ロクマルでいこう、60でGo!

" AS SLOW AS POSSIBLE AND AS FIRST AS NECESSARY "

写真に映し出された天国の風景

2014年05月30日 | 日記

 ニューヨークの郊外にあるドイツの老舗カメラのUS事務所を訪れた。広くはないが無駄の無いモダンな待合室には決して種類は多くはないが、双眼鏡とカメラがガラスケースの中に間隔を保って展示してある。やや高価なこのレンズ機材は一生ものと呼ばれている、大量生産、大量消費には距離を置いており、ここの商品を手にした人々は最初から壊れたら直す覚悟で商品を購入する人が多数である。手にした機材を一生使ってもらう、という社の強い方針を感じさせられる。

 

 そこの待合室の裏の短い廊下の左右の壁に十数枚の雑誌程の大きさのフォトグラフが並んで展示してある。その光景は北イタリアの水の都ベネチァの光景である。そこには水と小船、建物と人が移っている。その廊下に留まってしばらく写真を一つ一つ眺めた。上の写真はウェブで見つけたその中の一枚。時々、白衣を着た技術者達が書類を手にして左右往来するが、目が会うと挨拶の表情を示して通り過ぎる。

 展示されている写真を巡っていろんな思いが交差する。美しい写真とか、いい写真とか、芸術性(的)とか、あるいは詳細に写っているな、とか、或いはこのフォトグラファーは何が言いたいんだ?更に、なぜこの写真を彼らはここに飾っているのか?等。写真は観る人の感性や人生経験で感じ方は皆異なるであろう。

 僕は2つの事を思った。まずは美しさとは光と影(闇)の調和、光は影を生じさせ、影は光をより輝かせる。天国は光の世界だと言うならば、それはつまらん、美しさや感動の無い世界なのであろう。光もあれば闇もある(昼と夜)世界、つまりこの世で生きて接しているこの現実の世界こそが天国である(美しい世界)であると思った。そしてもう一つは、僅か10メートル程の写真が左右に掛けられているこの短い廊下を通リ過ぎると、なんかこう、ベネチアの街の水路を小船に乗って来たような気分、小旅行を味わった気分だった事。スクリーンでビデオを見たのとは違う、アナログ的な味を味わった、これは新鮮な気分だな。

 デジタリーな時代にあって、安く物が手に入る時代であるからこそ、その価値を確認しておきたい。カメラや双眼鏡に共通するのは、共にその一瞬を大切にする想いだと思う。そしてその一瞬とはこの光と影のある(これこそ美しい)世界に生きる毎日の事です。

 

 ...写心の世界は面白いかも。


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