万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

権威の世襲を考える-王室・皇室の行方

2024年03月29日 14時30分06秒 | 社会
 未来を合理的に予測した場合、人々にとりまして善い未来を描けない場合、どのようにすべきなのか、と言う問題は、生きている間に誰もが直面するものです。時代に合わず、制度的に無理がありますと、否が応でも行き詰まりの状況に陥る可能性が高くなります。王室や皇室につきましても、重大な岐路に立たされているように思えます。それでは、世襲によって継承される王室や皇室の権威というものは、未来永劫にわたって国民に必要とされるものなのでしょうか。

 今日、全世界を見渡しますと、国家であれ、宗教団体であれ、何であれ、そのトップの地位にあって世襲制を採用する集団や組織は、極めて稀なケースとなりました。権威が成立するには、集団の全メンバーによる承認や心理的な崇敬心を要しますので、そもそも、世襲制にあって権威・維持成立の要件を満たすことは簡単ではないのです。メンバーの受容や承認を成立・維持要件とするという意味において、権威は、その本質において脆いと言えましょう。なお、株式や資産の相続により経営権を無条件で継承できますので、民間企業のほうが、余程、世襲が容易なのです(金融・経済財閥である世界権力のメンバーが、世襲である要因も継承の容易性にある・・・)。

 さて、権威について考えるに際して、先ずもってその権威の源泉について考える必要があります。この点、王室や皇室の権威とは、世襲である以上、祖先より受け継がれた‘血’ということになりましょう。しかしながら、今日という時代にあっては、‘血の正当性’がかつてほどに単純に人々から受け入れられるわけではありません。その理由は、以下のような問題点や矛盾点があるからです。

 第一に指摘し得るのは、血、即ち、特定の遺伝子が権威を正当化し得るのか、という問題です。しばしば、ナチスドイツが主張したようなアーリア系の血統を他の民族よりも優れていると主張する自民族優越主義は、今日、差別的な優生思想として批判されています。国内における権威の世襲制も、特定の血筋に属する人々に対して、他者の国民とは異なる優位性を認めるという意味においては、考え方の基本には変わりがありません。優生思想についてはヒステリックなまでに否定しながら、権威の世襲に対しては何らの疑問を抱かない態度は、そもそも矛盾しているのです。

 第二に、‘血’の優越性を以て権威が成立すると仮定するならば、‘王朝交代’を是認することにもなります。突然変異であれ、王族や皇族よりも優れた遺伝子を備えた人物が現れた場合、同人物において前者を凌ぐ権威が成立してしまうからです。むしろ、急速に発展した遺伝子工学が、‘デザイン・ベビー’として人工的に‘超人’を造り出す時代を迎えていますので、保有遺伝子の優秀性や卓越性は、科学によって新たな‘超人’に権威を与えてしまうことにもなりかねないのです(シンギュラリティーの実現によるAIによる人類支配もこの論理・・・)。

 もっとも、DNA配列が他者と然して変わらなくとも、‘建国の祖や王朝の始祖の血脈を引き継いでいればよし’とする主張もありましょう。しかしながら、代を重ねるごとに減数分裂によって権威を支える‘血’は薄まりますし、かつ、一般民間人や異民族との婚姻によりさらに‘血の正当性’は希薄化します(イギリスでは、皇太子妃はユダヤ系・・・)。第三の問題点は、世襲には、時間の経過による‘血の希薄化’が運命付けられて入れる点です(仮に、血の濃さを保とうとすれば、古代エジプト王朝やハプスブルク家のように婚姻を近親者間に限定しなければならない・・・)。

 こうした血の希薄化については、‘世代を越えてY染色体のみは男子間で確実に継承れるため、問題はない’とする反論があります。Y染色体のみが希薄化の運命から免れられるため、この主張は、男系の皇位継承の根拠ともされてきました。如何に様々な血脈が皇統に流れ込もうとも、Y染色体さえ維持されていれば、皇統は保たれるとする立場です。しかしながら、仮に皇族や皇別氏族に広がるY染色体を天皇即位資格の要件とすれば、その対象は、日本国民一般に広く拡散します。Y染色体説は、必ずしも天皇に権威者たり得る超越した地位を約束しないのです。第四の問題点は、‘血の希薄化’に対する反論としてのY染色体説は、‘血の拡散’問題を呼び起こしてしまう点です。

 そして、第五に指摘すべきは、王統や皇統の継続性は、極めて不確かで不明瞭である点です。日本国の場合、2000年を越えての神武天皇、否、皇祖皇霊から繋がる万世一系も、通い婚の慣習や戦乱の世の到来、並びに、明治維新を経た今日にあって疑わしく、これに輪をかけて皇室の秘密主義が、国民の疑いを一層深めています。加えて、世界権力やその配下にある新興宗教団体の陰も見え隠れしており(宮内庁における創価学会勢力の浸透や、韓国系の元統一教会の教祖による皇室との縁組み構想・・・)、すり替え説や教祖の子孫説等も、‘都市伝説’として切り捨てられない側面もあります。

 もちろん、たとえ万世一系が奇跡的に保たれていたとしても、いたって普通の人、さらには不道徳な人であれば、国民からの崇敬心は自然に失われてしまうのですが、現代という時代には、上記の問題点や矛盾点は無視し得ないように思えます。そして、時間が経過し、代替わりの度に、これらの問題点や矛盾点は、解消されるどころか増幅されてゆくことになりましょう。

 この状態では、国民統合の求心力とはなり得ませんし、国民にとりましては、疑心暗鬼に満ちた不安定な状態はストレスとなって精神面での健康をも損ねてしまいます。将来において持続性への望みが薄いならば、傷を深くするよりも、早期に見直しに着手した方が賢明なのではなかと思うのです。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陰謀論と陰謀説は区別すべき | トップ | 自然エネルギー財団問題-既... »
最新の画像もっと見る

社会」カテゴリの最新記事