ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

汚れたランクルに自由を感じる

2022年02月04日 | ロクマル日記

 雪と氷に覆われている今年のニューヨークの厳冬期。ランドクルーザー60を駆っていると沢山の人から声を掛けられる。何年型だ?ステックシフトか?いつ売る予定なんだ?声を掛けられる事は嬉しい事だしポジティブに捉えられている事が分る。しかし、こういった周囲の反応からランクル60はけっこう目立っている存在なのだと理解する。先週は吹雪の中を数時間運転した。道に撒かれた凍結防止剤を大量に巻き上げてブルーの車体は白く染まり汚れが芸術的であり、そこに惹かれる世界がある。

 

 車の汚れを愉しむ事が出来るというのは、即ち余裕である。冬はこうやって走る度に激しく汚れてくれるのが嬉しい。生活環境と自身のあまり細かく無い性格から過去10年間程一度もランクルを洗車した事がない。冬に激しく汚れた車体もやがてやって来る春先の長雨で自然洗車となるのを待っている。路上には綺麗な車が圧倒的に多い中で10年以上洗車した事がない80年代のランクルが放つ独特の雰囲気は工場のラインで仕上がるものではなく、自然界の万物を司る神の御協力あっての賜物となる。路上を走る高級SUVがどす黒く汚れていると、汚ったねぇな、と思う。自身のランクルがそれ以上に汚れていても汚いを超えてかっこいいと思うのは、ランクルに声を掛けてくる人々の視線から正当化されるのある。

 

 車の汚れを気にしないで使うっていう姿勢は楽だ、そこに自由を感じている。ここ2年間程の世界の情勢の中で自身が心底から求めているものは自由であると自覚している。自由感と汚く汚れた古いランクルと何の関係があるのか?と思うかもしれないが、それは自由のシンボルとしての存在だと思う。暖かい季節に窓を全開して風を感じて走る時自由を感じる。そして、寒い厳冬期に思いきり汚して走り回る時、そこに自由を感じる。人々が古いランクルを見て声を掛けてくる本質は自由に対する心の渇望があるからじゃないのかと最近思う。冬は厳しく冷えるがランクルを乗り回す事で自由を表現する機会だと思えば、冬のランクルドライブは芸術活動となるのである。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする