久保山に着いた。
舗装の途切れた場所に、車を止めて、美香さんは、やっぱり一度大きく深呼吸して
車のトランクから、折り畳み式のアルミ製のクマデを取り出した。
「森田くんは、このクマデで、落ちている杉の枝を集めてね。私は大きな枝を拾うから」
そう言うと、いきなり虫除けスプレーを僕の身体に豪快に吹き付けた。
スプレーを吸い込んだ僕は数回、噎せて咳をした。
「ゴメン、ゴメン~でも、ヤブカがいるから、これは絶対に必要なのよ」
美香さんは笑いながら、自分の身体にも吹き付けていた。
「あっ、それと蜂もいるから、気をつけてね。蜂の巣を見つけたら
その回りに近付いたら危険よ、それとマムシが…」
「マムシ?」
「これ以上言ってたら、多分森田くん、帰りたいって言い出すから、やめとくわ~」
美香さんは、あっけらかんとした顔で、笑っていた。
一昨年のお盆に、亮也のお祖母さんのお墓参りに付き合わされたけど
葉っぱ一枚も落ちてない、砂利の敷き詰められた綺麗な霊園だった。
沈みかけた太陽と向かい合う様に、一列に同じ形のお墓が並んでいた。
あの世の高級マンションみたいで、振り返って眺めた時を思い出した。
車の中で美香さんから話には聞いていたけど、杉の枯れた枝が、舗装のない農道の上を埋め尽くしていた。
以前に見た枝と同じだった。
杉の木から落ちた枯れた枝を美香さんは、スギシバと言っていた。
1時間余り、農道のスギシバと格闘した。途中で腰が痛くなって、何回も腰を反らした。
農道の両脇に大きな杉林が立ち並び、太陽の日差しは届かなくて、涼しい位だった。
森林一面に下草が、生えていた。その辺りから、時々、虫が飛んできて
その度に虫を避けながら作業を中断していたら、美香さんに
「こら~森田っ!」
と怒鳴られた。
農道の枝を取り払い、ようやく庭まで車で降りることが出来た。
お墓の回りの茂った雑草は、腰の辺りまで伸びていた。
美香さんは、鎌を取り出して、軍手を僕に渡した。
雑草の根元の部分から、手際良く雑草を刈り取っていく。
僕はお墓の回りの小さな雑草を、手で抜き取っていた。
お墓の回りは、欅の木と桜の木があるだけで、太陽の日差しを直接浴びて、暑くて五分もすれば、汗が流れ落ちた。
「この桜は垂れ桜。あれは牡丹桜。お母さん桜が好きだったのね」
「はい…アパートの裏山に桜が数本あって、満開の時期はよく見に行ってました」
「お母さんは近くに裏山のあるアパートを探して、そこに住んだんだね。
お母さんにとって裏山は、東京で唯一、故郷を感じられる場所だったのよ、きっと…」
美香さんは、話しながら、早いピッチで、作業を進めて行った。
そして、草刈りが済むと、車のトランクに積んであった、ペットボトルの空容器と、お線香とお米を取り出した。
「庭の隅っこに湧水がでてるから、この容器に入れて来てね。
石垣から落ちない様に気をつけてね」美香さんは、何かを頼む時は、とても優しい顔になる。
僕は湧水の場所を見つけて、ペットボトルに入れた。
何気なく庭の隅っこから下を見たら、石垣の上に僕は立っていた。
視界には、重なる山々があって、広がる田畑の間を掃いた様に続く一本の小道。
僕は愕然となって、その場に立ち尽くした。
夢に出てきた、光景だった。
僕は科学で証明出来ないことは、いつも否定してきた。
でも、この世には説明のつかない不思議な出来事があるのだと実感した。
母はこの景色を夢で僕に伝えてきた。
後ろに立っていた、ご先祖様も、確かにあの写真の二人だった。
鳥肌がたって、美香さんのいる場所まで、必死で駆けた。
美香さんに、「顔色悪いわよ~幽霊にでも会った?」と普通に言われた。
僕達はお墓参りを済ませ、美香さんの持参した、パンを食べた。
「今日はこれで作業終わるね。明日は、宮さんのとこに9時に迎えに行くね」
「お願いします。待ってます」
また、あの鐘の音が流れてきた。
お盆の空から舞い降りる鐘の音は、山里の無数の魂に注がれるレクイエムみたいで、僕は空を仰いだ。