万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

金融・通貨システムの脱国家の限界とは?

2019-08-05 16:50:29 | 国際政治
グローバル化の時代を迎え、金融・通貨の分野でも、国境の壁は限りなく低くなりつつあります。その一方で、リブラ構想に思いもよらず強い逆風が吹いたように、金融・通貨分野での脱国家には一筋縄ではいかない問題があります。既成事実が積み重なる前に、金融・通貨システムの脱国家化にはどのような限界があるのか、考えてみることも無駄ではないように思えます。

 EUにおける単一通貨ユーロ、すなわち、ユーロ圏の誕生は、金融・通貨統合、即ち、金融・通貨システムの完全自由化が可能であることを証明しました。ユーロの成功を目の当たりにし、グローバルレベルにおいても‘世界通貨’が出現する日も近いと確信した人も少なくなかったはずです。しかしながら、ユーロのケースでは、共通の中央銀行―ECB(
欧州中央銀行)―を設立し、同機関を中心とした欧州中央銀行制度に各ユーロ参加国中央銀行が接続する形で単一通貨圏を形成しています。つまり、欧州中央銀行が本店となり、各国の中央銀行が支店となることで連邦型の中央銀行を新たに創設したのです(この点、アメリカの連邦準備制度に近い…)。

 ユーロは、参加各国に既存の中央銀行システムがあってこそ首尾よく実現したのであり、この事例を持って‘脱国家’のモデルとすることはできません。仮に、ユーロをモデルとして‘世界通貨’を実現させるとするならば、‘世界中央銀行’を設立した上で、全世界の中央銀行をその支店として接続させる必要がありましょう(世界中央銀行システムの創設)。この仕組みからしますと、ユーロのケースは‘脱国家’というよりも、‘国家の範囲’、すなわち、中央銀行の金融政策が及ぶ範囲を広げたのであり、しかも、ECBは、全加盟国の金融政策に責任を負っています。金融政策は国家の主権的な権限の一つである故に、ギリシャの初のソブリン危機に際しては、ECBのみならずEUが全体として対処せざるを得なかったのです。

 ユーロのケースと比較しますと、米ドルやユーロ等の資産を準備するとはいえ、リブラ構想は、はるかに‘脱国家’的であり、既存の中央銀行との間には何らかの関連性もありません。国家機関との間にシステム上の関連性が存在しないということは、金融を預かる者として、経済や人々の生活に対して何らの公的な責任を負っていないことを意味するのです。

 中央銀行制度では、中央銀行と民間の金融機関が決済システムにおいて接続されていることで、公開市場操作、コール市場での金利の決定、最低準備率の調整という三大金融政策手段の何れかを介して、中央銀行の政策決定が、第一義的に国内市場に及ぶように設計されています(もっとも、グローバル化に付随する資本移動の自由化の結果、金利差等により、一国の中央銀行の金融政策は国境を越える資本の流れに影響を与えるようになっている…)。言い換えますと、中央銀行制度こそ、金融・通貨分野における‘脱国家’の限界とも言えましょう。

 そして、この限界は、同時に、中央銀行制度に海外金融機関が何らの障壁もなく自由に参入するようになった場合、あるいは、自国の金融機関の大株主が外資となった場合、その政策効果を自国に留めることは最早できないことを意味します。特に、アメリカの連邦準備制度では、12の連邦準備銀行の株主は民間金融機関でもありますので、海外金融機関の影響力が増し易い制度設計とも言えましょう。何れにいたしましても、瞬時にマネーが国境を越える時代にあっても、やはり、脱国家には限界があると思うのです。

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