雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

スペインとポルトガル65 セビリア③ コロンブスの棺

2022-07-31 20:41:08 | Weblog
写真は、セビリア大聖堂のなかにあるコロンブスの棺。

【カスティーリャの王に担がれた棺】
 次に、お向かいにある大聖堂へ行きました。こちらも世界遺産です。
 外側には地球の上に立つ勝利の女神らしき銅像。それを眺めながら中に入ると太い柱がいくつもそびえ、どこが見どころかわからないほど広い。金ぴかの装飾が祭壇中を覆っています。
 大聖堂としての大きさはローマ・バチカン市国のサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール大聖堂に次ぐ世界第3位。ローマもロンドンも国の首都ですが、セビリアにその規模のものがあるのです。

 もともとイスラムのモスクだったところを、当時の慣習にしたがってキリスト教会として使用。1366年の大地震で罹災したときに教会参事会が

「後世の人々が、我々が狂気を発したと思うような巨大な聖堂を建てようではないか」

 と決議しました。そして1402年に着工、117年後の1519年に完成しました。(『旅名人ブックス64 アルハンブラ宮殿 南スペイン3都物語』、谷克二・文、日経BP、2004年ほか)

 このころ、1347年からヨーロッパではペストが大流行。セビリアでも深刻でした。またレコンキスタ完成前のイスラムとの争いも続いていた時期です。「狂気を発した」という言葉にはその時代の空気もあるのでしょう。

 ここで強く印象にのこったものは2つ。
一つはコロンブスの墓。普通に安置されているのではなく、スペインの4つの王国カスティリャ、アラゴン、レオン、ナバラの王がコロンブスの棺をうやうやしく担いでいるのです。等身以上の大きさの石像たちが神々しい。たっぷりとしたドレープをまとう王たちと立派な石棺からもコロンブスが、いかに大切にされているかが伝わってきます。

 ところがその棺に肝心のコロンブスが入っていないかもしれない説を発見!
 ドミニカ共和国が「ほんものはこちらだ」と主張し、立派なコロンブスの安置所もあるのです。こちらは1506年5月20日に亡くなったクリストファー・コロンブスの遺言に従って棺が安置されたものを継承しているとのこと。(https://wondertrip.jp/79977/)
 ドミニカ共和国の言葉に基づいて、様々な雑誌やネットにもドミニカ共和国にあるコロンブスの棺の紹介が書かれています。なんと、セビリアから送られた、という話までありました。

 ところがよくよく調べてみると、1777年に棺はドミニカ共和国からキューバのハバナ大聖堂に移されていました。1796年「バーゼルの和平」に基づいてスペイン領だった同地をフランスに割譲したためです。
 さらに1892年にスペインは米西戦争にやぶれキューバをも手放すことになりました。その時にコロンブスの棺をスペインに持ち帰り、セビリア大聖堂に納めたのでした。
 こうして棺の履歴書をみると、ドミニカ共和国でうその棺とすり替えられたなどの事件がない限り、まずセビリアで間違いないように思います。
しかし、コロンブスの棺は、スペインにとって本当に大切なものなのですね。
 (つづく)
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スペインとポルトガル64 セビリア② アルカサールとオレンジ

2022-07-24 12:17:38 | Weblog
写真はアルカサールの天井。

【世界遺産①アルカサール】
 セビリアは大航海時代、アメリカ大陸から銀などの物産が独占的に運び込まれた交易港でした。そのため海沿いだとばかり思っていたのですが、行ってみると海から100キロ以上川をさかのぼった内陸部でした。
 海抜はたったの7メートル。大型船も海から直接、入港できたのでローマ時代からの交通の要衝となり、大航海時代に繁栄点を極めました。いまもアンダルシア地方の中心都市です。

 まずは駆け足で世界遺産になっている中心部へ。
 早朝、インターネットで予約したアルカサールへ行くと、すでに長蛇の列です。入口まで10分以上かかりました。冬とはいえ日差しが強く、列は日陰にできています。その日陰はおそろしく暗い。前にも書きましたが光のコントラストがマドリードとは全然違います。アンダルシア地方にはマラガ出身のピカソをはじめ、有名スペイン画家が多数出ていますが、絵のコントラストが強いのは普通に写生しただけなのだと、納得。

 アル・カサールは元アラビア語でお城を指します。アルは定冠詞「THE」、カサールは 「CATSLE」。ムーア人の住まいだったところを13世紀にカスティリャ王国が占領してからはレコンキスタの最前線基地として使用し、やがて国王の住まいとなりました。14世紀にスペインのペドロ1世がムーア人建築家を集めて改修・増築を行った王宮です。建物はイスラムとキリストの両文化が入り混じったムデハル様式というスペイン独自の様式とか。

 中には入ると、高い壁に囲まれ、王宮の屋根からは本物のクジャクが見下ろしていました。宮殿の要所要所に細かな幾何学文様がほどこされた門柱やドーム型天井などが美しく、イスラム文化の美術館のよう。


 ただ、たびたびの修復のせいか、歴史のせいなのか削れたような跡が随所に見られ、痛々しいところもありました。

【大豊作のオレンジ】
 出口はアルカサールの中庭になっていて、オレンジがたわわに実っていました。異国情緒あふれるなあ、と、その雰囲気にひたっていると、筋骨隆々の黒いタンクトップのお兄さんが現れて、脚立に乗って、先にハサミのついた棒でオレンジを次々と落としていきました。収穫にしては落とし方がなんとも雑です。

 外に出ても街路樹のオレンジがたわわ。重そうです。道路脇にはトラックの荷台のようなところにオレンジが山盛りに盛られていました。いい香りです。

そこに業務用のオレンジ色のヘルメットをかぶった笑顔のチャーミングなお姉さんが現れて、黒い、あまりきれいとはいえないポリバケツからどんどん、集めたオレンジを、その荷台に載せていきました。いかにも無造作。どうやら街路樹のオレンジはゴミ扱いなご様子です。つややかで、おいしそうなのに、もったいない!

 調べると、街路樹のオレンジがセビリアで570万キロも実るのですが、セビリヤの人には苦すぎてあまり食べないのだとか。そこで、一部はイギリスでマーマレードなどに加工されるものの、それでも余る厄介者となっていました。ついには廃棄物のオレンジから出るメタンガスを利用してグリーンエネルギーを取るというアイディアまで。

 イタリアのどこかの都市でオレンジを投げ合うお祭りがあるのをテレビでみたことがありますが、どんどん実ってしまうオレンジをもっと食用として活用できないものかしら?そういえば日本でも街路樹にイチョウの木を植えていますが、ギンナンはあまり大切にされていません。街路樹に実る果実、てホント気の毒。
(つづく)
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スペインとポルトガル63 セビリアでフラメンコ①

2022-07-17 16:02:51 | Weblog
セビリアのアルカサル庭園にて。オレンジがたわわに実り、ヤシの木がのびのびと葉を茂らせている。その下を人々は、犬連れ、または子供連れ、時には恋人同士で夕暮れ時の散歩を楽しんでいた。冬なのに日差しが強い。

【南へ】

何を食べてもおいしく、そして安いポルトガルのポルトから、飛行機で2時間20分。あっという間にスペインの南、アンダルシアの都市セビリアへ。空港で荷物を受け取り、外に出ると、暑い。21度の表示が見えます。2月25日。ポルトでは冬だったのに。

 光は強く、言葉は短く、タクシーの運転手さんの気遣いも細やか。サービスをしようという気が感じられるのです。車はトヨタのプリウス。ナビとしてHUAWEIのスマホを装着しています。ピカピカです。白髪の老紳士の運転手さん、こちらが日本人だとわかると、グーグル翻訳に言葉を入れて「セビリアははじめてですか?」など、スマホを使って会話をしてくれました。そういえばポルトガルのタクシーは無言で実直。悪いわけでは決してないのですが、時折、さまざまな場面で80年代の社会主義の経験しかない人々が暮らす中国で感じたサービス概念のなさを思い起こすことがありました。
 ヤシの木や季節なのかオレンジがたわわに実る街路樹が延々と続きます。人々の顔立ちもより、はっきり、くっきりとした造形で、派手、いや華やかになりました。男性は、まるでカルメンの相手役みたい。と思ったら、セビリアはアンダルシアの中心都市。まさにフラメンコの街でした。

夕食にいただいた完熟トマトのスープはトマトの甘味がすごい。フィッシュドッグのコロッケ、白身魚の揚げ物など。濃い赤ワインとよく合う。ポルトガルは白の発泡酒とよく合う料理だと感じたのですが、まったく違うぞ。魚料理が目立つ点でも、同じスペインでもマドリードとは違うようです。
(長旅の疲れがそろそろ溜まってきていて、写真が取れていませんでし💦)

写真はポルトからセビリアに我々を乗せた格安航空で知られるライアンエア。スペインの会社かとおもったら本社はアイルランド。国の首都クラスから微妙に外れた都市間を結ぶことで、他の航空会社との差別化を図っている。着いたセビリアの日差しが強くて、日陰が真っ暗に見えるほど、しばらく目が慣れなかった。

※今夏、セビリアは45度の熱波だとか。冬でもあれだけ暖かかったので、夏はプラス20度すると40度を越えてしまうのです。スペインの南にあり、内陸部にあるこの都市は、旅行計画を立てていた2018年当時から夏の過酷さで有名でした。
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スペインとポルトガル62 美しきポルト12

2022-07-09 16:17:09 | Weblog
写真はボリャオン市場近くのコンフェタリア・ド・ボリャオン。所狭しと菓子パンやクッキーが並ぶ。選ぶお客さんの目線は真剣そのもの。

【ボリャオン市場の周辺】
ポルト最終日の朝、ホテルで生オレンジを絞ったジュースをぐっと飲んで8時にボリャオン(Bolhão)市場を目指して出発。地図で見ると街の数区画を占めるほど大きく、1915年に建設された建物です。これはぜひ、見ておきたいとやる気満々でした。
ところがボリャオン駅を降りてすぐのはずなのに見つかりません。小さな教会(アルマス聖堂)が全面アズレージョに覆われていて、さすがポルトと感じ入ったり、小さな老舗が集まる道を堪能したりと、楽しむ自分はいるのですが、肝心の市場はどこに?

ポルトのアルマス聖堂。アズレージョに覆われている。

まあまあ歩いたころ、市場は修築のために仮移転していることがようやく判明しました。何度も行き来する私に親切にも
「市場探してるの? いまはショッピングセンターにあるよ」
とアドバイスくださったおじさんがいたのですが、ヒアリング力が怪しい自分を疑ってしまい、謎の言葉として処理していたので、真の意味を理解するのに、しばらく時間がかかったのです(工事開始は2018年5月。私が行った2019年2月も続いていました)
その後、案内板を見つけはしたのですが、案内の地図が写真の上に直線の一本筋、というシンプルさで、場所がさっぱりわからず。
そんなわけで、ウロウロした結果、楽しめた、市場とともに発展した街のお店をご紹介しましょう。

コンフェタリア・ド・ボリャオン(Confeitaria do Bolhão)
ボリャオンの菓子屋という名の老舗べーカリー。ポルトガル名物のパステル・デ・ナタ(エッグタルト)をはじめ菓子パンや大型のクッキーがずらりと並んでいい匂い。焼きあがって、粗熱が取れたパンたちが次々と店先に運ばれ、置いたそばから次々と売れていきます。なんてったって、どのパンも1ユーロを超えないうれしさ。
店の奥はイートインスペースになっていて、好きなものを買っての食事も可能。コーヒーも頼めて、手の込んだメニューも提供していて、おいしそう。
この店のホームページを見ると、設立当時、となりの市場に行く前に、富裕層がこの店で朝食を取っていたのだそう。そのためなのか、内装がガラス張りで柱におしゃれなスタライプが入っており、狭いながらもゆとりのある空間を維持しているようです。
私はここで、お昼用にソーセージ入りパンやコロッケ、アーモンドクリーム入りドーナツなどを買いました。甘さがほどよくて、上品で、素朴で、家の近くにあったら毎日でも通いたいおいしさ。幸せでした。
https://confeitariadobolhao.com/en/historia.html


コンパニア・リネシュ(COMPANHIA LINHAS)
手芸用品専門店。「ポルトガル・ファブリック」は日本でも、そのかわいらしさと品質で大人気ですが、そのおしゃれなパステル柄の生地が多数、売られていました。ボタンやアップリケも特色のあるものがたくさん置かれています。タカラガイや様々な大きさの金ボタン、各種リボンも壁一面にびっしり。少し東京・浅草橋の生地問屋の風情と似た雰囲気を感じます。

カウンターでレジを打っているのが髪の長い男性で、近所の市場帰りのおばさまたちが普段使いの手芸品を買っていました。


マジェスティック・カフェ(MAJESTIC CAFÉ)
やはりボリャオン市場とともに開設した老舗のカフェ。入口にウェイターが立っていて、高級感ある外観が特徴的です。値段も結構したので、中には入っていませんが垣間見える内装も、昔からの豪華なしつらえなのがわかりました。

ちなみにボリャン市場の仮移転先のショッピングセンターは、たった200メートルしか離れていませんでした。本当にごくごく普通の、日本の中堅都市やアジアの都市にもあるひょうなショッピングセンターでした。まさか、これが市場の仮移転先とは気づかず、何度か、通りすぎておりました。
なんてことない、ガラスの扉から入ると、たくさん養生テープが張られた廊下の先に、内臓をきれいに外したまるごとの魚や肉、野菜などの生鮮食料品やチーズなどが普通のスーパーのように並んでいます。飾り花のコーナーが目を引く程度でリスボンの市場のような特徴的な品ぞろえはありませんでした。
それが、ついせんだって(今年6月15日)市場再開のニュースが飛び込んできました。2022年9月15日に元の場所に市場を戻して、リニューアルオープンすることが発表されたのです。ここからまた100年、歴史が紡がれていくことでしょう。

※来週、炎暑が続いていましたら、更新はお休みになります。みなさま、ご自愛ください。
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スペインとポルトガル61 美しきポルト11 

2022-07-03 12:59:16 | Weblog
写真は、ポルトのサンジョアン橋からみた夕日。

【パステルカラーの夕日】
1時間ほどの見学を終えて、外に出ると、ちょうど夕暮れ時。車通りもめったにないなか、ゆうげの支度を見ながら歩くのは楽しいものです。道沿いのアパートでは欧米系以外の顔立ちの方をずいぶんと見かけました。
こうして小さな丘を登ったり下りたり、酒蔵の間をくねくねと抜けていくうちに午後6時にちょうど街の東側からドロワ川を差し渡しているサン・ジョアン橋に着きました。ポルトで2度目の夕日です。シルキーな橙色が景色全体を染め、陰影が濃くなった橋の上はまるで舞台照明があたったよう。大型犬の散歩をする人。

小さな子の手を引く若い母親など、のどかに、ゆったりと歩いています。親に買ってもらったであろう、真新しい大きなぬいぐるみを抱えた子のほほえみといったら。しみじみと、平和を感じる光景でした。世界遺産の、少し外れたところに人々の普通の暮らしが営まれているのだな、と実感しました。
それにしてもポルトガルの夕日は日本のものとはまた違ったおだやかな光と白っぽさがあって、異国感倍増で心に沁みます。さすがユーラシア大陸最西端の国!

※次回、ポルトガルの旅編は終了します。
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