雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン38 『不思議の国のアリス』は不思議じゃなかった

2024-06-30 12:32:35 | Weblog
ロンドン大学近くのスクエア公園で見かけたハトをまとった男の人。このあとハトが輪を描き出し、不思議な空間になっていた。

【「不思議の国」のイギリス人】
しばらくロンドンをうろついていると、いかにも『不思議の国のアリス』や『くまのプーさん』『ミスタービーン』に登場しそうな人たちにかなりの頻度で出会うことに気づきました。

見た目は大人、だけど心に子供っぽいいたずら心をひそませる人たちが一定の割合でいらっしゃる。それはひそませるだけでは飽き足らず、ついその遊び心が湧き出してしまう瞬間が。

誰に誇示するでもなく、あくまで個人的なひそかな楽しみなのです。だから声も、場合によっては音すら出しません。そんな様子は私に、気持ちがほぐれるようなあたたかい気持ちをもたらしてくれました。伝統的なイギリス児童文学の世界に連なるような、ちょっと不思議なわが道を行く人たち。それら点景をご紹介しましょう。

≪水たまりにムズムズ≫
 朝、シャワーのような雨が降ったあと、家から駅に向かって歩いていると、前から背の高い青年がやってきました。静かに本でも読んでいそうな風情の立派な紳士です。彼の前には晴れた空と雲を映した水たまりが。
 普通ならよけて通りそうなところですが、彼は目をキラッと輝かせ勇気の一  歩を踏み出しました。びしゃっと跳ねる水。彼は「ヒャッホー」と言いたそう に口を開いて、声に出さないまでも、空にこぶしを突き上げて、じつに幸せそ うでした。

≪ハト男≫
 ロンドン大学近くの公園にて。近道しようと木々の生い茂った、それほど広くもない公園を斜めに歩いていると、木製のベンチがありました。そこに壮年期の男性がテクテク歩いてやってきて座りました。すると、とくにエサを撒いている風情はないのに頭の上から肩、腕、手のひらにまでたくさんのハトが止まり、彼の周りをまるで光輪のように舞いはじめたのです。
 こんなにも不思議な光景が出現したというのに、公園にいた人々は、とくに注目することもなかったです。それどころか日常、つまり散歩や友達との会話、どこかに行くあゆみをとめることなく、続けていました。
ハト男も不思議ですが、まわりの反応も不思議でした。

≪横切りたい!≫
 ロンドン郊外のキューガーデン(王立キュー植物園)前の住宅街の午前。地元の人でしょうか、杖をついて、よろよろとあゆみをすすめる老夫婦がいました。そこに信号機があり、標示は赤に。
 当たり前ですが、そこで歩みを停める二人、のはずが、おじいさんはキョロキョロと周囲をうかがって車が来ていないのを確認すると、突然、ヨタヨタと走って、道を渡っていきました。そして道を渡り切って歩道に上がると「やったゾ!」というかのようにいたずらっぽい満面のニタリ顔。おばあさんは「まったく!」といった風情あきれ顔。

 茶目っ気はイギリス、ロンドンのキーワードなのかもしれません。まじめだけど、ふとした瞬間、おもしろさの隙間をみつけて、集中しちゃう。そして不思議な人に注目も注意もしない、個人主義の徹底。普段の生活ならかわいいのですけど、この性質に政治がからんでしまうこともあるのが、この国のやっかいなところなのかもしれません。
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二度目のロンドン37 憧れのキューガーデン⑦ 

2024-06-23 11:21:09 | Weblog
写真上はキューガーデン前のテムズ河。手漕ぎのカヌーがゆっくりと通っていった。

【テムズ河下り】
やがてテムズ河を横断する橋のある大きな通りに出ました。河を渡った左には現代の街並みがみえ、目の前にはバス停、右に行けば、やがて地下鉄駅があるはずです。

ほっとすると視界も開けてくるもの。道路を渡った先に当初目指していた船着き場の標識が見えるではありませんか? 重くなった足をやっと動かして河沿いに進むと河に突き出た古風な船着き場がちゃんとありました。

落ち葉が降り積もり、誰もいません。この船着き場は果たして現役なのかと不安に駆られて、観察すると、船着き場にやや汚れ気味の時刻表が貼ってあります。見ると20分後にロンドン市内行の運行があるようです。

 落ち着かない気分で夕暮れの寂しい船着き場に立っていると10分ほど経った頃に我々以外の待ち客が現れました。これは確実に船が来ると確信が沸いて勇気百倍。やがてゆっくりとひらたい船が船着き場にやってきて、無事に乗りこむことができました。

さすがに夕方。日は落ちてはいないものの、冷えてきます。乗客は数人ですが、慣れた人はボートの上で持参した毛布にくるまっています。7月で夏とはいえ高緯度地帯なので、寒い。

テムズ河は浅く、河の周辺には緑深き広大な公園が随所に見られ、お城や別荘らしきコテージが河に向かって、ポツポツと建っていました。鳥も夕暮れのねぐらに向かってせわしなく河を渡っていきます。いずれかの森に帰るのでしょう。

船からみると改めてキューあたりは最適な別荘地なのだとより一層感じられました。船は1時間半かけてゆっくりとロンドン中心部へ。右手に不思議なデザインのガラス張りのマンション群がみえ、ああ、現代に入ってきたぞ、と思っていると、

左手にツンツンととがったたくさんの尖塔をひらめかせているイギリスの象徴的な建物の時計塔と国会議事堂がみえ、そこに波止場がありました。たぷたぷの河がすぐに国会議事堂の建物を飲み込みそうです。尖塔のとんがりは日本なら一発の台風ですぐに折れてしまいそうな繊細さ。

イギリス中世の映画に王族の方が城に向かうために船を下りてから、ぬかるんだ岸辺で泥だらけになって家来たちもその後に続いて・・、という描写がありましたが、きっとそういう情景がロンドンだったのでしょう。

いろいろとせわしない日常から離れ、ゆったりとした時の流れが体感できるテムズ河下り。ちょっと厚めの上着を持てば万全なはず。おすすめです。
                      (つづく)

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二度目のロンドン36 憧れのキューガーデン⑥ 歴史の古いエリア

2024-06-16 18:05:50 | Weblog
メジャーなヴィクトリアゲートの反対側にあるブレントフォードゲート近くは古風な建物が散見するエリア。写真はその近くの竹林内にある「ミンカハウス」。日本から移築された建物である。ほかにも古風な建築物が点在するエリアとなっていた。

【帰りはテムズ河のゲートから】
キューガーデンのすごいところは、広大な敷地なのに隙間なく、惜しみなく手入れがなされているところです。よくぞ荒れるところもなく行き届いた空間を保ち続けていると、日本の交通の便の悪いところで時折みる、代替わりしたお屋敷の庭のどうにもならなさを想い浮かべて尊敬の念すら沸いてきました。大英帝国の栄光への誇りは粘り強い。

さて、帰りは行きとは違う出口から帰ろうと、中心部へのアクセスの容易なヴィクトリアゲートやメイン(ライオン)ゲートとは反対側にあるブレントフォードゲートを目指すことにしました。このゲートの出口には駐車場とテムズ河があります。

その出口近くのキューガーデンの敷地内には1761年に建てられたオランジェリーレストランという、しっかりめの食事のとれる建物がありました。コーヒーをテイクアウトする人もいて、ずいぶん賑わっていました。

ほかにキューガーデン最古の建物として知られる(1631年)赤レンガ色のキューパレスもありました。中世のメイド風スタイルの方々が案内のためなのか入口付近に数人立っています。なかには疲れ切って座っている人も。

ここにも1631年以前から建物があり、次々と持ち主が替わっていたのですが、1631年の改築時には地下室以外はすべて取り壊され、立て直されました。1728年からは王族の住まいの一つとなりました。


アイスハウスと書かれた1760年代に建造された建物もありました。冬には近くの湖の氷をこのハウスに運び貯蔵。夏には王族方がその氷を飲み物に入れたり、アイスクリームを作るのに使っていたりしたと説明板には書かれていました。18世紀、ここは王室の食糧供給基地だったそうです。
このようにヴィクトリアゲート付近とは趣の異なる、より古層な雰囲気の漂うエリアがブレントフォードゲート周辺なのでした。

 吹き渡る風もより涼しさが勝ってくると、閉門時間が近づいてきます。
 夏場は午後6時です。
 人々が足早に消えていくなか、私もゲートから外へと出ました。日本から持ってきたガイドブックによると、テムズ河を行き来する水上バスが走っているようなので、それに乗るつもりでした。

 ところがゲートを出ると、静かに濁ったテムズ河は確かに目の前にあるのですが船着き場は見当たりません。疲れ切った家人は不機嫌に
 「どこにあるの?」
 と責めてきます。いやあねえ、また元の門に戻って無難にヴィクトリアゲートから帰ればいいじゃないと踵をかえすと、なんと先ほどまで簡単に通過できたブレントフォードゲートの鉄の門は閉じられていました。ちょうど午後6時をすぎたのです。相当、時間に正確です。人気もすっかりなくなりました。

門をガシャガシャと揺らしてみてもどうにもならず。しばし河を見つめてボー然。いや、しかし、ここは無人島ではない。河に沿って歩けばとにかく街もあるし、キューガーデンの外枠に沿って歩けばいずれは地下鉄の駅にもたどり着けるでしょう。気を取り直して歩き出しました。
             (つづく)

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二度目のロンドン35 憧れのキューガーデン⑤

2024-06-09 15:45:32 | Weblog
写真はマリアンヌ・ノースギャラリーの内部。寒い日でも温かく、座るためのベンチもあり、人々を十分にいやしてくれる。

【マリアンヌ・ノース・ギャラリー】
 広大な園内に点在する温室や建物には、日本の江戸から昭和初期の農家の家を再現したと思われる「ミンカハウス(Minka House)」といった笹の生い茂る緑の小道の中間に突如現れる不思議な建物もありましたが、一番、建物の展示でインパクトがあったのが「マリアンヌ・ノース・ギャラリー(Marianne North Gallery)」でした。古風なイギリスの貴族のお屋敷のような建物を入ると、ヴィクトリア朝時代に世界を旅した女性が描いたボタニカルアート832点が壁を覆わんばかりに飾られていました。

マリアン・ノースは貴族の家系の子女で1830年生まれ。父の仕事の関係で、家族で世界を回り、1869年に父が亡くなってからは一人で世界を旅して植物の写生を行いました。アメリカ大陸の次に訪れたのが日本。1875(明治8年)11月7日から12月末までは、横浜、東京、神戸、大阪、京都を訪れ、日がたつにつれ、悪化するリューマチに苦しみながらも富士山と藤の花、印象的なオレンジ色の柿が印象的な絵など数点を遺しています。

 まだ写真機が十分発達していなかったころ、彼女の絵はアメリカ大陸各地、日本、香港、シンガポール、ボルネオ、ジャワ、セイロン、そしてインドと植物を中心とした絵画として貴重なうえ、風景画としても楽しめるということでイギリスの博物館で展示の貸し出しの要望があり、またその後、個展を開いたりしたことで、評価も高まっていました。新聞評には「この植物画を主題とした絵画コレクションはキュー王立植物園を最終的な展示場所にすべき」と書いたものもあったのです。
当時、王立キューガーデンの園長は彼女の知り合いのジョゼフ・フーカー卿。そこで彼に手紙を書いて、園内に彼女の資金でギャラリーを建設する承諾を得、さらに彼女自身で建設場所も決め、設計者も指定して1882年6月7日に開館しました。
 
しかし、この館に出会うまでマリアンヌ・ノースその人もその絵もまったく知りませんでした。キューにきて、たくさん散策して、ほっとする建物を見つけて入って、偶然出会った膨大なこれらの絵画は、決して偶然ではなかったのです。彼女が少し正門から距離がありつつも必ず来園者が訪れるであろうパームハウスの敷地から遠くないところ。人々が帰り道にふと立ち寄る場所を選んだのです。

そして絵は、普通のボタニカルアートとは少し違う。植物の絵ではあるのですが、正統派ではないというか。植物の置かれていたお国柄を取り入れてみたり、色も端正な植物画とは正反対の、ちょっと濃いめだったり。その時の彼女の気分が反映されているような、情念のようなものを感じます。メキシコの女性画家、フリーダ・カーロにも感じるような湿度のある自我のような。
かといって、国立美術館に飾られている植物の写生画や何かを象徴するような画でもない。じつにじつに不思議な空間でした。

その場所をわかっていて意思を持って訪れた人もいたことでしょうが、多くの人はなにも予備知識なく、なんだろう、このお屋敷程度で入り込んだ感じでした。私同様、彼女の情念にあおられて、くらげのようにフワフワと漂っているのでした。

参考文献:柄戸正『ガリヴァーの訪れた国 マリアンヌ・ノースの明治8年日本紀行』(2014年、万来舎)
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二度目のロンドン34 憧れのキューガーデン④

2024-06-02 14:44:23 | Weblog
キューガーデン内の森の小道など各所にプリムラの花が咲いていた。野生種を中心にずいぶん集めているのがわかる。

【サクラソウ、プリムラもたくさん】
午後は私の大好きな日本古来のサクラソウを探すことにしました。ある論文にキューガーデンには19世紀のプラントハンターが中国や日本で採集したサクラソウの類が集められていた、との情報があり、それを確かめたかったのです。
かつてオランダのライデン大学はじめ、シーボルト関係の植物園を見て回った時、多少の痕跡はあったものの、総本山はイギリスでは、との思いが募っていました。

植物がどこに植えられているかのマップが見当たらなかったので、ひとまず植えられていそうな場所を地図で推測して探すことにしました。とはいえ前に書いたとおりキューガーデンは広大なので、慎重に見極めないと、今日中に出会う確率はかなり低そうです。

まず日本のサクラソウにとっての必要条件は腐葉土のある土質と多めの水分とちょっと木陰がありつつも、適度な日差しがありそうな場所。

そこで水の流れているロックガーデンという場所を目指しました。欧米の植物園には岩場に水を流して高山植物で水を好む植物を植える傾向があるからです。そこは午前に到達したアジアンガーデンとはまったく正反対の側、東のほうのプリンセス・オブ・ウェールズ温室の近くにありました。

ひたすら歩いて、温室に導いてくれるような森の小道がありました。ここを抜けるとロックガーデンという場所です。なんともいえないよい木陰。これはもしや、と下を向いてじっくりと歩いていると、ありました。

とくに花形植物の植わっていない大木の下草に「プリムラ・シーボルディ」まさに日本固有のサクラソウの群落を発見したのです。ちゃんとラテン語で表記された世界共通の学名の札があるので間違いありません。
 花は見たところ2週間ぐらい前に終わったところで、順調にやわらかで黄緑色だった葉は黄色くなりかけてやがて土に還る兆候を見せていました。そして花は終わって、そこにはきちんと丸い実が付いていました。こんなにちゃんと発見できるとは思っていなかったので、うれしい。

さらにロックガーデンに行くと案の定、サクラソウもその仲間に入るプリムラ系の草花が配置されていて、雲南の原種と思われるサクラソウ「報春花」が咲いていました。2,3種類が群落となっていて、ピンクの花、黄色の花の競演です。輪草系で控えめに咲く花なのでじっと見つめている人も解説員もいませんでしたが、いとおしく、しばらくたたずんで、あこがれの光景に行き会えた喜びをかみしめたのでした。
                      (つづく)
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