万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

『「平成の天皇」論』が示唆する危うさ

2019年04月17日 13時34分18秒 | 日本政治
新聞の紙面を読んでおりますと、ある書籍の宣伝文が目に留まりました。伊藤智永氏による『「平成の天皇」論』というタイトルの新書であり、国民に対して‘あなたは天皇と美智子皇后の真意に気がついていますか?’と問いかけています。同書は、‘退位の本当の理由’を探る‘骨太の天皇論’なそうですが、同書の意図はどこにあるのか、全く以って首を傾げてしまいます。

同書を読んだわけでもなく、宣伝文のみで意見を述べるのはおこがましい限りなのですが、不特定多数の国民を購読者とする新聞紙上での宣伝には、販売促進の目的のみならず、プロパガンダを意図している場合も少なくありません。読者の目に宣伝文の文字が入った時点でサブリミナル効果が生じ、人々の深層心理や潜在意識に無意識の内に作用するからです。

字面を追って素直に読めば、同書は、5月1日の新天皇の即位を前に否が応でも国民の皇室に対する関心が高まる中、‘天皇皇后の真意’を明かすことで、国民に対して象徴天皇の在り方を示そうとした作品として理解されます。もちろん、明かされた‘真意’は著者の‘忖度’なのかもしれませんが、それが事実であった場合、実のところ、日本国は、戦慄を覚える程の極めて危うい状況に陥ることとなります。何故ならば、同宣伝文には、以下の添え書きが付されているからです。

「天皇の生前退位は、単なる高齢化に伴う公務負担の軽減の問題でも、ましてや「弱音」や「わがまま」でもない。象徴天皇制のあり方を国民に問うために、天皇と皇后が二人で造り上げた戦略である。」

この記述が事実であれば、日本国民の皇室に対する信頼は、根底から崩壊しかねません。

 第1に、仮に、‘真意’なるものがあるとすれば、2016年8月8日に公表された‘天皇陛下のお気持ち表明’は、国民に対して偽りの言葉を述べたこととなります。国民に自らの‘真意’を伏せ、表向きの理由を並べたに過ぎないこととなるのですから。著者としては、同ビデオに対して保守系論客等から寄せられてきた「弱音」や「わがまま」批判をかわすために、‘真意はここにある!’としてよりスケールの大きな‘大志’を国民の前に披露しようとしたのでしょうが、その狙いは、裏目に出てしまうかもしません。

第2に、上記の記述が正しければ、‘天皇と皇后が二人’だけの話し合いによって、次世代にも引き継がれる象徴天皇のあり方が決定され、それを国民に受け入れさせるために、綿密なる戦略をも練り上げたこととなります。つまり、生前退位を表明した突然のビデオ公開から今日至る一連のプロセスは両者によって計画されたのであり、そこには、これまでの天皇像とは全く異なる姿が浮かび上がってきます。御所の‘密室’にあって、国民を誘導するための謀議をめぐらす政治的で権謀術数に長けた天皇・皇后の姿です。これでは、穏やかで親しみやすい天皇と優しく慈悲深い皇后というイメージが打ち砕かれてしまうのです。そして、‘独自の戦略を以って上から国民を誘導しようとする策士としての天皇像’は、表向きの基本方針として表明されている‘国民に寄り添う’天皇像とは真逆なのです。

第3に、天皇・皇后主導による生前退位(譲位)であるならば、当然に、国政に関する権能を有さないと定めた憲法に抵触しかねない事態ともなります(第三・四条)。日本国政府は、今般の生前退位(譲位)の意思表示は憲法違反には当たらないとして懸命に弁明を繰り返してきましたが、同書の内容が事実であれば、この努力は水泡に帰してしまいます。政府も宮内庁も、両者の一存で動いたことになるのですから。一般の国民もまた、天皇・皇后のパーソナルな‘政治力’に立憲主義や民主主義を侵食しかねない危うさを感じることでしょう(制度としての天皇からの逸脱…)。

 同書の広告には、‘靖国神社は参拝せず’、‘天皇の象徴再定義’、‘女性が動かす皇室’といった主たる内容が列記されていましたが、とりわけ‘女性が動かす皇室’ともなりますと、憲法は天皇の地位しか定めていないのですから、必然的に憲法上の問題も生じます。そして、さらに背後の闇を探索して行くと、同書では‘天皇と皇后の真意’と銘打ちながら、実際には、別の何者かの‘真意’ではないか、という疑いも湧いてきます。本書は‘骨太の天皇論’と称されていますが、‘骨太’という表現が新自由主義者によって日本経済の構造改革論が打ち出された際にも使用されたことを思い出しますと、どこか示唆的なようにも思えてくるのです。

 同書の内容は、事実であるのか、‘忖度’であるのか、あるいは、筆者の願望に過ぎないのか、そのいずれかであるかは定かではありませんが、‘‘真意’を知った以上、国民は疑いを挟むことなくそれに従うように‘ということであれば、新天皇の即位は、日本国の全体主義体制への移行に向けた転機となるリスクともなります。果たして、『「平成の天皇」論』の宣伝文は、国民に対して暗に危険を知らせる警告なのでしょうか、それとも、世論の誘導なのでしょうか。同書には胸騒ぎを覚えるのですが、ここは、国民こそが冷静に見極める必要があるように思えるのです。

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コメント (6)
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