青いランドクルーザーFJ60の ブレーキマスターシリンダー を交換した。今年になってブレーキを踏む感触に違和感を感じていたのでメカニックに預け修理を依頼した。原因はブレーキマスターシリンダーの内部の弁の劣化であった。外したシリンダーを見るとオリジナルパーツである。このFJと付き合ってから13万マイル(20万キロ)を走破しており、今までこのシリンダーを交換した事はなかったので、随分と耐久性のあるパーツだと思った。まさか、工場から出てから一度も交換されていないという事はないと思うので、前オーナーによってオーバーホールされていたとは思うが、記録は存在しない。
依頼したメカニック達の作業の効率性の選択もあっての事であろうが、パーツ自体を交換するか、或いはオーバーホールするかの選択は無く、即、シリンダーは新しい社外品(アフターマーケット)に交換されてしまった。以前にクラッチマスターシリンダーを交換した時に、社外品を使用する事のリスクを学んだので、本当は多少高くてもOEM製品を組み込みたかったのが本音ではあるが、今回は試みとして受け入れる事にした。クルマは部品の集合体である。特に目に見えないパーツにこそ拘りたいのである。今回は社外品のブレーキマスターシリンダーが付いているという事を、とりあえず知っているという事が今後の対応に適応出来るのだと思っている。
知識として、車はブレーキを踏む事によってどうやって止まるのだろうか? 運動のエネルギーを摩擦によって熱エネルギーに変換する事によって減速し、止まるのである。パットの摩擦で止まるのではなくて、エネルギーの変換によって止まるのである。そういった知識も含めて、クルマを使用する事によって経験し体積される縦的な知識、そしてクルマの機能やパーツの素材や性質に対する横的な知識の蓄積はクルマを楽しむという事の一つの要であろう。古いランクルは調子が悪くなる事も度々だが、それは楽しませてくれているんだ。として理解し、修理費は、学習の為の投資だ。として捕らえておく事は、ランクル維持の為のもっともらしからぬ強気な言い訳なのである。