昨晩、NHKスペシャルでは、日本国の戦国時代をイエズス会の書庫に眠ってきた史料から読み解く番組を放映しておりました。イエズス会内部でも長らく機密文書として扱われてきたらしく、同史料は、おそらく本邦初公開となるのでしょう。
同番組を視聴しますと、イエズス会こそが、戦国時代、少なくとも同会の修道士であったフランシスコ・ザビエルの日本上陸から豊臣政権に至るまでの期間にあって、日本国のキングメーカーではなかったのか、という疑いを抱かざるを得なくなります。その理由は、当時にあって、唯一、戦国武将たちに十分な銃や弾薬の原料を供給し得たのが、イエズス会であったからです。興味深いことに、戦国時代に使用された弾薬の原料となる鉛はタイ産であり、キリスト教の布教を名目として日本での活動を許された同会は、タイ産鉛の日本国への輸出ルートを独占していたのでしょう(当時のタイは鉛の最大産出国であり、30億発分の鉛の生産能力があったとも…)。
1575年6月29日の長篠の合戦は(奇しくも本日と同じ日…)、鉄砲隊で待ち構える織田軍が勇猛果敢に突撃してくる武田の騎馬軍団を壊滅させ、日本古来の戦術を近代兵器を以って一変させた戦いとして語られてきましたが、実際には、武田軍も鉄砲隊を備えていたそうです。両軍の調達力の差が同合戦の勝敗を決したのであり、このことは、両軍に武器弾薬を独占的に供給する立場にあったイエズス会は、戦いの火蓋が切って落とされる前に、織田軍の勝利を確信していたこととなります。否、各々の武将に対する武器弾薬の配分量をコントロールすることで、日本国の戦国時代の行方を操っていたとも推測されるのです。
アジアにおけるイエズス会の最終目的は、冊封体制の中心国でもあった明国を攻略することにあり、当初は世界帝国を構築したスペインに期待したのでしょう。ところが、極東に向けてヨーロッパからはるばる海を越えて大軍(特にスペイン無敵艦隊?)を派遣するには無理があり、そこで目を付けたのが、日本国であったのかもしれません。すなわち、当初は、スペインの軍事力をもって日本国を植民地化し、日本人部隊を結成して明国征服の事業に当たらせようとしたのかもしれませんが、直接に支配しなくとも、日本国において自らが利用可能な軍事力を育成すれば、明国を手に入れることも夢ではなかった、ということになります(実際に、イエズス会文書に記録されている…)。
おそらく、イエズス会が描いたシナリオの第一段階とは、日本国の内戦を激化させ、その間に大量の武器弾薬を各武将に提供し、その支払い代金としてでき得る限りの金・銀を獲得するというものであったのでしょう。この時代、フィリピンからも大量の金・銀が本国スペインに送られていたそうですが、火山地帯を抱える日本国も、世界有数の金・銀産出国でもありました。
‘武器商人’の立場からすれば、戦国時代は長引けば長引くほどに、莫大な利益が転がり込んだはずです。加えて、イエズス会の最終目的は明国の攻略ですので、明を征服し得る大軍を日本国に出現させる必要もあったはずです。そこで、この二つの目的を達成するために、第一に、「デウス様の御名の下で異教の野蛮国、明国を滅ぼす」という、明国攻略の大義名分を得るべく、キリスト教を布教しようとしたのでしょう。イエズス会は、まずは、日本国に対して精神的な征服を目指したのです(同史料によれば、イエズス会士は、信長に対してキリスト教への改宗を‘魂を盗む’と語っている…)。そして、第二に、明国を倒すほどの強大な軍隊を育成・結成するために、日本国の統一を熱心に説いたものと考えられます。統一を目指せば目指すほど、大量の武器弾薬が必要となりますし、統一された時点で、各戦国大名が保有していた軍隊を天下人のもとに、‘明国制圧軍’として一つにまとめることもできます。そこで、最も背後から操りやすい武将を選抜し、その人物に対して武器弾薬を優先的に供給したと推測されるのです。
しかしながら、イエズス会の野望の前に立ちはだかったのが、日本国の精神性や鋭利な政治センスです。日本人の多くはキリスト教には簡単には改宗しませんし(イエズス会士は日本国の仏教僧に宗論で負けている…)、謀略に満ちた戦国時代を生きた信長や秀吉も、早い段階でイエズス会の意図を見抜いていました。ここから、日本国の戦国武将とイエズス会との間のキリスト教布教と武器弾薬の供給を介した相互依存と両者の思惑の不一致から生じる軋轢が水面下で激化するのであり、歴史は、両者の間の微妙なバランスの上で推移してゆくこととなるのです(これに加えて、イエズス会内の深刻な内部対立もあり、この点も影響…)。そして、謎に満ちた本能寺の変を解く鍵も、やはり、信長とイエズス会との間の抜き差しならない関係―決定的な決裂?―にあるように思えます。
その後、新興勢力であるオランダ、並びに、イギリスが台頭しますと、イエズス会の日本国への武器弾薬の供給ルートの独占状態にも綻びが生じたのでしょう。イエズス会は、日本国内の政情をもはや自由自在には操れなくなり、時代は東インド会社の時代への移ってゆくのです。イエズス会の主要メンバーの多くはユダヤ教からの改宗者も多く、営利を主要目的とする同組織内の一派は、1588年のアルマダの海戦以降、同会を離れて英蘭勢力に乗り換えたのかもしれません。徳川家康こそ、一早く、この世界大での新旧の勢力図の変化に敏感に反応した人物であったとも考えられるのです。徳川幕府が、鎖国政策にあってオランダ東インド会社に独占的な貿易権を与えたのも、自らの天下取りの影の功労者がオランダであったことをよく理解していたからなのかもしれません。
機密史料の開示により、およそ以上に述べたようなスケッチが描かれるのですが、本能寺の変、秀吉の中国大返し、朝鮮出兵など、まだまだ戦国時代には多くの謎が残されています。そして、スペインのフェリペ二世の死から僅か5日後の秀吉死去を以って朝鮮出兵(明国制圧事業)が停止されたのは、単なる偶然であったのでしょうか。その後、北方の女真族によって明国は滅ぼされますが、あるいは、グローバルな視点からすれば、イエズス会、そして、東インド会社をも操った勢力は、従来のシナリオを放棄し、日本国から女真族へと明国征服事業の主体を変更したのかもしれません。
戦国時代の歴史は、明治維新、そして、グローバル化が進展する今日の日本国にも多大な示唆を与えているように思えます。歴史とは、国家の視点のみでは全てを理解することはできず、グローバルな視点から歴史を見つめると、そこには別の光景が広がっていることもあるのです。そして、たとえ国民の多くが受け入れがたい歴史であったとしても、事実を直視し、それを教訓とすることによってのみ、この歴史の繰り返しを避けることができるのではないかと思うのです。