万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

AIと魂存在論の問題-精神転送のハードル

2024年05月13日 10時14分26秒 | 社会
 ディープラーニングの登場により、マスメディアでは、近未来におけるAI時代の幕開けを予測するようになりました。AIが人間の知性を越えるシンギュラリティーの到来も現実味を帯びており、死後にAIに自らの意思を移行させるための精神転送の技術の開発も進んでいます。しかしながら、この試みには未解明の問題が横たわる故に、必ずしも成功するとは限らないように思えます。

 自らの意識をAIに移行させるというプロジェクトは、その目的を推察しますと、自己の永遠性を欲する富裕層の願望に応えたものなのでしょう。何故ならば、全ての人々が同技術を用いるとすれば、それは最早人類社会ではなく、事実上の人類の滅亡を意味するからです。地球上に、過去に生命体としての身体を有していた100億余りのAIが並んでいる光景は、あたかも荒涼とした墓場のようです。あるいは、地球の未来では、過去に生きた人々の意思を転送させたロボット達が自らを修理しながら永遠に動き続けているのでしょうか。全人類精神転送のヴィジョンあまりにも非現実的ですので、精神転送は、おそらく、自らの命令一つで永遠に‘生きている人間達’を支配したい、極めて少数の独裁願望を抱く人物の夢をかなえるための技術であると推測されるのです。この夢の技術を手にするためには、自らの全財産を擲っても悔いはないのかもしれません。

 富裕層がイニシエーターであれば、巨額の研究資金も提供されているのでしょう。実際に、全世界の研究者や研究機関が開発に取り組み、マスメディアでも一定の成果が報じられています。しかしながら、実のところ、この技術の前には、まずもって解明しなければならない別の難問が立ちはだかっているように思えます。それは、魂の実在に関する未解明の問題です。

 霊魂の存在については、科学的に証明できないために、近現代では一般的には否定される傾向にありました。とりわけ唯物論の影響が強い現代では、物質現象として科学的に実証できないものは存在しないものと見なされてきたのです。その一方で、古今東西を問わず、現代の科学のレベルでは説明できない不可思議な現象も、数多く観察されてきました。巷では幽霊を目撃しり、臨死体験をしたとするようなお話に溢れており、自らの経験によって霊魂を信じる人も少なくないのです。むしろ、科学の最前線を行く近年の量子論の発展は、霊魂否定論への流れを実在論の方向へ押し戻している観があります。何れにしましても、霊魂の存在については、誰もが納得する結論には達していないのが現状と言えましょう。

 生命科学と量子論との統合的なアプローチにより、近い将来において霊魂の存在論争に終止符が打たれる可能性もあるのですが、AIの研究は、脳の構造解明から始まっています。最先端の精神転送のアプローチの一つは、本人の脳と全く同様の電子回路をスーパーコンピューターを使って再現するというものなそうです(因みに、Blue Brainと称される研究が、IBMとスイス連邦工科大学ローザンヌ校との共同プロジェクトとして行なわれている・・・)。AIが人工的に造られた‘脳’となりますと、ここに、霊魂問題が立ち現れることとなります。霊魂が存在するにしても、しないにしても、何れにしても以下のような結末が予測されるからです。

 先ずは、霊魂が存在すると仮定してみることしましょう。この場合、霊魂は、死後に自らの意思あるいは心のAIへの転送を希望していた人物は、生物としての死を迎えた瞬間に身体を離れることとなります。利己的な支配欲から同技術の開発を急いだ人物が‘善人’とは思えませんので、その魂の行く先は‘地獄’であるかもしれません。あるいは、『死者の書』が記すように、魂の消滅ということもあり得ましょう(無神論者であるというよりも、自らが行なってきた悪行から魂の消滅を予測しているからこそ、死後も自らの魂を生き延びさせようと考えたとも・・・)。何れにしましても、霊魂が実在した場合、同人物の浮遊した魂は必ずしも移転先に予定されていたAIに無事に着地して宿るとは限らず、同AIは何らの反応をも示すこともなく止まったままである可能性の方が高いのです。

 次に、霊魂が存在しないと仮定してみます。こちらのケースでも、計画通りに自我(精神)が転送されるとは限りません。何故ならば、仮に脳というものが人工的に造られた電子回路によって再現できるのであれば、AI自身が自我を持つことがあり得るからです。この可能性については専門家でも意見が分かれるそうですが、唯物論に忠実に従えば、科学技術の発展はその可能性を肯定することでしょう。このことは、ある人物が、自らの意思の移住先として自らの脳構造をそっくりそのまま複製したAIを造らせたとしても、同AIは自分自身の自我を持ってしまいますので、行く先を失うのです。言い換えますと、ある人物の存命中にAIが完成し、試運転としてスイッチを押した瞬間に、ある人物とAIという思考パターンを同じくする二つの‘自我’が出現してしまうのです。すなわち、AIは、ある人物が、生きていようと死んでいようと、ある人物の思考パターンを“計算”して再現するマシーンでしか過ぎないのです。なお、唯物論者であれば、物質としての身体の消滅と共にその電気反応に過ぎない魂も消えるとするのが、‘正論’と言えましょう。

 近年、生成AIの出現にも見られるように、AIの技術的発展は目を見張るばかりです。しかしながら、人類は、自らについては何も知らないに等しいように思えます。生命の発生自体も解明されていないのですから。無知の知はソクラテスの説くところですが、魂や心というものの存在に関する探求や考察を欠いたテクノロジーの開発は、時間、労力、並びに費用の膨大なる無駄となるばかりか、人類を、常に悪用の危機に晒すのではないかと思うのです。

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