万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

コオロギ食は文化・文明の否定では?

2023年03月30日 10時19分26秒 | 社会
 昨今、地球温暖化やSDGsの流れもあって、コオロギ食をはじめとした昆虫食が全世界レベルで推進されるようになりました。日本国も例外ではなく、近未来の新食材として宣伝され、コオロギを原材料とした様々な商品も登場してきたのですが、昆虫食に対する国民の拒否反応は、推進側の予想を遥かに超えていたかもしれません。生理的な拒絶反応と言ってもよいくらいなのですが、安全性が保障されているわけでも、昆虫を食する習慣があるわけでもなかったからです。そして、もう一つ、国民の多くが昆虫食を不快に感じる理由として挙げられるのは、それが、食文化というものを完全に否定しているからではないかと思うのです。

 今日に至るまで、世界各地では、気候条件やその土地で採れる食材を生かした固有の食文化が発展してきていました。肥沃な農地に恵まれ農業大国であったフランスは美食の国として知られていますし、今日では、全世界の街角においてフランス料理店を見出すことができます。日本国でも、茶道から生まれた繊細な懐石料理から日常の素朴な家庭料理に至るまで、幅広い料理があります。各国・地域ともに、伝統に根ざした料理は人々の空腹を満たすのみならず、人生に楽しみをも与えてきたのです。しかも、しばしばお皿に端正に盛り付けられた料理は芸術の域にまで達しています。職人技がさえる食器、ダイニングの家具や調度品、マナーや作法、会話術なども合わせますと、食文化は、総合芸術と言っても過言ではないかもしれません。

 人類史を振り返れば、食文化は文明の証でもあります。農業の始まりは文明の始まりでもありました。各地の遺跡からは、必ずと言ってもよいほどに土器や陶器が発掘されています。特に古代文明の地では、食物を保存する壺や調理された食事を盛る器も、専門の職人の手によって大量に造られていた形跡が見られます。そして、それが生活必需品であった故に、農業と共に他の多種多様な産業も発展をみたのです。例えば、窯業が盛んになるにつれ、人々は、自らの好みに合った食器を選んで購入することができるようになったのです(室内の装飾品として購入することも・・・)。食に関連する産業の裾野は極めて広く、第一次産業である農業のみならず、第二次産業に属する窯業や金属加工業、その他食料品販売や飲食業等の各種サービス業も合わせますと、経済全体に占める食関連の産業の比率は決して小さくはありません。

 しかも、食とは、人類の物質的な豊かさのみならず、心の発展とも関連しています。キリスト教の教えでは、「人はパンのみに生きるにあらず」とされますが(この言葉は、他者に対する慈しみや道徳心を軽んじて、自己の物欲のみに従って生きる人を戒めるための垂訓であったのでは・・・)、最後の晩餐が示すように、人々が食事を共にすることには、精神的な意味が込められていることもありました。今日でも、記念行事や冠婚葬祭などに際して、お料理やお酒が振る舞われるのも、同じ空間と時間を食事をしながら共に過ごすことが、人々の間の絆や繋がりを深める媒介の役割を果たすからなのでしょう。豊かな生活とはその文化的な側面を含めた食の充実でもあり、食とは、生活水準や文化水準のバロメーターでもあるとも言えましょう。

 一方、目下、近未来の食材として注目されている昆虫食は、主として(1)二酸化炭素を排出する牛、豚、鶏といったタンパク質源に代わる新たな食材、並びに、(2)地球温暖化の影響により飢饉が発生した際のエネルギー源として期待されています。(1)のように昆虫が新たなタンパク質源となりますと、これまで親しんできたあらゆるお肉料理の品々が食卓から消えて、お皿の上には調理された昆虫が載せられることとなりましょう(コオロギのフライ、天ぷら、唐揚げ、煮物・・・の何れであっても、お箸が進むとは思えない・・・)。粉末状で供されるならば、スープ皿に盛られた流動食の状態かもしれません。それとも、スナックやパンをお皿からつまむ形となるのでしょうか。お料理の素材が昆虫のみとなりますと、殆どの飲食店はお店をたたまなければならなくなるかもしれません(もちろん、畜産業も壊滅してしまう・・・)。これまで各地で育まれてきた食文化は消え去り、食事の楽しみも失われてしまうのです。

 また、(2)の飢饉対策としての昆虫食の未来にも、悲惨な状況が予測されます。食事とは、まさしく生命を維持するためにのみ存在することとなるからです。今日、昆虫食は、家畜の飼料や養殖魚の餌としても利用されています。言い換えますと、人類は、‘食事’ではなく‘餌’を与えられる家畜のような存在に貶められてしまうのです。毎日毎食、昆虫を餌として食べさせられるのでは、誰もが木の実や果物に手を伸ばし、自然の恵みに預かることができた原始時代の方が、まだ‘まし’であるかもしれません。

 以上に述べてきましたように、昆虫食の普及には、多様で多彩な食文化の消滅のみならず、文明をも破壊しかねないリスクが潜んでいるように思えます。また、昆虫食は新たなビジネスを生み出すとして期待する向きもありますが、失われる産業やビジネスの方が遥かに多いのではないでしょうか(経済の急速な縮小・・・)。ダボス会議に象徴される世界権力の指令に従う義務はどこにもないのですから、日本国政府を含め、各国政府は、昆虫食を推進するよりも、より人類に相応しい豊かで安全な食を目指すべきではないかと思うのです。

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