お火焚きといえば「お火焚き饅頭」です。
この火炎宝珠の焼き印をつけたものです。
京都市内の町内では、最近はどうか知りませんが氏神さんのお下がりで必ずはいってきた。
お火焚きのお下がりの三種の神器は、「焼きミカン」「お火焚き饅頭」「柚子おこし」ね。
この火炎宝珠の焼き印が押してある。
小さい時はこの焼き印がなんかお稲荷さんを想像していややった。
狐のイメージがなんだか不気味で怖かったのかも。
それと「お下がり」というのがいやな長男的性格。
お下がりにスルメが入っている時もあったんです。
焼きミカンやスルメの香りが移っているお火焚き饅頭は、絶対に食べなかった。
写真のお火焚き饅頭は、両方ともこしあんやけど、普通は紅い方が粒あんだったのもある。
新熊野神社の神職さんがおっしゃっていたけど、昔は漢方薬が入っていたそうです。歓喜団と同じような状態だったのかな。
京男は、粒あんが小さい時は苦手だった。
それとこの饅頭の皮がボソボソしていたのもあるだろうな。
お嫁さんのおまん(結婚式の引き出物や挨拶回りの時に配る、地方によってはとんでもない言い方やろうね)の粒あんも苦手だった。
最悪なのは「白粒あん」だった。
備中の白小豆はさらっとしていいけど、白いんげんや白花豆からつくった白あんがきらいだったかも。
デンプン質の粘り方できらいだったのかな・・・。
小さい子供ってかなり味覚的に敏感なことも多いんです。
子供やからと手を抜いた食物は禁物ね。
粒あんのおはぎもやね。母方の実家のつくる巨大なおはぎは恐怖の対象だった。
黄白上用(不祝儀の時の上用)は、「死」のイメージがするので子供心にいややったな。
京都の行事に上用饅頭は必ずでてきました。
入学式、卒業式、創立記念、結婚式や葬式、新築祝いに必ず上用はつきもの。
だから京都市内の古い地域には、必ずお餅屋さんやおまん屋さんがありました。
マーケティング的にいうと「餅菓子屋の多い地域は、参入が難しい」と言いますが、行事や儀式が多く地域の結束が強く、よその人が入り込めない。いまだに京都はそうだと思う。
「柚子おこし」
これもお火焚きにはつきもののお菓子。
日本で最も古い歴史をもつお菓子だそうです。
『日本書紀』の神武天皇の祝詞(のりと)に「糒(ほしい、干し飯)」を蜜で固めたものと記されている。
豊作祈願として神に捧げられていたのがわかる。
また「身を起こし、家を起こし、国を起こす」から「おこし」という縁起物として珍重された。
小さい時は、ちょっと苦手だったな。
あみだ池大黒の「福の花」は、ピーナッツやアーモンドがはいっていたので食べたけど。
なつかしいな。あみだ池大黒。
「だれがいけというたんや!」「あみだがいけといいました」は落語『阿弥陀池』か。(笑)