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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アンパンマン論争を考える-正義の力とは?

2019年08月17日 14時57分40秒 | 国際政治
最近、アンパンマンを主人公とした子供向けのアニメについて、ネット上でホットな論争が起きているそうです。テレビ番組でも話題として取り上げられているようですが、争点となっているのは、正義の味方であるアンパンマンが悪役である‘ばいきんまん’をやっつけるシーンで腕力―アンパンチ―を使う点です。同アニメを批判する人々は、こうしたシーンを視た子供達が暴力的になるというのです(私自身は同アニメを見てはおりませんので、本記事には的外れな部分があるかもしれませが、どうか、ご容赦くださいませ…)。

 正義の味方が悪者を力で倒すというコンセプトで製作された子供向けの番組は無数にあります。仮に、力を以って悪を廃するという勧善懲悪のテーマとする番組を全て‘暴力的’と決めつけて排除してしまいますと、ウルトラマンやスーパーマンをはじめ、正義の味方が登場するあらゆるアニメは放映することができなくなりましょう。否、古今東西、悪者に苦しめられている人々を勇士が救うというヒーロー物語は、最も人々を惹きつけてきたストーリー展開ですので、アンパンマンに目くじらを立てますと、人類は、正義の味方を批判するという時代を迎えることとなります。

 そして、こうした勧善懲悪をめぐる議論は、実のところ、今日の社会や国際情勢における議論とも繋がっています。何故ならば、アンパンマン論争は、他国に害を与える‘ばいきんまん’のような国が出現した場合、どのようにしてその脅威に立ち向かうのか、という点において共通の問題性を有しているからです。例えば、今日の国際社会では、中国や北朝鮮のように、他国を武力で威嚇し、暴力を加えようとする国が現実に存在しています。アンパンマン批判派の立場に立脚すれば、防衛であれ、制裁であれ、なんであれ、如何なる場合にも武力を行使してはならない、ということになるのでしょう。

ところが、誰もが何らの措置をも取らなければ、これらの暴力主義国家による被害は無限大に拡大して行きます。如何なる説得にも応じず、仲裁判決を無視して南シナ海の軍事拠点化を進める中国のように、暴力主義国家が自らの野望を実現しようとすれば、国際社会の平和が損なわれるのは目に見えています。この時、力による暴力の排除が全く許されないとしますと、人類は、暴力主義国家の前に屈するしかなくなります(この点は、警察力も同じ…)。果たして、こうした平和主義の主張は、正しいのでしょうか。批判派の意見として、‘ばいきんまん’がかわいそうという子供の声も紹介されていましたが(‘ばいきんまん’は、悪役ではあるけれども、憎めない部分もあるらしい…)、‘ばいきんまん’の悪しき行為を野放しにしますと(‘ばいきんまん’は、言葉による説得には応じないらしい…)、多くの人々がその行為の犠牲となり、より‘かわいそう’な、あるいは、‘酷い’目に遭うことでしょう。

親の立場からは、‘ばいきんまん’が何故アンパンマンに懲らしめられてしまうのか、その理由を子供達に教えることこそ教育であるとする意見もあるようです。子供たちの善悪に関する判断能力を育むためには、アンパンマンの放送を容認すべきとする立場です。善悪の区別が絡む場合には、やはり悪(利己的他害性)は懲らしめられるべき、とする人間社会の安全と安定を支える基本原則を蔑にしてはならないように思えます。そして、穿った見方をすれば、アンパンマン論争とは、善悪の区別を曖昧にしたい人々が仕掛けた、悪を護るための巧妙な心理作戦なのかもしれません。子供向けアニメをめぐる論争と見えながらも、その本質的な部分において、人類の倫理や道徳を壊したい一部の‘大人’の思惑が隠されているかもしれないと思うのです。

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コメント (2)
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