万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

富岡八幡宮殺人事件―祟ったのは神様では?

2017年12月14日 15時06分04秒 | 社会
 先日発生した富岡八幡宮宮司の一族をめぐる殺人事件は、そのおどろおどろしさに戦慄を覚えた方も少なくなかったのではないでしょうか。神道という神聖な場に住まう一族による、あまりに世俗的で利己的な骨肉の争いの結末は、目を背けたくなるほど陰惨です。

 この事件は、同社の宮司職をめぐる継承争いが主因なのですが、その背景には、様々な要因が絡んでいるようです。インターネット上にもその動機について諸説が流れており、殺害された富岡長子宮司とその弟で前宮司の富岡永茂容疑者の人物像についても、同一人物に対する評価とは思えない程、正反対の評さえあります。被害者が開設していたブログ記事、並びに、加害者が残した手紙を読みましても、どちらの言い分が事実に即しているのか、判然とはしていません。

 しかも、永茂容疑者が氏子の方々に宛てた手紙には、自らの子息を同社の宮司職に就任させるよう要求し、「私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世に残り、怨霊となり、要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」とする脅迫まがいの一文もあったというのです。この手紙を読んだ氏子の方々は、さぞや当惑したことでしょう。果たして、この要求を認めるべきか、今も頭を悩ましているはずです。

 しかしながら、ここで考えるべきは、この事件は、富岡八幡宮の御祭神(応神天皇)とは全く以って関係のないところで起きていることです。本来、神職とは、神様にお仕えする身であり、それ故に、自らの身を厳しく律し、日々、精進潔斎に努めるものです。ところが、週刊誌等の情報によりますと、被害者側の宮司も加害者側の前宮司も、神職としてはあるまじき放蕩生活を送っていたとされ、神職としての適性や心構えがあったとも思えないのです。これでは、神様が安らふはずもなく、深川の氏子の方々への御加護も薄くなることでしょう。否、神様は、宮司の地位とそれに付随する利権に執着するばかりに心が汚れ、醜い内紛に明け暮れる宮司一族を懲らしめるべく、こうした事件を起こしたのかもしれないのです。

 このように考えますと、氏子の方々は、永茂容疑者の怨霊を怖れる必要はないように思えます。むしろ、氏子達を案じた神様の御計らいであったかもしれないのですから。本事件は、神社のみならず、今日の宗教界が抱える様々な問題をもあぶり出しておりますが、神様は、人々の幸せを願い、ご加護を与える存在であることを、忘れてはならないと思うのです。

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ティラーソン米国務長官の無条件対話提案―譲歩か、最後通牒か?

2017年12月13日 15時52分30秒 | アメリカ
米国、前提条件なしで北朝鮮と直接対話の用意=国務長官
今月12日、ワシントンD.C.のシンクタンクでの講演においてなされたティラーソン米国務長官による北朝鮮に対する無条件対話の呼びかけは、北朝鮮問題が緊迫化する中、様々な憶測を呼んでおります。核・ミサイル開発・保有の放棄を前提としてしか対話には応じない、とする従来の方針が転換されたことにもなりますが、果たして、この発言の意図するところは、何処にあるのでしょうか。

 無条件対話への転換は、強硬姿勢を貫いてきたアメリカ側から軟化の姿勢を示し、北朝鮮側に歩み寄ったようにも見えます。しかしながら、この発言、二つの解釈が成立するように思えます。

 その一つは、上述したように、アメリカが対話の窓口を自ら用意することによって、北朝鮮側の立場を尊重する形での、対話による解決を図るための意思表示とする解釈です。これまでも、同国務長官については宥和的との指摘があり、更迭論が囁かれるほど、路線をめぐるトランプ大統領との確執も指摘されてきました。特に中国への配慮が強く、今般の発言も、対話解決を求める中国に同調し、対話路線へと引き込むための誘導である可能性があります。再三指摘されてきたように、この解決方法には、(1)核・ミサイル開発の凍結合意に留まり、日本国や周辺諸国の安全は確保されない、(2)結局、北朝鮮に開発に時間的猶予を与え、合意が反故にされた過去二度の失敗を繰り返すこととなる、といった重大なリスクがあります。同長官は、北朝鮮による核・ミサイル開発への多額の投資に言及しており、“現実的な落としどころ”として、イラン核合意と同様に、完全放棄ではなく、暫定的な凍結、もしくは、米本土を射程距離に収めるICBM開発のみの放棄を選択するかもしれません。

 もう一つの解釈は、同長官の発言は、北朝鮮に対する事実上の最後通牒とする見方です。同長官は、同発言において、“危機発生時”、即ち、朝鮮半島有事において、北朝鮮の核使用を阻止する手段を中国と協議したことを明らかにしており、かつ、中国に対して米軍が北朝鮮領内に進軍したとしても、韓国領内に帰還させる旨を確約したと述べております(米中間で38度線の現状維持の合意か?)。戦後処理については、中国は、合意内容が漏れれば北朝鮮を刺激するとして協議の議題には載せるのを拒否しているとの情報もありましたので、米中間で、同問題の合意が成立しているとすれば、米軍による対北軍事制裁は、中国の容認の下で実施されることを意味します。つまり、北朝鮮は、もはや中国の支援に期待することはできず、残された道は、同長官の提案に応じて話し合いの席につき、その場で、核・ミサイル開発・保有の完全放棄を承諾するか、あるいは、勝利の見込みのない絶望的な対米戦争に望むかしかなくなります。

 講演会におけるティラーソン米国務長官の発言は、トランプ大統領の承認を得ているのか不明とされ、上記の二つの解釈も、憶測の域を出ません。しかしながら、同長官の発言の節々に、何れの方向であれ、中国の動向を含め、北朝鮮問題が重大な局面に達している様子が窺えるのです。

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韓国の奇妙なTHAAD配備対中配慮―朝鮮戦争の主敵は中国では?

2017年12月12日 16時00分05秒 | 国際政治
「中国の安保、侵害しない」=初訪問前に韓国大統領
北朝鮮問題が拗れる一つの要因として指摘し得るのは、朝鮮戦争当時、中国は、国連の加盟国でも、安保理の常任理事国でもなかったことです。中国がこれらの地位を獲得したのは、1971年10月25日にアルバニア決議が成立したことに依ります。

 この時、国際社会において、朝鮮戦争における中国の立場に関する何らかの決定や取極めが為されていたとしたら、あるいは、今日の混乱は避けられたかもしれません。しかしながら、各国の戦略上の打算から中国を国連に招き入れたことは、今日に至っても、“国連加盟国、かつ、常任理事国でありながら”国連の敵”という中国の極めて曖昧な立場をもたらしているのです。

 朝鮮戦争の経緯からすれば、韓国が最も恐れるべき軍事的脅威は、中国のはずです。中国の義勇軍(中国人民志願軍)の参戦がなければ、朝鮮半島全域は国連軍によって占領され、程なくしてアメリカ主導による南北統一が達成されていたことでしょう。中国の兵力こそ、このシナリオに”待った”をかけたのであり、北朝鮮の軍事力は怖れるに足りなかったのです。1953年7月に成立した休戦協定の正式名称も、「朝鮮における軍事休戦に関する一方国際連合軍司令部総司令官と他方朝鮮人民軍最高司令官および中国人民志願軍司令員との間の協定」であり、中国は、紛れもない当事国であると共に、国連の敵国です。今日では北朝鮮領域から兵を撤退させているとはいえ、休戦協定が破棄されれば、中国は、即、戦争当事国となります。しかも、1961年9月に発効した中朝友好協力相互援助条約がなおも生きており、関係が冷却化したとはいえ、中国と北朝鮮は軍事同盟関係にもあります。

 朝鮮戦争が停戦中である現実に鑑みますと、THAAD配備に反対する中国に配慮する韓国の姿勢は、極めて奇妙です。仮に朝鮮戦争が再開された場合には、人民解放軍の介入のみならず、中国の参戦さえもあり得るからです。韓国の文在寅大統領は、「今後、THAADが北朝鮮の核・ミサイルに対する防衛目的を超え、中国の安保上の利益を侵害することがないよう、韓国は格別に留意していく」と述べたと報じられていますが、自国の防衛を確実にするには、北朝鮮のみならず、中国に対しても防衛を目的としたTHAADの配備・運用が必要となるはずです。文大統領は、“中国から自国が核やミサイル攻撃を受ける可能性は絶対にない”、と確信しているのでしょうか。

 防衛戦略としてはTHAADの配備・運用は対北限定では不十分であるにも拘わらず、中国に対して自国の防衛・安全保障に関わる大幅な譲歩を見せたとしますと、あり得る可能性は、”韓国が中国から朝鮮半島有事不介入の確約を取り付けた”、というものです。しかしながら、こうした約束がいとも簡単に反故にされるのは、中国大陸や朝鮮半島では日常茶飯事です。不都合が生じたり、勢力拡大の好機と見れば、中国は、迷わずに軍事介入を決断することでしょう。

 軍事戦略の常識からかけ離れた韓国の行動からしますと、もしかしますと、韓国は、米韓同盟からの離脱と中国陣営への参加を内々には伝えており、THAAD配備をめぐる配慮は、そのプロセスの最初の段階に過ぎないのかもしれません。韓国は、朝鮮戦争の文脈においては、国連軍、並びに、同盟国のアメリカを置き去りにして、既に中国に対しては“降伏”したのかもしれないのです。

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国連の対北連絡窓口設置提案の狙いとは?

2017年12月11日 15時59分24秒 | 国際政治
訪朝の国連事務次長、北朝鮮高官に「連絡窓口の設置が急務」
軍事力行使も辞さずの米トランプ政権の構えを前にして、フェルトマン国連事務次長が北朝鮮を訪問し、李容浩外相に連絡窓口の設置を提案したと報じられております。その狙いは、果たしてどこにあるのでしょうか。

 国連側の説明に拠りますと、同提案の理由は、“関係国との衝突リスクを軽減するため”なそうです。この説明が正しければ、国連事務局は、連絡窓口の開設に、話し合い解決の最後の望みを託していることとなります。しかしながら、あくまでも核・ミサイル開発・保有に固執する北朝鮮が、これらの放棄を前提とした話し合いに応じるはずもなく、北朝鮮が話し合いの場に自ら姿を見せるとすれば、それは、既にICBMによる米国本土攻撃体制が完了した時点とする見方が有力です。この場合、連絡窓口の役割は、核・ミサイル保有を前提とした北朝鮮からの交渉提案の受け皿であり、アメリカとの交渉の橋渡し役となりましょう。狡猾な北朝鮮は、同連絡窓口を利用し、国連をバックにアメリカに対して譲歩を迫る展開ともなりかねないのです。

 あるいは、米朝間の偶発的な衝突を避けることが目的であるならば、これもまた、その効果は期待薄です。国連事務局は、米軍に対する指揮権を有していませんので、たとえ北朝鮮側から何らかの緊急連絡を受けたとしても、即応できるわけではありません。また、追い詰められた北朝鮮側が、軍事的戦略から先手を打つために奇襲をかけるに際しても、律儀に事前に国連に連絡するとは思えないのです。

 一方、報道の説明とは異なり、連絡窓口の開設は、米軍による軍事力の行使を前提として、北朝鮮に対して“降伏”の斡旋ルートの提供を含意しているのかもしれません。この目的であれば、開戦に先立って北朝鮮が白旗を上げる場合、並びに、開戦後に至り、戦局の悪化から降伏を申し出る場合の何れであっても、窓口を有する国連事務局は、アメリカ側に北朝鮮の降伏の意思を伝えるメッセンジャーの役割を担うと共に、戦後処理にも口を挟むチャンスを得ることにもなるのです(独裁体制の温存など、北朝鮮、あるいは、中ロに有利な提案をするかもしれない…)。

 何れにしましても、国連は、現在、北朝鮮情勢への関与を強めているのですが、その行動自体にも疑問がないわけではありません。国連に対する中ロ勢力の組織的浸透は既に指摘されており、国連事務局の動きは、必ずしも中立的であるとは限りません。また、北朝鮮の行動は、国連憲章第6条の除名処分に相当し、かつ、安保理でも既に制裁決議が成立しているにも拘わらず、制裁強化とは逆方向の宥和的な雰囲気が漂っているのです。北朝鮮が核・ミサイル開発・保有計画を放棄すれば、問題はいとも簡単に解決するにも拘わらず、何故か、両者は、「現在の状況が今日の世界で最も緊迫し、危険な安全保障問題である」との認識で一致したとも伝わります。フェルトマン氏は、北朝鮮に対して責任を問うこともなく、時間をかけた外交交渉による解決こそが唯一の道と語ったようですが、これでは、何らの圧力にもならず、北朝鮮の時間稼ぎに貢献することとなりましょう。

 加えて、国連=国連事務局ではありませんので、事務総局や事務総長権限による連絡窓口の設置提案では、具体的行動を取るための執行力も伴わず、北朝鮮問題の根本的な解決には繋がりません。平和的解決、しかも、話し合い解決を最優先とするばかりに、独裁国家北朝鮮に有利な状況を作り出すようでは、国連の本来の目的からしますと、本末転倒となりかねないと思うのです。

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北朝鮮の“イスラムすり寄り”は無理―“敵の敵は神の敵”

2017年12月10日 14時52分34秒 | 国際政治
北朝鮮、エルサレム首都認定を非難=「アラブへの連帯」強調
北朝鮮は、国際法に違反して核・ミサイル開発を継続し、かつ、再三にわたる国連安保理決議による同計画の放棄要求を無視してきましたので、上記の対米批判理由には唖然とさせられるのですが、この批判は、北朝鮮が、エルサレム首都認定問題を機にイスラム側に味方することで、深まりつつある国際的孤立から脱しようとする意図があるとの解説があります。しかしながら、この北朝鮮の“イスラムすり寄り”は、無理なのではないかと思うのです。

 イスラム教も、『旧約聖書』に記される“神”の啓示の下で成立しており、マホメットによる様々な“神”の言葉の他に、他の神を信じることを禁じると共に、偶像崇拝をも禁止する「モーセの十戒」をも継承しています。敬虔なイスラム教徒は、メッカに向かって毎日祈を捧げることはあっても、神像などの偶像を拝むことはしません。一方、北朝鮮は、共に独裁容認思想である共産主義と主体思想が入り混じったカルト国家です。宗教は麻薬と断じたマルクスに従い、既存の宗教は否定される一方で、独裁者は神格化され、国民に対してその像を“神”として礼拝する偶像崇拝が強要されているのです。また、ソ連邦でもロシア革命の指導者であったレーニンの遺体は永久保存処置が施されましたが、北朝鮮でも、金日成等の歴代の指導者の遺体は特別の廟に祭られています。北朝鮮は、世俗国家ではあっても、神ならぬ人を拝む偶像崇拝が体制化された国であり、イスラム教諸国とは対極にあるのです。

 加えて、その解釈には様々な問題を含みつつも(例えば、イスラム教は「汝殺すなかれ」を無視)、「モーセの十戒」をも継承するイスラム教には、一先ずは、社会倫理や道徳としての行動規範がシャリーアなどの戒律として定められています。“神は善をなすものを愛す”とし、人々に善行を勧めてもいるのです。今般の北朝鮮の核・ミサイル開発は利己的暴力主義の極致にあり、イスラムの教えに照らしても悪行でしょうから、イスラム教諸国が、北朝鮮に対して積極的な連帯を示すとも思えません。否、北朝鮮に対する支援は、原理主義者のテロ等によって著しく損なわれたイスラム教に対するイメージをさらに悪化させないとも限らないのです。

 北朝鮮は、“敵の敵は味方”の打算から対米批判声明を公表したのでしょうが、イスラム諸国は、同国の思惑通りには動かないのではないでしょうか。イスラム諸国にとっての北朝鮮は、“敵の敵は味方”ではなく、敢えて言うならば、“敵の敵は神の敵”なのですから。

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エルサレム問題-“神”とヤハウェとアッラーは同一神か?

2017年12月09日 16時41分59秒 | 国際政治
パレスチナ、暴力の応酬拡大=イスラエル軍との衝突で2人死亡
 アメリカのトランプ大統領が、エルサレムをイスラエルの首都と認めたことから、パレスチナ自治政府が強く反発する一方で、エルサレムに対する国際的な関心も高まっております。そしてこの問題は、エルサレムが、ユダヤ教、キリスト教、並びにイスラム教の三つの宗教の聖地であり、これらの3つの宗教が信奉する神は同じ神であるのか、といった一神教に内在するセンシティブな問題をも問うているように思えます。

 ユダヤ教の経典でもある『旧約聖書』によりますと、ユダヤ教徒がイエルサレムを聖地とする理由は、神が、アブラハムに対して「約束の地」の首都として与えていたことに他ありません。そして、古代ヘブライ王国にあっては、第二代ダビデ王が都と定め、南北分裂後は、ユダ王国の都となります。バビロン捕囚を経てハスモン朝やヘロデ朝が成立した際にも同地は首都とされており、歴史的にユダヤ人との結びつきが強い地であることは確かです。ユダヤ人が信じる神は、ヤハウェとも称されておりますが、マックス・ウェーバーは、『古代ユダヤ教』において、ヤハウェとはシナイ半島の山の神であり、ユダヤ人の戦争神として崇められるに至った後、唯一神=普遍神の地位にまで昇格したのではないか、と推測しています。しかし、キリスト教がユダヤ教の内から発している点を考慮しますと、おそらく、もともとユダヤ教の神には、ヤハウェという軍神と、後にキリスト教の神となる普遍神の2神が併存・混同しており、このため、ヤハウェには、民族神と普遍神の性質の混在が見られるようです(もっとも、ユダヤ人は同一の宗教の下に様々な民族が集合した“多民族民族”という側面が強い…)。そして、後に、普遍神を信じる人々が、キリスト教徒として分離していったと考えることができます。

 従って、エルサレムがキリスト教にとって聖地である理由も、『旧約聖書』に由来します。すなわち、キリスト教徒もユダヤ教徒もアブラハムを崇敬していたことから、エルサレムは初期キリスト教徒にとっても聖地となったのです。かつ、イエス・キリストが磔刑に処されたのはエルサレムのゴルゴダの丘ではありました。11世紀に始まる十字軍遠征の目的が聖地エルサレムのイスラム教徒からの奪還でしたので、同地は、キリスト教徒の聖地としてのイメージが強く刻印されることともなりました。しかしながら、キリスト教が世界宗教として民族の枠を越えて広がったため、今日では、同地に対して領有を主張するキリスト教系の国はありません。キリスト教では、神は、超越的な普遍神(the God)であり、特定の民族を擁護する神ではないのです。

 それでは、何故、エルサレムは、イスラム教の聖地なのでしょうか。その理由は、『コーラン』の「夜の旅の章」の記述に依れば、預言者マホメットは、メッカのカーバ神殿から一夜にしてエルサレムの神殿へと旅をし、そこで、アッラーの神から直接に啓示を受けたとされているからです。つまり、この記述からすれば、ヤハウェ、もしくは、普遍神のいずれかとアッラーは同一神となります。いずれにいたしましても、神は、モーセに語ったと同様に、マホメットに対しても他の神を信じることを禁じたようであり、このためマホメットの解釈によって、イスラム教では多神教徒の殺害まで容認するに至るのです。イスラム教の神は、マホメットの解釈によって、ユダヤ教のような民族神の性質は薄いものの、極めて強い排他性を特徴とするようになっています。

 以上のように、ユダヤ教、キリスト教、並びに、イスラム教の“神”を比較してみますと、実のところ、それぞれに性格の違いが見受けられます。そして、エルサレムを聖地として神聖視することは、イスラム教徒にとりましては、アッラーとヤハウェ、もしくは、普遍神との同一性という問題に直面することともなるのです。

このように考えますと、エルサレムの首都問題を解決するためには、イスラエルとパレスチナ自治政府のみならず、ユダヤ教徒もイスラム教徒のみならず、人類は、今一度、一神教に内在する多様性の問題を直視し、聖地とは何か、という根本的な問題に立ち返るべきではないかと思うのです。

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真珠湾攻撃と北朝鮮問題―似て非なるもの

2017年12月08日 11時15分57秒 | 国際政治
 76年前の12月8日未明、日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し、かくして、太平洋戦争の火蓋は切って落とされることとなりました。日米開戦の経緯につきましては、最近の研究によれば、米英による対日挑発説が有力となりつつあるようです。

 当時、イギリスは、破竹の勢いでヨーロッパを席巻したナチス・ドイツ軍を前にして、風前の灯の状態にありました。ドイツ軍のイギリス上陸も時間の問題ともされ、アメリカの参戦がなければ、イギリスは、ドイツの軍門に下った他のヨーロッパ諸国と運命を共にしたことでしょう。絶体絶命に陥ったイギリスが、アメリカ参戦の端緒としてドイツと同盟関係にある日本国による対米攻撃を心の底から望んだことは疑いなく、この歴史の流れからしますと、米英が結託して日本国を追い詰め、軍事行動に駆り立てたことは最もあり得るシナリオです。あるいは、特に日本海軍はイギリス海軍を範にして設立されており、解消されたとはいえ、日英同盟以来の協力関係も水面下では維持されていたとすれば、日本国の内部にあっても、このシナリオに誘導された、あるいは、暗に協力した政治家や軍人等もあったかもしれません。また、日本軍の攻撃によるアメリカの参戦は、ソ連邦も望むところでした。

 日米交渉の決裂も同シナリオの筋書き通りとなるわけですが、真珠湾攻撃の事例は、政治に関する様々な側面を教えています。例えば、当事者間の合意に期待する交渉という手段は、相手方が闘う意思を堅持している限り、全く以って無駄となります。しばしば、日米交渉における日本国側の失敗が開戦への道を拓いたとして批判されていますが、当時、ルーズベルト大統領は戦争を望んでいたわけですから、この見解は的を外しています。

 また、攻撃を受けた側の選択肢は、即時降伏を除いては、軍事的対応、即ち、戦争一つに絞られます。如何なる国にも正当防衛の権利はありますので、応戦=防衛戦争は、誰からも批判されない最も正当なる戦争事由となるのです。日本国を真珠湾攻撃へと追い込む米英の行動は、日本国の選択肢を狭め、開戦一つに追い込むと同時に、相手国の行動のリアクションとして自らの行動をも一つに決定付けるのです。歴史的文脈にあって、真珠湾攻撃は、日本国側の一方的な行動ではなく、米英の思惑とセットにして理解すべきなのかもしれません。

開戦の発端はトリッキーで短絡的であったものの、やがてこの戦争は、自由と民主主義をスローガンとして掲げる連合国と植民地解放と祖国防衛を大義として掲げた日本国との間の、価値観をもかけ足かけ4年にもわたる血みどろの戦いへと発展してゆくのです(もっとも、今日においては、両者の大義はともに正しく、普遍的価値として認められている…) 。

 北朝鮮の脅威が深まる中、北朝鮮による奇襲のリスクを日本軍による真珠湾攻撃に擬える見解もあります。しかしながら、両者は似て非なるものです。真珠湾攻撃から76年を経た今日、日本国とアメリカは、日米同盟の強い絆で結ばれています。案外、両国の政界や歴史家の多くは、教科書の説明とは異なる上記の事情を知っており、特にアメリカ側において、戦後、日本国に対する敵国意識が薄らぐ要因ともなったのでしょう。二つの大義が対立関係を構成し、アメリカが全体主義国家ソ連邦と与した、奇妙で捩じれた時代と比較して、今日の“共通の敵”は明白です。“共通の敵”とは“人類の敵”であり、独裁的全体主義を標榜し、覇権主義の下で勢力拡大を試み、自国のために他国の権利を侵害する無法国家であるからです。

 真珠湾攻撃の教訓からすれば、北朝鮮が核・ミサイルの開発・保有を断念する意思がない以上、交渉は無駄となりましょう。その一方で、中国であれ、北朝鮮であれ、今般の脅威にあっては、アメリカが血の絆で結ばれた友好国イギリスを救うために、日本国、即ち、敵国の同盟国に対して開戦を挑発するといった状況には全くありません。今度こそは、真の“敵”を見誤ってはならず、より善き国際秩序の実現を賭して、両国は、目下の北朝鮮問題、さらには、中国の覇権主義に臨むべきと思うのです。

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北朝鮮からの木造船漂着―生物化学兵器の可能性

2017年12月07日 15時54分04秒 | 国際政治
海岸で2人の遺体発見 木造船も漂着 秋田
 北海道から北陸地方にかけての日本海沿岸には、北朝鮮から流れ着いた木造船が相次いで発見されております。北海道の松前小島では、避難小屋にあった家電製品等が根こそぎ盗み取られる事件も発生していますが、同事件に関しては、日本側の捜査員が白い防御服を着ての捜査となりました。

 当初、木造船漂着は一般の北朝鮮漁民の遭難事件とみられていましたが、北朝鮮軍部の関与が判明したため、今日、警戒レベルを上げる段階に来ております。朝鮮半島が緊迫する状況にあっては、民間人を装ったテロリストや工作員の活動があり得るからです。加えて、過去の北朝鮮の行動からしますと、同国が、生物化学兵器を使用する可能性も高く、松前小島の事件において防御服の着用が見られたのも、既に、その危険性を認識していたとも推測されます。単なる盗難事件ではこうした重装備は必要なく、北朝鮮軍による何らかの毒性の高い物質や細菌等の散布を警戒してのことなのでしょう。敢えてレーダーに捕捉され難く、警戒感を呼ばない古びた木造船を運搬手段として使用しているとすれば、頻発する漂着事件は侮れません。

 マレーシアのクアラルンプールにおける金正男氏暗殺事件では、VXガス使用による犯行の疑いが濃く、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教も北朝鮮系組織であったとの指摘もあります。また、歴史を遡れば、1348年に、モンゴル軍がジェノバの植民市であったクルミア半島のカッファを攻略するに際し、ペストで死亡した人の遺体を城内に投げ込むという手法が採られたそうです。植物性の毒や昆虫類を利用した攻撃手段は古代ギリシャ時代から存在していましたが、人体を利用した細菌兵器は、モンゴル軍が最初の使用者であったかもしれません。

 日本国政府は、北朝鮮が日本国に対して民間人を攻撃対象とした同様の作戦を展開する可能性は視野に入れておくべきできなのではないでしょうか。既に、北朝鮮は臨戦態勢に入っているのですから、その前哨戦として生物化学兵器によるテロを実行するかもしれず、戦争が正規の戦争と不正規のテロとが混在するハイブリッド化している今日、対北朝鮮に対する防衛体制は、後者をも含めた万全なものとすべきなのではないかと思うのです。

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価格急騰はビットコインの弔鐘か?

2017年12月06日 15時43分03秒 | 国際経済
今や仮想通貨ビットコインの取引価格は1万ドルを超え、時価総額は20兆円にも上るそうです。2010年から今年までの7年間で、その価格は100万倍に上昇したと言うのですから驚くばかりです。

 ビットコインの価格急騰については、早、バブル論もある一方で、今後も上昇傾向は止まらないとする見方もあるようです。拡大を続けてきたビットコインの勢いが止まる理由は、バブル崩壊のみではないように思えます。

 ビットコインが終焉を迎えるもう一つの理由は、価格の不安定性が通貨の基本機能―支払い手段、価値尺度、価値貯蔵手段―を著しく損なうからです。仮に、7年間で100万倍も通貨価値が変動する通貨を想定して見れば、それが、如何にリスクに満ちた状況であるのか理解できます。通貨価値が下落するインフレについては、第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレーションがよく知られていますが、その1兆倍のインフレ率に比べればケタに違いはあるものの、ビットコインは、他の一般の通貨と比較して超デフレなのです。このことは、ビットコイン表示で‘もの’やサービス等に価格を付けたり、ビットコイン建で投資や融資を行うことが困難となることを示しています。敗戦後のドイツ経済の未曽有の混乱は、ドイツ・マルクの機能不全による経済活動の破綻に依りますが、今日にあって、ビットコインの使用の拡大は、同通貨の価値下落による経済破綻リスクを背負い込むことになりかねないのです。

 価値尺度としての通貨機能が果たせなくなれば、誰もが、決済手段としてもビットコインの使用を避けるようなります。バブルが崩壊すれば、資産としての価値も激減するのですから、価値貯蔵機能も危うくなります。かくして、ビットコインの市中での流通量も減少することになりましょう。通貨価値の不安定性は、中央銀行が存在せず、マネー供給量の調節機構を持たない‘前近代的貨幣’とも言えるビットコインの宿命とも言えます。

 ビットコインの相場上昇には、一般企業による採用拡大など、ビットコインの一般的な流通性に対する期待も一役買っています。そしてこの期待は、期待したが故の自らの投機行為によって消えるかもしれないのです。ビットコインが投機的マネーゲームと化した結果、通貨としての基本機能を失ったのでは、もはやコインとは言えなくなります。ビットコインの相場急騰は華やかに見えながら、その弔鐘となるのかもしれないと思うのです。

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SNSが隠れた国民監視システムになる時

2017年12月05日 15時58分32秒 | 社会
先日、日経新聞の朝刊一面に、SNSで収集された個人情報が企業の採用に影響を与えかねないとする記事が掲載されておりました。ビッグテータの解析技術の向上は、便利なコミュニケーション手段であるSNSを国民監視システムに転じさせる可能性を秘めております。

 この傾向は、共産党一党独裁を敷く中国において顕著であり、SNSは当局の厳格な監視下にあります。反政府的な発言はチェックされ、“危険分子”として取締りの対象となるのです。全体主義国家における国民統制手段としてSNSの監視に対して自由主義諸国は批判的ですが、上記の記事は、対岸の火事として見過ごすことができないリスクが自由主義国にも迫っていることを示唆しております。何故ならば、政府に限らず、民間の一般企業が国民の交友関係、思想傾向、行動範囲、人柄まで全て把握できるからです。

 同記事では、フェースブックにおける“友達”や“いいね”の数を採用基準とする企業の問題点を扱っていましたが、考えてもみますと、個々人の生活や活動の内容が全て外部に情報として送信されてしまう社会は不気味と言えば不気味です。政府による個人情報保護政策によって国民の間では相互の情報が遮断される一方で、SNSのネットワークを用いて情報収集ができる立場にある通信関連の企業のみが、一方的に他の大多数の人々の個人情報を、通信サービスの名目で入手できるのです(著しい情報格差の発生…)。“情報を制する者が世界を制する”とする格言が正しければ、最強となるのは、情報の収集やその利用が可能な政府や一部の事業者と言うことになりましょう。

 しかも、企業の採用時におけるSNSデータの利用方法は、“数”の多さを以って人の価値を図るというものです。このため、就職を望む人々の中には、同記事が指摘するように、“数”を求めて、‘偽の友達’や“いいね”を偽造する不届き者や請負業者が現れるのですが、就職目的の“友達”登録が増加し、しかも、それを外部の他者が常時ウォッチしているとなりますと、人間関係は殺伐としたものとなりましょうし、真の友情を育むことも難しくなります。また、適性や能力があっても内向的な人は低評価となり、就職の機会を逸してしまうかもしれません。外部に監視者が潜んでいるならば、本音で話し合うこともなくなり、凡そ全ての人々が”二重人格者”となるかもしれないのです。これは、静かなる精神の破壊に他なりません。

 こうしたSNSのリスクに気付いてその使用を止めると、今度は、就職等に不利となるのですから、この仕組みは巧妙です。使用自体は個人の自由意思に基づきますが、使用者が増加し、企業といった組織が活用したり、公式の制度に組み込むようになりますと、そこから抜け出ることが困難となるのです。つまり、SNSとは、使用者に対しては時代の先端とするイメージを埋め込みつつ、不使用の選択者に対して不利益を与えることで、張り巡らした監視網に人々を追い込むシステムなのかもしれないのです。

 フェースブックの創設者であるマーク・ザッカ―バーグ氏は、中国の習近平国家主席とも懇意であり、中国国内の情報監視システムにも協力的であると伝わります。同氏は、SNSの手法を開発したインターネット時代のヒーローの観がありますが、最近では、その真の姿はアンチ・ヒーローであるダース・ベイダーであったのではないかとする指摘もあるそうです。SNSが、温かな人間らしい社会を破壊して息苦しい空気をもたらし、監視社会に導くとしますと、一般の人々こそSNSの事業者やデータ利用者等をチェックする、あるいは、距離を置くことで、自由を取り戻すべきではないかと思うのです。

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高校教科書歴史用語問題-暗記から理解・分析テストへの転換で解決を

2017年12月04日 14時43分00秒 | 日本政治
高校歴史用語に「従軍慰安婦」 教科書向け精選案「南京大虐殺」も
 目下、教科書会社では、次期学習指導要領に沿うよう教科書内容の改訂の作業が進められているようです。この作業に合わせて、約400人の高校・大学の教員によって構成される高大連携歴史教育研究会が提言を行ったところ、その用語の選別が波紋を広げております。

 同研究会では、暗記力から思考力重視への転換を図るとする基本方針から、歴史用語を大胆に削減しております。古代から現代に至るまで、蘇我馬子、武田信玄、上杉謙信、坂本竜馬、吉田松陰、高杉晋作といった日本人であれば誰もが知っている歴史上の著名人物が削除対象とされる一方で、中江兆民、幸徳秋水、徳富蘇峰、幣原喜重郎等の人物が加えられていることから、その選別基準が、左右何れであれ“国際主義”、あるいは、“グローバル”であることが窺えます(もっとも、グラバー商会と協力関係にあった坂本竜馬は国際組織の一員であったかもしれない…)。また、“従軍慰安婦”や“南京大虐殺”など、事実によって反証されている用語も“当確”させているところを見ますと、選考基準には色濃いイデオロギー上の偏向も見受けられます。

 同研究会は、暗記偏重の歴史教育の現状を削減理由として強調しておりますが、この理由付けも不可解です。思考とは、その素材となる情報を知らなければ、誤った判断に導かれてしまうか、あるいは、浅薄な考察に留まるからです。ある一つの情報を知っているか知らないかによって、歴史上の評価も大きく変わりますし、正確な情報の収集量は物事の理解や判断の的確さと凡そ比例するのです(AIでさえ、正確な回答を得るためには、できる限り多くの情報のインプットが必要…)。教科書とは、いわば情報提供の基礎的ツールですので、情報量の乏しい教科書で学習しても、読む側の思考力が高まるとは思えません。歴史用語が大幅削減されれば、学生の方は暗記する量が少なくなったのを歓迎し、逆に、“これなら全部暗記できる”とばかりに用語暗記に励むことでしょう。たとえ日本史履修者が増加したとしても、これでは本末転倒であり、用語削減は逆効果となります。

 加えて、同研究会が、高校や大学の教員であることにも驚かされます。何故ならば、思考力が問題ならば、変えるべきは教科書に掲載されている用語の量や内容ではなく、自らが行っているテストの方法と考えられるからです。テスト用紙の( )内の空欄に人物名や発生年等を書き込む暗記方式ではなく、時代の流れの把握、歴史的事件の背景や要因の分析、あるいは、歴史的な意義を問う設問に変更すれば、自ずと思考力は高まります。出題する側が暗記力を問うことを止めれば、この問題は容易に解決するのです。

 用語=情報としますと、歴史の教科書は分厚くてもよいはずです(暗記目的でなければ、苦痛にはならない…)。そして、情報の共有は、国民間にあっては自らの国家が辿ってきた歴史に対する共通意識を醸成し、コミュニケーションをも円滑化します。もっともらしい理由を付けながら、その実、日本国の教育レベルの低下を狙った“第二のゆとり教育”や“国民消滅”が真の目的である可能性もあり、こうした提言には大いに警戒すべきと思うのです。

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保守こそ共和政移行を主張すべきでは?

2017年12月03日 15時12分59秒 | 日本政治
皇太子さま即位の前後、10連休? GW「谷間の平日」
新天皇の即位を再来年の5月1日に控え、政治レベルでも、「皇位安定継承」も議論の俎上に上ってまいりました。立憲民主党の枝野代表も、先日、女性宮家創設への意欲を見せておりますが、皇室の現状を鑑みて、将来に亘って現皇室を維持すべきか、疑問に感じる国民も少なくないのではないでしょうか。

 女性宮家創設や女性・女系天皇実現を目指す野党の思惑とは、“女性”を前面に打ち出すことで、男子継承に拘る旧態依然とした皇室に男女平等の新風を吹き込む改革者のイメージを国民にアピールすることにあるのでしょう。しかしながら、性別の問題は枝葉末節に過ぎず、真に重要な議論は、天皇の日本国の国制における役割と位置づけなのではないかと思うのです。

 今日の皇室は、古来の国家神道から離れ、創価学会、あるいは、その背後の国際組織によって傀儡化された可能性は極めて高く、現皇室は、“日本国・日本国民隷従化の象徴”ともなりかねません。与野党含めて日本国の政界も同組織の影響下にありますので、皇室の維持については両陣営とも協力関係にあるのでしょう。その一方で、一般の国民にとりまして皇室は意味不明の存在となりながらも、同組織によって与えられた皇室の役割に対応する“演技”を強要されることとなります。“慈悲深い皇族”が被災地の慰問や視察に赴けば感涙を浮かべ、音楽会に臨席すれば光栄のあまりに満場の拍手を送る“有難がる国民”の役を演じるよう圧力がかかるのです。アメリカ民主党系の論者に依れば、“行動する皇族”こそが理想像なそうですので、今後とも、国外のみならず、国内各地を頻繁に訪問することでしょう。

 日本国の伝統的な御簾の中におわす神聖なる天皇像とは真逆なのですが、全体主義を是とする共産党や公明党等がバック・アップしているのですから、不敬罪が復活する可能性もあり、マスコミも、国民が新天皇を崇敬するよう積極的なプロパガンダを展開することでしょう。かくして日本国は、異形化した皇室の下で、中国の共産党一党独裁体制や北朝鮮の金王朝と同類の言論統制が敷かれ、一般の国民は、自らの良心と理性に照らして皇室を批判する自由をも奪われるのです。

 こうしたリスクは、皇室において男女平等を実現したところで排除できるわけではなく、むしろ、現皇室の継続がより強固に保障されることで、さらに深刻な事態となります。日本国が得体のしれない国際組織の属国となり、日本国民が、真綿で首を絞めるように全体主義体制へと導かれないためには、皇室リスクを取り除く方策こそ必要とされるのです。その一つは、立憲君主制の形骸を残す現体制から共和政への移行であることは、言うまでもないことです(共和政に移行しても、国家祭祀の公職として天皇位を残すことも可能…)。真に日本国の民主主義と日本国民の自由を望むならば、政治レベルにおける共和政移行の提言は、あって然るべきなのではないでしょうか。立憲民主党のみならず、共産党さえ共和制への移行を言い出さない現状こそ、危機的状況の証左かもしれません。もしかしますと、日本国の歴史と伝統を重んじ、かつ、独立と自由を求める真の保守系愛国者こそ、共和政への移行を提起すべきなのではないかと思うのです。

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英王室と日本の皇室を操る見えない糸

2017年12月02日 16時33分39秒 | 国際政治
王子とマークルさん初公務=英
イギリス王室のヘンリー王子の婚約発表は、全世界に驚きを以って迎えられました。婚約者であるメーガン・マークル氏が、母方からアフリカ系の血を引くアメリカ人女優であったからです。日本国の皇室も、秋篠宮家の眞子さんが小室圭氏と婚約する運びと報じられており、王室や皇室の同じような“慶事?”が続いています。

 日英両国は、両国ともに島国でありながら、地理的には凡そ地球の裏側同士の関係です。しかしながら、近年の英王室と日本国の皇室の婚姻状況を見ますと、天皇へのガーター勲章の授与等の他にも、そこには両国を結ぶ目に見えない糸があるように思えます。そして、その糸こそ、国際秘密結社が進めている世界スラム化計画、延いては人類家畜化・野蛮化計画と推測されるのです。

 ウィリアム王子は、故ダイアナ妃からアルメニア系の血を継いでいることは既に判明していますが、キャサリン妃の母方であるゴールドスミス氏もユダヤ系であり、英王室のユダヤ化傾向は周知の事実です。メーガン・マークル氏も、アフリカ系であると共に、父親もユダヤ系セファルディとされていますので、その遠因は、おそらくヴィクトリア時代頃に遡るのでしょうが、英王室は、もはや英国の王ではなく、全世界の“「ユダヤ」の王”を自認しているのかもしれません。しかも、キャサリン妃の叔父が風俗業の事業者であるように、そこには、退廃、享楽、犯罪等が蠢めいており、様々な民族がひしめき合い(ユダヤ人は様々な民族の混成体…)、悪徳が栄えていたゲットーを髣髴させるのです。メーガン・マークル氏の母方もスラム出身とされていますので、イギリス王室の王子達の婚姻は、一般国民であり、かつ、健全な中間層を形成する中流とは無関係の‘最上流’と‘最下流’、かつ、ユダヤ系異民族間の組み合わせなのです。

 一方、日本国の皇室を見ますと、同様の傾向は、今上天皇の婚姻から始まっております(明治天皇から始まっているかも)。もっとも、日本国の場合には、“菊のカーテン”で情報を隠蔽することで、英王室と同様の婚姻政策が秘密裏に進められています。英王室の方が、血統に関する情報が公開されている点ではるかに正直なのですが、日本国の場合には、外国人の血統、祖先の社会的地位、文化的背景などは、全てカーテンの裏側に隠されているのです。とはいえ、ネット社会にあっては民間情報が流れるため、国民の多くは、皇室もまた、英王室の婚姻状況と共通していることを知り得るのであり(ユダヤ系、もしくは、その手下となっている中国・鮮半島系…)、それは、日々、皇室に対する崇敬の念を蝕んでいるのです。

 それでは、この行く先には、何が待ち構えているのでしょうか。英国であれ、日本国であれ、皇室が国民のアイデンティティーの拠り所とはなり得ないことは確かです。日本国では、もはや天皇は統合の象徴とはなり得ず、英国にあっては君臨することが困難となることを意味します。言い換えますと、国民のアイデンティティーの喪失と砂粒化による事実上の“国民の消滅”、並びに、同時並行的に“グローバル文化”としてのスラム化を図ることこそ、全人類家畜化、動物化へのステップと考えているかもしれないのです。

 今日の国民国家体系にあっては、“国民の消滅”は、歴史、伝統、固有の文化…をも含む“国家の消滅”をも意味します。そして、一般の国民に対しては二重思考を強い、批判者に対しては暴力で脅すことで王室や皇室だけは維持し、この体制を以って全世界を‘ユダヤ’、否、イルミナティーの支配の下に置こうとしているのではないでしょうか。”前進”とは、この目的に近づくことなのではないかと疑うのです。

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“新天皇5月1日即位”と国際カルト組織

2017年12月01日 11時32分04秒 | 国際政治
天皇陛下、19年4月末退位へ=首相が意見聴取、8日にも決定―25年ぶり皇室会議
皇室に異変が続く中、報道に拠りますと、今上天皇が退位する日は4月末に決定されたそうです。退位日となる4月末の日程のみが強調されておりますが、これと一対となる“新天皇5月1日即位”の方が、余程、重大な問題なのではないかと思うのです。何故ならば、この日には、不吉な影が差しているからです。

5月1日と言えば、労働者の祭典、即ち、メーデー(Mayday)としての印象の方が強いかもしれません。メーデーは、アメリカのシカゴで1886年5月に発生したヘイマーケット事件に由来しており、デモとストライキが行われた5月1日を、労働者が権利を要求し、国際的な連帯のための活動を行う記念日としたのです(ただし、アメリカでは、暴動を誘発しかねないとして、9月の最初の月曜日を労働者の日としている)。いわば、国際的な社会・共産主義運動の実践が称賛される日(国際デー)でもあるのですが、敢えてこの日を“新天皇即位”の日に選定したとなりますと、その思惑と背景を疑わざるを得ません。

 さらに、5月1日には、歴史の闇との関連があります。1776年5月1日こそ、アダム・ヴァイスハオプト(Johann Adam Weishaupt)がイルミナティーと呼ばれる国際秘密結社を設立したその日であるからです。1954年5月1日は統一教会の創立日でもあり、同教団は、イルミナティーの下部組織なのかもしれません。一昔前には、こうした国際秘密結社の存在は陰謀論として一笑に付されたのでしょうが、今日の皇室の異変を見ておりますと、世界史の裏舞台における同組織の暗躍こそ、人類を不幸に導き、災禍をもたらしてきたとする見方もあながち否定はできなくなります。悪魔を崇拝し、世界支配を目的に国際共産主義、並びに、国際資本主義の双方を上部から操るとされる同組織の謀略的戦略からしますと、皇室や王室の内部に入り込んで自らの‘駒’とする手法は、目的達成にとりましては最も効果的で破壊的な方法の一つとなるからです。

東宮家の“愛子さん”が複数存在することは本日各紙に掲載された写真からも明らかですが、こうした要人の複数説は、同一組織の手によるためか、日本国に限らず、プーチン大統領やヒラリー・クリントン氏など、世界各国の要人(‘駒’?)で散見されます。また、イギリス王室も、昨今のヘンリー王子の婚約発表にはどこか陰謀めいた空気が漂っています。“新天皇5月1日即位”も、‘革命’をも連想させるからこそ、この日に設定されたのでしょうか。皇室や王室、そして、全世界の政治の世界は、国際的に張り巡らされた陰謀ネットワークとそのトップの指令に従い、“新たなる全体主義体制”という人類の隷従化、あるいは、野蛮化に向かって邁進しているかのようです。

真偽が入り乱れる情報合戦が繰り広げられる中で、こうした説の提起は、提起者自身が、陰謀論を信じる軽薄な者として嘲笑されたり、執筆内容の信憑性に疑いをかけられたり、社会的信用を落としたり、あるいは、陰謀組織から迫害や攻撃を受けるといったリスクを負うものではありますが、リスクを恐れて黙認を続けますと、人類は、狡猾な陰謀組織の思うままに支配されることとなりましょう。陰謀組織は実在するのか、否か、信頼性と評価を分けるこの重大な問いに対しましては、表裏両面の世界史の流れ、並びに、内外の現状分析からしますと、前者の判断に傾かざるを得ないように思えるのです。

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