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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

米輸出で‘世界に打って出る’は正しい政策なのか?

2025年04月29日 11時53分25秒 | 日本政治
 備蓄米の放出にも拘わらず、一向に米価が下がらず、‘政府が意図的に米価暴騰を引き起こしたのではないか’とする疑念が国民の間では広がっています。落札された備蓄米の出荷が完了するのは7月との不可解な見通しもあり、消費者に届く時期が遅れる理由についても詳しい説明はありません。秋の収穫期にはほどなく新米が食卓に届いますので、何故、玄米の状態であれ既に袋詰めさている備蓄米のみ、かくも出荷に手間取るのか、全く以て謎なのです。情報が乏しい以上、‘凡そ9割を落札した農協によって備蓄米はそのまま倉庫で保管されているのか’、あるいは、‘既に海外に輸送されており、国内に環流させるのに時間を要するのか’などなど、国民は推理力を働かせるしかありません。日本国政府に対する国民の信頼は、今や地に落ちそうなのです。コロナワクチンの接種事業に際しては、同ワクチンの安全性に対する疑義は、‘政府が国民を害するわけがない’として陰謀論の一言で封じられましたが、今般の米価暴騰を目の当たりにすれば、さしもの政府擁護論者の人々も、政府=善という構図を見直さざるを得なくなることでしょう。

 前置きが長くなりましたが、何れにしましても、政府による‘厳しい情報統制’のために、国民は憶測に頼らざるを得ない状況に置かれています。不透明感、否、不信感が高まる一方なのですが、米価高騰を機に、日本国も米輸出国として‘世界に打って出るべき’とする勇ましい声も聞えてきます。“米価高騰の原因は、中小の零細農家を保護し、かつ、米価の高値維持を図ってきた減反政策にあり、この政策こそ、日本国の農業を弱体化させた元凶なのだから、大胆な政策転換をもって今般の難局を打開すべき”、とする主張です。

 ここで訴えられている政策転換とは、減反政策から米増産政策への転換です。細分化されてきた農地の集約を急ぎ、価格における国際競争力を高めた上で輸出を拡大するというものです。先日、政府は、米輸出を現在の凡そ8倍に当たる35万トンまで拡大する方針を公表しましたし、農林水産省も、「コメ海外市場拡大戦略プロジェクト」を2017年から実施していますので、この主張は、政府の基本方針にも添っているのでしょう。農地の集約化も、減反政策と並行して政府が進めてきた政策ですので、輸出拡大という側面だけを見れば、決して非現実的なお話しではないのです。

 しかしながら、日本国からの米輸出は、この目論見通りとなるのでしょうか。輸出拡大の主張には局面打破の積極性が見られ、攻めの姿勢が際立ちます。このため、多くの人々を惹きつけがちなのですが、米の戦略的な輸出拡大を目指しているのは、日本国のみではないことには留意する必要がありましょう。今般の米価高騰にあっては、アメリカのみならず、台湾、韓国、中国、タイ、ベトナムなど、海外の米生産国にとりましては、自国産米輸出のまたとないチャンスとなりました(米価が下がらない原因は、米輸入も拡大したい日本国政府が、高関税でも輸入米に競争力を持たせようとしているため?)。何れの国も、米輸出の拡大を農政の政策目的として掲げ、実際に、戦略的に輸出米の増産に取り組んでいるのです。多くの諸国が輸出志向であるとしますと、日本国をはじめ各国の米市場における競争激化は当然に予測されます。中国でも、近年、ジャポニカ米の生産が増加傾向にあり、大阪堂島商品取引所に先駆けて、大連に先物市場が開設されているのも気になるところです。

 ダンピングの問題もありますので、日本国が米輸出を目指すとすれば、富裕層向けのブランド米となるのでしょうが(このため、増産はせずに減反を継続するかも知れない・・・)、それでも、長期的には当初の目論見が外れる可能性は決して低くはありません。かつて日本国が工業製品の輸出国であった時期には、日本製品の品質や性能の高さがあれば、価格競争力にあっては劣位しても、十分にシェアを確保し得るとする楽観論が支配的でした。しかしながら、現実には、‘世界の工場’と化した中国など、新興の工業国に急速に追い上げられ、かつての得意分野であった情報・通信分野でも、グローバリズムの波に乗った米中IT大手の寡占等により、大きくシェアを落としています。また、農産物を見ましても、長年に亘る品種改良を重ねて誕生した高級果物であっても、海外において安価な‘模倣品’が生産されるようになりました(今日では、バイオ・テクノロジーが品種改良を容易にしている・・・)。

 日本国産のブランド米も同様の運命を辿らないとは限らず、結局、日本国内の米市場は安価な海外米の‘草刈場’となる一方で、輸出向けの米生産にシフトした結果、農地のさらなる減少と耕作放棄地の増加に見舞われるかもしれません。しかも、輸出であれ、輸入であれ、貿易依存の農業並びに食糧供給は、相手国の経済状況の影響を強く受けますので、天候不良などの何らかの原因によって、国民の多くが食糧が手に入らずに飢えてしまう事態も当然に予測されるのです。

 政府が固執するように、自由貿易主義並びにグローバリズムを追求してゆけば、相互に相手国の農産物市場を荒らし合う、あるいは、競争力において劣位する国の農業が壊滅状態に陥る未来が待っているように思えます。果たして、このままこれらの主義を堅持することが、日本国、並びに、他の諸国にとりましても正しい選択なのでしょうか。自由貿易主義もグローバリズムも、‘原理主義’の一種なのではないかと思うのです。

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