万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

移民やトランスジェンダー擁護論は自己中心的では

2017年02月27日 15時05分34秒 | アメリカ
J・フォスターさんら反対集会 トランプ政権の移民対策
 アメリカでは、トランプ政権の移民政策やトランスジェンダー政策撤回に対して、リベラル派の人々が反対の声を挙げているようです。しかしながら、この主張、あまりに自己中心的なのではないでしょうか。

 本記事では、差別的との批判を浴びることを覚悟で、何故、自己中心的なのかを説明してみたいと思います。両者に共通している点は、移民する側、並びに、トランスジェンダーの人々の自由のみを絶対視しており、他の人々の権利については無視を決め込んでいる姿勢にあります。例えば、オバマ政権下では、男女別のお化粧室や更衣室ついては、自己の性別認識に基づいて選択してもよいとする通達を発しています。この通達は、トランプ政権の発足により撤回されたのですが、この措置については、心と体が一致している一般の人々の権利への配慮は一切ありません。そもそも、トランスジェンダーの人々が、心の性と一致したお化粧室や更衣室を使用したいと願う気持ちの背景には、外見の性を基準にすると、”異性”と一緒になってしまう気まずさや羞恥心があるはずです。心の性と一致した選択ができれば、こうした性差に伴う自然の感情から逃れることができるのですが、一般の人々からしますと、堂々と”異性”が入ってくるわけですから、同様に気まずさや羞恥心を覚えるものです。つまり、トランスジェンダーの人々の気持ちを救うために、他の一般の人々の気持ちを犠牲にしているのです。この点に関しては、女性側に異性の入室に対する強い抵抗感がありますので、仮に、トランスジェンダーの人々の心が真に”女性”であれば、女性特有の抵抗感を理解できるのではないでしょうか。

 同様の側面は、移民擁護論にも見られます。一般の国民からしますと、移民の自由を完全に認めますと、雇用機会や所得の低下に留まらず、祖先たちが築いてきた社会そのものも変質し、価値観や文化的な変容も来すわけですから、一般の人々にとりましても重大問題です。にも拘らず、移民擁護派の人々は、先祖伝来の国民側の権利については、全く見て見ぬふりを決め込んでいるのです。自己中心的とは、他者犠牲的ということでもあります。

 自由とは無制限ではなく、他者の権利と衝突する場合や両立が困難な場合には、どちらかを優先せざるを得ない状況となるケースも少なくありません。一般の人々とトランスジェンダーの人々、並びに、一般の国民と移民とのどちらか一方を優先ざるを得ない二者択一の選択を迫れた場合に、後者を選択する方が絶対的な正義であると言えるのでしょうか。自らの自由のみを要求する人々は、他者の権利を慮る心が足りないのではないかと思うのです。

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コメント (8)
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