2019年の冬至の季節にテキサス州を廻り、サンアントニオの街を徘徊した時の光景をよく覚えている。サンアントニオの街は冬休みという事もあり、街の観光スポットであるアラモの砦の周辺は活気があり賑わっていた。砦の周辺で駐車場を探したのであるが、路上の駐車場はスペースが見つからず、有料駐車上へとハンドルを切った。砦の近くの駐車場は値段が高かったので、結局砦から離れた場所にそれ程高くない有料駐車場を見つけてそこに落ち着いた。昼食を取って駐車場に戻る時に砦の前を横切った。これからメキシコとの国境の街デルリオまでの4時間程のドライビングが控えていたので、残念ながらアラモの砦で時間を過ごす事が出来なかった。今ではそれが悔いになっている。だからだろうか?アラモ、と聞くとハッ!と感じる感覚が起こる。
今週、トランプ大統領がテキサス州の国境に近いアラモという小さな町で演説を行った。米国人はアラモと聞くと必ずアラモの砦を思い浮かべる。おそらくそういった意図でアラモの町が選ばれたのだと思う。そして、アラモという名称の持つ言霊(メッセージ)は ”戦いに対して命を捧げる決意” なのである。
1835年の当時、現在のテキサスはメキシコ領であった。当時のメキシコのサンタ アナ将軍の中央集権的な独裁政権に反旗を翻したのがアメリカからの移民達であった。彼らの抵抗の一つがアラモ伝道所での立てこもりで200人に満たない義勇な男達であった。1836年3月6日の早朝にメキシコ軍の複数の連帯が襲撃を開始し、朝日が昇る頃には砦の義勇兵は全滅となる。1836年4月21日、アメリカ軍の司令官サムエル ヒューストンは800人の軍を率いて1500人のメキシコ軍に奇襲攻撃を仕掛けメキシコ軍を壊滅させ、翌日にはサンタ アナ将軍を捕らえるに至った。結果、サンタ アナ将軍の命と引き換えにテキサスの領地の主権を手に入れ、後にサムエル ヒューストンは独立したテキサス共和国の大統領となった。その時のアメリカ軍の合言葉が、"REMEMBER THE ALAMO" である。
アラモの伝道所で当時メキシコの政権の軍隊と戦う前に一つの儀式が行われたと言われている。
3月3日或は3月4日にトラヴィス中佐が砂に彼の刀で線を引き、アラモに残留し、死んでも構わないと望む全ての者に線を越えるよう招き入れたとの伝説が残されている(wiki より)
予感ではあるが、トランプ大統領がアラモの町に現れたのはこのトラヴィス中佐が砂の上に刀で線を引いて、勇気のある奴はこの線を越えてこちらに来い!と言葉ではなくて象徴とテレパシーで世界に伝えたのではないかと感じている。この線を越えた奴は激しい攻撃に遭い蜂の巣の様になって死ぬ(殉教する)覚悟が必要である。しかし、聖書の教えの中にもある様に、生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる、である。
テキサスは1845年に条約によってアメリカ合衆国に併合し加盟した。テキサスは合衆国の一つの州となる時に他の州とは異なって、ある状況下に置かれた時には離州するという条件の下で条約の署名を行っている唯一の州である。その、ある状況下が新政権と共に目の前に訪れようとしている。アメリカでは既に分断が始まっている。アメリカの国旗が変わるかも知れない。同盟国である日本も必ず大きな影響を受けるのは免れない。その激動は世界を巻き込む事になる。近い将来アメリカというのはテキサス共和国の事を示す事になるのかも知れない。