雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南で暮らして感じた不思議なこと、おいしい食べ物などなど

閑話休題・新刊「死体は誰のものか」-比較文化史の視点から

2019-06-15 12:12:17 | Weblog
今回はおすすめしたい本。

 私の通った高校に学区内にある牧場の宿舎で一晩語り明かす、ティーチインという行事がありました。一部屋8人くらいで議論するのですが、そこにふらりと主催者である生徒会副会長が入ってきました。彼は静かな部屋を見つけては議論の火を焚きつける役割なのです。

ささやいたお題は
「人の死体があったら大事件だよね。でも、ここにハエの死体があったら、どう思う?」

真夜中。外はあいにくのこぬか雨で、星もなし、月もなし。どこまでもまっくらな牧場が続くだけ。怖くなって静まりかえった後、彼のもくろみ通り議論が白熱したことを思い出します。

死体の話はデリケートです。日常に語ることは、まずありません。語るとしたら非日常。でも、いずれは誰にでも訪れる瞬間でもあります。ましてや今は日本はじまって以来の高齢化社会。その頻度は増していくでしょう。ここらで少し、この問題を考えてみたい方にはぴったりの本です。

【日本の死体観を相対化】
日本では路上の死体はすぐブル-シートで覆い、人の目に触れないようにして現場検証をします。死体は生々しく、隠すもの。ところがこれが世界の常識というわけでもないのです。

中国やフィリピンでは事故防止用ポスターには、事故車とともに死者も当たり前のように写っていました。キリスト教の教会ではご存じのようにキリストのはりつけの痛々しい身体が一番中央に飾られています。

チベットでは死体を鳥に食べさせる鳥葬や魚に食べさせる水葬が行われています。彼らは、死体を古着と同じように考えていて、古着が他の人に活用されるように、死体が鳥や魚の役に立って、生まれ変わりを信じているのです。つまり輪廻転生。

チベット人は死者となったものを語ることは忌むべき事とされ、チベットでは過ぎ去った歴史はあまり記録されないのですが、これは死体の考え方の違いかしら、など、私自身いろいろと納得したり、発見したりすることがありました。

中国で古来よりたびたび発生する、死体を武器に民衆が権力に立ち向かう「図頼」。中国の映画や本にたびたび理解しがたい、しかもその後急展開するような場面がでてきて分からなかったのですが、このことなんだと得心できました。

死体を深く考察することで、考え方の基本に立ちかえることができる一冊です。


上田 信著
『死体は誰のものか』-比較文化史の視点から ちくま新書 800円+税
好評発売中
●週刊朝日、週刊現代、週刊東洋経済の書評でも取り上げられました!
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ドイツ編16 ベルリンにて6 煙突エレベータ

2019-06-07 17:56:00 | Weblog
写真はベルリンのシャルロッテンブルク地区のコメルツ銀行前にて。ベルリンの象徴の熊.ベルリン国際映画祭の賞の名前はご存じのように金熊賞、銀熊賞・・。街中に熊のモニュメントは数々みたが、この銀行前はなぜか白熊と黒熊のキッス。白黒はっきり付けたい皮肉なのか?

【歴史あるエレベータ】
この歴史のせいなのか、不思議なものもチラホラ。

まず、ホテルのエレベータが非常に小さい。ホテルは大きいのに、階段もらせん状でゆったりとしているのに、エレベータは煙突の中か? と思えるほどです。

 銀色の金属製の前面がガラス張りのような、よく中が見える箱が降りてきたと思ったら、ガラスはなく、空洞。その階に到着したエレベータに乗ろうとすると、たいてい身体の大きな男性従業員が乗っており、一杯だよ、というジェスチャーをして降りていってしまうのでした。

上の階に従業員用の休憩室でもあるのかもしれません。

エレベータの前のその階に設置されたドアを開けると、その階にエレベータに内扉も何もない状態で即座に乗り込むことができるという貨物用のようなたたずまい。

オランダのホールンのホテルでも、日本では見かけないレベルの簡易なエレベータで仰天したのですが、それよりさらに簡易です。ホールンでは四人ぐらいで乗ることができ、さらに手動とはいえ内扉もあったのですから。

ベルリンのホテルのものは、乗り込むと前面以外が金属で囲まれ、入り口の横にボタンがついているだけの殺風景な箱。ただエレベータに入り、ドアをきっちり閉めないと、行きたい階のボタンを押すができません。こうして安全は確保されるようです。そしてそれは一人用。
製造年を見ると1960年代のものでした。西ベルリン時代を生き抜いたエレベータ。頑健にできているのか、さすがドイツ製。
 
また、大きく優雅に見えたバスタブも、実際に入ろうとすると、なぜか栓がない。つまりお湯がためられない。これは中国でも地方都市に行く宿泊施設でよくあることなのですが、まさかヨーロッパの、しかもかのベルリンの3星で。ベルリン、ただならぬ都市です。

こういうときは冷静にビニールを栓のところに当てて、しばらくそのまま手で押さえてお湯を溜め、水圧がビニールにしっかりとかかったところで手を放すと、ちゃんとお湯を張ることができます。お湯は出たので、これで気持ちのよいお風呂に入ることができました。

いろいろと不備の多い中国の地方都市を旅していると、お風呂の不備は当たり前ですが、エレベータはさすがに最新式でした。とくに日本製のエレベータは中国の不動産売買のチラシでは大きく書かれるほど重要な設備です。当然、最新ぴかぴかのものが多かった。中国の開放政策は30年強。エレベータの普及も必然的に30年を超えることはほとんどありえません。


いろいろと不備の多い中国の地方都市を旅していると、お風呂の不備は当たり前ですが、エレベータは、ついている場合は日本製の最新ぴかぴかのものが多かった。中国の開放政策は30年強。一方、ドイツのエレベータ導入は、エレベータの発明された最初期なのですから、その歴史の深さの感じました。
(つづく)
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ドイツ編15 ベルリンの中庭

2019-05-31 10:59:54 | Weblog
写真は宿泊したホテルオイローパシティの3階の部屋から見た中庭。

【ホーフ建築】
ホテルオイローパシティは部屋の天井が高く、白く、そして漆喰で描かれた天井の隅の装飾は草花が漆喰で立体的に刻まれていました。カーテンも高い天井からドレープのようにつり下がり、派手さはないですが優雅さを漂わせています。バスタブもあって、年代ものではありますが大きい。トイレも壁も、きれいに磨かれていて清潔です。階下へ通じる階段は大きく、優雅な螺旋階段がしつらえてあり、荷物をもって上がりさえしなければ快適です。

ホテルの部屋は大通りの反対側に面しているにも関わらず、窓の外には生い茂った緑が。窓を開けて見ると5階建ての建物と同じ程度の高さの巨木を中心にした中庭がありました。一階からは、この中庭の散歩もできます。

よくみると中庭を中心に四方を同じ造りの建物で囲い、ホテルはそのうちの一面だけで、他の3面はマンションなど別の用途に分譲されていました。そのため、建物の廊下を回って4面をめぐろうとしても、壁に阻まれて進むことはできません。

今は安価なホテルになっていますが、不思議な構造と高雅さが漂う雰囲気から、なにやら歴史を感じさせます。映画のワンシーンのような独特の雰囲気が漂っています。

北京の四合院みたいだなあと強く印象に残ったので、いろいろと調べていると、ドイツによく見られる「ホーフ(Hof:中庭の意味)」型とよばれる建物でした。ベルリンでは1900年代初頭にさかんに造られ。ベルリンの壁崩壊後は、さかんにリニューアルされ、有名なショッピングモールやアパート、現代アートの展示場などになりました。独特の雰囲気が人気となっていて、世界遺産になったものもあるそうです。

中庭があるおかげで、どの部屋からも緑が美しく、また間接的な日射しが入り、なんとも落ち着いた空間になっています。この空間のようにベルリンの街全体も造られているように感じました。街の中心には、うっそうと茂る森の公園が驚くほどの広さで広がっていて、その周辺に主要な政府機関などがポツリ、ポツリと建っていました。日比谷公園より10倍濃い緑。とにかく雰囲気が独特の街です。

ホテルの位置はベルリンの中心部より西にあり地下鉄で8分、西ベルリンのシャンゼリゼといわれた繁華街に近く、歴史を感じさせる映画館やブティックの通りはすぐそこ。これでピーク時での宿泊代が一泊18000円ほど(3人だったので、一人6000円で朝食付き。普通の4つ星ホテルが一人一泊2万円ぐらいだったので、格安でした)。

ベルリンがイギリス、フランス、アメリカ、ソ連の4つの国に共同統治という名目で分割され、ソ連以外の領域は西ベルリンとされていた頃は、イギリスの占領地域だったところですが、その複雑さがなんともいえない陰影をもたらしているのかもしれません。
(つづく)

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ドイツ編14 ベルリンにて4 味のわかる人たち

2019-05-25 17:45:18 | Weblog
写真はベルリンのフリードリヒシュトラーゼ駅近くのビアハウスにて。各種ブールがビールサーバーより注がれ、ソーセージも直径3センチ、長さ25センチぐらいが普通の状態で、とてもジューシー。この駅の周辺はレストランで賑わい、駅前の広場はテラス席で食事できるところで埋め尽くされていた。スーパーマーケットなども充実しているので、ベルリン市民の買い物や食事を知るにはいいところである。

【朝食はバナナが重要】
前回の続きです。

このような状況の中、冷静だった人たちがいました。

まずは中国の人たちです。昨日も朝食会場で見かけた彼らは、バナナと牛乳のみを朝食として選んでいました。
中東風の人もバナナと持参したヨーグルトのみで、パンには決して手を出しませんでした。

 私はというと、昨日の夕飯の残りのソーセージを持ち込み(上の写真参照。ドイツでも残したものを持ち帰りたい店に頼むと、ちゃんと包んでくれました)、これはおいしくいただき、さらに足りないので朝食会場の肉団子を一口。昨日はまあまあ食べられた肉団子も、自分で持ってきたおいしいソーセージの後では、食べ進めることはできませんでした。あとは、バナナ。
 このホテルでも親指程度の大きさのソーセージが湯がいて置かれていたのですが、ふやふやして味が薄い、食べ物となっていました。

 こうして、このホテルに宿泊したマラソンランナーの命運は、バナナが握っていたような朝食を終えました。

 この後、ベルリンマラソンが始まり、それらが終了した午後5時ごろ。記念のメダルを首からぶら下げて歩くランナーの方々、それを見学、応援していた人たちが一斉に帰路につきました。我々も帰りがてら夕飯を食べようと、トロリーバスに。
 路上も、バスの中も、当然、ラッシュでもみくちゃ状態。気づくと、夫のスマホがなくなっていました。乗車直前までスマホをいじっていたので、落としたのでもなく、すられたようです。ズボンの後ろのポケットに差しておくのは、よくないですね。
 以後、夫はスマホをベルトに吊るすように工夫しました。その後も何度も出かけていますが、今のところ、なくなる様子はありません。

 ところで、このホテルですが、インターネットの宿泊サイトでの朝食の評価は、なかなかよいのです。
たまたま私が泊まった時が不運だったのか、はなぞですが、食べた人が一様に同じ表情をする、というのは、かなり特別な光景ではありました。ちなみに、ベルリンでは、ここの朝食以外は、まさしくドイツ料理というべきおいしさだったことを付記しておきます。
(つづく)

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ドイツ編13 ベルリンにて4 コワモテだけどやさしい

2019-05-18 10:29:55 | Weblog

中央の白い柵の辺りの平べったい乗り物を熱心に応援する人たち。ベルリン国際マラソンの早朝、目の前を高速スピードの人の乗る乗り物が走り去っていった。車いすかと思ったら、ハンドサイクルという、車いすを改造した形の乗り物で、足を使わず、手だけで漕ぐ。空気抵抗を減らすために寝そべった形に進化したものだ。ともかく速くて、一生懸命でかっこいい。

 スピードの出るスポーツなので一般的な成人男女のマラソンの前にスタートする。このように一般のマラソンの他にローラースケートを履いて走るインラインスケート、車いす、このハンドバイク、そして子どものマラソンと部門別レースが充実していた。

【不思議な朝食風景・・】
前回のつづきです。

ここであらたにおしゃべりをしながら楽しげにおばさん二人が朝食会場に入ってきました。トレーの上に楽しげにお料理を載せて、おしゃべりをしながらテーブルに向かい合って座って、一口。
とたんに無言、無表情。

 ここまでくると、あまりの見事な表情の変化に笑いのツボにはまってしまいました。もちろん、失礼なアジア人と思われないように私としては最大限、努力しているので、食べるどころではなくなってきました。

 次に新たに小学生の女の子と、スレンダーで都会的雰囲気の母親が入ってきましたが、やはり想像通りの展開に。笑いを声に出さないように腹筋でとどめているのが苦しかったこと。

追い打ちをかけるのが、ここの従業員のスキンヘッドで入れ墨の入った若いお兄さん。とにかくめまぐるしく働いています。ブレーメン以来の慌ただしさです。

 へそから下を覆うエプロンをきっちり巻いて、目的のテーブルに早歩きで突進し、有無も言わさず空いたお皿を取り上げて、ずんずんと厨房に戻っていきます。動きはあくまで直線的で、テーブルの上を拭くにしても、すばやく、直線的で力強く、しかし、汚れを残すことなく、確実に仕留めていくのです。なんだかこわいぐらいでした。

 ところが、2日目、私がジュースを入れようとしていると

「これはアップルジュース、オレンジジュースはこちらだよ」

と、この若いお兄さんが声をかけてきたのです。

私が昨日、オレンジジュースをなみなみと注いでいたのを覚えていたのでしょうか?そこで

「わかっています」

と私はそのままアップルジュースを入れようとすると、彼は丁寧にボタンを押して、コップに注いでくれ、そして丁寧に渡してくれたのでした。

「ダンケシェーン」と私は丁寧におじぎをかえしました。

 さてこのアップルジュース、席について飲むと、アップルというより、たんなる炭酸で、固くて甘いだけの味がしました。

【ベルリン国際マラソンの朝食】
 このホテルにも、たくさんのベルリンマラソンの参加者が泊まっていました。マラソン当日の朝、彼らのカロリーを思ってか、朝食会場にバナナが房ごと置かれました。

慶事です。

ロシアのナショナルチームの文字入りTシャツの若者の集団や家族でおそろいのデザインのマラソンシューズを履いている人も、続々と朝食会場に降りてきました。

ナショナルチームの若者は今日のためにと山盛りの炒り卵、サラダ、そしてパンを皿に盛っています。大丈夫かと心配になってみていると、どの人も予想通り、一口入れると瞬時に目もほっぺの筋肉も一斉に落ちて無表情になるのですが、文句もいわずに黙って苦行に耐えていました。そして、見事に食べきっていました。

私の笑い袋はその日はとうとう耐えきれず、爆発してしまったのでした。
(つづく)
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ドイツ編12 ベルリンにて3 『モモ』の朝食?

2019-05-12 10:41:34 | Weblog
ベルリンの高級ブティックのある、日本でいえば銀座のような通りにも直結し、地下鉄の駅にもほど近い便利な三つ星のホテル オイローパシティ。通りの建物は、いずれも古風な風格にあふれ、ベルリンの雰囲気を味わうことができる。
 人々は一見、都会風なよそゆきの風情だが、人が倒れたりすると、すぐにだれかが気づいて駆けつけ、集まった人が見事な連携プレーで、救急車を呼んだりと、スタイリッシュの中にある、下町風あたたかさを随所で感じた。

【不思議な朝食】
 ベルリンには3泊しました。ちょっとぜいたくな旅の楽しみの一つはホテルの朝食。さて、朝、おなかがすいたと会場に向かうと、なぜか殺伐とした空気に包まれていました。

 忙しそうなサラリーマン風背広を着た二人連れの男性は表情もなく無言で食べ物を口に運んでいます。
入れ墨の入った中東風の顔立ちの丸っこい男性二人もひたすら機械的に食べ物を口に詰め込んでいます。
下がピンクのぱっつんぱっつんのスパッツに花柄の長袖シャツを着た、白と灰色が入り交じった長髪を無造作に後ろに束ねた、やや皺顔の女性は、薄切りパンがいっぱい入った袋を片手に戦闘的に前を見据えて食べ続けています。
「袋にいっぱいパンを詰めちゃって。配膳コーナーからお昼用にちょろまかしてきちゃったのかしら」

なんとなく、ブレーメンに続いてこれまたミヒャエル・エンデの小説『モモ』の世界を彷彿とさせます。

 ベルリンではホテルが取れなさすぎて、ホテルのランクを下げたとはいえ、ずいぶん人の雰囲気が変わるものだ、と、なかば呆れつつバイキングの列に並びました。

【バイキングの列へ】
 壁際には、お皿からはみ出る丸パンや、温かいコーヒー、それなりの品数の料理の数々に
「けっこう豪華そう」
と一緒にいった人たちは目を輝かせました。

 さて、大皿を持って料理の前に行き、日本のお弁当の定番・タコさんウインナーやきゅうりやパプリカのピクルス、トマトとレタスとキュウリのサラダ、炒り卵、ハム、プロセスチーズ、丸い形の白パン、ミルク、オレンジジュース、コーヒーを取って空いている席へ。

さあ、食べるぞ、と気合いを入れ、まずは飲み物から。

 ミルク、うすい。

オレンジジュース、たんなる色のついた水。

コーヒー、なぜか大量の油が浮いている。

ピクルス、野菜丸ごと一個のものしかないので、セルフで薄く切って食べるしかない、という新鮮な体験。

炒り卵、しょっぱい、どころか卵の味が遠く、豆腐が半分以上、入っているかのような不思議な食感。ソーセージは、本場のはずのドイツで奇跡のような、香りのなさ。

パン、ああ、これは、なつかしの、小学校時代にお世話になった市内1万人以上の子ども向けに一斉に配給していた給食センターの、あの、うまみのない、ぱっさぱさの、コッペパン。

 そうだ、なんにも手をいれていない、ただ切っただけのサラダを食べようと、トマトとレタスのキュウリのサラダを手に取ると、新鮮さのかけらもない、しなびた味。せめて、果物があれば、と目を凝らしても、ぜいたくなのぞみなのか、ありませんでした。

 こと、ここにいたって気づきました。朝食会場の人たちの表情や行動は必然だったのだと。

おばさんの、片手につかんでいた薄切りパンは、朝食のあまりのまずさの自衛策として、パンを自分で買って持ち込んだものだったのだと。

そう気づいて、新たな気持ちでおばさんを見ると、カマンベールとか贅沢なもののないチーズでも、ふやけた味のハムでも、とにかく無造作にパンに載せて、飲み物で流し込んでいます。
 とにかく、全然楽しそうじゃないことは確かです。
(つづく)

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ドイツ編11 ベルリンにて2  プレ・ベルリン国際マラソン

2019-05-04 09:39:29 | Weblog

写真上は、1989年のベルリンの壁を市民が歓声をあげて壊している映像をニュースで見たとき、映っていたブランデンブルグ門。行くとちょうど、ベルリン国際マラソンの前日で、子どもマラソンを開催していて、市民の温かな空気に満ちていた。世界的大都市なのに、小さな街の目の届く範囲ないで行われているお祭りのような雰囲気だった。
 ベルリンの壁はなく、地面に20㎝ほどの太さの石組みがささやかにはめ込まれている線のみが往事をしのばせるのみ。石組みは基本的に道路の中央を直線的に引かれているのだが、この門のところのみ、門を囲うように丸い線となっていた。門は東側にある。よほどソ連がこの門を欲しかったことがわかる。

 写真下、門を背にしてまっすぐ西を見ると、直線道路の先にドイツ映画のはじまるところによく映っていて、かつ「ベルリン天使の詩」で印象を残す金色の女神像が載る塔(ジーベスゾイレ・戦勝記念塔)が見えた。
 これは東ドイツ側からも見えたであろうモニュメントに違いない。映画はきっと、塔の先のブランデンブルグ門、その先の東ドイツへの呼びかけの意味もあったのでは、と、位置関係を見て、映画の深い意味合いに、衝撃を受けた。

【ホテルがない訳】
ベルリンは旅行の手配をするなかでもっとも手こずった都市でした。どうがんばっても希望の額でホテルが予約できません。大手旅行会社の人は「とくに大きな会合などはありません」というばかり。これは、よほどホテルのない都市なのか。

 そして行ってみると、なんとベルリン国際マラソンの真っ最中だったのでした。

[今回、手配に大手旅行会社を使ったのですが、逆にいろいろとトラブルに見舞われました。帰国後、指摘すると「今後の参考とさせていただきます」の一言で終了。諸事情のため、利用せざるを得なかった会社なのですが(だから殿様商売なのかも)、あまりに手配ミスが多かった。人件費代程度はせめてがんばってほしいものです]

【国際マラソンのイケてるプレイベント】
 世界6大マラソン(ボストン、東京、ロンドン、シカゴ、ニューヨークがある)の一つなので当然、世界中の人がやってきます。

 着いた翌日の昼間にベルリンの中心部にあるブランデンブルグ門に行くと大通りを跨ぐように大きなブルーの空気風船のような巨大なゲートや応援用舞台、巨大スクリーンなどが設置されていました。

 そこを軽快なDJ風の司会者の言葉や音楽が流れるなか、子どもたちが元気に駆け抜けて行きました。

 その日はベルリン国際マラソン本番の前日で、地元の子どもたちのマラソン大会が開かれていたのです。国際的な設備の中で走っているという誇らしげな顔をしたほほを赤らめた子どもたちの顔、顔、顔。

とてもいい企画です。

東京マラソンでも行われているのでしょうか? 交通規制がたいへんなのかもしれませんが、大人も含め、健康的で明るい空気に満ちていました。

(つづく)

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ドイツ編10 ベルリンにて1 ベルリンとりどり

2019-04-27 16:59:25 | Weblog

写真上はベルリン名物フリーマーケット。この日は博物館が集合している博物館島の道路各所で開かれていた。とにかくベルリンを歩く人々(観光客以外)の人を観察していると飽きることがない。
写真下はベルリン市内のタイマッサージ店。ブレーメンでもよく見かけたが、ベルリンでもマッサージ店は多かった。皆、お疲れなのだろう。


【個性的な人が息づく】
 ドイツの旅の最終地はベルリンでした。「ベルリンの壁」など歴史を考えるには外せないとの意見で目指した地。2018年9月14日。街はちょうど秋の入り口で木々が黄色くなりかけていました。時折吹く風も冷たく感じて、まだ夏の名残のポロシャツに薄手のコートを羽織り、風の冷たさに襟を立てる人をよく見かけました。

 リューベックもおもしろい街でしたが、ベルリンも一人一人に物語を感じる、味わいのある街でした。日本で上映されるドイツ映画はドイツという括りでは語りきれない、「ベルリン」映画だったのかも知れない、と思うほどに。

 夕飯を食べに、西ベルリン時代に造られた日本の銀座に相当するクーダム通りと呼ばれる繁華街に行くと、黒いコートにねずみ色のモシャモシャ髪のおじいさんが自転車を引いている。その自転車の工夫された荷台には「MICKY MOUSE」ならぬ「MICKY RAT」と丁寧にレタリングされた看板が置かれたネズミの飼育小屋が載せられていました。

 また、スーパーマーケットで買い物をして並んだレジでは、咳き込む老婦にレジを打ちながらさりげなく飴を渡す人、それを慣れた風情で食べる上品なおばあさん。窓が開いたままのアウディの車に金髪のいわくありげな男性3人・・・。どこを見てもなにやら不思議な物語が紡がれているような不思議な雰囲気です。

 都市ごとにこんなにも景色って違うとは! ドイツは均一ではないことを実感するのでした。

(つづく)


 
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ドイツ編9 東の香り、リューベック5 欧州ハンザ博物館の充実ぶり

2019-04-20 12:27:09 | Weblog


写真はリューベックの中心にある市庁舎。レンガがにび色に光っているのだが、これはかつて、牛の血と塩を塗ったこの地方独特の色彩なのだそう。1159年に建てられた、ドイツ最古のゴシック建築とされている。その後のハンザ同盟都市の市庁舎のモデルともなっているらしい。
写真上は風が通り抜けられるように独特の穴が開いた市庁舎の破風。なんとも威厳がありつつも、おかしのようにかわいらしさが同居した不思議なつくり。

【旅行ガイドにはない、巨大な博物館】
リューベックに行ったのは、かつてのハンザ同盟都市の中でも盟主でハンザ同盟の集まりでは一番中央のいい席に座っているほどの都市だったため。ちなみに第2はハンブルグ、第3,4あたりにブレーメンがきます。

 まだ、日本のガイドブックには載っていないのですが、「欧州ハンザ博物館」という巨大な施設があり、あきらかにハンザ同盟の街としての町おこしに力を入れていたからです。

この博物館は、たとえば様々な船や実際の交易品などという、当時、実際にあった、もしくは使われていたようなモノはほとんどないのですが、再現映像やレプリカ(立体の模型)などが果てしなく充実。開館と同時に入って5時間ぐらいそこにいても見切った感じがしないほどでした。

たとえば、各所に設けられたQRコードの読み取り機に自分の入場券をかざすと、テーマ別の解説の文字が事細かに表示される仕組みになっていて、一つ一つ丁寧にみたら、博士論文10本分以上を読み切ったと思えるほど、文字情報が充実しています。

残念ながら日本語の解説はないのですが、たとえばロシア語の文献や論考までも英語に訳されて解説されているので、なかなか意義深い博物館となっていました。

 この地は塩の産地のリューネブルクから運んだ塩を、当地では水揚げされたニシンなどの魚の塩漬けに使い、さらにそれら加工品や塩そのものをデンマークを始め、ノルウェーを初めとしたスカンジナビア半島、さらにはロシアのノブゴルトまで、海を通じてさかんに交易を行っていたことがわかります。現在でもデンマークまで鉄道がつながっている、ドイツの窓のような町なのでした。

(つづく)

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ドイツ編8 東の香り、リューベック4 欧州ハンザ博物館へ

2019-04-13 15:05:04 | Weblog

写真上はリューベックの街並み。全体にレンガ造りで高い尖塔を持つ教会が町の中央及び東西に建つ。ハンザ同盟第1の都市として隆盛を極めたこの町では、それぞれの職業組合ごとに立派な教会を建てたことによる。ドイツは全域で世界大戦で爆撃を受けたたため、中世以来の街並みが広範囲で残っていることはあまりないが、この地は爆撃が全域にまでは及ばなかったため、よく保存されている。

写真下は船員組合レストランで食べたポテトの炒め物。ベーコン、キノコとポテトでかりかりに炒め、その上にパセリ(?)が載っている。基本的にどの料理にもポテトを使った料理がつく。塩味がほどよく、ビールのつまみによく合う。

【蒸気機関車も】
リューベックは東ドイツ圏だったのか、と調べてみると予想に反して西ドイツの領域でした。ただここから東ドイツへ向かう蒸気機関車が走っていたので(今も蒸気機関車は走っている)、東ドイツの文化などが流入していたのでしょうか?

 日本でテレビや映画を見ていると共産圏の東ドイツと民主主義の西ドイツはきっぱり国境で分けられていたように感じていたのですが、あいまいで共産圏が入り込んだような都市もあった、ということなのでしょうか? 実際、当地にある欧州ハンザ博物館のリューベックの地域をあらわす言葉として、頻繁に「ボーダー」という言葉が何度も使われていました。

ポーランド映画などを東西の違いは、人の生死をも分けるほど厳しいものだったように思っていたのですが、この地の状態は一体、どう考えればいいのでしょうか?

(つづく)
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ドイツ編7 東の香り、リューベック3 英語は風のささやき

2019-04-06 14:25:54 | Weblog

写真上はリューベックのレストラン「シファーゲゼルシャフト(Schiffergesellshaft)」の外観。建物の最上部には船の模型、中段には1530年の文字と船の絵が掲げられている。この店の道をはさんだ向かいの教会は、船で難破し、亡くなった方々を供養する教会が建てられている。
写真中は、そのレストランの天井。様々な中世からの船の模型やランタンがぶら下がっている。
写真下は、店の名物。カツレツ。肉のうまみと塩味のバランスが絶妙。もちろん、揚げたて。

【英語は風の音?】
夜、かつての船員組合の建物だった「シファーゲゼルシャフト(Schiffergesellshaft)」という名前の老舗のレストランにいきました。1866年に金銭上の都合で船員組合が売りに出したために今日までレストランとして残った建物です。ほの暗い建物の天井からは様々な船の模型がつり下がり、木の横長につながった椅子にも船な何かの名前の彫り物がカラフルに彫られていてなんともステキな空間が広がっています。

ここでブレーメンまでの習慣に従って英語で人数を告げ待つこと10分。入り口の番頭風の黒ジャケットのおじさまと目まであったのにナンの変化もなし。

ところが次に来た客がすんなり案内されたのを見て、あわてて『一人歩きのドイツ語』の本を片手にドイツ語を発すると、おもむろに番頭さんは笑顔で、席に案内する人を呼んでくれたのでした。

 その後、日本人とわかると、奥から紅顔の青年がはずかしそうにやってきて「私は日本語を勉強しています」といってメニューを見ながら説明してくれました。

 つまり、英語対応はできなくて日本語対応の備えのある店だったのです。翌日も同じ店を訪れると、とても喜ばれ、常連さんのいる奥の部屋に案内してくれました。

 さらにその奥には、かつて取引があったらしく、ハンザ同盟時代のスルタンの手紙が飾られていました。

人々も次々とハイペースでジョッキのビールの飲み干す人々がたくさん。

横に座っている方は女性2人組です。あまりにもおいしそうに飲み干すので同じもの、とウエイターに告げるべく、見ていたら目があい、お互いにご挨拶。とても居心地のいい空間で、質のいい油で揚げたカツレツの香りが漂い、おなかの心も大満足のお店でした。

 日本と違ってすごいのは、みんなビールの杯を重ねているのに陽気にはなっても、お酒に飲まれている人は見当たりませんでした。アルコール分解能力が高いのでしょう。ベルギーのビールよりアルコール度数が少なく、5%程度だったことも関係があるのかもしれません。
(日本と同程度。そもそも日本のビールはドイツの製法からきたものが多い。)
(つづく)
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ドイツ編6 東の香り、リューベック2

2019-03-31 12:21:44 | Weblog

リューベックの信号機。アルペンくんとして、いまでは世界中に親しまれている少年をかたどったマーク。おさげがみの少女の形のものもある。

【買い物の仕方】
買い物の仕方もまた、懐かしかった!
お金の支払い方式が10年前ぐらいまでの雲南の百貨店と同じだったのです。

知人が折りたたみ傘を買おうと店員に当たり前のように英語で話しかけたのですが、いやそうな顔をされ、値札を指さされる。

次に知人がその店員に払おうとすると、またいやそうな顔をされ、中央を指さされる。

ここでようやく「ここは共産圏?」と気づいて、雲南のお作法で入手することができたのでした。

つまり、大きなフロアの数カ所に設置された会計専門の店員のいる台座のようなところで請求書を書いてもらってから、その請求書を持って中央レジで支払いを済ませ、そのレシートを買いたいもののある当初の売り場に持って行くと、そこの店員によってようやく欲しかったものが受け渡されたのでした。

 この時に買った傘が、じつに丈夫で、そこそこ軽くて、デザインもシンプルで、何より安い。日本に帰ってからも、知人の愛用の一品となっています。

【アルペンくん】
信号機がアルペンくんという少年のマークで、とてもかわいい。世界中でアルペンショップというグッズ屋で販売されるほど人気なのだと娘が話してくれます。

この信号のマークはかつて東ドイツで使われていたもののはずです。近年、人気が高まり、西ドイツ側にも設置されだしたそうですが、そこらじゅうというのは、やはり珍しいような。

またブレーメンでは人を焦らせるかのように青信号から赤信号へのタイミングが早く、しかも青信号のときになる「カチカチ」という音が徐々にはやまって「カカカカッ」となって、人の心が焦りきったところで赤信号になっていたのですが、ここはあくまで「カチ、カチ、」とゆったりと時を刻む音が悠長に流れ、人を焦らせることはありません。

人の歩みはゆるやかになり、床屋さんでは人が談笑しながら髪を切られているといった心の余裕が感じられます。白髪のおばさまは、すてきな洋服を前にウィンドウショッピング。「すてきね」という雰囲気でななく、「これ、すてきだわ」とガン見しているオーラが背中から漂っていました。

いかにもシステマティックで無駄のないブレーメンからの違いは一体何なのでしょうか?

(つづく)
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ドイツ編5 東の香り、リューベック1

2019-03-24 10:48:50 | Weblog
写真はリューベックの街。アルマーニは、知っているが、ちょっとだけ違う名前は偶然か・・。中のお店の洋服の素材はしっかりしているようだ。
そういえばかつて中国上海の有名百貨店の子供服売り場で小熊をあしらったTシャツを買って、娘に着せていたことがあった。しっかりした生地で綿100%。発色もいい。小熊ちゃんの上にはアルファベットで「FAMININA」の文字が。ファミリアだと、友人に指摘されるまで気づかなかった。

【数十年前の中国のデジャブが】

この旅のなかで最も印象的だった街がリューベックです。オランダもベルギーもドイツのブレーメンも、こちらが英語で話せば英語で返ってくるのは当たり前でした。ブレーメンに至っては、こちらがたどたどしくドイツ語を繰り出しても、英語で返事されてしまい、異国情緒の色合いが薄れるほど。

でも、リューベックは違いました。こちらが単語程度の英語で率直に発しても、「あれ、風のそよぎかな?」という風情で軽く無視されてしまいます。その一方で街には「ベルリッツ」など、日本にも進出している英語塾の看板が目立っていました。

それまで立ち寄った街には「ベルリッツ」の看板はなかったような。
つまり、ここは英語が苦手で、英語に苦労している人たちが住む街だ、と突如、身のうちからわき起こる親近感。

雰囲気も20年以上前の中国にそっくりでした。

まず、列車でリューベック駅に降り立ち、さっそく目の前のホテルに直行。すると、そこに立ちはだかるのは日本規格では考えられない高さの段差を持つ8段の階段。スローブはなし。中から人が出てくる様子もなし。頑張って荷物を自力で引き上げ、フロントに行くと、美人だけど無愛想なお姉さんが座っています。

「スリーパーソン(3人)」と言っても、まったく反応なし。
そこでドイツ語であらかじめ印刷しておいたホテルのバウチャーを見せるとようやく納得して鍵を渡してくれました。部屋番号を自力で探してさまようと、木造のおちついたつくりの古いけど掃除の行きとどいたホテルのようです。部屋に入ると思った以上に広くて天井もやたらに高い。20世紀初頭に造られた中国の老舗ホテルもそうなので、連れ合いは懐かしそうにしています。そして、陶器(トイレなど)がピッカピカに磨かれていました。

このホテルの部屋からみた夜空があまりに美しいので、ふと思い立って深夜2時過ぎに外に出ようとホテルのフロント前を通過しました。当然ながら人影はありません。
けれど、あの高い8段の階段を降りようとすると、それほど高級なホテルでもないのに、ちゃんと盛装した守衛さんがいるではありませんか!

ニコニコ顔のおじさんは、私が星を指さして見に行くとボディランゲージすると、納得して外に送り出してくれました。また入るときのボタンの位置も教えてくれました。

外は9月初旬だというのにずいぶん冷えていて、星見には最高の空気感でした。これも、ホテルの中がすべて快適にオイルヒーターによって気持ちよく温められていたことに外にでて気づく始末。

結局、思いがけない寒さと、駅が近すぎて、電気が予想以上にともっていたことと、駅には不良らしき若者がたむろしていたので、ホテルの外を散策して絶景ポイントを探すことは断念しました。すぐにホテルに戻ると、守衛さんがドアを開けてウインクまでしてくれたのでした。

サービスの質は個々人の品性にまかされている。どことなく共産圏の香りが。
(つづく)

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ドイツ編4 酒蔵を改造した世界遺産のレストラン

2019-02-17 16:40:20 | Weblog

英語メニューではソーセージの文字が見られたので頼んだもの。ソーセージは腸詰めされたものではなく、その中身の具材をかりかりに炒めたハンバーグのようだった。添え物はベーコンとポテトをサイコロ状に切ったものとリンゴジャム。写真下はジャガイモのスープ。スープは飲むものではなく、口に入れて一度、咀嚼する感じで、しっかりとおなかに溜まる感じ。見た目よりもずっとボリュームがあり、すべてが一口サイズよりも小さいが、さりとて飲み込むものでもなく、味もしっかりと付いている。一瞬、食べ方に戸惑ったが、ビールにも合って、飲み込むタイミングが分かってくると、なるほど、スピーディにおいしく食べることができる。

【分業化の進んだはては】
 1,2階の市庁舎はガイドツアーに入らないと見られませんが、この地下レストランはレストラン利用者なら自由に歩くことができます。

 さて料理を頼もうとすると、これがなかなか難しい。ボーイは多く、皆、営業スマイルで動きも驚くほどきびきびとしているのですが、分業化が凄まじく、自分のテーブル担当で、さらにその人の仕事分野ではないと、注文すら断られる始末。
 ただ、注文さえ通ってしまえば、料理はすぐに来るし、味も抜群なので、そこはご安心を。
私はビール党なのでビール専門で食べていましたが、ここはワインが有名な店なので、ワイン好きの方はぜひどうぞ。

 また、食事だけの席とショーを見ながら食事をする席が分かれています。とはいえ、酒蔵を改造しただけの空間なので、深紅のベルベッドのカーテンで仕切られただけの簡素な間仕切りとなっていて、それもまたある種の風情が感じられるのです。

 つまり、そのショーの演者の出入り口が、ショーを見ない一般客の席の横にあり、自然と彼らの緊張感が伝わってくるといおまけ付き。
 ついにはじーっと見てしまっていた私と落ち着きなく、手汗を拭いてステッキを持ってはおろす、若き演者と目があい、テレ笑いをし合うことに。手を振ってから、カーテンを先を見つめ、意を決したように大きく深呼吸して、カーテンを開けてスポットライトの中に飛び込んでいきました。これが全部、見えちゃうお店、って・・・。

 他にも、トイレの領域にまで(ただし女子トイレのみ)ルネッサンス様式独特の陰鬱なお顔の像があったり、ともかく歴史を味わうには最高のお店でした。

 それにしてもビールを注ぐ人はそれのみに専心し、ボーイはそれぞれの料理運びに専念し、そして笑顔がない、というのは、ドイツの他の地域では見られなかったので、このレストランのみの特徴なのか、地域の雰囲気のなせるわざなのか。
 ちょっとよく分からないのですが、地球の歩き方の最新版(2018年出版)に出ていないお店なので、紹介してみました。旅の思い出にいかがでしょう?


※次回の更新は3月下旬となります。次はリューベック編の予定です。
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ドイツ編3 ブレーメンの世界遺産に踏み込むには

2019-02-09 10:44:52 | Weblog

写真上は世界遺産のブレーメンの市庁舎の2階。ハンザ同盟都市として、ここで様々な話し合いや、取引が行われた。天井からはシャンデリアの他に、様々な船の模型がぶら下がっている。写真の船は鉄の大砲がいくつも着いていて、いかに海上貿易が軍と関わっていたかがわかる。この模型の船はおもにアフリカに向けて出航していた、と説明された。
写真下はその市庁舎の地下1階にあるレストラン「ブレーマー・ラーツケラー(BREMER RATSKELLER)」の入り口。その白壁に誇らしげに「since 1405」の文字が書かれている。

【600年以上の歳月を見続けた建物】
その移り変わりをじっと見つけていた市庁舎。市庁舎もローラント像とともに世界遺産に登録されています。(日本では世界遺産は、かなり広範囲な建物群などで設定されていますが、ここは爆撃を受けた地区に唯一残った、この二つの建物だけで世界遺産に登録されています。ヨーロッパとその他の地域では基準が少し違うのかもしれません。もちろん、この二つの建物の歴史的な雰囲気は圧倒的ですが。)

 内部を見学するには、専門のガイドをつけてツアーに参加しなければなりません。我々も参加したのですが、まず、11時、12時、14時、16時と日に4階ある集合時間の10分前に市庁舎の一つの入り口の鍵が開けられ、英語によるガイドツアーに参加を表明し、ガイドさんの導きによって建物内に入ります。ある程度の人数が集まるとガイドが入り口のドアに鍵をかけ、他の人が入れないようにします。それから、参加者は、その人にお金を払います。その間、たったの10分間。ネットで予約することも可能なので、その場合は先払い証明書をプリントアウトして渡します。

 それから一時間かけて丁寧に見所を説明してくれるのですが、これがなつかしの中学校の修学旅行のよう。

 写真を撮ろうと少しでも列から遅れたり、わきに逸れたりすると、ガイドさんがパンパンと手を叩いて、a明るく厳しい小学校の先生のように「そこ、勝手をしてはいけません」といって連れ戻されてしまいました。
 こちらは学生のような気がしてきます。
 
 よくみると別のガイドさんの案内で同じ部屋を動いている団体が、家人が立ち入ると注意されたエリアに踏み込んで、なにか特別なものを触らせてもらっていました。やっぱり、そこは見てよかったんじゃないの? 私たちのガイドさんもユーモアあふれる解説でおもしろくはあったのですが、ガイドさんによって規律の標準が違うというのは、悩ましい。 

 その地下の「BREMER RATSKELLER」。現在、レストランになっています。地下へと続く入り口の表示には誇らしげに「1405」年の文字が刻印されています。日本でいえば室町時代です。

 世界遺産の地下にあるレストラン。それだけでも行く価値ありなのですが、正統派のブレーメン料理も堪能できる上、もと王族の酒蔵でもあっただけに、大きな樽の横でじっくりとお酒を味わえる店でもあるのです。ビールも、もちろん、おいしい。ベルギービールとはまた違う、苦みのある、何杯でも飲み干せるような味わい。夜にはマジックショーなども開催されています。


(つづく)
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