何時も感じることだが、ここに居ると祖谷の名峰は云うに及ばずマイナーな山々を
何時でも好きなときにたっぷりと眺めやることができることだ
いままでに数え切れないほど登った山々、2,3回しか登らなかった山々や
まだ、登ってない山々を時間の許す限り、眺めていることの幸福感はいいよな
思い出したように時折、気にかけている山を歩くのも、年取ってはきたものの
足腰を労わりながら、友に案内を請うたり、ひとりぶらりと歩いたりと好きなものは
止められない
年々歳々、四季折々、季節の盛衰を間じかに感じることぐらい幸せなことはない
これも、祖谷の山々を登山するため、通い詰めて次第に、一回り若い友達に
たくさん恵まれる幸運があったからだ
そして、空家を借りてそこを根城に大好きな山歩きに、集落歩きに明け暮れる日々を
過ごせることは、ほんとに素晴らしい
集落から集落へのむかしの道を友に案内してもらい歩いたことは印象深いものだ
山歩きには無いいろいろな集落の生活跡や廃家を訪ねて心に残るものがある
各集落をいつも何時も歩きながら、何らかの新しい発見があったりするとうれしいし
色々な人たちと顔見知りになって、特にお年寄りとの話は山里の生活の智慧や風習など
血となり肉となりぼくの心を豊かにしてもらうものばかりだ
気ままに過ごしてすでに、最晩年になってしまった、残り少ない人生を
ぼくなりの晩年様式集を紡ぐことが出来るといいなあ
註
「晩年様式集」は大江健三郎の小説
高校時代2つ先輩、文芸部に伊丹十三も居て大江は一緒に文芸誌「掌上」を発行していた
入学して文芸部に入部、しかし先輩にはとても適わず作品の採用は僅かであった
フォービスムなり自画像の雲の峰
きりきりきりり山絞る油照
蓑ひとつ暑さ絶頂封じ込む
目を癒す泉噴くなり山里に