この5月の初旬がニューヨークに住むオートバイ愛好者にとって最も愛するべき季節なのであろう。毎月最初の日曜日の朝にニューヨークの郊外のカフェで静かに開催されているBIKES BREAKFAST の集いには、先月と比べても多くの愛好家が集っていた。このゆるいイベントは流動的で、入って来ては出て行くを繰り返し始まりのサインもなければ終了のサインもない。革ジャンをまとった大男達がラージコーヒーを片手に他人のオートバイを観察して廻る親睦会である。集うオートバイの殆どが大型でビンテージとブランニューが混ざり、オンもオフも関係なくブランドも国籍も多様である。
このイベントにわざわざ足を運んだ訳ではない。自転車トレーニングの折り返し地点がこのカフェであり、休憩を兼ねて駐車しているオートバイの隙間を興味本位で彷徨ってみる。今回は、非常に程度の良い30年以上前のBMW GS DAKAR が印象的であった。
オートバイ愛好家達には共通の気質がある事を感じた。それは、この場に集うバイク野郎達が誰もマスクを付けていないという事であった。確かにニューヨークでは状況は緩和の方向に向かっており、市長の方針では7月からノーマルに戻すという方針計画である。しかし、心理は別の次元にあるらしく、オートバイに乗るのにはマスクは似合わない。マスクによってフリーダムな気分が損なわれるのは価値観に反する。そんな空気が漂っていた。我々はマスクの要らない世界を短期間で失ってしまった。オートバイがフリーダムを象徴するものであるとすれば、一枚の小さなマスクはフリーダムを打ち消す存在の様に感じる。昨年からの伝染病の蔓延によって、束縛、統制、監視、規制、恐怖、強制、不自由、等の心理的なバイアスが人間社会にマスクという象徴と共に重く停滞した。僕はまだ毎日マスクを使用しているが、この小さくて軽い一枚のフィルターは、ものとしては吹けば飛ぶ様に小さいが、存在としては大型バイクよりも大きくて重い存在であると感じた機会であった。
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