雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル89 モロッコ⑤ お菓子屋と干しプルーンの煮込み

2023-02-04 15:21:33 | Weblog
 写真は、タンジェの地元好みのレストランで出会ったプルーンと鶏肉の煮込み。料理も料理人も見るからに中東系だったが、お皿には「华国酒店」「RESTAURANTE」「JARDIN CHINO」の文字が。中国語のほうは花園レストラン、アルファベットはスペイン語でレストラン チャイニーズガーデンの意味。つまり同じこと。中国料理店のロゴ入り皿を、気にせず購入し、店用に使っているようだ。安さの秘密なのだろうか?

【大きな店より小さな名店】
 すぐ近くの裏通りにある穴蔵のような小さなお店。白壁に小さく「スナック」とかかれた赤い看板のみが住居でないことを示しています。階段を降りると、床に撒かれた木のチップがよい香りを放ち、意外と清潔そう。

床に撒かれたチップ。雲南にも床に松葉を散らして、すがすがしさを出すレストランがあったことを思い出した。

お昼の時間を過ぎているため、店員さんは、食後の片づけに忙しそう。ここでラシードさんはお昼を頼んだので、私たちも同じものを頼みました。

これがとてもやさしい味。干しプルーンを入れた鶏肉の煮込みは、プルーンがほどけて、独特の酸味がいいアクセントになっています。それにフレッシュハーブティ。店の中の暗さと外の日差しの強烈さが異国情緒を誘います。

【モロッコの寅さん】
 こうしてお菓子屋さんに戻りました。ラシードさんはさっそく2階に上がると、店員にたくさんの箱を持たせ、自分もひと箱抱えて降りてきました。

「これがおいしいんですよ。上等なんです」

とニコニコ顔。すでに一個、ほおばっています。中を開けると、サクサク系はなく、見た目以上にしっとり系のお菓子のオンパレード。バラの香りなど、香料も強めです。
カップルは

「あのう、サクサクのクッキーがいいんですけど」

と言っているのにラシードさんは全然聞かないで、そのまま自分の分をお会計。カップルも、山のような菓子箱を手に、悲し気に会計をしていました。

 カップルには、かわいそうでしたが、ラシードさんの思い込みの激しい親切心は、なんだか日本の喜劇映画で出てくる下町のおじちゃんみたいで、おもしろい。俺はいいことをした、と固く信じているのです。

 私たちも一箱買い、さりげなくさくさくクッキーも買いました。

 味はラシードさんが頭から否定したウインドウにあったクッキーも特上詰め合わせもどちらもすばらしい。ラシードさんはバラなど(たぶん自然派の)香料が口いっぱいに広がるのが好みなのでしょう。甘さも見た目ほど強烈ではなく、自然に舌に溶け込みます。クッキーも、パリッとしたアーモンドの香ばしさとサクサクとした生地がたまらない。ベルギーのカップルも食べたかったろうな。

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スペインとポルトガル88 モロッコ④ タンジェのお菓子屋

2023-01-29 11:14:49 | Weblog
写真上も写真下もモロッコの「Patisserie Alafrah」のショーウインドーにて。

モロッコのお菓子には、雲南でも見かけたお菓子がけっこうあった。その一つが「絲窩糖 」(またの名を「窩絲糖 」「龍髭糖 」りゅうのひげ飴)に似たお菓子。もともと新疆ウイグル自治区から広まったといわれているので、こちらが本場。https://blog.goo.ne.jp/madoka1994/e/6ff1371ff843b1cdafc3fd81a62e9bc7

【タンジェの銘菓】
 食後はフリータイムと言われたのですが、「お楽しみください」といわれても途方にくれるばかり。というのも先ほど歩いただけでも小道が多く、怪しげな雰囲気の街なのですから。
 ツアーの人たちは三々五々、レストランから見える範囲でお茶をしたり、買い物したり。

 そんな時、ベルギーから新婚旅行で来たというカップルが

「結婚祝いのお返しに、ここの銘菓を買って帰りたいのですが」

とラシードさんに相談しているのが聞こえました。

ラシードさんは

「いい店があります」

と、二人についてくるように言ったので、我々も便乗することにしました。

 ツアーの時とはうって変わって、ものすごいスピードで急な階段をさっさか登っていくラシードさん。曲がりくねった道を、みんな必死についていくと、街はずれの2階建ての白壁の四角い家の前に着きました。店の前は崩れかけた石の坂道で視界がひらけた小さなお菓子屋さんです。

坂の途中のアラビア菓子屋「Patisserie Alafrah」。意味はウェディング用菓子。
(33 Rue De La Kasbah, Tanger, Morocco )

ガラス戸をくぐると、糖蜜がいっぱいかかったパイ生地状に餡の入ったお菓子や、アーモンドを載せたさっぱり系の大きなクッキーなどが所狭しに並んでいます。

 カップルは目を輝かせて、一つひとつ吟味しながら、日持ちのしそうなクッキーなどをチョイスし始めました。

 すると、ラシードさんが店内に入ってきて、一瞥するなり

「これはダメです。店に置かれたものは古いにきまっている。新鮮なものを詰め合わせて、私が特上の詰め合わせを作ってもらいます」

 というや、すごい迫力で何箱分必要かをカップルに聞き、決然と作業場のある2階に上がっていってしまいました。

  カップルは唖然茫然。

 しばらくして戻ってくると、にこやかに

「時間がかかるので、私は近くで食事をしますが、みなさんもいかがですか?」

 当然、ついていきました。

 しかし、なぜラシードさんは古い、ときめつけたのでしょう? お菓子のほとんどにラップがかかっていたからなのか? 味は? は次回に。

店の前の坂道。
(つづく)
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スペインとポルトガル87 モロッコ③  

2023-01-21 09:21:14 | Weblog
写真は、スークの入口付近。スマホとともに旧型の携帯電話も売られていた。ここまではカメラを向けても大丈夫な雰囲気だった。

【スーク(市場)】
 城壁の中の街は迷路のよう。城門を入ったすぐのところにある市場は人、人、人。ここでようやくスペインとの違いがくっきりとわかりました。服装が違う。ラシードさんと同じような1970年代封切のスターウオーズのオビ・ワン・ケノービがたくさんいます。フード付きの丈の長いコートのような民族衣装・ジェラバ。

売り物も食料品から雑貨品、服地、パン、なかには10年以上前の中国・雲南で使っていた旧型の携帯電話も売られていました。いかにもやばい人が暗躍していそうな雑多な雰囲気がかもされています。

 ここでラシードさんはにこやかだった顔を引き締めて

「買いたいそぶりを見せてはダメです」

 といって、すぐに客引きにつかまってしまうアメリカ家族を護衛するように進みました。盗品も多いとのこと。
【生演奏をききながらお昼に】

 お昼は、ザ・モロッコといった感じの邸宅風レストランでした。2階に上がると絨毯の上に背あてクッションがおかれたソファとテーブル、不思議なランプが飾られた天井、窓からはにぎやかな中庭とエキゾチックな街が遠望できます。

 食事もこちらがチョイスせずとも、どんどん出てきます。コリアンダーの香りがすごくいい鶏肉のトマト煮(クスクスとともにいただく)や(たぶん)羊?肉の串焼きとフレッシュミントティーなどなど。全部、ツアー料金に含まれているのです。

飲み物だけは別料金でした。水は高く、アルコールはないので、コーラを頼みました。これがおいしい! 炭酸がプチプチ跳ねてメガネに当たるほどのイキの良さ。それなのに舌のしびれはなく、甘さもほどよい程度で、すっきりとした味わい。

 すっかりくつろいでいると、モロッコの楽団がやってきて、我々のために生演奏をきかせてくれました。このツアーは大当たりだ!

(利用したツアー会社:VIAJES TRAVELSUR,S.A.L)
https://viajestravelsur.com/producto/tanger-1dia/
(つづく)
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スペインとポルトガル86 モロッコ② スパルテル岬とヘラクレスの洞窟

2023-01-14 15:30:53 | Weblog
写真の奥に見えるのは大西洋と地中海。強風が吹いていて、海も荒れているが、ラクダは、どっしりと構えていて強風にもびくともしなかった。

【ラクダに乗って地中海と大西洋を一望する】
陽気なラシードさんと10人ほどの団体を載せて、すぐにミニバンは出発しました。私が日本人だとわかると、

「JTBの添乗もよくしていますよ」

とウインク。勘で選んだツアーで心配していたのですが、審査が厳しいと聞いているJTBのツアーもされていると聞き、すっかり気が楽になりました。

さてタンジェの港から車での移動中に見えるのは、抜けるような青空と風化した白い岩、アスファルト道路に豪邸らしき家の白い壁のみ。あんまりスペインと変わらないなあ、と思っていると、スパルテル岬に到着しました。

眼下に拡がるのは地中海と大西洋。強風が吹いていて、緑の海を走るように白濁した波が打ち付けています。厳しい海。

そういえばユーラシア大陸でもっとも大西洋にせり出したポルトガルのロタ岬も風が強かったなあ。
(大西洋に出るって、昔はすごくハードルが高かったんだろうなあ。)

 ただ違うのは、ここにラクダがいることです。

 さっそくツアーの人たちがラクダと記念撮影をはじめました。なるほど、モロッコらしい写真はこうやって作るのかと、私も、さっそく乗ってみました(一人2ユーロ)。ヒトコブラクダの背にモロッコ特有の布地が置かれていて、その上にまたがる。すると使役人の合図によってラクダは前後にゆらすように、おだやかに起き上がって直径5メートルほど歩いてくれます。
 以前、タイでゾウに乗ったときは剛毛で指に刺さったものですが、ラクダの毛はやわらか。そして顔のやさしいこと。このお顔は頭数が多く、ほとんどの時間はもぐもぐエサを食べていて、たまーに客を乗せる仕事がくる、というホワイトな労働環境のたまものなのかもしれません。

【おみやげの初心】
 次に行ったのがヘラクレスの洞窟でした。歩いてすぐです。
洞窟によって強風から守られているので、その入口付近は小さなお土産屋さんがいっぱい並んでいました。
 客は我々だけ。この状況で同じツアーのアメリカからきたご家族が、薦められるままに買う買う! なにかにとりつかれてしまったみたいです。モロッコ風の帽子やおもちゃの刀、モロッコのロゴ入りTシャツ、なにかの棒・・・。浅草でもロゴを替えれば売っていそうなものばかり。しかも買うとすぐに身に付けて、うれしそうにはしゃいでいます。地元に経済効果をもたらす優良観光客って、こういうことかしら?

「もともと洞窟はあったのですが、小麦を粉にするための石の円盤を長い間、切り出していた採掘場になりました。ほら、ここに丸く切り出したうろこ状の跡があるでしょう」
と丸い形に削れたあとを指してラシードさんが丁寧に説明してくれました。

 真面目に説明を聞いていても、洞窟からのぞく海も見ていても、視線は不思議なおみやげ物を身に付けてしあわせいっぱいの家族に吸い寄せられてしまう私。こういうおみやげものも必要なのだ、と、遠足で筑波山に行ったときの初心に還る思いでした。

 そしてようや旧市街・メディナの城内につきました。これぞモロッコといった趣で小さな石畳のくねくね道を一人きままに歩いたら、あっという間に迷子になりそう。
             (つづく)

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スペインとポルトガル85  モロッコ① アフリカ大陸へ移動する

2023-01-01 15:33:33 | Weblog
写真上はタリファの船の待合所。この周囲はぐるりと700年代からのモーロ人らの要塞に囲まれている。昔の重要拠点だったことがうかがえる。こうした立派な歴史的建造物があちこちにあるのに、それを気に掛ける人はほとんどいないように見えた。

【まずタリファだった!】
 唯一、呼び込みのなかったブースで購入したチケットを握りしめ、朝7時20分にフェリー乗り場へ。私たちのツアーデスクに、私たち以外に人影はなし。あれ、大丈夫かな、と思っていたら、15分後に金髪の浅黒いおじさんがきて

「こっちこっち!」

 と合図してくれました。着いていくと、そこには大型バスが。あれ、海を越えるのにバス? と思って聞くと、

「タリファ⤴」
 
と、腹から持ち上げるような発声で一言。

アルヘシラスから20キロ南西にある、ジブラルタル海峡に面したタリファは、たしかにイベリア半島最南端の町ですが、そこまでバスで移動するなんて知りませんでした。

赤土の大地を出発。何度か山と谷を繰り返すたびに風景が変わり、風力発電の峰を通過すると一面の霧に。やがて雲海に朝焼けが彩り、朝日を目指して鳥が一斉に飛び立つと、小さな港、タリファに到着です。

 ここからアフリカ大陸へは、距離にして15キロ。陸路の移動より近いはずなのですが、霧で大陸は全く見えません。

 ようやく同じツアーの人たちと合流し、とにかく後を必死についていきました。
 まず皆がするように元締めのようなアラビア風の太ったおじさんにパスポートとボーディングパスを渡し、代わりにフェリーのチケットと胸に張るツアーシールを受け取りました。シールはすぐに胸に貼ります。早くもはがれそうです。
 いつになったら船に乗れるのか不安なまま、流れ作業に身を任せていると、船には行かずに、すぐ出国手続きのカウンターに。その後、ようやくフェリーに乗船できました。

我がツアーが手配してくれたフェリー。

ふう。少しゆったりしようと座る席を探していると、すぐに入国手続きの列に並ぶ時間に。

船内の出入国審査カウンター。

 とまあ、わからぬままにあれこれしているうちに、霧が晴れ大陸が見えてきました。私にとっては初アフリカ大陸です。もっと感動するのかと思ったのですが、目に映る景色に意外性はなし。普通のビルと山とごく普通の定規で引いたような直線の町。海の色がタリファでは青みがかった緑色だったのが、緑に白色を含んだような色になっていたことぐらいしか違いがありません。

初アフリカ大陸の光景。モロッコはタンジェの街並み。改めてこの写真を見ると、スペインとはだいぶ違っていてわくわくする光景なのだが、いろいろ想定外の動きで船に乗ったために、当時、心の余裕が失われてしまい、違いがないとおもってしまったようだ。

 ところが人に会ったら、突然、アフリカのイメージがわいてきました。まず出迎えてくれたのが自称ジョン・トラボルタ、こと本名ラシードさん、という陽気な添乗員さん。流ちょうなスペイン語と英語を操り、なんだかスターウオーズにでてくる師匠・オビ・ワン・ケノービのような服を着た白ひげを蓄えたおじいさんです。顔から口がはみ出しそうなほど、ニコニコしています。急にわくわくしてきました。
                 (つづく)
※明けましておめでとうございます! どうぞ、皆さまにとって、よい年になりますように。
※次週の更新はお休みします。
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スペインとポルトガル84 ジブラルタル② いろいろと濃い植物園

2022-12-25 14:48:25 | Weblog
写真はジブラルタル植物園(またの名をアラメダ庭園)の入口にあるジョージ・ドン門。広さ6ヘクタールあり、無料で開放されている。

【ジブラルタル植物園】
山を下り、街へ。まるでディズニーランドのように、風土と関係なく作られてそこにある、といった感じの緑と白のペンキを基調にした古風な英国スタイルの街並み。日曜のためか、人影はなく、パブも雑貨店も郵便局もお休み。ジブラルタル博物館も閉まっています。

車の通らないつるりと舗装された黒いアスファルトのヨーロッパロードを進むと、クラシカルな文字が鋳込まれた門がそびえ、その向こうにアジアっぽい植物が生い茂った空間がありました。「ジブラルタル植物園GIBRALTAR BOTANIC GARDENS」と書かれています(https://www.spottinghistory.com/view/9536/gibraltar-botanic-gardens/)
人っ子一人いない寂しい空間に、響く鳥の声。
初めて来たのに植物の種類や植え方にどことなく見覚えが。そう、ベルギーのヘント、オランダのライデンやポルトガル・シントラの植物園と似ています。赤玉土に突き刺すように生えたサボテン、竹に松、どこかで見たようなピンクの花。

調べると1816年にイギリス兵士の憩いの庭園として英国総督ジョージ・ドンが命じて作らせた庭園だそうで、ちょうどプラントハンターが一攫千金を夢見て、もしくは学術的な情熱から、世界各地の植物をヨーロッパに持ち込んで売り出していた時期に当たります。シーボルトが日本の植物を大量にヨーロッパに紹介した時期よりは早いけど、イギリスのキューガーデンが世界の植物を熱烈に集めていた時期に作られた庭園です。

写真はジブラルタル植物園内の道路に描かれたモザイク。1954年当時、エリザベス2世は戴冠式を終えた後、イギリス植民地を歴訪する旅を行い、ここジブラルタルにも立ち寄った。スペインでは抗議運動が巻き起こったという。

とはいえ、そのまま現在まで続いたわけではなく、この園も一時期、荒れ果ててしまったそう。1991年に外部企業の手によって復活したとのことですが、まったくの別物ではなく、生き残った植物もあったのでしょう。区割りはほとんど変わらず、ゲートも古そう。意外なところで古風な植物園に出会えました。サルが一匹もいなかったのも興味深い。

滑走路でもある道路を歩き、時折、ガチでくる飛行機をよけつつ、帰るべく検問所に向かっていると、明らかに一方向へ進む人の群れが。ついていくと、郊外型のスーパーマーケットに向かっていたのでした。ジブラルタルは免税価格で買い物ができるとあって、日曜日、家族総出で近所のスペインの人たちが買い物に来ていたのです。家電や化粧品などはイギリス製が多い。私も果物と飲み物を少し買って、ジブラルタルを出ました。

ジブラルタルに一番近い、スペイン側のマンション。

アルヘシラスの夜は、犬の吠え声が響くちょっと不気味な雰囲気。ほかに外食のチョイスはないのか、トルコ料理のテイクアウトの店が行列しています。私たちも並んで、ケバブを買いました。ナンに挟んだ羊肉のそぎ切りとトマト。おいしかった!

※次回はアフリカ大陸です。
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スペインとポルトガル83 ジブラルタル①

2022-12-18 12:33:15 | Weblog
上の写真ジブラルタル、ターリウ山頂のサル。娘のホカロンを器用に剥いていく。このあと、わらっちゃうほど、まずそうな顔をした。

【近くて遠いジブラルタル】
 モロッコ行のチケットは取ったので、次にもう一つの目的、ジブラルタルを目指します。 アルヘシラスに日中、空いている食べ物屋がなかったので(ホテルの従業員までウーバーで食事を届けてもらっていた・・。)ホテルに戻ってカディスで買ったパエリアと焼きイベリコ豚とポテトで昼食を済ませ、2時50分発のジブラルタル行のバスに飛び乗りました。毎時2本程度出ているバスは、街の人で混雑気味。

窓の外をみると、ちょっと気取ったナポレオン帽のような白い岩の塊ジブラルタルの山が海に浮かんでいました。それは目の前なのに、じれったいほど近づかないのです。深く湾曲したジブラルタル湾をCの形に移動するため、直線距離は9キロなのに23キロ以上も乗ることになり、結局、1時間を費やしたのでした。
 ジブラルタルは大西洋と地中海をつなぐジブラルタル海峡に突き出た岩の塊からなる岬。右も左もスペインなのに、なぜかここだけイギリス領。
スペイン王位継承戦争のどさくさでイギリス軍が占領し、外交の力で1713年にユトレヒト条約によって国際的にお墨付きを得たというスペインにとっては忸怩たる思いの土地。
つまり、ジブラルタルに行くためには国境を通過しなければならないのです。国境はバスから歩いてすぐ。800メートルの緩衝地帯に小さな小屋のような検問所がありました。大勢の人がパスポートを持って並んでいます。どれだけ待つのだろうと思っていると、さっとパスポートを見るだけであっさり通過できました。
【ターリウ山のサル】
 まずは遠くからでもみえたターリウ山のロープウェーへ。たくさんの観光客とともに山頂で降りると、野生の猿がお出迎えしてくれました。聞くところによると、ヨーロッパ唯一の野生猿の生息地なのだとか。
クリクリ髪の金髪の女性が目を細めて愛らしく「キュート!」と叫ぶやいなや、サルが近づいて、あっという間にお菓子の袋を取り上げてしまいました。帽子を取られた恰幅のいい男性は唖然。別の男性は背負っていたリュックサックのファスナーを開けられ、ペットボトルの水とTシャツを取られ、それらをポイっと投げ捨てられていました。弱り目に祟り目で、サルになにもなかったかもように肩にまでよじ登られ「オーノー」と無抵抗のポーズ。その上を行ったのは彼の連れの女性で、びっくりしている男性を写真に収めて、「グッド」とウインクするたくましさ。
うちの娘も、のリュックサックからはみ出ていたホカロンをスルリと取られました。サルはお菓子とでもおもったのか、慣れた手つきで器用に赤いビニール袋を破って、ホッカイロを取り出すとガブリ。ようやく食べ物ではないと気づいて、放り投げたのでした。
 
 この手荒い一連の歓迎レセプションは5分ほどで終わり、あとはなにごともなかったかのように寝そべったり、サルどうしでふざけたり、ノミ取りしたりと、動物園のサル山とかわらない行動に落ち着きました。その変わり身の早さといったら。
9世紀までにアラブの人によって持ち込まれたそうなので、彼らのほうが、よっぽど古顔ではあるのですが、山に上がったら、ご注意を。
(つづく)
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スペインとポルトガル82 アルヘシラス到着!①

2022-12-10 12:48:00 | Weblog
カディスからアルヘシラスへとのびる幹線道路にて。湿地帯、丸刈りの松のような林の続く樹林帯、牧草地(白牛、赤牛が放牧されている)と風景が目まぐるしく変わっていく。ショッピングセンターやドライブインなどにも細かく立ち寄り、客を拾う公共バス。やがて風が強くなり風力発電12基やカウボーイや牛の看板が見えるころ、アルヘシラスに到着した。

【西部劇の舞台のよう】
狂乱のカーニバルと思いきや、意外や地元密着型のおだやかさだった大西洋側のカディスからイベリア半島の地中海側に立地するアルヘシラスへ。10時15分にカディス駅をたったバスは順調に2時間で到着しました。

地図で見ると半島の下の部分をほんのちょっと、たった80キロ移動しただけなのに湿気のあったカディスとはうって変って、西部劇の舞台かと思うような乾燥した草原と赤い砂ぼこりの世界です。そこには同じような茶塗りの公営住宅が立ち並び、表情の薄い人々が熱い陽射しの中、買い物などに出かけているのみ。すれ違う人はなんとなく擦れていて、治安が悪い予感。潤いのある街とは少しちがうようです。

 ホテルも、場末感漂う船員の宿らしく、さっぱりとはしているけど、それ以上でもそれ以下でもない感じ。
 ときおりけたたましく笑うお掃除のおばさん以外、動く人もないホテル。3月初旬だというのに日差しが強いせいか、暑いようにも感じます。カディスから70キロほどしか移動していないのに、この違いはなんなのでしょう。

 ここに来た理由はこの街の観光ではなく、歴史の要として存在し続けるジブラルタルとアフリカ大陸上陸を果たそうという野望のためでした。
ジブラルタルへは湾の反対側なのでバス1本ですぐにいけるし、アフリカ大陸に行く船はここから出る。イベリア半島が南に突き出したところとアフリカ大陸がク゚っと鎌首をもたげたところ、つまり二つの大陸が大西洋側でもっとも近接している場所がアルヘシラスなのです。

ただたった2泊、しかも他都市との移動時間も含めてのなかでこのもくろみが果たせるのかは、不安なところでした。

 ホテルにチェックイン後、さっそく明日のアフリカ大陸へのチケットを求めてフェリー乗り場へ。完全にグロッキーになっている家人を起こさぬようにそっと部屋を出ます。

フェリー乗り場からアルヘシラスの街並みをのぞむ(早朝)。

強烈な日差しの中、歩く人もまばらな通りは、とてもスペイン第2の港湾都市とはとても思えない静けさです。シエスタ時間のせいかと不安に思ってたどり着くと、『地球の歩き方』に書いてある通り、10社ほどの旅行会社のブースがずらりと並んでいました。私をみるや、目が覚めたようにさかんに呼び込みをかけてきます。まるでイソギンチャクがおいでおいでをしているようなにぎやかさです。

アルヘシラスのフェリー乗り場に並ぶ旅行会社のブース。
この写真は早朝の光景だが、日中の呼び込みはなかなか
のものだった。

 そんななかで、まるで呼び込みをせず、しずかーに目を伏せているブースがありました。ガツガツしない姿勢に信頼を感じ、そこにタンジェ行きのツアーと船を申し込みました。値段交渉もないまま、静かにチケットを切って、明日の集合時刻などの紙などとお金を引き替えて終了。上品なのか、仕事に不熱心なのかは明日のお楽しみ。ともかく、これで明日、アフリカ大陸にいけるはず。
 (つづく)
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ポルトガルとスペイン81 カディスの見どころを散策する

2022-12-04 11:50:59 | Weblog
カディス(EL SARDINERO)の小魚(きびなご?)の唐揚げ。日本で食べる小魚の唐揚げと変わりない味。ほっとするおいしさ。

【カーニバルの中、カディスを歩く】
 カディスを島と考えると全長が1キロほどなので、散歩に最適です。街並みもよく保存されていて、カディス大学では石造りの古式ゆかしい建物からジーンズの若人がドーナツをほおばりながら歩いていたり、中からブラスバンドの練習の音が響いていたりと、寒さの厳しい中でもゆったりとした気持ちになりました。

カディス博物館の正面。

カディス博物館は、状態から見ると、カディス沖の海底から引き揚げたものが多いようです。ローマ時代以前のフェニキア人の顔を写した焼き物のレベルの高さよ。いまでも中東のサッカー選手で見かける顔が等身大の石像で残っているのです。鼻筋がしっかりと通って、目が大きい頬骨がしっかりある長めの顔だち。他に丸顔で目や唇の造作が大きい感じの子供風の顔やエジプトのピラミッドで見られるノーブルで硬質なお顔など様々な彫像が並んでいます。
 ワインを運ぶ壺もずいぶん展示されていました。タカラガイも。遺物の精巧さや華やかさから紀元前7世紀から5世紀までが絶頂期だと感じられます。

いまでもローマ時代の闘牛場があり、闘牛場博物館として存在しています。行くと、まだ、実際に闘牛ができそうな設備のままです。ローマ時代はカディスにとってはけっして遠くないのかもしれません。


 西の大西洋側にいくと、海に突き出た三稜郭つくりのサンタ・カタリーナ要塞(Castillo deSanta Catalina)があります。当時は、修築中のために中には入ることはできませんでしたが、フェリペ2世の命を受けて1598年から23年かけて建設された要塞は威厳があり、もし、入れたなら大西洋から地中海の入口まで見ることができたことでしょう。
 その要塞の横は駐車場。たくさんのキャンピングカーが留まっていて、陽気な音楽をかけながら、カーニバルの衣装のまま、くつろいでいました。その先に4つ星ホテルのパラドール・デ・カディス(Parador de Cádiz)があるためか、音量は小さめでした。
 こうして駆け足でカディスをめぐり、明日出発するアルヘシラス行のバスの予約をして、眠りにつきました。アルヘシラスからジブラルタルに無事、一日で到達できるか。今回の旅で一番、不安なところなのです。
 

カーニバルの衣装でくつろぐ人々。
カディスは全方位が海なので、日当たりの海沿いで甲羅干しをする人も多かった。
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スペインとポルトガル80 カディスで食べる肉料理

2022-11-20 10:20:37 | Weblog
写真はメソン・コンブレス・マヨレスの入口にあるカウンター。カーニバルの服装のままお昼をとる人もいる。

【カディスでお勧めの店・メソン・コンブレス・マヨレスMESON CUMBRES MAYORES】
 駅に近いごちゃごちゃした通りから旧市街中心部に向かって小さな路地をぐるぐると歩いていると、ひときわ活気に満ちた古風なバルがありました。入口に扉はなく、ただ洞窟のような中に入るだけ。外にも丸テーブルがあり、ビール片手にほぐした肉をムシャムシャとほおばる人々が。
中に入ると天井からはしっかりと燻製された豚の太ももの形をしたハムがずらりと吊り下げられ、合間にニンニクもぶらさがっています。

ヒヨコ豆のスープにはたっぷりと臓物がはいっていてうま味たっぷり。肉よし、味よしで、身体が芯から温まります。

豚の各部位のバーベキュー(Paaillada Cumbrena)は、29.5ユーロとなかなか値もはりましたが焼き方は外皮がパリっとしていて塩加減も絶妙。バジルの使い方もうまく、肉汁もたっぷり。よほど仕入れがいいのでしょう。
スペインの旅で最高クラスのおいしさでした。


【カディス市場MERCADO CENTRAL DE ABASTOS AYUNTAMIENTO DE CADIZ】
カディス博物館へと歩いていると、重そうな白いビニール袋ををぶら下げた人やたくさんの果物をかかえた人が三々五々流れてきました。そう、例のフラグです。彼らの歩みを逆算して着いたのがカディス中央市場。案の定、活気に満ちていて新鮮な魚と野菜があふれていました。


ペントハウスの台所を使って、夕飯の食材を買い込んで楽しもう!

 分厚いイカはボイルし、手長エビはワイン蒸しと焼き物に。
巨大なキノコとアスパラはさっと塩とオリーブオイルで炒め、

それにピッカピカではちきれんばかりのトマトとイチゴを添えて。

市場で平たい大鍋でじっくりと焚いていた真っ黒なイカ墨のパエリアと一般的なトマトベースのパエリアで夕飯に。

朝食の分にもなって、3人で約7000円。自炊にしては豪勢な値段となりました。食材は新鮮で味も最高なのですが、やや値段がお高め。それに比べるとワインやビール、水、調味料は安かったです。

写真は市場の食事処にて。

 街はカーニバルで浮き立っているのに、地元の人々の生活はごく普通のときを刻んでいることが実感されました。
 また、広場周辺のバルでは小魚の揚げ物(きびなご風小魚)などの店が多くあります。揚げたてはもちろん、冷めてもおいしく、朝食にパンにはさんでいただきました。
(つづく)
※来週の更新はお休みします。急にさむくなってきましたので、体調をお気をつけください。鍋のおいしい季節になりました。
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スペインとポルトガル79 カディスのカーニバル

2022-11-13 12:49:44 | Weblog
カディスのカーニバルの人々。

宿泊先のペントハウス。

【本場の、ほのぼのカーニバル】
ペントハウスの眺望はたぶん、街で最高レベル。だけど、その分、一度、降りて、また4階まで上がる際、足が上がらなくなることも。段差がとにかく急なのです。ただキッチンと洗濯機があるのはうれしい。早速、洗剤を買って、たまった洗濯ものを回しました。
 さて外は昨日とは打って変わってカーニバル一色に。大人は白塗りの不思議ないでたち、それも集団で。一方、子供はスーパーマリオとスパイダーマンの恰好をよく見かけました。マリオは日本発だと知ってるのかしら? わがことのように誇りたくなる勝手な私。
 中心広場は、バルーンや電飾できらびやかに飾り付けられ、真ん中に小さな舞台も設置されていました。そこのイベントの一番の目玉が仮装を競う大会です。大勢、もしくは数人で舞台に出ては、はずかしそうに司会者の質問に答えています。昔、小さな漁港で出会った演芸大会みたいな雰囲気です。

 様々な人が出てくる中で優勝者は、かわいらしい小学生の男の子でした。オレンジ色のチリチリパーマに、父母手作りのミツバチスタイル。なんともほのぼのとした結末です。

「カディスのカーニバルは、ぜひ行くべき。伝統もあるし世界的イベントなんですよ。」

 とスペインに詳しい知人から聞かされていた私にとってこの結果は衝撃的で、逆に好感を持ちました。
 やっぱり祭りは地元のもの。大きくならなくて、いいのです。

【異質な?Wi-Fi】
じつはこの旅で困っていたことがありました。今まで海外に行くときにはその土地のSIMカードをAmazonで事前に買っては現地で差して使っていました。それが一番安いし、トラブルもなかったのです。ところが今回は、私のスマホだけ使えない。どうやってもダメ。ホテルのWi-Fiは使えるのです。そのため娘のスマホを頼りにする日々でした。
 ところがカディスではSIMカードを使ったWi-Fiにつながりました。というかカディスだけつながって、カディスを出たらまたつながらなくなりました。カディスのWi-Fiは、品質が違うようです。
(0円で手に入れたフアウェイ製。2018年当時、フアウェイを狙い撃ちで米国がいろいろしていたので、そのせいでは、と疑っています。真偽のほどは不明。)
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スペインとポルトガル78 カディスは小島?

2022-11-06 13:09:12 | Weblog
写真はカディスから見える夕日。大西洋へと沈んでいった。

【カディス到着】
 14時45分発カディス行きの列車は、やはり満席でした。
セビリアからの一時間半、見える景色は平坦な黄色い大地と薄い緑ばかり。ところがカディスに近づくと一変。乾いた大地から水っぽい湿地帯。やがて大西洋がキラリと輝いてみえます。

カディス周辺の湿地帯。

カディスの歴史は古く、紀元前10世紀ごろフェニキア人によって築かれたヨーロッパ最古の都市の一つです。

スペインの大西洋岸では最も突き出た小島で幅2キロメートルほどの四角い地形なのは地図でわかってはいたのですが、足場の悪い湿地帯が続いたところから、じつは江の島のように陸地とつながった小島なのだとわかりました。江の島の幅5倍強ある都市島。ここから新大陸へとコロンブスが出発し(2回目と4回目)、1717年に新大陸との貿易を統括する通商院がセビリアからカディスに移されてから商業は黄金期を迎えたのでした。

 そんな歴史ある地でのカーニバルの盛り上がりを楽しみに夕刻、駅に降り立つと、意外やうすい盛り上がり。バルーンゲートが風にはためき、青やオレンジ色の毛をなびかせて身体のラインの見える道化のような恰好の一般人が2人、さびしく歩いているくらいです。店先から見えるテレビでのみ、カーニバルで盛り上がる人々の映像が流れていて、へんな感じ。

ペントハウスから見える夕景。

【ペントハウスに泊まる】
 ここには一つ、懸念がありました。カディスは海に囲まれた小さな街だけに宿泊施設には限りがあり、まともなホテルは数か月前から満室だったのです。あとは、恐ろしく値段の高い部屋か20キロ以上先のよくわからない街のホテルのみ。直接電話してもダメ。

数日ネット上で探して、ようやく取れたのが貸しペントハウスでした。

 このシステムがよくわからなかったのです。
 駅から歩くこと20分。予約の際にメールで示された場所に行くと、街の中心にある石畳と古い建物のならぶ狭い道の一角にNPOが経営するオフィスがありました。
メールでは「困ったことはありますか?」など、文通なみにいろいろとやりとりがあり、なんとなくユースホステルのような温かみのある場所でおばちゃんが一人経営しているのかな、など想像をしていたのですが、様子が違います。

さっそく戸を開けると、長机の前に若い赤ひげのお兄さんが一人、座っていました。予約票を渡すと

「あと10分で事務所を閉める時間でした。来られてよかったですね。」

 と一言。もう少しで宿に入れなかった可能性があったらしい!

ここでペントハウスの場所を示した地図と鍵、使用にあたっての一般的な注意事項と彼の携帯電話番号が渡され、「OK?」とイエスしか言えない状況でほほえみ、さっさと事務所を閉めて帰ってしまいました。メールの時との対応が違いすぎて面喰いました(カディスの民泊を一手に引き受けるNPOでした)

 駅に家人と重たい荷物をのこしていたので、いったん戻り、全員で石畳をがたがたいわせながら、スーツケースを転がし続けること30分、ようやく宿に着きました。

 開けづらい鍵を鍵穴に差し込み、格闘すること10分、噛み合わせのいびつな鍵がガチャリと開きました。これで、休める、とドアを開けると、目の前には急な階段が。階段以外のスペースは無。
荷物を家人に見張ってもらい、大男向けのような段差がある階段を上がること4階分。ようやく屋上のペントハウスに到着です。次にしたのが(一縷の望みをかけ)エレベータを探すこと。でも当然ながらありません。そこでまた下に戻り、今度はぎっくり腰の恐怖に耐えて、重たいスーツケースを引き上げ、汗だくになりました。
 落ち着いて、ペントハウスのテラスに出ると、270度、大西洋が見える絶景でした。夕日がちょうど落ちてきて、海を輝く赤に染めあげます。
 景色は最高。
(つづく)
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スペインとポルトガル77 セビリア美術館周辺と救済病院

2022-10-30 15:42:37 | Weblog
写真はセビリアの救済病院内にある付属の教会。清貧な元病院の雰囲気とそのうちにある教会の豪華さにクラクラ。有名絵画が、飾り立てることなく壁にかけられていた。

【セビリア美術館周辺】
セビリア発カディス行きの列車を目指して、街の東北部にあるセビリア・サンタフスタ駅へ。30分後の10時20分発のチケットを購入しようとすると、カディス行きは臨時列車の14時45分発まで、すべて満席でした。
 そんなに混んでるの? と驚きましたが、その日は3月1日で、カディスは年に一回のカーニバルのシーズン。面倒でも事前予約をしておくべきだったのです。
参考 https://goripachi.com/spain-train-renfe/

サンタ・フスタ駅の外観は平べったいが中は深い

ここは気持ちを切り替えて、午後までの空いた時間を街の西北部にあるセビリア美術館に当てることにしました。(大型荷物は駅のコインロッカーへ預けました。)
 駅から混みあうバスに乗って街へ行くと、改めて大都会であることを実感。そして、ようやく着いた美術館は、なんと一時間待ちの大行列。家人はよほどセビリア美術館と縁が薄いのでしょう。2度も行って入れないとは。

観覧は断念して、すぐ近くを散策。すると、ステキな絵が窓越しに見えます。中に入ると昔の版画や絵画を売る古地図専門店「Grabados LaurenceShand」でした。ラーメンのようなゆるい天然パーマの茶色の髪をかき上げ、いかにも古書店の店主、という風情の男性が「いらっしゃい」と一声。後に続く咳。なんとも知的でけだるい雰囲気。古書のインクの香りに癒されます。よく見ると質もよく、版画タイプならそれほど高くありません。ひやかしで見ているはずが、思いがけない出会いもあって、いくつかの古地図を購入することになりました。とはいえ1万円は超えないお値段で済みました。

店を出て、ふらふらと小道を行くと、フラメンコ衣装店が軒を連ね、見ているだけで楽しい。髪飾りやピン止めなどが軽くて、きらびやかで使いやすそうなので、それも購入。一つ1000円ほどのものを3つほど。そして念願の白めに濁ったオリーブオイルを小さな食料品店で購入。一瓶3ユーロほどで、日本でサラダオイルを買うのと変わらない金額でした。セビリア市民の普段の買い物がみえる地区でした。
 予定通りじゃないのも、また楽しい。これも旅ならではです。

写真は救済病院の中庭。

ちなみにセビリア美術館が混んでいたのは、セビリア出身の画家「ムリーリョ展」が開催されていたためです。普段からムリーリョの絵は展示されているというのに大規模展を行うと、この人出。ムリーリョはセビリアで大人気のようです。

【救済病院にもあるムリーリョ】
じつはポルトガルからセビリアに着いた翌日、古文書館のあとに救済病院という、ドン・ファンのモデルとされるセビリアの貴族によって17世紀に建てられた小さな礼拝堂のような元病院に行ったのですが、そこにもムリーリョの絵がたくさんありました。私にとっては初めて知る画家でした。

セビリア美術館とは対照的に、とても静かで、来る人もほとんどいないこじんまりとした空間。そこでムリーリョの絵と対峙できました。どの絵からも17世紀を生きたムリーリョの、子供に対するまなざしのやさしさが時を越えて伝わってくるよう。いつまでも見ていたくなる、静かであたたかな(たとえ死神を描いていても)絵の数々。

あとで、彼の生涯を調べると、5人の子供を次々とペストでなくし、6人目の娘も耳が不自由だったとか。子供への思い入れは、特別なものがあったのかもしれません。
 (ちなみに彼はカディスで絵を描いている最中に足場から転落して、亡くなったといわれています。)

※次回、カディスへ行きます。
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スペインとポルトガル76 フラメンコショー② ロスガリョスLos Gallosにて

2022-10-23 10:46:25 | Weblog
写真はロスガリョスにて。夜更けに三々五々、帰っていく観客たち。治安はよく、不安なくホテルに戻ることができた


【さて本番!】
 夜7時40分。夕食をスペイン駐在員のブログなどで評判の店「Enrique Becerraエンリケベセラ」へ。さすがにお客の半分は日本人でしたが、接客の女性店員のテキパキとした明るく、誇り高い様子が気持ちいい。味も。少し相場より高めの値段設定なので、他の店は観光客でいっぱいなのに、少なめでした。

 夜10時半に満を持して、予約したタブラオへ。ワンドリンクを注文して、席に着きます。70人くらい入れる客席に客は20人、いや10人もいません。だのにショーにはプロのダンサーが8人、裏方が10人くらい。経営は大丈夫か、と心配になります(今もこのタブラオは毎日、ショーをしているようなので、大丈夫だったようです。)

 フラメンコと一口にいっても明るい男性の踊りから、8人全員での群舞まで多彩。一人で踊る演目もダンサーらに用意されていて、同じ服と髪型でも、こんなにも感情のほとばしり方が違うのかと驚きました。
 タップダンスとカスタネットで音とリズムを自ら作り、そこにギターが物悲しく絡む。そして時折、歌。

 どんどんヒートアップするリズムを作り出すダンサーたち。ありあまったこの熱情をどうやって発散し、次の瞬間から生きていけばいいのだろう、という煩悶のほとばしりがものすごく、どんなに若く美しいダンサーでも踊っているうちに眉間の中心に深い溝ができて、はんにゃの形相に。

やや暗めの舞台に斜めから当てる光がまた効果的で、その溝がますます、黒く感じられるほどに陰影を映し出します。眉間の皺がとれなくなったらどうしよう、と他人事ながらハラハラしてしまうほどの顔の迫力。今も思い出すとその顔が迫ってくるほどです。

 とにかく全編、体力と精神パワー120%の人が、こうでもしていないと死んでしまう、と言わんばかりに踊り狂うのです。熱気がすごすぎて、こちらも熱くなり、真(芯のある)の踊りに圧倒され続けてしまいました。あまりにすごいので、例のごとく、夕寝をして備えたのにも関わらず、病的な睡魔に襲われる始末。しかも一番いいシーンで。

 真夜中、ふらふらとホテルに戻り、眠ろうとすると逆にコーフンして眠れなくなってしまいました。
 舞台と客席はとても近いし、シアターはこじんまりしていて、近代化から程遠い手作り感。おすすめです。
 (つづく)
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スペインとポルトガル75 フラメンコショー① チケットを取る

2022-10-15 12:01:43 | Weblog
写真はサンタクルス街のパティオの一つ。一つ一つの中庭ごとに趣きが異なる。いずれも、人に見られることを意識したかのような美しさ。

【サンタクルス街の迷宮】
 セビリア最後の夜は、アンダルシアの華であるフラメンコをみてみたい。
ポルトガルでファドに連れて行ってくださった方から

「力量のある人はマドリードに行くけど、層の厚さはなんといってもセビリアですよ」
 と、言われていたのです。

 まずは、今夜のチケットを取らねば。
 調べたすえ、セビリアで一番の老舗タブラオ(フラメンコのショーを行っているところ)1960年代創業の「ロス・ガリョスLos Gallos」に狙いを定めました。ここは事前予約制なのに、チケットのネット販売が見当たりません。直接、行くしかない。
(今はネット予約も可能なようです。http://www.tablaolosgallos.com/en/producto/flamenco-show/)

 タブラオまでは徒歩5分、とグーグルマップには出ています。

 ふらりとホテルを出て、カテドラル(大聖堂)の東側の小道に入ると、さながら迷宮のよう。バル(立ち飲みバーのこと。)やレストラン、みやげもの屋が軒を連ね、適度なほの暗さと行き止りの小道の数々が、なんともエキゾチック。気の効いた住まいの門からチラリとみえるパティオと呼ばれる中庭は、観葉植物のような光を透過する緑の葉が白壁と白い大理石の床のテラスに映えて、異国情緒たっぷり。整然と植木鉢の花を彩りよく飾っている家もあり、庭の手入れに余念のないことがわかります。

 このサンタクルス街はもとユダヤ人街でした。1492年にユダヤ人追放令が出てからは、貴族などの裕福な人たちが暮らしました。そのような複雑な歴史のせいか、秘密めいた、妙に狭いのに、なんだかゆとりを感じてしまう、不思議な空間がたまねぎの皮をめくるように次々と現れるのです。

 道を曲がるごとに知らない街名が次々と現れ、たくさんいた観光客がだいぶ減ったころ、ようやく老舗タブラオ「ロス・ガリョス」に到着しました。髪の長いお姉さんが一人で木の机の前にいて、紙のチケットを売っています。今日の席はあるかとドキドキしましたが、あっさりと予約が取れました。

 帰り道もウロウロと迷いつつ、犬の散歩の人とあいさつを交わしたりして異空間を堪能。行きとは違う通りからカテドラル前に出たとたんに、一気に現世に戻されました。ひどい人混みです。

 ホテルにいったん帰り、夜10時30分から始まるフラメンコを待つことに。本格的なフラメンコはとにかく遅いのです。

 一方、家人はというと、私がチケットを取ったりしている間、セビリア美術館へ。ところが急いでいったにもかかわらず、祝日で早めに閉館となっていたので、さらに闘牛博物館へと向かっていたそう。忙しいことです。
        (つづく)

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