万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

香港の自由は全人類の自由-真のグローバリズムとは

2019年08月19日 13時09分55秒 | 国際政治
本日、日経新聞朝刊の紙面に、香港より「自由のために香港と共に」と題する日本国民に対するアピール文が掲載されておりました。同文は、「香港からの緊急を要するお願い」から始まり、日本国の国会、並びに、政府に対して「日本国民の関心を喚起し、香港へ渡航する日本国民や、香港に在留している日本国民に安全措置を講じるよう」勧告を要請するように訴えております。香港市民の切実なる思いが伝わり、涙なくして読めないのですが、香港の自由は全人類の自由なのではないかと思うのです。

 政府もメディアも、グローバリズムと言えば、ITやAIといった情報・通信分野における先端的なテクノロジーとその発展に伴う新ビジネスの登場に主たる関心を寄せています。SF小説が描くような未来社会の出現がすぐ目前に迫っているかのように報じ、国家も国境と共に消滅して全世界が画一化される日もそう遠くないような錯覚を覚えさせます。こうしたテクノロジーが牽引する全世界の画一化が望ましいのかと申しますと、それは怪しい限りなのですが、科学技術の進歩と発展それ自体は歓迎すべきことであり、人々を様々な苦痛から解放し、恩恵をもたらしていることは認めざるを得ない事実です。それでは、人々は、精神の面においてグローバル化、即ち、普遍的な価値を共有しているのでしょうか。

 現実をみますと、共産党による一党独裁を堅持している中国の全体主義モデルとGAFAに代表される米国発の自由主義モデルとでは、テクノロジーの面では然したる違いはありません。ところが、両者の間の価値観の違いは、テクノロジーがもたらす結果を正反対にしてしまいます(もっとも、自由主義モデルにも、全体主義モデルへと移行するための隠れた導火線とする疑いもある…)。前者では、政府が言論の自由をはじめ様々な自由を国民から奪い、最先端の技術を用いて完全監視下の下に置きます。一方、後者では、国民の間でのコミュニケーションや活動の範囲が広がり、より広い自由を享受することができるのです。両者の違いは、テクノロジーにおけるグローバル化と精神性や価値観におけるグローバル化が、全く以って別物であることを示しているのです。

 翻って香港の情勢をみますと、香港とは、まさに、上述した正反対の価値観が真正面から衝突する最前線として位置付けることができます。乃ち、香港の自由の行方は他人事ではありません。仮に、天安門事件のように北京政府が暴力を以って香港の抗議活動を踏み潰すとしますと、暴力の手を借りた全体主義モデルの勝利を意味するのです。そして、北京政府によるこの蛮行は、香港返還時にイギリスと締結された協定違反であり、ジュノサイド禁止条約違反であり、かつ、人道に対する深刻なる重罪ともなるのです。

全体主義モデルでは、国民は監視下に置くべき単なる‘家畜’としてみなされます。自由や民主主義を求める人々の声も、支配層には耳障りな騒音ぐらいにしか聞こえないのでしょう。そして、中国共産党は、その強大な軍事力と経済力を以って香港のみならず、他の諸国に対しても同モデルを浸透させようとしているのです。凡そ全ての人類がその本質において自由を求めているとしますと、価値観や精神性の分野においては、自由主義、そして、政治的自由に基づく民主主義の世界大での実現こそが、心からの共感を以って人々に受け入れられる真のグローバリズムであるはずです。

香港の人々の願いは、自由を求める全人類の願いでもあります。請願手続きには時間がかかりますので、本ブログでは、この場を借りて、国会、並びに、日本国政府に対しまして、冒頭で紹介いたしました香港市民の要請に快く応じると共に、香港の自由を、そして、全人類の自由を護るべく、あらゆる手段を駆使し、最善を尽くしていただきたくお願い申し上げたいと思います。

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コメント (7)
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