万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

富岡八幡宮殺人事件―祟ったのは神様では?

2017年12月14日 15時06分04秒 | 社会
 先日発生した富岡八幡宮宮司の一族をめぐる殺人事件は、そのおどろおどろしさに戦慄を覚えた方も少なくなかったのではないでしょうか。神道という神聖な場に住まう一族による、あまりに世俗的で利己的な骨肉の争いの結末は、目を背けたくなるほど陰惨です。

 この事件は、同社の宮司職をめぐる継承争いが主因なのですが、その背景には、様々な要因が絡んでいるようです。インターネット上にもその動機について諸説が流れており、殺害された富岡長子宮司とその弟で前宮司の富岡永茂容疑者の人物像についても、同一人物に対する評価とは思えない程、正反対の評さえあります。被害者が開設していたブログ記事、並びに、加害者が残した手紙を読みましても、どちらの言い分が事実に即しているのか、判然とはしていません。

 しかも、永茂容疑者が氏子の方々に宛てた手紙には、自らの子息を同社の宮司職に就任させるよう要求し、「私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世に残り、怨霊となり、要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」とする脅迫まがいの一文もあったというのです。この手紙を読んだ氏子の方々は、さぞや当惑したことでしょう。果たして、この要求を認めるべきか、今も頭を悩ましているはずです。

 しかしながら、ここで考えるべきは、この事件は、富岡八幡宮の御祭神(応神天皇)とは全く以って関係のないところで起きていることです。本来、神職とは、神様にお仕えする身であり、それ故に、自らの身を厳しく律し、日々、精進潔斎に努めるものです。ところが、週刊誌等の情報によりますと、被害者側の宮司も加害者側の前宮司も、神職としてはあるまじき放蕩生活を送っていたとされ、神職としての適性や心構えがあったとも思えないのです。これでは、神様が安らふはずもなく、深川の氏子の方々への御加護も薄くなることでしょう。否、神様は、宮司の地位とそれに付随する利権に執着するばかりに心が汚れ、醜い内紛に明け暮れる宮司一族を懲らしめるべく、こうした事件を起こしたのかもしれないのです。

 このように考えますと、氏子の方々は、永茂容疑者の怨霊を怖れる必要はないように思えます。むしろ、氏子達を案じた神様の御計らいであったかもしれないのですから。本事件は、神社のみならず、今日の宗教界が抱える様々な問題をもあぶり出しておりますが、神様は、人々の幸せを願い、ご加護を与える存在であることを、忘れてはならないと思うのです。

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コメント (2)
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