万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

国連から誕生したイスラエルとパレスチナの混迷

2007年12月02日 17時42分24秒 | 中近東
イスラエルのガザ攻撃で5人死亡、和平交渉決定も交戦続く(読売新聞) - goo ニュース

 11月27日に開かれた中東和平国際会議の結果、イスラエルとパレスチナとの間で和平交渉が再開され、両者は、解決への道を再び歩み始めたようです。ところで、パレスチナ問題が、こうも拗れに拗れてしまった原因の一つに、イスラエル、並びに、パレスチナが、史上初めて国連決議に依拠して建国された国家であったことが挙げられるのではないか、と思うのです。

 当時の中東を概観してみますと、大凡の諸国は、トルコ帝国の支配から英仏の委任統治、あるいは、保護領に移り、後に宗主国からの承認を得て独立国家となる、という道筋を歩んでいます。しかしながら、パレスチナの場合には、1947年2月に委任統治国のイギリスが、この問題の解決を国連に委ね、当事国ではなくなってしまうのです。このため、パレスチナの分割は、国連における多数決によって決せられることになり(国連決議181号)、しかも、その内容は、極めてイスラエル側に有利となりました。

 こうした決定の仕方が、本来、領土問題を解決する方法として適切であったのか、これは、大変疑問なところです。何故ならば、最も肝心な当事者間の合意が存在しませんでしたし(往々にして合意なき決定は禍根を残します・・・)、国連の決定は必ずしも中立的ではなく、政治的力学が働いた結果でしかなかったからです。また、本国の承認といった絶対的なお墨付きもありませんでした。つまり、極めて不安的な状況から出発しなければならなかったのです。

 もしかしますと、現在進められている交渉は、本来、1947年の時点ですべきであったことの”埋め合わせ”をしているのかもしれません。双方が満足する合意に達し、中東の地に、安らかな神の祝福が訪れることを願っています。
 
  

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