衆議院選挙を前にして、若者の投票率を上げるべく、メディアでも様々な戦略を試みているようです。その一つが、政治家のイメージアップのようなのですが、同趣旨で報じられたNHKのニュース番組の中で、若者の一人が、インタヴューへの返答として’これまで政治家には意地悪というイメージがあった’と述べているシーンが報じられていました。若者層は、政治に無関心なように見えて、その実、政治家、あるいは、政策立案者をよく観察していたのかもしれず、’意地悪さ’を感じ取っていたからこそ、本能的に忌避、あるいは、敬遠していたのかもしれません。
そして、最近、’意地悪政治家’のイメージをさらに深める記事をネット上で発見することとなりました(もっとも、政治家自身のアイディアではないのかもしれない…)。それは、ワクチン・パスポートが未接種者の’差別’にならないよう、非接種者にも証明書を発行すべき、というものです。国民の中には、ワクチンを打ちたくても疾患やアレルギー等の理由により打てない人もいるのだから、証明書を発行してこれらの人々を差別から保護しようというものです。しかしながら、この案、あまりにも意地悪であると思うのです。
第1の意地悪さは、未接種証明の発行対象が’打ちたくても打てない人’に限定されている点です。この結果、ワクチン・リスクを考慮して自発的にワクチンの非接種を選択している人々は、同制度から排除されます。言い換えますと、未接種証明制度が始まりますと、非自発的未接種者と自発的未接種者とが明確に区別され、前者に対する差別は解消されたとしても、後者に対してはより深刻な差別が生じることとなりましょう。同制度の立案者が目指しているのは、自らでマイナス情報をも収集し、同調圧力に流されることなく自由な意思を以ってワクチン接種をしないと決めた人々です。しかも、ワクチン接種は法律によって義務化されているわけではありませんので、違法行為を行っているわけでもありません。この非自発的未接種者と自発的接種者の’より分け’こそ、差別の解消という美名のもとで後者を炙り出すという意味において意地悪なのです。
第2の意地悪さは、自らの手を下すことなく、国民に’汚れ役’をさせるところにあります。立法措置を経たワクチン接種の義務化といったポジティブな手法では、政治・行政サイドが、直接に自発的未接種者に対して強制力を行使することとなりますので、国民から強い反発を受ける可能性があります。その一方で、ワクチン接種者と非自発的未接種者のみに証明書を与えるというネガティブな手法ですと、事業者を含む国民の多くが、周囲の誰が自発的非接種者であるのかを自ずと知ると共に、これまで共に働き、共に学んでいた人々が社会から静かに姿を消してゆきます。そして、証明書を有する側の国民の多くは、これを’自業自得’のことと見なし、自発的非接種者に対して’消えるべき人々’として石を投げるかもしれません。普通の人々が、自由意思で選択を行った自発的非接種者を反社会的人物と見なし、率先して迫害している光景を、意地悪な発案者は嬉しそうに上から眺めているかもしれないのです。
そして、第3の意地悪さは、「ワクチン・パスポート」のシステムにあっては、未接種証明書が公布されたとしても、非自発的未接種者にとっては無意味である点です。何故ならば、「ワクチン・パスポート」とは、経済活動や日常生活の正常化のために、感染リスクの低いワクチン接種者のみに限ってこれらを許すことを目的としています。つまり、未接種証明書を取得して提示しても、お店を利用したり、イベントに参加するといった行動は許されないのです。仮にこれらの制限が撤廃されるとしますと、「ワクチン・パスポート」の制度の根幹は崩壊せざるを得なくなります(誰もがその’意地悪さ’に気が付く…)。
それでは、’意地悪’とは何か、という問題について考えてみますと、おそらく、そこには利己的他害性という悪の本質が存在しているのでしょう。若者のみならず、国民の多くが政治家から狡猾な意地悪さを敏感に感じ取っているとしますと、その背景には、国民のためと唱えながら、実際には自らの利益のために活動している政治家、あるいは、政策立案者の姿があるのかもしれません。そして、ワクチン接種を推進すべく、メディアと結託しながら繰り出されてくる政治サイドの意地悪なアイディアは、国民の政治に対する不信をさらに深めているように思えるのです。