおもしろい! 
※来週の更新はお休みします。みなさん、よいお年をお迎えください。

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語学留学でセブに行く21 散歩の犬

2019-12-21 14:35:12 | Weblog
 メインストリートから脇道に入ると日本の休日の早朝と同じく、愛犬を連れたおじさんの散歩風景が広がっていました。

違うのは散歩ひも。

 時折、洗濯ハンガーの持ち手に犬の首輪をひっかけて連れていたり、普通のあらひもを使っていたりするのです。

 ひもがついていないものは野良犬で、それはメインストリートを自由に闊歩しています。

 おじさんの散歩着は大きなTシャツに短パン。それにサンダル。おしゃれな人はキャップもかぶっています。
 この組み合わせがあちこちでみられました。

暑さでばてたのか、大型の愛玩犬系統ではないほうの犬が散歩の途中でベタッと動かなくなりました。

 おじさんは困った顔を見せましたが、ごく自然なよそおいでひょいっとおじさんと同じくらいの体重と思われる犬を抱きかかえて、そのままスタスタと歩いて帰っていきました。まるで小型犬を抱えるかのように。
 いつもの動作といった、犬への愛情にあふれていました。

 時折、うなるように通り過ぎるバイクやひどい排ガスをまき散らす車もあるのですが、子どもは元気に駆け回っています。4,5人で集団になって小さいおねえちゃんが赤ちゃんの弟の面倒をみたりして、とてもほほえましい。

 道路の横は草原で一段低くなっていました。そのあちこちに木で作られた小屋のような小さな家があり、その横で働き盛りの女性が洗濯をしたり、掃除をしたり。


道沿いには鉄パイプに複数のメーターを取り付けた水道管のメーターが立っています。これだけが近代的な光を放っているかのようです。
 ほかに不思議な箱があり、聞くと、そこにお金を入れると飲み水が出てくるのだそうです。
(つづく)


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語学留学でセブに行く20 週末の散歩1 闇市へ-セブの魚

2019-12-13 13:44:25 | Weblog
写真上の中央にみえるのが、電動ハエよけ機。留学中の日本では工業高校の教師をしているという男性は
「あのプロペラをみて感動しました。さすがアジア。手作りの工作機械の感じがとてもいい」
と絶賛。たしかに日本でも中国でもあまり見たことのない機械だが、発祥はどこなのだろう?
 写真下は公設市場の魚。魚の種類が明らかに違うのもおもしろい。

【週末の散歩】
 学校の敷地以外には歩きやすい道がない、という話を書きました。でもせっかくきたセブ島なので、周囲をみたい。そんな思いにかられて休日に周辺を散歩したときの話です。

 朝7時にホテルを出ました。ちょっと歩くと汗がタラタラと出ます。風は涼しい。
 5分ほど行った大きな交差点の脇に、いかにも土からむくむくと生えてきたかのような露店の市場があります。あまりにも雑然としているので、心構えもなく近づくとスラれるのではとの不安があって、いつもは遠目にみていたのです。

 目立つのが魚屋。小魚から南国独特のカラフルな魚が屋台の台の上に並べられています。市場から道路を挟むと、いつものセブンイレブン。スコールが降るとひどい水たまりができるその道を奥に進むと、町唯一の波止場があります。そのため、新鮮な魚が入手できるのです。

 魚の上では竹とんぼくらいの大きさのプロペラにビニールひもをつけた簡易な電動ハエよけ機がゆるやかに回っていました。それでも足りないのか、白髪を後ろにひっつめがみにし、薄手の布を巻いただけのようなやせたおばあさんが、必死にハタキでハエを追い払い続けていました。

 おばあさんは、同時に私にもうっとおしそうな目線を送りました。写真をお願いできる雰囲気ではありません(後々、おばあさんなしで、写真を撮らせてもらいました。)

 空心菜などの野菜はワラなどで束ねられ、水を張ったバケツに浸かっていました。鮮度保持のためのようです。

 ホテル周辺ではあれほどツアーだの両替だのとうるさく売り込みがあるのに、この市場の人はまったくしません。私がここでは買わない人だと見抜いているのです。観光客はホテル住まいで台所もないので、食材を買うことが少ないのでしょう。それにここは埃っぽく、日陰もほとんどないので衛生面も不安です。

 また、このすぐ先に大きな屋根つきの落ち着いた公設市場があったことから察すると、ここは営業許可のない、闇市だったのかもしれません。
 魚の種類も公設市場の方では、青みがかった鰹のような魚が多かったのですが、露店のほうはセブの地魚と思えるような、黄色みがかった魚のほうが多い。あるいは近海魚と遠海魚の違いかもしれません。見た目からしても価格差も大きそうです。

 ともかく市場に集う人々からさりげなく値踏みされ、観察されていることがわかります。なんとなく治安も悪そうなので、長居をせずに、次に脇道に入ってみました。
 (つづく)
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語学留学でセブに行く19 長い長いクリスマス

2019-12-07 10:28:07 | Weblog
写真は10月13日にみたJパークアイランドのクリスマスツリー。
【もうクリスマス?】
 12月に入り、日本ではあちこちでクリスマスの飾りつけが施され、クリスマスソングが流れ始めました。11月は紅葉のオブジェ、その前はハロウィーン、と目まぐるしくディスプレイが変わって、いよいよ年末です。

 ところが、セブでは違いました。ただでさえ季節感のない島なのでメリハリのつけようもないのですが、人心地がついて周囲に目が向くようになったときにはクリスマスのオブジェが飾られていました。

 たとえば宿泊施設からほど近い、これぞリゾートといいたくなるようなホテル・Jパークアイランドリゾート&ウオーターパーク。16.5ヘクタールの敷地にコテージのような客室やまるでディズニーランドのような雰囲気の流れるプール、さらにはカジノまである5つ星ホテルです。

 汗もしたたる晴天の10月13日土曜日。ここに散歩がてら出かけると、メインエントランスにそびえるのが高さ8メートルはあろうかと思われる巨大なクリスマスツリーでした。ここが特別なのかと思っていると、近所のスーパーマーケット・メトロでもクリスマスカラーの飾りつけが日々、増えていきます。そして、早くも流れるクリスマスソング。

これは普通の状況なのか? 先生方にさっそく聞いてみました。

まだ20代。ロングヘアが美しいG先生は

「一年中、飾られているのではなくて、9月くらいから始まるかんじ」

とのこと。
 9月に入るとクリスマスを意識するので遠い郷里に暮らす、我が子(8歳)や、たくさんいるおいっこ、めいっこ、そして大家族それぞれへのプレゼントなどに頭を悩ませる。それもまた楽しみ、と言っていました。

 先生は主に手作りの紙細工を作りためているとのことでした。
 また、この話をするうちに相談されたのが、8歳の我が子が「お母さんと話したいからiPadを買ってほしい」とせがむのだけれど、買い与えたほうがいいのだろうか、というもの。
 先生の郷里はこの学校の多くの先生方と同様でセブ島ではなく、首都マニラを擁するルソン島北部のバギオ。しかも年末に仕事を入れると特別手当が出るから、今年は帰らずに仕事を頑張る、とけなげに話すのです。
 楽しいクリスマスの話だったはずが、教室は一気に深刻な空気に包まれてしまいました。親子の絆もためされるクリスマスプレゼントなのです。

 敬虔なカトリック信者が多いフィリピンでは、日本では考えられないほどさまざまな制約にあふれています。これはまた、のちに話すとして、クリスマスの意味もプレゼントのやり取りとおいしいケーキ程度と考えてしまう人が多い日本(私もそうですが・・。)とは、だいぶ違う様子。それだけにクリスマスの飾りつけが少々長めでも、彼らにとっては楽しみな時間が増える、ととらえているようでした。
写真はこのコラム上のクリスマスツリーの全体。隣はプールで人々が泳いでいる。このホテルでは、数年前にミス・インターナショナルの決戦が行われたと、美女、一人ひとりの写真が丁寧に飾られていた。
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語学留学でセブに行く18 ゴミを焼く人の正体

2019-11-30 12:35:46 | Weblog
写真はセブ島のおとなりボホール島での屋台にて。店を仕切るのはおばあちゃん。そーっと子供たちが品物に手を出しても見逃さない。

【最強はおばあちゃん】
 さっそくフィリピンの先生方にゴミ収集があるかを聞いてみると、ある、と。ゴミを燃やすことは、先生方は積極的には行わない、と言います。

燃やしているのは、おばあちゃん世代で、なかでもビニールは火力が上がるため、喜んで使うのだそうです。いくら孫世代が注意しても

「ゴミは、若いときから燃やしていたから問題ないよ」

と聞く耳を持たないのだそうです。

 昔はゴミといっても葉っぱなどの天然素材だから問題はなかったでしょう。でも今は全然、違います。とくにビニールは有害です。孫たちはそのことをわかっていても、おばあちゃんを止めることはできません。
なぜなら
「おばあちゃんはフィリピン社会では最強だから」

 基本的には大家族で寄り添って生きてフィリピン社会では、若い世代が働いている間、家事、孫やひ孫の世話、おじいちゃんの介護などにおばあちゃんは大活躍している話は先生方からずいぶんと聞きました。
 
 一方で、ふるさとに残る家族のため、一家のために仕送りをかかさない先生方をみていると、何もいえない気持ちもわかる気がしてきました。

 そういうわけで夕方にあがる煙は要注意です。
 とくに祝日前。
大掃除をした後なのか盛大に煙が上がっていました。匂いがひどく、確実に体調を害するものでした。

【ラッシュ時の渋滞も日常】
 空気の悪さの原因はこれだけではありません。朝、夕の通勤ラッシュ時は、ジープを改造した乗り合いバスのジプニーや、中型バイクを改造してバイクの横に人が2,3人座れる屋根付きの籠を置いた乗り合いバイク・トライシクル,タクシー、普通車やジープが整備不良の状態のまま行き交い、なかば渋滞しています。

 空気の悪さで目がチカチカするほどです。土埃もひどい。これらは町を歩くとてきめんです。

 この町の中に社会人が多く暮らす1人部屋宿舎があるのです。施設は立派でも、2階建てなので、窓を短時間閉めて逃れる、という方法もとれません。

そちらに暮らす人は
「のどが痛い。ずーっと咳が出る。風邪かなあ?」
と言っている人が多かったです。

 数ヶ月暮らす人は
「咳のしすぎで横隔膜が痛い」
 というほど悪化していました。
 意外にも、その原因が、空気の悪さで、なかでもゴミの焼却がいつも行われている、と私が伝えるまで気づく人はほとんどいませんでした。

 一人部屋専用の社会人用宿舎は、2階建てなので、煙を見ることがなかったのです。

 ぜんそく持ちの家人は、共用部屋があるホテルの宿舎だったので、煙を見ると窓を閉めるといった防御を徹底することができました。おかけで体を壊すことなくセブ留学を終えることができました。

 今日の格言。
 セブではマスクは高いので、日本から持って行くと重宝しますよ。
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語学留学でセブに行く17

2019-11-24 10:24:19 | Weblog
【一人部屋も】
 前回書いた夜回りのある学生主体の宿舎以外に、社会人向けの宿舎もあります。

こちらはホテルからやや離れた場所にある2階建てのアパートです。街中で、入口には警備の人がいて、部屋は全個室で、テレビ付き。お値段も少し高めです。

大人用なので当然、見回りもありません。

これじゃあ天国じゃないか、とそれを聞いて思ったのですが、今度は別の問題がありました。

学校から徒歩3分ほど離れているのです。

たいした距離ではないといえばそうなのですが、学校本体も、学費に含まれている食事もプールも、とにかくすべての施設はホテルの敷地にあるのです。

つまり、生活するには町を歩いてこちらに来なければなりません。

ところが、セブにはほぼ毎日、スコールがあるのです。何度もいうように道は水はけの悪さで犬の糞も浮かぶ状況。観光ガイドの客引きもいます。

さらに空気にも問題があるのでした。

【のどが痛い!】
 ホテルにある3人部屋はオーシャンビューで、いかにも、セブ、といった青い海と島々と船、なにより朝日が昇る眺望が自慢です。

 私のいた部屋はホテルの8階で2人部屋。窓は陸側に開放されているので海は見えません。そのかわり、緑の森が目の前に広がっています。

 この窓から、寂しげに沈む夕日を見ていると、森からまっすぐに立ちのぼっていく、幾筋もの白い煙。同じ部屋の家人は「みんな、夕餉の支度をしているんだね」とほのぼのしていたのですが、どうも、この煙、尋常ならざる匂いがある。そう、ビニールの焼ける匂いがするのです。私は即座に窓を閉めました。

 その後も何度となく、この煙に悩まされたのですが、一時間も閉め切ればなんとか乗り切れることがわかりました。

週末、歩道のない道路のへりを犬と車をよけながら歩いて周辺の森と見えるところまで行ってみると、まばらな木々の間に簡易なつくりの家々が点在していることがわかりました。やはり煙はゴミを燃やしているものでした。ゴミ収集はないのでしょうか?
(つづく)
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語学留学でセブに行く16  夜のノック2

2019-11-16 12:17:12 | Weblog
 写真は、セブ島のスーパーで売られていたTシャツ。時代劇ファンか主張のわかる人が着るのなら正統だが、たぶん違うのだろう。

【「やらされている」感じ】
 伝統ある家柄というのは、どこもたいへんなのかもしれません。彼女なりにやりがいのある方向の進路を選択したようなのですが、家族や親族からみたら、それほど価値があるように思えない。彼女もみんなの期待には応えていないという、一般家庭なら十分ステキな人生だというのに、負い目を感じている。

 そこでセブ留学が浮上。ひょっとすると彼女は気乗りしないのに、家族に迫られ、やってきた、というところ。

クラス編成があって初めての顔合わせの第一声が
「なんで私、進級なの~? 前のまんまでいいのに~」
 でした。

 彼女の反抗で授業が進まぬ状況に、先生方は困った顔をしつつも、ソフトに、ときには笑いを取りながら、彼女に話しかけていました。そのやさしさがなんともフィリピンらしい。でも、それで解決することは一つもありませんでした。

 やがて彼女から日本人のサポートスタッフに相談して個別授業に変更して去って行きました。

 普通の留学生は、わざわざセブの「格安」を選んだだけにお金の重みをずっしりと感じています。だから、かかったお金の元をとろうと、気合いが入った勉強姿勢を見せるもの。ところが彼女は違いました。

 気の毒なのは、自ら望んだわけではなく、親や学校から強制的にセブに送られてくる人がいる、という事実です。日本人サポートスタッフに聞いたところでは、とくに夏休みなどの学校の長期休暇時期なると、そのような生徒が増えるのだそう。

 そういうわけで、今日も宿舎の夜の見回りは続いていくのでした。
(つづく)

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語学留学でセブに行く15 夜のノック

2019-11-08 09:06:12 | Weblog
宿舎となっているホテルの1階にあるマッサージ店。店員はすべてフィリピン人。生徒は割引価格で使えるが、ホテルの一般客が優先となっていて使いたいときに使えないはがゆさがある。クーラーが効きすぎて、寒かった。

【毎日の見回り】
 ホテルにある学校の宿舎では、就寝時間が決められていました。ただ決まっているだけでなく、毎夜10時になると常駐している警備員がピストルを腰にぶらさげたまま、一部屋ずつノックして、全員が部屋にいるかを確認しにやってくるのです。

 私は10時前には寝ていたので、毎夜、警備員さんのいる場所まで階段を上がって
「これから寝るのでノックしないでほしい」
 と伝えに行っていました。

 うっかり言い忘れるとたいへんです。
「ドンドン」ドアをノックされ、たたき起こされるのです。そしてドアを開けて、部屋に全員いることを見てもらわなくてはなりません。

 これが、ともかく煩わしかった。なんでこんなことを、と思っていたのですが、やがて理由がわかりました。

【個別授業からの脱却】
 滞在3週間目、4人の先生と毎日、同じ時間に顔を合わせる日々に飽きてきました。もし気が合わなかったら、先生も生徒も地獄です。
(生徒から申し出れば先生の変更は可能。そのシステムはマンツーマンなら必要でしょう)

 そんなときにレベルチェックテストがあり、進級が認められました。日本では評価されることのない日常を送っていたので、なんだかうれしい。

 なにより新鮮なのが教室に仲間ができたこと。一日4時間授業から5時間授業となって、そのうち2時間が5人一クラスの授業になりました。

 内訳は韓国と台湾の人がそれぞれ一人ずつ、それに日本人の私と東北のお金持ちのお嬢さんといった編成でした。5人で先生が与えた課題に対して共同で議論したり、模擬的な会話を作ったりするのです。
 日本のお嬢さんは,美人で若くて、メイクも華やかな私とは対極的な方でした。私にはきちんとした言葉遣いと礼儀で接してくれ、年に似合わずしっかりとした芯をお持ちの方のように感じました。だのに、不思議なことに歩く姿勢がもったいないほど悪く、授業に入ると、先生にはとことん反抗してやる気のなさを全開にするのです。当然、授業は進みません。

 先生とのそりが合わないのか、はたまたクラスのレベルが思ったのとは違うとでも思ったのか。それとも真面目に取り組むことが嫌いなのか。彼女が語る内容から察するに日本で積み重ねた何かによって、年に似合わないほどの、心に底知れぬ闇が横たわっているようでした。
      (つづく)
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語学留学でセブに行く14 子ども留学生

2019-11-02 12:00:00 | Weblog
 語学学校内にあるカフェ。お金を払ってコーヒーなどを頼むことができる。
 子どもたちは、ここのジュースがお気に入りだった。給食のジュースとはひと味違うらしい。

【家族ぐるみの留学も】
 留学生はやはり大学生が一番多いのですが、他にも定年退職された方や会社を1ヶ月休んできたという社会人、小学生以下を連れた親子連れも見られました。

 中国出身の女性は、夫も中国人で日本在住。そこから仕事のある夫を日本に置いて小学3年と1年の姉妹を連れで留学していました。
 母親曰く
「日本の小学校を半年くらい休んでも、大丈夫でしょ!」
 と涼しい顔。たくましい!

 当然のように母も子も日本語と中国語はぺーらぺら。とくに子どもたちは、クセのないきれいな日本語で普通の日本の女の子にしか見えません。母親の英語力は私と同じくらい、つまりそれほど高くないのですが、子どもたちの上達ぶりは凄まじく、あっという間に英語もはるか上のクラスに行ってしまいました。

 子どもの英語力が将来に直結すると、日本語、中国語の次のターゲットとしてセブ留学を選んだのだそう。けれども実際きてみると、以前、私が書いたように、ほとんどホテルから出られません。そのため
「半年いようと思っていたけど、3ヶ月が限界かも」
と、勢いのある明るい声で話していました。

【子どもの日常】
 いつも頭にリボンを結んだかわいい姉妹、食事は親とともに食堂で取っても授業はそれぞれ一人になります。

 当初、授業後は母に連れられてプールでひたすら泳ぐ。宿舎からの移動中は日本から持参したONE PIECE(いわずとしれたメガヒットマンガ)から目を離すことなく母の後を付いているだけ、という心配な状況でした。
 けれども、次第に子ども好きの先生や若い生徒たちのマスコットになってかわいがられて,楽しそうに過ごすようになりました。

 一方、韓国人の子連れの方々はエリート風なお父さんとお坊ちゃん、教育熱心な母と子どもという雰囲気の人たち。色白で、めがねをかけて、きわめて厳格な空気が流れていました。その子どもたちは、緊張の面持ちで授業に向かっているように見えました。

 
 帰国後、日本のテレビで「情熱大陸」でセブ島英語留学に日本人のごくごく普通の家族が1週間行く話を特集していました。はやっている、というのです。子どもは小学生と幼稚園生くらい。ホテルの狭さにびっくりしながら、英語に取り組んでいました。それでも1週間。日本人だと子連れでは、夏休み以外は長期を考えにくいのかもしれません。

 ともかく、こういう子どもが次から次へと切れ目なくやってくるのには驚きました。

 ちなみに雲南にいたときには、5歳の日本人の子どもが母親と高級マンションで暮らしていました。家族は全員、日本人。父親は日本のとある会社の社長です。早いうちから語学を身につけさせたいと子どもの教育主体で暮らしているのです。もちろん子どもたちは日本語も中国語もできます。そのうちに香港に行って英語も身に付けさせる、と言っていました。私はただため息をついておりました。
(つづく)

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語学留学でセブに行く13

2019-10-26 15:05:37 | Weblog
写真上は自習室の外観。椅子と机が30席ほど用意されている。パソコンも自由に使うことができる。外装には学校名が英語、中国語(繁体字)、隣の窓にはハングル文字で記されていた。日本語はなかった。
写真下は私が居住していた階の廊下。掃除がされていて、皆も気を遣い合っていたので、なかなかきれいだった。

【居住スペース】
 学校が借り上げているホテルの部屋には1人部屋、2人部屋、3人部屋がありました。一番安いのが3人部屋で、多くの人がこれを選びます。

 部屋はたいてい韓国、台湾、日本の人が一人ずつ、という構成になっていました。国を越えてコミュニケーションを取って欲しいという学校側の希望が反映されているのです。実際、多くの友情が生まれていました。

 一部屋6畳程度の広さにベッド3台、机3つ、また3人でトイレとシャワーを共有するので、気を遣い合わないとたいへんです。エアコンの設定温度にしても、それぞれの快適温度が違うので、睡眠時の温度設定があわずに体調を崩している人もずいぶん見かけました。

そのため3人部屋の人は宿題などの勉強のために、自習室を使うことが多かったです。

 家人はほとんど自習室に入り浸っていました。狭い空間にいるより、皆のざわめきの中で勉強できて集中力が高められるし、寂しくない、とのことでした。

 ここを拠点にプールもトレーニング室も食堂も教室もすぐに通えるのですから、欲さえ出さなければ、勉強に集中するにはいい環境、といえます。

【掃除・洗濯など】
 掃除は週に一回、してくれます。トイレなどもピカピカになります。希望すれば害虫駆除も。
 シーツは何もなければ2週に一度、洗濯は一回、200円程度で朝のうちに籠一杯をランドリー室に渡すと、乾燥まで済ませて夕方までには受け取ることができます。一人週2回と決められ、女性の日、男性の日とありました。

 ランドリー室ではコインランドリーのような大型の洗濯機に洗剤を入れて回してくれるだけなので、デリケートな衣類は洗濯ネットに入れて出していました。下着類が気になる方は部屋で洗って、干すための小さなピンチハンガーを持って行くといいでしょう。

 
小さなピンチハンガーは100円ショップのものが重宝で、私は長期の旅行の際に必ず持って行きます。締め切ったホテルで手洗いしたときにとても便利です。

 語学学校付近にはありませんが、セブ島本島までいけばショッピングモールに日本のダイソーが進出しているので洗濯ネットもハンガーも買うことができます。値段は日本より少し高めです。ものは同じです。

 ちなみに「DAISO JAPAN」と書かれていてフィリピンではおしゃれ雑貨屋としての地位を築いていました。私が立ち寄った時はAKB48系の音楽が流れていて、ピンクや花柄のものが多く集められていた印象があります。私が買ったのはせいぜい300円分でしたが、私の前のお客さんは1万円くらい買っていました。先生方に聞くと、ダイソーのものはいいからと、お友達の誕生日プレゼントなどにきれいに包装して渡すのだそうです。

 あちらは大家族なのでそのプレゼントの数も半端ではないのにアニバーサリーが大好きな国民性。私が見かけた1万円分買っていた人も、大量の同じようなコップと、包装紙を購入していましたから、おそらくプレゼント用なのでしょう。

水は各階ごとにウオーターサーバーが置かれていて、浄水のタンクを警備員さんが時折、入れ替えていました。部屋で水の飲むためにコップや水筒があると便利です。
(つづく)
※いつまでも続く台風。いよいよ気候変動は無視できないレベルになってきました。被害に遭われた方の日常が早く戻りますように。
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語学留学でセブに行く12

2019-10-19 21:11:06 | Weblog
写真はセブ島本島の代表的なショッピングモールの一つ、アヤラモールの土曜日のコンサート。歌手の近くにはチケットを持つ人しか入れないが、周辺で歌を聴くことはできる。歌手の人と舞台に上がって、一緒にデュエットするコーナーでは緊張と感激で泣き出す人も。

【フィリピンの人の英語習得法】
 セブ島中心部の巨大ショッピングモールに週末、出かけたときのこと。フィリピンの大物歌手がショーを開いていました。

 英語の歌を一曲披露した後、タガログ語で挨拶します。周囲には尊敬のまなざしで見つめるフィリピンの人たち。緊張の面持ちです。
 
 そんなとき、ふと、ビサヤ語を交えたのでしょう。ちょっと風情の違う言語を交ぜて観客に語りかけたとたんに、客席からドッと笑い声が起きて、その場の親しみの度合いがぐっと上がるのを感じました。フィリピンで歌手として活躍するには英語、タガログ語の他に歌う場所に応じての言語に通じている必要があるようです。

 この不思議な場面をみた翌日にさっそく授業で先生に写真を見せて尋ねると「ああ、往年の大歌手だよ。ラッキーだね。」
 このときの歌手の言語の豊富さに感嘆した、と話すと、先生方が英語を話せるようになるためにたいへん苦労していることがわかりました。

 セブ島出身の若い男性の先生は、小学校時代は英語が大嫌いで、英語を一切しゃべらなかったそうです。ところが大学になると授業はすべて英語。英語をしゃべろうとすると、言葉がでなくて固まっていた、と言っていました。

 ある若い女性の先生は、おばあちゃんのお金で大学に行って英語の先生の免状をもらったときは、泣いて喜んでくれた、と話してくれました。

 ボホール島で通訳をしてくれたグレン・ルマンタオさんは英語の先生の資格もあり、副業として教えているそうです。彼は、

「僕は英語を習得するために妹を相手に英語を使い、彼女が飽きて行ってしまうと飼い犬にも英語で話しかけ、日夜努力を重ねたんだよ。フィリピンに英語を学びに来る人も日頃からそれくらい努力しなくてはいけない」
と真剣に諭しました。
 彼は芸術家としてフィリピン各地で展覧会をし、地元のラジオ局でディスクジョッキーもしているそうです。とても豊かな感性を持ったおもしろい人でした。英語になんの不自由もないように見えたのですが、そこまで努力が必要なのかと驚きました。

 まず、そもそもフィリピンの大学で学問をしようとすると英語が必要になるようです。専門用語があまりフィリピンの言語に翻訳されていないのです。
 そう考えると江戸から明治にかけて、専門用語に日本語をつけてくれた日本人
(たとえば酸素、水素、窒素といった元素名や金属、細胞、試薬、圧力、温度、物質、法則といった科学方面の学術用語を造語し、コーヒーに珈琲の漢字を当てた宇田川榕庵など)
 の英知に感謝せずにはいられません。おかげで私たちはいま、日本語で難しいことまで考えることができるのですから。

 現在、日本の大学は文科省の政策で授業の英語化が推進されていますが、日本語で考えられる強みについても、やはり考える必要があると思います。いや、その前にフィリピンに行くほど苦労している英語、なんとかしなさい、という突っ込みが入りそう。この悩みも日本では明治からずーっと続いていますね・・。
(つづく)

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語学留学でセブに行く11 フィリピンの言語事情

2019-10-12 13:01:20 | Weblog
写真はボホール島。おまんじゅうのようなきれいな丸い形の山が続く。ここに道を作ったので、車はジェットコースターに乗ったように動き、アップダウンのたびに胃がすーっとなる。この山々はかつて珊瑚礁だったものが、地殻変動により、海の上に出たものだという。

【フィリピンのことば】
 英語学校の先生方はすべて英語で話しますが、外に出ると必ずしも英語とは限りません。

 あるときCNNフィリピンをスマホでキャッチできることに気がつきました。回線が混んでいないときに見ていると(そうでないと画像が止まる!)ニュースの解説は英語でも、気づくと英語以外の言語になっています。

 とくにインタビュアーが田舎で質問していると何語かさっぱりわからなくなります。大統領の言語すらも、です。この言語の切り替えがじつに当たり前に、なめらかーにフィリピンのテレビはおこなわれているのです。

 これが現実世界の日常でもあるのでしょう。

 ご存じのようにフィリピンの公用語はフィリピン語(タガログ語をベースとして作られた国語)と英語。でも、この公用語はじっさいに使われている言語のほんの一部だとは知りませんでした。
 フィリピン全体では、控えめに見ても、なんと100以上の言語が存在しているそうです。しかも、日本の共通語と関西弁程度の違いではなく、はっきりと違うらしい。

 学校の休みを使って、お隣のボホール島に行ったときのことです。そこで通訳ガイドをつけたことがありました。
 そのガイドさんはうれしそうに
「ほら日本人が君のほかにもいるよ」

 その人が指さす先に黒髪の平たい顔の人たちがいました。
 私がこともなげに
「日本人じゃないですよ。日本語をしゃべってないから」
 と言うと、ガイドさんはびっくり仰天。日本人じゃないことに驚いたのではなく、理由は別にありました。
「日本語じゃないかがすぐにわかるのですか?」

 日本には方言はあるけど、ちょっと語尾や単語が違う程度で意味はすぐにわかると説明すると、とてもうらやましそうにしていました。フィリピンでは島を離れると、まったく言葉がわからなくなることが多いそう。100語以上あるという言語の隔たりは想像以上に大きいようでした。

 セブ島はビサヤ語です。
 一方で私の留学した英語学校の本校は、マニラより北方の山岳地帯、ルソン島のバギオにあるとのこと。そのため優秀な教育スキルを持った先生はそこから派遣されてきた方が多かったのですが、その方々と地元で採用された先生方とは言語がまったく違うとのこと。だからバギオからきた先生は学校のない休日はお金の問題もあるのでしょうが、ほとんど宿舎を出ずに過ごすのだといっていました。

 前にも書いたように家人は英語の勉強のために英字新聞を毎日、読んでいましたが、見ると、フィリピン全体の政治のことが主でセブ島の事情はほとんど触れられていません。

 私は、せっかくセブにいるのだから、と、地元の事情が書かれている新聞をセブンイレブンで買い求めました。水たまりの問題やセブ島の議会が開幕した、といった地元ネタの写真があり、早く読みたいとわくわくして自分の部屋に戻りました。

 ぱらりと開けてよく見ると、一面の大見出しは英語だったのに、内容はアルファベットをいくら追ってもさっぱり意味が分からない。なんとビサヤ語の新聞だったのでした。
(つづく)

※関東が大型台風の襲来でたいへんなことになってきました。
 ブログが見られる状況ならば、ちょびっと肩の力を抜いて楽しんでいただければ、と思います。
 地球温暖化への対策、やや遅し、としても、できることはコツコツと。ちょっとでも、ちょっとでも。
 
 停電などになりましたら、来週の更新はできないでしょうから、少し、長めにアップいたしました。

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