万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”中国病”の原因-権力腐敗と共産主義

2013年08月04日 15時41分11秒 | アジア
切りつけ、背中に硫酸…中国の活動家に報復多発(読売新聞) - goo ニュース
 アクトン卿が指摘する通り、権力は必ず腐敗するものですので、汚職問題は、中国の専売特許というわけではありません。しかしながら、中国の政治腐敗の凄まじさは抜きん出ており、今日なお、堯舜の時代を除いて一度も治癒したことがない、重い”中国病”を患っています。

 政府が音頭をとって腐敗撲滅を訴えても、なかなか効果が上がらない理由は、古来、中国では、権力は、他者から利益を吸い上げるために使われてきた政治文化があるからではないかと思うのです。近代以降、自由主義国の政府は、自らの重要な役割の一つとして、国民の基本的な自由や権利を保護することに重点を置くようになりました。ところが、中国では、歴代王朝の創始者が、揃いも揃って”無頼漢”からの成り上がり者であったためにか、近代国家における政府のパブリックな国民保護的な役割とは程遠く、権力の私物化や利権化の傾向が強いのです。つまり、権力は、国民保護のためではなく、為政者の利益のためにあるのです。中国で共産党一党独裁体制が成立したのも、共産主義思想における権力が、経済の全面的な支配を通した国民統制型であったからなのかもしれません(経済的な権限が共産党の利権に…)。案外、共産主義と中国の伝統的な国家とは、親和性が高いのです(イデオロギーの衣を纏った前近代国家…)。

 先日も、地方役人の腐敗を告発してきた活動家が、襲撃を受けて負傷するという事件が発生しています。中国では、しばしば危険を顧みない”義士”が登場することに驚かされるのですが、意識改革と制度改革を伴う国家の役割の再定義、あるいは、大転換がなされない限り(奪う権力から保護する権力へ…)、”中国病”の根絶は困難なのではないでしょうか。

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2 コメント

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Unknown (ねむ太)
2013-08-04 20:24:24
こんばんは。共産主義はユートピアと同じで地上に存在しません。
共産主義の前に戦争の根本的な原因を考えれば判ります
人類開闢以来、現在に至るまで戦争の原因は変わっていません。
戦争の起こる原因は、水・食料・資源の争奪戦です。
人類が誕生して数が少ない間は、少ない資源でも生きて行けます。
水や食料も分かち合って、開墾をして畑を広げたり、汚れていない河川の水でも十分なのですが、人間の数が増え自分達の住む土地だけでは賄いきれなくなれば、領地・領土を広げる必要に迫られ、ここで他者との衝突が起こります。(単純化しすぎましたが、これを拡大したのが国家間で起きる戦争です)
現在、共産主義と言われている政治形態は、植民地を増やすことにより資本家は莫大な財産を築き、産業革命で産業振興が進んだものの、賃金の安い女・子供に長時間労働を強いて、資本家は富を積み上げ国民は貧しいまま格差は埋めようもなく、当時の男の花形職業は軍人、この有様を見てマルクスは資本論を書きますが、これを利用したのが共産革命と呼ばれるものです。
実際は、それまで資本家が独占していた富を自分達が独占し、自分達の行った事と同様に不満分子によるクーデターや革命を起こさせない様に徹底的に国民を抑えこむための手段が、私有財産の禁止・思想統制・言論弾圧です。
ソ連にもノーメンクラートと呼ばれる貴族階級は存在しましたし、中国でも太子党や共産党の長老による支配は続いていますね。
人民解放軍も中国人民を守るための軍隊でなく中共を守るための共産党の私兵なのです。
共産主義を実践しようとしても、各専門性を持つ能力の高い人材は能力の高さや専門性的知見の広さから危険分子として監視・粛清の対象になりますし、素人考えで大躍進を実践しようとして多数の餓死者を出し、それに批判的な人間は文化大革命で粛清。
ポルポトの知識人を多数虐殺したのも、自分達の独裁する王国を守るためだけです。
以上の例を見てみても、新自由主義の行き着く先は結果的に同じところなのです。
共産主義下では文化も芸術も育ちません。
ロシアのボリショイ・バレエはソ連成立以前の旧ロシア帝国で生まれたものでソ連は広告塔として利用したに過ぎません。
完全なる平等を標榜する共産主義こそ拡大した格差を永遠に固定する為の仕組みです。
設計主義も同様です。
神が絶対に口にしてはいけないと命じられた、禁断の果実をエバは口にしたように、人間の行動を完全に予測し制御することなど不可能と知り、自分と考え方・価値観の違う人と認め合うこと(人には心あり)が共産主義の呪縛から解き放つ事でもあります。
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ねむ太さま (kuranishi masako)
2013-08-04 21:30:06
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。
 日本人は、かんり早い段階で、既に共産主義が成り立たないことを理解していたのではないかと思うのです。何故かと申しますと、唐の均田制に倣って、7世紀後半ごろから班田収授法が施行されますが、743年には、墾田永年私財法によって、この制度は、完全に放棄されているからです。およそ、100年の間、朝廷が口分田を配給する制度を運営していたのですが、結局、政府が完全に田畑を統制する制度には、無理であることに気付いたようなのです。日本国で共産革命が起きなかったのも、歴史において、既に失敗を経験していたからかもしれません(この点、中国が、現代に至って、過去の失敗を繰り返したことは不思議…)。単純な農業中心の経済ですら、共産主義は成り立たないのですから、産業化された近代の経済においては、なおのことです。否、自由な経済活動とそれに伴う産業の発展こそが雇用を生み出すのですから、共産主義では、増加し続ける人口を養うことができないのです。この点、新自由主義の標榜する少数の巨大グローバル企業だけが生き残る世界もまた、長期的には、経済そのものを衰退させることでしょう。自然界の生態系のように、様々な生物が生息し、新たな種が生まれ、そして、それらが共存している状態が、経済にとりましても、望ましいのではないかと思うのです。
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