この当たりは、たくさんの善男善女でいっぱいだった。この景色を観ながら「やっぱり東寺はいいな〜」と独り言を聞こえるように言ってしまった。
何人かは、聞いてくれたかな?
↑融通尊なんて書いてあるけど、あなたは賓頭盧(びんずる)さんですよね。普通本堂の横が定位置なのに、真ん中に移動させられたはる。あんまり目立ったら、またお釈迦さんに怒られるんと違うかなぁ。
久しぶりに八坂庚申堂の近くに来ました。
最近、このあたりは来なかった。
来ると状況がちょっと変わっていたのにびっくり。
↑本堂
くくり猿が異様に増殖していた。
くくり猿は、写真でいうとカラフルにぶらさがっているもの。
何か?庚申堂のホームページの説明を引用させてもらいます。
以下引用
くくり猿はまさに、お猿さんが手足をくくられて動けない姿をあらわしています。 お猿さんは人間に近い動物といわれていますが、所詮は動物、欲のままに行動します。動物園に行けば、お猿さんは欲のまま走り回っていますね。
この姿を人間の中にある、欲望に喩えてあり、人間の中にある「欲望」が動かないように、庚申さんによってくくりつけられているのです。
↑昨日の記事にも登場した三猿「見ざる・聞かざる・言わざる」言わざる君、耳がちぎられている!放し飼いの猿にやられたのね。
そういうものです。
ということは、京都の観光地に猿が好きなように歩きまわっているのでしょう。
もう庚申さんの力では、くくりきれないのかな?
手足を縛るだけでは、防げない?
もっと研究しないといけないかも・・・亀甲縛りとか、それは別の危ない世界になるかも。(汗)
とりあえず、いま京都市内は、猿の放し飼い状態。
猪も鹿も走り放題。
庚申さん、もうすこしバージョンアップしてください。
↑本堂の左右にこんなくくり猿の塊ができていた!
神仏で思うことがある。
「神仏って人間が信じてあげないと力がでない」と。
核家族化の影響もあるだろう。
家庭に仏壇や神棚がない家が殆ど。
家庭でも学校でも、特別な家庭は別にして、宗教を理解させようとしていない。
受験に関係ないものは教えていない。
仏教でもお釈迦さんが言っている思想的なことを教えてもらってない。
公立の幼稚園、小中高校では、出てこない。
生きて行く上での知恵のようなこともあるのに。
↑この文字が読めなかった・・・
でもパワースポットや仏像ガール?巡礼ブーム、ヨーガなんかは受け入れている。
相変わらず占いなんかも盛んだ。
何かにすがりたい気持ちはあるのでしょう。
だから庚申堂で願いをくくり猿に託し、結果こういう景色になっている。
でも信じてないものは叶わない。
「信」が「神(仏)」まで昇華していない。
まあ、各人の目先の欲望が叶ったら、世の中悲惨な状況になるでしょう。
だから、叶わないようにセフティが効いているのでしょうね。
社寺にとっては、とても嬉しいことでしょうね。
このくくり猿、@500円也ですからね。おそらく領収書をくださいなんて京男のように言わないだろう。
その売上でお寺の修復をしたりしているのでしょう。
相身互いですね。
和菓子 | |
クリエーター情報なし | |
河出書房新社 |
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko
私もしばらく行ってませんのでこれはびっくりですね。
京都の観光地大丈夫なんだろうか。
そのほかの中小都市も状況は似ていますが変化のスピードが京都は格段に速いです。
日本人の数は減っているしその時だけの利益で守るべき建物も壊してしまい、何年後かに寂れたテーマパークみたいになっていたら・・・と思うとぞっとします。
考えすぎならいいんですけど。
外国人の観光客が増え、それに対応していたら、どんどん悲しい状況になってきている。
京都の良さが無くなってくるように思いますね。
いったんなくなったら元に戻せないでしょう。
目先のお金のために、随分美観を損ねている。外人の浴衣、なんとかした方がいい。動く公害です。景観をあれほど損ねているものはない。
このまますすめば、おっしゃる通り、ただの地方都市になるでしょうね。
まあ、それまでに死んでいるから知ったことじゃないですけど。
ホテルで制限しても民宿が増えればコントロールできないですし。。。
その街、特に歴史のある街にはちゃんのその「顔」があると思うんです。
でも世界的にそういうものがのっぺりと画一化されてきている気がします。
ドイツも地方の中小都市はだんだんどこに行っても同じ資本が入り、同じような感じになってしまいました。
着物に関しては和菓子と同じことが起こっている気がします。
安くしないと売れないから素材が悪くて大量生産ーいいものが作れないーいいものに見えないー買わない。。。というサイクル。
昨日ツバメを織り出した絣を着ていたのですが、たまたまお茶室に来たドイツ人のお医者さん(男性)に「その着物、なんか凄くない?多分もの凄い複雑な織り方だと思うんだけど」と言われたのでビックリしました。分かる人には分かるものなのですね。
でもこういうものもどこまで残せるんだろうと思うと同じように不安になります。
自然淘汰と言えばそれまでですが、寂しいですね。
もうキャパを越えています。
狭い街に受け入れられる人数が限られている。
車でもそう。
市長はバカですから、さらに外国人観光客を増やそうとしている。愚かです。京都の無形の良さが無くなってきている。
先週の地震のようなことだって起こりうる。民泊の粗製濫造は問題。世界の標準だから・・・世界の標準に京都市が合わせる必要はない。
最近、増えたインスタするからと言って食べ物玩具にするのはいけません。
東京で流行っている食べ物を京都でも展開する必要なんかないと思いますね。行列なんて京都に似合わないです。
チンドン屋みたいな着物モドキは、見たくない。なんか文化を踏みにじっている感じがするのです。
京都の町家をカフェに改造というのに入ると土足で上がるようになっていたりします。いままでそこで生活していた人たちを土足で踏みにじっている感じがする。
土足で座敷にあがるのは、葬式の時だけ・・・・という世代にとって違和感がある。
観光客は、災害か大不況で来なくなると思います。
そうなった時、京都市内がゴーストタウンにならないことを祈ります。