改札口を出ると、
客待ちをしている、タクシーの運転手さんと、一瞬目が合った。
僕を見て、ニッコリと笑いながら、軽くお辞儀をした。
乗客かと、期待を持たせたら悪いので、直ぐに視線を外して美香さんの車を目指し、小走りで駆けた。
美香さんは、僕に気付いていなかった。
おまけに車をロックし、エンジンをかけたままで車に搭載されたテレビを見ながら、何かを食べていた。
僕は指で助手席の窓を軽く叩いた。
美香さんが僕に気付いて、ロックを解除して、開口一番に言った。
「暑いから、早く乗ってよ~」
僕は慌てて、助手席に乗って、ボストンバックとお土産を膝の上に乗せて、座った。
「荷物、後ろに乗せていいわよ」
と言われ、右腕を思い切り真上に伸ばして、後部座席の上にボストンバックを乗せた。
「ちょっと待っててね、早く食べないと溶けるから」
美香さんが必死で食べていたのは、チョコアイスバーだった。
「アイスクリームのチョコですか?」
と聞くと、
「そう、そこの自動販売機見てたら急に食べたくなったから、買って食べてたの
あっそれ、もしかして高級なお土産?」
「あ…はい…美香さんと宮さんのです」
「悪いわね~何か気を遣わせて、ゴメンね」
美香さんは、言葉と裏腹にちっとも悪びれた様子も無くて
ティッシュで口元を拭いて、スタートキーを押して走り出した。
「今年は暑いよね~東京なんて灼熱地獄でしょう!」
「あ…はい…外は暑いです美香さん、髪染めたんですか?」美香さんの髪の色が淡いブラウンに変わっていた。
「そうなの、ちょっと垢抜けて女子力を高めて、運気を向上させるの~」
「がんばって下さい」
と僕が言うと、
「頑張るのは森田くんだよっ、今日は日没までやることがイッパイだよっ!」
と言いながら、エアコンの設定温度を18度にした。かずら橋を過ぎて、道幅が少し狭くなった。
2月に見た寒々とした落葉樹の木々は、すっかりと姿を変えていた。幹から広がった枝は隙間なく幾つもの青葉を形成し
渓谷から吹き戻す緩やかな風が、それぞれの葉先の隙間を撫でるように渡っていた。
透明な飛沫を岩肌に散りばめながら、ビー玉を溶かした様な耀く川が下流へと流れている。空は夏空。
「自然が駆けてますねっ!」
助手席から身を乗り出すようにして僕がはしゃぐと
「優秀な人は表現力が違うわね~なんてたって、お父様が校長先生だものね~」と、ニンマリと笑われた。
「冬に祖谷を訪ねた時は、寒くてどんよりしてて、なんか村全体が墓地みたいな感じがして、正直気持ち悪かったです。
同じ場所なのに、季節が変われば、こんなに違うんですね」
僕がそう言うと、美香さんはまた、ハンドルの上に両手の甲を乗せて、何かを必死で取り出していた。
「何ですか…それ?」
と聞くと、
「干し梅っ!クエン酸がなければ、夏は乗りきれないからねっ」
と言いながら、小袋から摘まみ出していた。
「今日は、久保山に行って先ずはご先祖様のお墓の掃除、掃除と言っても
草刈りから始めないとね、お墓に行くまでの草刈り」
「え…?あの道は土砂崩れしてましたよね」
「森田くんは運が良かったわね~あの土砂崩れの下に集落の防火水槽があってね
あれから直ぐに突貫工事されて、歩かないでお墓に行けるわよ~」
「あ、あの、ホースの道を滑らなくていいんですか!」
「滑らなくていいけど、杉の枝が落ちているから、お墓に行くまでの道を掃除するのが、滑るより大変よ」
「わかりました…がんばります」
「冬は雪が降るから、みんな帰省を嫌うけど、お盆は殆どの人が帰省するの、もしかして…
森田くんに似た人が帰省しているかもよ…?」
僕は一瞬、ドキリとした。
父親探しは諦めていたから、探してた落とし物を数ヶ月して届けられたみたいな、複雑な気持ちだった。
「お昼ご飯、食べて行きましょう」
美香さんと僕は、三社そばに寄って、ザル蕎麦定食を食べた。
美香さんが、独り言を言っていた。
「水よね~食の原点は絶対にお水よ~」
テレビからは、炎天下の渋谷の交差点を映しながら、2時のニュースが流れていた。