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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

オウム真理教―殺人容認教義は論破すべき

2012年06月19日 17時29分50秒 | 社会
留置場でマントラ「今も教祖信じている」 高橋容疑者(朝日新聞) - goo ニュース
 先日逮捕されたオウム真理教の信者、高橋克也容疑者は、今なお教祖を信じていると、留置所で話しているそうです。事件を知らない若年層を中心に、「アレフ」や「ひかりの輪」といった後継教団の信者が増加傾向にあるとも報じられており、狂信教団の脅威は、まだ完全に消え去ってはいません。

 元信者がカルト教義から抜け出すことができず、また、オウム系の教団が蔓延ってしまう要因の一つは、殺人容認の教義を、誰もが、真剣に論破しようとしてこなかったからではないでしょうか。冷静になって考えてみますと、オウムの教義は自己矛盾に満ちています。例えば、殺人を正当化したとされる”ヴァジラヤーナ”とは、”完全に煩悩なく、完全に心において利他心のみであるとき”には、殺人の禁止といった戒律を破ることを認めているそうです。”悪業を積み続ける魂を救済するために殺害すること”も含めて。人間とは、誰もが生きたいと望むものですので、他者の命を奪うことは、利他心から最も遠く離れた行為です。また、見も知らぬ人々を殺害する無差別殺人となりますと、”悪行を積み続ける魂”という条件を勝手に解除して、全ての人間を殺害することになります。この条件に照らせば、無差別殺人を実行したオウム真理教こそ、自ら命を断たなければならないことにもなります。しかも、ヴァジラヤーナは”天界の法則であって、人間界ではなしえない”とされていますので、オウム真理教は、天界の法則を人間界に持ち込むという戒律違反をしているのです(ウィキペディアのオウム真理教参照)。

 そもそも、教祖の松本智津夫が、唯一の最終解脱者であると、誰が証明できるのでしょうか。オウムの教義では、”最終地点まで導くグル(霊的指導者)の存在”を教義の柱の一つとしてるそうですが、グルが、解脱者どころか、欲たかりの俗物であれが、その指導の先は、教団の凶悪化に他なりません。もし、真の解脱者であれば、サリンを製造したり、無慈悲な無差別殺人を命じるはずはなく、ここにも矛盾が見られます。また、たとえ真の”グル”であったとしても、刑法から逸脱する権利はどこにもありません(もし、これが許されれば、全ての人が”グル”を自称し、殺人を行うことができる…)。オウム事件の再発を防止するためには、まずは、殺人容認教義を完全に否定すべきと思うのです。

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コメント (7)
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